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(1)「図説 ふるさとの歴史シリーズ 浜松浜名湖周辺」上巻 郷土出版社 1992年 ⑤  (2)「思春期の心を開く」 八ツ塚実 朱鷺書房 1990年【再掲載】 [読書記録 郷土]

今回は 少し間が開きましたが 2月2日に続いて 郷土出版社の
「図説ふるさとの歴史シリーズ 浜松浜名湖周辺 上巻」5回目の紹介です

浜松周辺の歴史の移り変わりが
絵や図をもとに分かりやすく説明されています


今回は<奈良平安時代>についての紹介です
浜松の歴史の概観が分かる本です

白鳳期の推定とされる木船廃寺と同型の瓦が 浜北区の篠場瓦窯で見つかりましたが 
どのようなつながりがあるのか興味深いところです
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篠場瓦窯
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篠場瓦窯の軒丸瓦


もう一つ 再掲載となりますが 尊敬する実践者 八ツ塚実さんの
「思春期の心を開く」を載せます
いいなあと思う言葉がいっぱいで 子どもたちに向かう姿勢が勉強になります






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(1)「図説 ふるさとの歴史シリーズ 浜松浜名湖周辺」上巻 郷土出版社 1992年 ⑤


<奈良平安時代-1>
◇古代国家と西遠
   
 古墳 = 各地豪族が大和王権傘下の記念物
 
         ↑ 
   
 7世紀 大和王権勢力が揺らぐ ← 中央大豪族の勢力が強くなる


 王権 - 中央大豪族の勢力が脅かす
唐の制度 律令・明文法 律令格式により運営
近江令(668)飛鳥浄御原律令(689)大宝律令(701)

  律令制  
   ①公地公民制 班田収受法-条里制
  西遠にも条里制が見られたが消えてしまった

  方形地割-坪地名は各地に

   ②人民に対する全国一律の賦課
租(稲)庸調(物産品)雑徭(年60日以内 労働奉仕 兵役)
正倉院 天平12(740)年 「浜名郡輸祖帳」
   

 伊場遺跡・城山遺跡
   148点の木簡と600点余りの墨書土器
  
   正倉院 天平12(740)『浜名郡輸祖帳』  





◇郡家と軍団

 律令制  
  ③行政機構整備
  奈良平安 伊場・城山一続きに

郡家(ぐうけ)?「こおりのみやけ」地方役所 正倉有

西遠 古代6郡 敷智郡以外ははっきりせず





◇東海道と湖北の道

 伊場・城山近く 「栗原」駅

 木簡   - 荷札付札 ~ 移動可能性

 墨書土器 - 使用場所近く

「延喜式」遠江国 猪鼻,栗原,口摩(引摩),横尾,初倉 5駅
駅家 ①公務出張役人のため人や荷を送り届ける

②駅使に給食や宿を提供すること

 弥生~古墳の遺跡・遺物
湖北路に顕著(官道)

橘逸勢 842年 伊豆配流途中遠江国板築駅で病のため落命
娘妙仲が近くに墓,庵 逸勢塚と橘神社
            湖北道が東海の官道だったのは短期間  





◇寺院と豪族

 浜松市和田町永田 木船神社 古い布目瓦
昭和29(1954)年区画整理でたくさんの布目瓦
軒先丸瓦 7世後半・県内最古


 木船神社の北80Mに薬師堂 80㎝四方 50㎝高の礎石
=木船廃寺 白鳳期瓦葺きの寺の推定


 長田評 → 702年長田郡 → 729年 長田上→長上郡,

     長田下→長下郡

 長田=永田 平野部政治文化中心地
平安時代・蒲氏 大蒲町光禅寺大日如来-もと蒲氏の氏寺


 平安後期 (11世紀)
山岳寺院 大知波峠廃寺(平安時代)

