「どの子も必ず救われる」私の家庭教育論 東井義雄 明治図書 1983年 [読書記録 教育]
昨日は、朝、7時に学校へ。
PTAの資源物回収。
約1時間、汗を流しました。
帰宅後、田植え。
歩行型田植機二条用ということで、約4時間。
苗を運びながらの作業、いい運動になりました。
近所の方にもう一つの田の田植えをやっていただきました。
乗用型田植機は、あっという間に終わってしまっていました。
助かりました。
その後、ぼうっとして1日が過ぎてしまいました。
今日は、確認と、手直しの作業が待っています。
以前は、亡父と母が、5つの田の作業を全部やってくれてい
ました。
「おまえは、学校の仕事を」
の声に甘えて。
作業をしながら、今更ながらに親のありがたさを感じました。
田舎での教育と言えば、
「村を育てる学力」で著名な東井義雄先生。
村を再生するために学力を付けようと努力…
その結果、子どもたちは都会へ出てしまって…。
「どの子も必ず救われる」の読書メモを読み直しました。
30年も前の本ですが、今でも十分生かされる内容です。
子どもたちの生命力の衰退、なかなか止まりません。
「欲望の充足が幸せであるのか」の問いは、
現代人に突き刺さる言葉です。
「快適さ便利さ快感・快楽の奴隷」から、解放するのは、
一人ひとりにかかっています。
教育の力にも…
東井先生は、「家庭の力」にかなりの期待をしています。
今、家庭は?
一つ一つの家庭。
「家庭は道場である」、
道場にするにはどのような手が考えられるのでしょうか。
考えなければなりません。
「下農は雑草をつくり、上農は土をつくる」
の言葉には含蓄があります。
上教たるよう、
子どもたちの土づくりに役立つ耕しをしていければと
改めて思いました。
☆「どの子も必ず救われる」私の家庭教育論 東井義雄 明治図書1983年
<死への道・生への道>
◇重病のガンを病んでいる
○「校内暴力」「家庭内暴力」
ガン 「竹やぶで竹の子を一本掘ってもすぐまた竹の子が生えてくる
のはそこが竹やぶであるからである。ガンを取ってもまたす
ぐガンができるのは身体全体がガン畑になっているからである」
↑
今日本の国は国全体が「ガンの竹やぶ」「ガン畑」
○青少年非行
坂口拓史(青少年非行防止問題研究所主宰)
『万引き』(図書刊行会)日本の万引き人口は一千万人超
|
こういう病状の中に日本の青少年 - 汚染
○生命力の衰弱
大学生 「騒がない」「しゃべらない」「質問しない」 無気力現象
「読まない」「書かない」「知ろうとしない」
日体大体育研究所長 正木建雄教授
防衛反射能力・基礎的能力に異常が目立つ
顔・頭のけがが増えている、骨折増、高血圧
背筋、土踏まず
↑
悪魔のような原爆さえ破壊しきれなかった民族の生命力が
内部崩壊
◇歩んだ道への疑い
○教育においてはものの貧しさよりも豊かさの方が恐ろしい
便利なもの
人間の欲望を充たしてくれそうなもの→人間を駄目にする危険性
↓
都会とは…それらが競争のように手練手管の限りをつくして人間
を誘惑しようと あっているところ
○欲望の充足が幸せであるか?
繁栄 = フグ ~ 毒をうまく取り除けばたいへんおいしい
∥
繁栄の毒とは?
