「学校の役割は終わったのか」NHK出版 ② 2001年 [読書記録 教育]
今回は 6月10日に続き
NHK出版「学校の役割は終わったのか」2回目の紹介です
戦後の教育の変遷について丁寧に解説してくれます
当初は新しく自由な雰囲気だったのが
経済界の要求により拘束力が強化されていった様子が分かります
「告示」となった学習指導要領
改訂の度に現場が振り回され 新しい課題が生まれ 次の改訂へ…
今回は1980年代の様子 臨教審についてです
・「学校的価値にすっぽり家庭も社会も呑み込まれてしまった」
同感です
学校の評価がすべてではないはず
学校の評価と家庭・地域の評価が同じようになった時代
― 子どもたちにとって辛い時代ではないでしょうか
・「校内暴力 いじめ」
今でも引きずっています
・「教育の自由化」
公教育とは機会の平等が与えられていて当然だと思います
それが「自由化」のかけ声とともに…
要約ノートを読み直し
今更ながらすばらしい本だと思いました
月曜日に予定されていたプール開きが
昨日やっと行えました
水の冷たかったこと…
かぜでさらに冷やされましたが
子どもたちは冷たくても大喜び
ホッとしました
☆「学校の役割は終わったのか」NHK出版 ② 2001年
◇吹き荒れる校内暴力 1980年代
○学校が見舞われた「未曾有の事件」
1983 町田市 忠生中学校 教師が生徒をナイフで刺す事件
→ 校内暴力対処 管理教育
1960年代 教育が経済の論理に最も飲み込まれてしまった時期
1980年代 校内暴力の頻発
受験戦争加熱、落ちこぼれ、教育行政の変質
○エスカレートする校内暴力
1970年代 受験戦争 → 詰め込み教育 →「落ちこぼれ」問題表面化
↓
1980年代 校内暴力
1980年 都内 生徒が教師を殴りけが(中)
1982年 文部省「校内暴力に対する手引き書
生徒指導資料第17集
教育現場に対し毅然とした生徒指導の実施を求めた
= 管理強化策
|
対処に苦慮 「校外実習」名目校も 黙認教委
1983年 文部省通達 校外実習認めず
○「落ちこぼれ」意識が招いた暴力
非行少年3つのピーク ①1950年代初 古典的貧困
②1960年代半ば 高度成長下
③1980年代 ポスト工業社会
○学校的価値にすっぽり家庭も社会も呑み込まれてしまった
= 学校化社会 学校にしか居場所がなくなってしまった
|
落ちこぼれることが人間として一人前に認めてもらえないことに直結する
暴力的にしか自己主張ができない
「勉強ができない人間として認めてもらえない」叫び
しかし文部省は早期発見・早期指導の方針
○校内暴力からいじめへ
指導の徹底化による体罰急増
1980年代半ば いじめから自殺する子の急増
1986年2月 中野区立富士見中学校男子生徒がいじめを苦に自殺
葬式ごっこ
↓
1988年 文部省 校則の内容と運用を見直す通達
|
「なぜ校内暴力なのか」という根本のところが問われなかった
校内暴力全盛の時派手なことができなかった子、普通の子もストレ
スを溜めていたが今度はそういった普通の子がいじめをやり始めた
→ 集団性 匿名性
自分のストレスを発散させるいじめ
○教育の自由化
1980年代 規制緩和・自由化が推進
1984年 中曽根首相 臨時教育審議会
自由化賛成派対反対派
↓
個性重視の原則を掲げて、教育現場に於ける選択の機会の拡大を
求めたのである
○社会システムが変わらなければ教育は変われない
臨教審 - 文部省の頭越し - 期待と緊張
「個性の重視」「多様化」
○臨教審3つの「改革の視点」
①「個性重視の原則」
②「生涯学習体系への移行」 = 的確なものだった
③「変化への対応」
教育市場の自由化
中途半端 = 社会のシステムを動かさずに学校のあり方だけを問うて
いる (例:企業の採用姿勢)
↓
実際の答申は文部省に対する要望のみ
???現場の努力が、教育改革の議論が、果たしてどれくらい吸い上げられ
ているのか
∥
常に上から与えられるばかり!
○問題は現場で起きている
文部省に現場の本当にドロドロしたところまで降りてきてほしい
→ しかし、産業界の要請の優先ばかり!