 
三ヶ日町只木 幡教廃寺
引佐町奥山  新羅堂 → 真言密教の道場
         四箇所の礎石建物 人為的平坦地  





◇水辺の祭り

 遠江国敷智郡の郡家 + 東海道栗原駅 = 伊場遺跡

 大溝跡 - S字状大溝
       河跡 杭列・階段に出土品集中(木製土製模造品)

木製模造品 斎串(ゆぐし),人形,馬形,舟形 絵馬も

  土製模造品 陶馬(灰)土馬(素焼き)ミニチュア容器類,丸玉



水霊に献じて晴雨・豊作祈願 牛馬の健康祈願 

         木製模造品 京都奈良と共通 大祓の行事 律令制との関連









(2)「思春期の心を開く」 八ツ塚実 朱鷺書房 1990年【再掲載】

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◇子どもの心を開く力

「どう生きる科」「なぜ学ぶ科」

 佐高信著『親と子と教師への手紙』(現代教養文庫)を読んでいたら、

「どう生きる科」「なぜ学ぶ科」

という章に出会った。


 この言葉は、私の造語なので、オヤッと思った。読み進むと、それは私の仕事につい
て書いてくださっていることがわかった。

 自分で自分自身のことを書くのは気がひけるので、それを引用させていただくことに
する。 

 その後で、この仕事が、一人の少年を見事に花聞かせた実例を紹介しよう。



 言うまでもなく、教育とは「いのち」との関わりである。

 そう考える時、私はいつも、あるテレビコマーシャルを思い出す。
 夕暮れの京都の街を、一匹の小犬が歩いていく。人混みの中や川っぶちを、ちょっと
立ちどまったり、雨に打たれながら精いっぱい走ったりして……。

 そこへナレーションが入る。

「いろんな命が生きているんだなあ。元気で、とりあえず元気で。みんな元気で」

 憶えている方も多いだろう、サントリーの「トリス・雨と小犬」のコマーシャルであ
る。制作者は仲畑貴志。


 生へのいとおしみに充ちたこのコマーシャルをつくった仲畑は京都市立洛陽工高時代、

「夜ごと黒の上下に黒のネクタイを蹄め、黒のサングラスをかけて河原町、木屋町あた
 りをねり歩く」(『ビッグ・サクセス』1983年12月号)大変なツッパリだった。

 あの、かわいい小犬のコマーシャルをつくったのが、手のつけられない落ちこぼれだ
ったとは、誰が想像できるだろうか。



 教育とは、まず、生徒の「生へのエネルギー」に注目することだということを、私は
『たいまつ』新聞主幹のむのたけじ氏に教えられた。

 私が山形県の庄内農高で教師をしていた頃だから、いまから20年ほど前、講演会の
講師として来てもらったむの氏と一緒に廊下を歩いていた私は、3、4人の生徒がダダ
ッと、前を走って行ったので赤面した。

「不作法な」

と叱ろうとしたら、自然な感じで、むのが、

「元気があっていいですね」

と、にこやかに言った。

 その言葉に、私はハッとなった。

 御多分にもれず、私も教職1、2年目にして、最も多く発する言葉が、

「うるさい、静かにしろ」

という教師になっていたからである。


 しかし、考えてみれば、伸びざかりの生徒たちが何十人、何百人といるのに「静かな
教室」「静かな学校」ほど不気味なものもないだろう。

 生徒たちのもつ野放図とも言える若さに対しては、教師たちも、当然、それに拮抗す
る生のエネルギーをぶつけていかなければならない。


 広島の栗原中学で「どう生きる科」「なぜ学ぶ科」の「自主編成教科書」として「学
級記録」を出しつづける八ツ塚実も、それをよく知っている熱血教師だ。


「非行や校内暴力が起きた後では、いくら走り回っても敗戦処理にすぎない。その前に
 なぜ子どもを燃えさせないのか」


と語る八ツ塚には、校内暴力にどう対処するかといった議論は、問題の本質的な解決に
はならない対症療法と映っているのではないだろうか。


「私には一日に百枚のプリントを作る力などない。でも、一日に一枚なら作れる。それ
 を百日続けることはできる」

として、八ツ塚は、「どう生きる料」「なぜ学ぶ科」の「教科書」を発行し続けてきた
のだ。


 この学級記録はワラ半紙にガリ版刷り。

 八ツ塚は今年もまた、「48歳の抵抗」をつづける。


 この記録は毎年百号を超え、二百号を突破する年もある。知り合いの印刷屋が惚れ込
んで復刻してくれたという電話帳ほどの大部の合本から、八ツ塚の詩「家庭訪問」を引
いてみよう。