人間が欲望の奴隷に成り下がること-人間の弱さ
「心のプリズム」(朝日新聞)
サル欲望の恐ろしい実験
麻薬実験 欲望の充足を求めてその生命を使い果たし自壊
サルは戦後の日本人の姿
快適さ便利さ快感・快楽の奴隷に成り下がった
○人間というもの
島秋人『遺愛集』(東京美術)反省の死刑囚
東昇(京大名誉教授・電子顕微鏡)
『生命の深奥を考える』(柏樹社)
「人間は人間に育つとは限らない。五千通りの可能性がある。」
○ある女子中学生の手紙
伸びたがっているのは草や木ばかりではありません。本当はいい
子になりたがっているのではないでしょうか。
<家庭の回復>
◇夫と妻・父と母
○下農は雑草をつくり、上農は土をつくる
永井道雄元文相の母
「自分の利益のみ考えた行動を悪というが、万人の利益を考えた行動を
善という」
中村白葉 「事実は絶対である。その重さは比較を絶する。」
男があり女があるという事実の重さを狂わせている言葉=「男女同権」
男と女を足して二で割ったような男でも女でもない気持ち悪い人
間が国中に溢れている
○家庭というところ
「家庭は人生の道場だ」
家庭はきれいごとのできるところではない。
しかし、きれいごとのできないままやはり絶えず光を求めて生き
合うところが「家庭」であるのではないか。
|
女の人に慎みや恥じらいが急速に失われている
永井元文相母堂 「神なき知育はさかしらな悪魔を育てる」
家庭とはきれいごとのできるところではない。
しかし、その中に人間の生き方が求められなければならない。
◇家族としての老人
○人間を大切にし合う家庭
禅僧 「座禅の修行が難しいというが、家庭の中で、家族が互いに人
間を大切にし合うことはもっともっと難しい修行だ。しかし、
その難しい修行の中で人間は育っていくのだ。家庭はその道
場だ。」
人間の心を育てる家庭
近頃この苗床の荒れがひどくなってきている。冷たくやせたもの
になってきている。
◇どの子も必ず救われる
○どの子も子供は星 金沢嘉一『人間にくずはない』
○伸びたがっているのは草や木だけではない
「この子さえいてくれなければ…と考えたこともある子供も、この子
がいてくれるおかげでと位置づけることができることが始まったと
きから教育は始まる」
|
この子がいてくれるおかげで…に置き換えられるか?
→ いい子にならずにいられなくなってくる
<本当の子供を取り戻すために>
◇「生きること」を求める中で
○「雨の日には雨の日の生き方がある」
米田啓祐先生「もしも明日雨が降ってきても、天に向かってブツブツ
言うな。雨の日には雨の日の生き方がある」
(運動会の前日に)
そういう日にこそ人間の生涯を決定するような大切なものが潜められて
いる
○雨の日をどう生きるかどう生きさせるか 人生における「雨の日」
◇読みたい シリーズ 現代家庭教育新書
東井義雄「中学生を持つ親へ」
鈴木道太「叱ってよい時わるい時」「ほめてよいこと・わるいこと」
PTAの資源物回収。
約1時間、汗を流しました。
帰宅後、田植え。
歩行型田植機二条用ということで、約4時間。
苗を運びながらの作業、いい運動になりました。
近所の方にもう一つの田の田植えをやっていただきました。
乗用型田植機は、あっという間に終わってしまっていました。
助かりました。
その後、ぼうっとして1日が過ぎてしまいました。
今日は、確認と、手直しの作業が待っています。
以前は、亡父と母が、5つの田の作業を全部やってくれてい
ました。
「おまえは、学校の仕事を」
の声に甘えて。
作業をしながら、今更ながらに親のありがたさを感じました。
田舎での教育と言えば、
「村を育てる学力」で著名な東井義雄先生。
村を再生するために学力を付けようと努力…
その結果、子どもたちは都会へ出てしまって…。
「どの子も必ず救われる」の読書メモを読み直しました。
30年も前の本ですが、今でも十分生かされる内容です。
子どもたちの生命力の衰退、なかなか止まりません。
「欲望の充足が幸せであるのか」の問いは、
現代人に突き刺さる言葉です。
「快適さ便利さ快感・快楽の奴隷」から、解放するのは、
一人ひとりにかかっています。
教育の力にも…
東井先生は、「家庭の力」にかなりの期待をしています。
今、家庭は?
