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私の「夜間中学」教師体験記・命の光がいっぱいの教室 いっぱいの学校 ① 夜間中学校教論・松崎運之助 『致知』2004.3 [読書記録 教育]

3月です
いよいよ春本番 何となく心もうきうきとしてきます

今回は 雑誌「致知」より 
松崎運之助さん「命の光がいっぱいの教室 いっぱいの学校」
の紹介1回目です(全4回を予定)

夜間学校に長く勤められた松崎運之助さん 大好きです
山田監督により映画「学校」とも大きなかかわりがあります

本ブログでも 何回か紹介しましたが
この雑誌「致知」に載せられた文章中に エッセンスが詰まっています

「本当の学び」とは何でしょう
佐藤学さん、八ツ塚実さんの言う「学び」もすばらしいものですが
ここで紹介する「学び」 本物の学びだという気がします

昨年 ラジオ深夜便「あすへの言葉」に出演された松崎さん
話を聞き 心がふるわされました

あたたかさがある学び
ふれあいのある学び
松崎さんの文章にある学びを追いかけられたら…







☆私の「夜間中学」教師体験記・命の光がいっぱいの教室 いっぱいの学校 ① 夜間中学校教論・松崎運之助 『致知』2004.3

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○夜間中学校教論・松崎運之助(まつざき・みちのすけ)
 昭和20年中国東北部(旧満州)生まれ。中学卒業後、三菱長崎造船技術学校・
長崎市立高校(定時制)を経て、明治大学第二文学部卒業。。夜間中学の教諭に
なり、現在に至る。著書『学校』は山田洋次監督の映画『学校』の原作になった。
他に『夜間中学の歴史』『青春』『母からの贈りもの』など多数ある。


◇小さな明かりを目指しやってくる生徒たち

 夕日が沈み、夜の帳が下りる頃、大きな校舎にいくつかの小さな明かりが灯り
ます。世の人々が家路に急ぐなか、その明かりを目指しやってくる生徒たち。

彼らは夜間中学に通う生徒です。

 生徒といっても、上は81歳から下は15歳と年齢層は幅広く、国籍も日本は
もちろん、中国や韓国、最近はタイやベトナムの人も多くいます。
 多くの生徒さんが昼間は仕事をしながら通っていますが、休む人はほとんどい
ません。
 早朝から働きに出かけ、夕方17時半から21時まで学校で勉強。それから家
に帰り、また翌朝から仕事へ行く。なんて大変なんだろうと思いますが、

「この教室の明かりが故郷の家の明かりに見える。学校に来ると、仕事場でいや
 なことがあっても忘れられるんだ」

とおっしゃる方もいらっしゃいます。

 特に年配の方々の「学校」に対する憧れは並々ならぬものがあります。学齢の
頃は戦争や貧困から学校どころではなく、昼夜を問わず働かなければ生きていけ
なかった。
 働き盛りの3、40代になると、日本にも学歴社会が根付き、小学校もろくに
行っていないと言うことでどれだけ辛い思いをしたことか。それは日本人だけで
なく、在日朝鮮人や中国から引き揚げてきた残留孤児の方々も同じです。
 学校へ行ってみたい、勉強してみたいと願い続け、通える環境が整ったのが、
60代や70代だったのです。

 また、外国から日本へ働きに来た人たちも必死です。
 彼らも祖国にいた頃は、4、5歳からわずかな現金収入を得るために働いてい
ます。身を粉にして働いてもなお生活苦は解消されず、意を決して日本へ渡って
きたのです。何としてでも日本語を覚え、仕事をし、生きていかなければなりま
せん。

 一方、15、6歳の生徒たちは「学校」に対し、一種幻滅を抱いています。
 小中学校に通っている頃、辛いことがあって学校へ行けなくなってしまった。
その理由が何であるかなど、私は興味がないし、知る必要もありません。
 ただ、それでも彼らが「夜間中学になら行ってもいい」と思って入ってきたの
です。

 年齢も違う、国籍も適う、職業も生活習慣も違う。しかしここに集う生徒は、
その時代時代の日本社会の問題を色濃くく反映しています。
「学校」の枠から弾き飛ばされ、たどり着いた小さな教室で机を寄せ合い学ぶ生
徒たち。この狭く小さな教室は、「それでも学校へ行きたい、学びたい」という
熱意や希望で溢れています。