 みんなが書いた地図をたよりに
 ぼくは一人 テクテク歩く
 できるだけ人にたずねないで
 一軒一軒さがしあてる

 ひどい地図もあって
 行ったり来たり
 どうしてもわからない家もある
 迷路のような山手の坂道
 重いカバンを背おって
 大きなカバンをさげて
 みんなが毎朝あるく道
 毎夕たどる道
 それと同じ道を ぼくもたどる
 一歩一歩 坂道をのぼる
 坂道をくだる

 こんな遠くから通ってくるのか
 この坂道をのぼっているのか
 通いなれたみんなの道を
 ぼくが今あるいて行く
     (後略)


「疑問ノート」「誤答ノート」そして「発見ノート」などをつくらせ「学級歴史年表」
をつくる。

 こうした八ツ塚の実践は、前掲の詩に象徴的に出ているように、とりたてて珍しいも
のではない。

 しかし、そこには生徒一人一人の生活にしつこいくらいに着目し、自分も燃え、学び
ながら、「いのちの火」をかきたてる不屈のエネルギーがある。


 教育に奇手妙手はない。あくまでも基本を押すことだということを八ツ塚の実践は、
はっきり教えていると言えるだろう。


「生徒を、教える対象としてでなく、一人の人間として扱う」

 生徒や親の前で平気で泣いたり笑ったり、怒鳴ったりする「生きている教師」八ツ塚
は、ことなかれ主義の空気が充満する学校に反発するように、こう言った。
   (後略)






○手作り教科書を通して

 私のトレードマークといえば、佐高氏に紹介していただいたように、「自主編成の教
科書」である。子どもたちの言葉と、私の言葉が文字になって躍っている教科書だ。  

 もちろん世界に一つしかない。自分たちのために作る自分たちの教科書だ。その教科
書作りの過程で、「どう生きるか」「なぜ学ぶか」を、克明に学んでいく。

 自分たちで作り出し、共有している生活そのものこそ最高の教科なのである。










◇「生活の記録」を通して
 ・もっと努力をしましょう。

 ・まとめにやりなさい。


 この程度の言葉の連続のために、わぎわぎノートの交流をする必要はない。

 もっともっと「見通し」のある、質の高いやりとりをするから、わざわざノートを使
うのである。

 何となくやっているようなことに、中学生が釣られて乗ってくることはない。私はか
つて、ある雑誌の依頼で「生活の記録・私の対話心得」を書いた。

 ここに再録させていだたく。


魅力ある対話心得

 ①君が好きだ……ということが間接的に伝わるように苦く。
  (君は……だから)
  (…しようとしている君だから)


 ②君のことが私の心の中にある…ということを、具体的な事実の中
  で伝える。
  (……している姿が忘れられない)
  (……しているのを見たよ)


 ③他の人が、君のことを感心し、ほめていたよと、そっと教える
  (先生がね…)
  (…と友だちが言ってたよ)
  (お父さんお母さんの気持ちは…)

 (途中 略)


 ⑱喜びを共有する表現。
  (ぼくも、うれしくてたまらない)
  (とうとうやったね0今こそ言おう、オメデトウと⊥     


 ⑲おとなも、みんな同じ道を通ったんだということを語りかける。
  (みんなドキドキしたんだよ)
  (誰だってアガルんだ)
  (その苦しみは、ぼくも味わったよ)
  (みんな同じ道を通って、成長していくんだよ)