一つ一つの家庭。
「家庭は道場である」、
道場にするにはどのような手が考えられるのでしょうか。
考えなければなりません。
「下農は雑草をつくり、上農は土をつくる」
の言葉には含蓄があります。
上教たるよう、
子どもたちの土づくりに役立つ耕しをしていければと
改めて思いました。
☆「どの子も必ず救われる」私の家庭教育論 東井義雄 明治図書1983年
<死への道・生への道>
◇重病のガンを病んでいる
○「校内暴力」「家庭内暴力」
ガン 「竹やぶで竹の子を一本掘ってもすぐまた竹の子が生えてくる
のはそこが竹やぶであるからである。ガンを取ってもまたす
ぐガンができるのは身体全体がガン畑になっているからである」
↑
今日本の国は国全体が「ガンの竹やぶ」「ガン畑」
○青少年非行
坂口拓史(青少年非行防止問題研究所主宰)
『万引き』(図書刊行会)日本の万引き人口は一千万人超
|
こういう病状の中に日本の青少年 - 汚染
○生命力の衰弱
大学生 「騒がない」「しゃべらない」「質問しない」 無気力現象
「読まない」「書かない」「知ろうとしない」
日体大体育研究所長 正木建雄教授
防衛反射能力・基礎的能力に異常が目立つ
顔・頭のけがが増えている、骨折増、高血圧
背筋、土踏まず
↑
悪魔のような原爆さえ破壊しきれなかった民族の生命力が
内部崩壊
◇歩んだ道への疑い
○教育においてはものの貧しさよりも豊かさの方が恐ろしい
便利なもの
人間の欲望を充たしてくれそうなもの→人間を駄目にする危険性
↓
都会とは…それらが競争のように手練手管の限りをつくして人間
を誘惑しようと あっているところ
○欲望の充足が幸せであるか?
繁栄 = フグ ~ 毒をうまく取り除けばたいへんおいしい
∥
繁栄の毒とは?
人間が欲望の奴隷に成り下がること-人間の弱さ
「心のプリズム」(朝日新聞)
サル欲望の恐ろしい実験
麻薬実験 欲望の充足を求めてその生命を使い果たし自壊
サルは戦後の日本人の姿
快適さ便利さ快感・快楽の奴隷に成り下がった
○人間というもの
島秋人『遺愛集』(東京美術)反省の死刑囚
東昇(京大名誉教授・電子顕微鏡)
『生命の深奥を考える』(柏樹社)
「人間は人間に育つとは限らない。五千通りの可能性がある。」
○ある女子中学生の手紙
伸びたがっているのは草や木ばかりではありません。本当はいい
子になりたがっているのではないでしょうか。
<家庭の回復>
◇夫と妻・父と母
○下農は雑草をつくり、上農は土をつくる
永井道雄元文相の母
「自分の利益のみ考えた行動を悪というが、万人の利益を考えた行動を
善という」
中村白葉 「事実は絶対である。その重さは比較を絶する。」
男があり女があるという事実の重さを狂わせている言葉=「男女同権」
男と女を足して二で割ったような男でも女でもない気持ち悪い人
間が国中に溢れている
○家庭というところ
「家庭は人生の道場だ」
家庭はきれいごとのできるところではない。
しかし、きれいごとのできないままやはり絶えず光を求めて生き
合うところが「家庭」であるのではないか。
|
女の人に慎みや恥じらいが急速に失われている
永井元文相母堂 「神なき知育はさかしらな悪魔を育てる」
家庭とはきれいごとのできるところではない。
しかし、その中に人間の生き方が求められなければならない。
◇家族としての老人
○人間を大切にし合う家庭
禅僧 「座禅の修行が難しいというが、家庭の中で、家族が互いに人
間を大切にし合うことはもっともっと難しい修行だ。しかし、
その難しい修行の中で人間は育っていくのだ。家庭はその道
場だ。」
人間の心を育てる家庭
近頃この苗床の荒れがひどくなってきている。冷たくやせたもの
になってきている。
◇どの子も必ず救われる
○どの子も子供は星 金沢嘉一『人間にくずはない』
○伸びたがっているのは草や木だけではない
「この子さえいてくれなければ…と考えたこともある子供も、この子
がいてくれるおかげでと位置づけることができることが始まったと
きから教育は始まる」
|
この子がいてくれるおかげで…に置き換えられるか?
→ いい子にならずにいられなくなってくる
<本当の子供を取り戻すために>
◇「生きること」を求める中で
○「雨の日には雨の日の生き方がある」
米田啓祐先生「もしも明日雨が降ってきても、天に向かってブツブツ
言うな。雨の日には雨の日の生き方がある」
(運動会の前日に)
そういう日にこそ人間の生涯を決定するような大切なものが潜められて
いる
○雨の日をどう生きるかどう生きさせるか 人生における「雨の日」
◇読みたい シリーズ 現代家庭教育新書
東井義雄「中学生を持つ親へ」
鈴木道太「叱ってよい時わるい時」「ほめてよいこと・わるいこと」
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