◇愛から始まるあいうえお


 ある日、教室へ行ったら机の上に饅頭が載っていました。
 生徒の皆さんも「これどうしたの?」と不思議そう。すると年配の生徒さんが、

「きょうは娘の命日でさ、お墓参りに行ってきたのよ」

とおっしゃいました。娘さんを亡くされて以来、一人暮らし。おそらく誰かに自
分の思いを伝えたく、饅頭を買って配ってくれたのでしょう。

「どんな娘さんだったの?」
「何歳で亡くなったの?」
とクラスのみんなが質問すると、お母さんの顔になって一つひとつ嬉しそうに答
えていました。

 その時、教室は″ほわ-つ″とした雰囲気に包まれていました。人は皆、過去
を重ねて生きています。特に夜間中学にいらっしゃる方々は人よりも幸い過去が
ちょっと多い。
 饅頭一個がきっかけとなって、何かがきっかけとなって、自分が抱えている辛
い過去の十分の一を話す。すると他の誰かも自分の過去の十分の一を話す。この
教室の中では自分の過去を話していいんだ。
 ここにいる人たちには、自分の辛い過去を分かってもらえる。一人ひとりが、
ちょっとずつ自分を出し、他の人を受け入れていく。その営みが実に穏やかに、
自然のなかで行われていきます。

 生徒の皆さんはこれまで学校に行っていないため、夜間中学で初めてひらがな
を覚える人が多くいらっしゃいます。
 ギュッと鉛筆を握り、次のページに裏写りしそうなくらい力強く、ノートに、
「あいうえお」を何度も何度も書いていく。その時の表情はまるで怒っているか
のように真剣です。

 黙々と「あいうえお」を書く中で、ある時突然、

「あのさ、気づいたんだけどさ、あいうえおって素敵よね」

と言い出した方がいました。40歳くらいで、小さなお子さんのいる女性です。

「あいうえおって″あい″から始まるじゃない。やっぱり愛が一事なのよ。なん
 でも愛から始まるのよ!」

 きりきりと書いていた生徒さんが、

「ああ、愛か」
「そう言われればそうだね」
「愛は地球を救う」

と口々に言い出し、教室には″ほわ-つ″とした空気が流れました。

 ひとしきり皆さんが「愛」について書きが始まりました。するとしばらくして
から、

「ああ、そうか。愛か」

という声がしました。声の主はいつも感動のテンポが人より遅い60代のおじさ
んです。クラスのみんなは「また始まったよ」というように、

「もう、その話は終わったよ!」
「だいたい、あんたに愛なんて分かりっこない」

とさんざんな言いようです。するとおじさん、

「俺にだって愛は分かる」

と応戦します。失礼ながら、その方は下町のドヤ街に住み、一年中洗ったことの
ないような作業者を着ていて、およそ「愛」などからはかけ離れている。私も興
味深く聞いていると、

「あいうえおは″あい″から始まり、いろはにほへとは色気の″いろ″から始ま
 る。文字っつうもんは、人間にとって一番大事なものから始まるのよ」
 
と誇らしげに答えるのです。みんなは「ああ、そうか」と感心しました。

 いま、昼間の学校ではこのおじさんが「ああ、そうか」と言い出すまで待つこ
とができません。
 皆が足並みそろえて先を急ぐ時代、ついてこられない人は置いていくしかない。
効率、能率を追求した結果、同じような経済状態の、同じような学歴の、同じよ
うな感性の人たちが小さく小さくまとまっている。それがいまの社会です。

 足を止め、待っていれば出合えるのです。新しい発見に、新しい感性に。より
深く学べ、より深い感動につながるのです。

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コメント 4

さよ

こんにちわ!
素敵なお話を読ませて頂きました。世の中がすべてこうだったらいいですね。
私の子供時代には、まだこんな雰囲気が少し残っていました。清水大師のお参りの帰りに必ず寄っていく知り合いのお婆ちゃんと、母のお喋りを聞きながら、生意気にお茶入れとかして縁側に座っていた中学生の頃が重なります。
暖かく、のんびりした日本でした。
by さよ (2012-03-01 12:59) 

ハマコウ

さよ さん  nice!とコメントをありがとうございます

「皆が足並みそろえて先を急ぐ時代、ついてこられない人は置いていくしかない。」は寂しく思いますね
のんびりした日本 そのころには戻ることができませんが

「人間と人間がゆったりと関わることができる場所」=学校

そうしたい…


by ハマコウ (2012-03-01 22:11) 

mizuho

いいお話でした!ありがとうございます。
日常のなんてことはないことにも、新しい発見があって、
心を震わせることができるのだと、感じます。
それに気づく心の余裕があるかどうか、でしょうか。
足を止めてみる勇気も、必要かもしれないですね。
by mizuho (2012-03-02 01:27) 

ハマコウ

mizuho さん  いつもありがとうございます

そうですね
ありふれた日常の中に いろいろなことが詰まっているのに
わたしが気がつかないだけなのでしょうね

また 今いるわたしに感謝できるお話でした
by ハマコウ (2012-03-02 04:54) 

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