 ⑳目安をはっきりさせてやる。
  (そら、目ぎす地点は目の前だ)
  (ここを乗り切ったら、あとはシメたものだ)
  (さあ、もう少しだ)



 ささやかな、たった一つの自信。それさえつかめば、どの子も自分の足で歩いていけ
る。自信を発見させ、つかませずして、何を息まいているんだろう……と、思うような
教育の営みがある。


 まだ対面していない「新しい自分」。まだ気がついていない「本当の自分」。これを
つかむ場面は、何もしないで待っていても、自然発生することはない。その場面を用意
し、そこへいざなうために、親も教師も子どもの傍にいる。


 子育ては、お父さんゴッコ、お母さんゴッコをしているのではない。ときどき、思い
ついた嫌味をぶつけたところで、子どもの心は育たない。


 学校は、教員が教員づらをするところではない。


 教員が言うから、やるから、それが無原則に、すべて教育活動として許されるもので
はない。子どもの自信を損なうような言動のすべては、教育ではない。


「センセ、勇気づけて!」


 その日、私はたまたま夕刻遅くまで仕事をしていた。誰もいないはずの教員室。私の
後ろで人の気配がする。ふりむくと、そこにヒサヨが一人で立っている。そのときばか
りは、ミチ子と連れだっていない。


「どうしたんだ? こんな時間に。担任の先生はもう帰られたよ。もう遅いから、早く
 家に帰りなさい」


「いえ。今日はヤッツアン先生に用があるんです」                 

「へえエ。ぼくに?何の用事?」                


彼女は、モジモジしながら、言った。


「センセ、勇気づけて!」                          

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コメント 4

ojioji

八ツ塚実氏、初めて知りましたが、泥臭い本物のにおいがします。
紹介されている実践の数々、共感します。

ところでトリスの雨と子犬のコマーシャル、覚えています(^^)、
仲畑貴志氏だったのですね。
今検索したら三十四年も前のことで、
仲畑氏は「マイルドウォッカ」の作詞もされていました。
出身の京都市の洛陽工業は今度伏見工業と統合されて名前が消えてしまいます。
by ojioji (2015-02-05 16:11) 

ハマコウ

ojioji さん ありがとうございます

八ツ塚実さん 10年以上前ラジオ深夜便「心の時代」でインタビュー記事を聴いて すごい先生がいるのだなと思いました
その後 NHK教育テレビ「こころの時代」でのインタビュー番組を見て「にんげん科」の授業に心を動かされ 著書を読むようになりました
若くして亡くなられたのでインタビュー番組はいずれも再放送でした

教育の技術的なこと いかにして子どもたちに力を付けるかについて話題にされることが多いのですが 何のために力を付け どのような子どもを育てたいのかについて八ツ塚さんは考えさせてくれます

「泥臭い本物のにおい」ー背中で子どもたちを教えることができる先生だと感じます
 
by ハマコウ (2015-02-05 22:23) 

ojioji

八ツ塚実氏、亡くなられていたのですか。
不勉強を恥じます。
私はもう現場に立つことは無い(小中学生を三人だけ見させていただいておりますが)のですが、氏の足跡を知るしるべがありましたらお教え下さい。
ps
明日の拙ブログで、ハマコウさまにコメントいただいた三浦哲郎氏の「鳥寄せ」を紹介させていただこうと思います。
by ojioji (2015-02-06 15:41) 

ハマコウ

ojiojiさん ありがとうございます

八ツ塚さんは1998年に63歳で亡くなられているのですが
福島大・宮前貢さんの文が大変分かりやすいと思います
http://ir.lib.fukushima-.ac.jp/dspace/bitstream/10270/2975/1/1-656.pdf

あのころ何とか短編集「木馬の騎手」にたどり着き「鳥寄せ」を読んだと思うのですが 内容をはっきりとは覚えていません
楽しみにしています
by ハマコウ (2015-02-07 01:55) 

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