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「宮本常一が見た日本」②佐野眞一 NHK出版 2001年 [読書記録 民俗]

佐野眞一さんの「津波と原発」講談社を読みました
福島に原発がつくられたいきさつ、政治家の動き、東京電力の体質が
大変よく理解できました
佐野さんは現在光っているノンフィクションライターのひとりだと
改めて思いました

佐野さんは 宮本常一さんに 思い入れが深く
「津波と原発」あとがきでも 宮本さんの名前が出ていました

今回は その佐野さんの「宮本常一が見た日本」の二回目

宮本さんの言葉、
「日本にも日本型の民主主義はあった。(村落共同体の寄り合い)
 アメリカ式だけが民主主義ではない」

-敗戦以前の日本のすべてが真っ黒ではなかった-
-戦後日本が捨て去ったものの中に大切なものがあった-

本書を読むと 痛切に 感じます
とても 楽しめる本です








☆「宮本常一が見た日本」②佐野眞一 NHK出版

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◇海から見た日本

梶田富五郎の人生 昭和20年代 郵便局長が地域のナビゲーターだった
メシモライ=相互扶助
浅藻に住み着く ~ 港ができるまで30年間かかった

取材ノートの山 宮本の対馬調査に掛ける執念

中世社会の残存 村落共同体の寄り合い(伊奈)-古文書
=アメリカ式民主主義への痛烈な批判(千尋藻)
400年前から続く寄り合い
「満山鈎」-厳原の満山善雄氏

宮本学問の基礎は「芋」と「海人」


◇庶民へのアプローチ
三州名倉 愛知県設楽郡設楽町奥三河郷土館 = 宮本学の標本
旧名倉村調査(昭和30~41)
昭和31.9.11 昭和35.5
「名倉談義」「名倉村・部落について」林業金融調査会

宮本「樹を見ろ、いかに大きな幹であっても枝葉がそれを支えている。そ
    の枝葉を忘れて幹を論じてはいけない。その枝葉の中に大切なもの
    がある。学問や研究はあくまで庶民や民衆の土台に築き上げるもの
    だ」
= 民俗誌 から 生活誌 への転換 = 宮本学の確立
沢田久夫氏『三州名倉-史的変遷篇』(昭和26年)

「人文科学」と「訊問科学」
・常に固有名詞を使うこと  ・調査には必ずお返しを

名倉談義 相手の話が本当かどうかの判断基準
       ①堕胎間引きの話 ②どぶろくが出るかどうか

宮本民俗学「変わらない事への関心」


◇食糧確保の使命
敗戦の頃   戦前と変わらず - 棒のように貫いている
集団帰農列車 北海道開拓 昭和22.10.20大阪発-10.23札幌着
手塩地方へ300人を引率 幌延-問寒別に
十津川と新十津川
明治22(1889)年8月の大豪雨により移住
宮本にとってたった一度の「官」の旅が宮本に慚愧の涙を流させた
「棄民」の旅 → 済民の旅行脚へ


◇山河への憧憬
十津川 「兵力の貯蔵地」
      統一側に兵力→別天地を守った 免措置だった(明6まで)

秘境へ 維新後 長年の「天皇」中世の功により全員士族に列せられた

戦前の調査 「油屋旅館」(城戸)
<第一次世界大戦を堺に庶民文化にある断層があった>

峠を越えて
十津川崩れ 昭和29(1954)年 
    谷瀬の吊り橋 地元住民が38戸で800万円 「公」精神


◇農業のプロとして
佐渡の道 初めては昭和33(1958)10月

「宮本ワールド」の展示場 ①佐渡国小木民俗博物館 ②八珍柿

「人づくりができて道づくりができる。道づくりができて初めて産地づくり
 ができる」

宮本は我が国屈指の篤農家


◇離島振興にかける
離島の慈父 『日本の離島』未来社
昭和28(1953)年7月離島振興法
「光と水」=電気と水道がスローガン

田中角栄と宮本常一
昭和25(1950)年 国土総合開発法 田中角栄
田中角栄と宮本常一はコインの裏表
田中  まず都会と結べ=中央と直結
宮本  離島自体からエネルギーを
昭和41(1966)年
     『日本の離島』第2集
「…無駄遣いが多すぎる。家だけは立派になっているが生産の方は大して伸び
 ていない。家を改築する前にもっと再生産のための設備投資に本気になれな
 いものか。これではいつまでたっても島が本質的な力で本土に追いつく日は
 ない。」

「…資本主義的な思想の恐ろしさというようなものを近頃しみじみ思う。しか
 も、それが国民全体の一つの思想になりつつあるのではないか」

    昭和47(1972)年 
        『日本列島改造論』
辺境の村や島にひそむ土地の精霊たちを根絶する一種「革命的」な振る
  舞いであった

田中角栄 息が詰まる程のコンプレックスで自分を呪縛し、日本の村々
       を支配してきた古い呪術的神々を見殺しにすることに生涯を掛
けた政治家だったとも言える

      昭和40年代後半宮本の旅は祖霊を失った人々を癒して歩く
      求道者めいた旅になる

 「宮本先生は現代の一遍上人だった」


◇記録する精神
司馬遼太郎の『街道をゆく』のヒントは宮本の『私の日本地図』
目線が高い 目線が低い

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