SSブログ

「図説 ふるさとの歴史シリーズ 浜松浜名湖周辺」上巻 郷土出版社 1992年 ⑥ [読書記録 郷土]

今回は 少し間が開きましたが 2月5日に続いて 郷土出版社の
「図説ふるさとの歴史シリーズ 浜松浜名湖周辺 上巻」6回目の紹介です

浜松周辺の歴史の移り変わりが 絵や図をもとに分かりやすく説明されています


今回は<奈良平安時代>2回目の紹介から強く印象に残った言葉は…
・「天宝堤 昭和初年まで長さ460mほど残存していた」

・「天竜川はその後また西に流路を移して現在の姿になったと推定」
「水害によって移動したり名を変えたりする事が多かった」
- 古代から中世にかけての本流は現在の馬込川あたりだと聞きました
  「船越」町は確かに現在の天竜川より西にあります
  水害が頻繁に起こっていたことがわかります

・「民間の社の中から主な神を選んで国家として祀る官社制度
民間信仰の公認 信仰の面にも国が介入して各地の神々の序列化を目指した」
- 神さまに序列化は合わないと思うのですが  

・「浜松は奈良時代には浜津だったことが確かめられる」   

・「全国の官社の神社名=式内社」
- 古くからの神社と言うことですね






※浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー
 ものづくりの街 浜松
 行くたびに新しい感動が得られる 山田卓司さんの世界
 詳しいことはホームページをご覧になってください
 ホームページにも魅力がいっぱい詰まっています
浜松ジオラマファクトリー

 現在 「蘇る、戦国情景展」開催中(2月16日まで)
1.jpg







☆「図説 ふるさとの歴史シリーズ 浜松浜名湖周辺」上巻 郷土出版社 1992年 ⑥


<奈良平安時代-2>


◇古代の天竜川と災害

○地理学者 門村浩氏

流路Ⅰ 積志・大瀬町~中田・丸塚町

流路Ⅱ 1の西側(現馬込川に沿う流路) 奈良時代?

 流路Ⅲ 笠井・大島町から市野・天王町をへて和田・飯田町へ

流路Ⅳ Ⅲの東側 貴平・白鳥町から中野町へ

流路Ⅴ~Ⅷは東名自動車道以北の現流路扇状地




○「続日本紀」

 718年5月25日 遠江で地震
山が崩れて麁玉川を塞いだ。敷智・長下・石田の170軒水没


 761年7月19日
荒玉川堤900m決壊し304000人動員して修築

遠江国全体の推定人口9万人強の3倍以上の大工事



天宝堤 昭和初年まで長さ460mほど残存していた
  



○古代からの天竜川流路

 奈良時代 二俣街道沿い付近か?

 平安時代末、池田の東、磐田原台地の下

  ↓

 天竜川はその後また西に流路を移して現在の姿になったと推定






◇「和名類従鈔」とふるさと

○奈良時代 

 戸籍・課税のために地名を利用
戸(一戸約200人)単位 - 50戸で一里(郷)

里(郷)には固有の名前が付けられた
     → 里名の多くは地名に由来する


 藤原宮跡出土の木簡 
   長田評(こおり) 鴨里と佐除里 荒玉評赤□里



○平安時代中頃(10世紀前半)「和名類従鈔」の地名・( )内は現地名

浜名郡 贄代(にえしろ) = 三ヶ日町鵺代 英多(三ヶ日) 宇智(宇志)


敷智郡 赤坂(伊佐地) 象嶋(さきしま=若林~増楽) 柴江(篠原~舞阪)

竹田(伊場遺跡周辺) 雄踏(宇布見) 和治(和地) 浜津(米津町~田尻町)


 引佐郡 京田(都田) 刑部(細江町刑部)  渭伊(井伊谷)


 麁玉郡 覇多(内野) 赤狭(赤佐)


 長上郡 碧海(中里町大見) 長田(和田町永田) 蟆沼(曳馬) 壱志(市野町)


 長下郡 大楊(大柳町) 老馬(老間町)



浜松は奈良時代には浜津だったことが確かめられる





◇「延喜式」に載る神々

○律令国家

民間の社の中から主な神を選んで国家として祀る官社制度



民間信仰の公認 
   信仰の面にも国が介入して各地の神々の序列化を目指した

その頂点は伊勢皇太神宮



○「延喜式」927年

 巻9と巻10「神名帳」 
   全国の官社の神社名=式内社


 遠江国62座   
   浜名郡5座 敷智郡6座 引佐郡6座 麁玉郡4座

長上郡5座 長下郡4座



○天竜川下流の神社

水害によって移動したり名を変えたりする事が多かった


nice!(269)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学校

nice! 269

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0