臨教審の後結局企業はバブルの方へ流れていった
=言っていたこととやっていたことの間に大きな距離
○80年代の問題から学ぶこと
①「子供と生きる」と言うこと 子供の人格の尊重
②「個の確立」「誇り」 自主性-自己の判断と責任
誇り…自分を大切にすること 自分を卑下しない
③「複眼的思考」 と「対話の思想」
NHK出版「学校の役割は終わったのか」2回目の紹介です
戦後の教育の変遷について丁寧に解説してくれます
当初は新しく自由な雰囲気だったのが
経済界の要求により拘束力が強化されていった様子が分かります
「告示」となった学習指導要領
改訂の度に現場が振り回され 新しい課題が生まれ 次の改訂へ…
今回は1980年代の様子 臨教審についてです
・「学校的価値にすっぽり家庭も社会も呑み込まれてしまった」
同感です
学校の評価がすべてではないはず
学校の評価と家庭・地域の評価が同じようになった時代
― 子どもたちにとって辛い時代ではないでしょうか
・「校内暴力 いじめ」
今でも引きずっています
・「教育の自由化」
公教育とは機会の平等が与えられていて当然だと思います
それが「自由化」のかけ声とともに…
要約ノートを読み直し
今更ながらすばらしい本だと思いました
月曜日に予定されていたプール開きが
昨日やっと行えました
水の冷たかったこと…
かぜでさらに冷やされましたが
子どもたちは冷たくても大喜び
ホッとしました
☆「学校の役割は終わったのか」NHK出版 ② 2001年
◇吹き荒れる校内暴力 1980年代
○学校が見舞われた「未曾有の事件」
1983 町田市 忠生中学校 教師が生徒をナイフで刺す事件
→ 校内暴力対処 管理教育
1960年代 教育が経済の論理に最も飲み込まれてしまった時期
1980年代 校内暴力の頻発
受験戦争加熱、落ちこぼれ、教育行政の変質
○エスカレートする校内暴力
1970年代 受験戦争 → 詰め込み教育 →「落ちこぼれ」問題表面化
↓
1980年代 校内暴力
1980年 都内 生徒が教師を殴りけが(中)
1982年 文部省「校内暴力に対する手引き書
生徒指導資料第17集
教育現場に対し毅然とした生徒指導の実施を求めた
= 管理強化策
|
対処に苦慮 「校外実習」名目校も 黙認教委
1983年 文部省通達 校外実習認めず
○「落ちこぼれ」意識が招いた暴力
非行少年3つのピーク ①1950年代初 古典的貧困
②1960年代半ば 高度成長下
③1980年代 ポスト工業社会
○学校的価値にすっぽり家庭も社会も呑み込まれてしまった
= 学校化社会 学校にしか居場所がなくなってしまった
|
落ちこぼれることが人間として一人前に認めてもらえないことに直結する
暴力的にしか自己主張ができない
「勉強ができない人間として認めてもらえない」叫び
しかし文部省は早期発見・早期指導の方針
○校内暴力からいじめへ
指導の徹底化による体罰急増
1980年代半ば いじめから自殺する子の急増
1986年2月 中野区立富士見中学校男子生徒がいじめを苦に自殺
葬式ごっこ
↓
1988年 文部省 校則の内容と運用を見直す通達
|
「なぜ校内暴力なのか」という根本のところが問われなかった
校内暴力全盛の時派手なことができなかった子、普通の子もストレ
スを溜めていたが今度はそういった普通の子がいじめをやり始めた
→ 集団性 匿名性
自分のストレスを発散させるいじめ
○教育の自由化
1980年代 規制緩和・自由化が推進
1984年 中曽根首相 臨時教育審議会
自由化賛成派対反対派
↓
個性重視の原則を掲げて、教育現場に於ける選択の機会の拡大を
求めたのである
○社会システムが変わらなければ教育は変われない
臨教審 - 文部省の頭越し - 期待と緊張
「個性の重視」「多様化」
○臨教審3つの「改革の視点」
①「個性重視の原則」
②「生涯学習体系への移行」 = 的確なものだった
③「変化への対応」
教育市場の自由化
中途半端 = 社会のシステムを動かさずに学校のあり方だけを問うて
いる (例:企業の採用姿勢)
↓
実際の答申は文部省に対する要望のみ
???現場の努力が、教育改革の議論が、果たしてどれくらい吸い上げられ
ているのか
∥
常に上から与えられるばかり!
○問題は現場で起きている
文部省に現場の本当にドロドロしたところまで降りてきてほしい
→ しかし、産業界の要請の優先ばかり!
臨教審の後結局企業はバブルの方へ流れていった
=言っていたこととやっていたことの間に大きな距離
○80年代の問題から学ぶこと
①「子供と生きる」と言うこと 子供の人格の尊重
②「個の確立」「誇り」 自主性-自己の判断と責任
誇り…自分を大切にすること 自分を卑下しない
③「複眼的思考」 と「対話の思想」
子供達はお水が冷たくても楽しいんですね。
さすが若者ですね^^;
by 美美 (2012-06-15 20:11)
美美 さん いつもありがとうございます
子どもたちは気合いが入っています
やる気が何より大切だと分かります
わたしもそのつもりでしたが 夕方の眠たさと言ったら…
by ハマコウ (2012-06-15 22:33)
80年代の学生ですが、学校は要りますよ。
ワルではなかったですが世間的にははみ出してました。
学校が要らないというのは放棄です。
わたしの好きなイギリスの超チンピラミュージシャンは50歳を過ぎてこう言いました。
一番大事なのは教育だ。と。
彼はすさまじい人生を送ってきたようですが、ベーシックな教育は持ち合わせていたのです。だから彼は生き残れたのです。
わたしもそのように思います。ベーシックな知性をどう使うかは自分次第ですが、教えられなくても伝えるべきです。
by HillyBlankgenerate (2012-06-17 01:14)
HillyBlankgenerate さん nice!とコメントをありがとうございます
「学校の役割は終わったのか」
その時代その時代で学校に期待される役割は違うのではないかと思います 公教育の大切さは 格差がなくなるためにも 変わっていかないものと思います
「ベーシックな教育は持ち合わせていたのです。だから彼は生き残れた のです。」
同感です
「学校のおかげで」と何十年後かに言ってもらえるように努力していかなければとも思います
by ハマコウ (2012-06-17 06:50)