「国語〈2〉詩と物語をあじわう (シリーズ授業 実践の批評と創造 2) 」岩波書店 1992年 ① [読書記録 教育]
今回は 稲垣忠彦さん 谷川俊太郎さん 河合隼雄さん 竹内敏晴さん
佐伯胖さん等の編集による
「国語〈2〉詩と物語をあじわう (シリーズ授業 実践の批評と創造 2)1回目の紹介です
25年 四半世紀前の大変古い本ですが 今でも学ぶことがたくさんあります
出版社の案内には
「ことば遊びの詩をからだ全体で楽しむ。物語を話し合いによって深く味わっていく。
文学鑑賞の2つの授業。 」
とあります
今回紹介するのは前者:「ことば遊びの詩をからだ全体で楽しむ」木村久子さんの授業
についての話し合いです
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「詩は一斉に読ませるべきではない」
・「先生はヘタに読もう!プライドを捨てて」
「常に教師がコントロールする側にいるのではなく子供と一緒に味わう側の一人として」- 教師が下手にやると…子どもたちは安心してできます
・「一人を大事にしないでみんなを大事にしている」
・「昔は先生がもっと自然の人間だった」
「昔はリスクを冒して責任を取ったが、今はリスクのないところで皆もたれ合ってや
っている」
- 厳しい言葉ですが そうかなあとも思ってしまいます
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまち 浜松
山田卓司さんのすばらしい作品が
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください
☆「国語〈2〉詩と物語をあじわう (シリーズ授業 実践の批評と創造 2) 」岩波書店 1992年 ①
◇「ことば遊びの詩を楽しむ」の授業を批評する
○木村久子(東海市立宮木島小学校)
①「ごんべえさんの赤ちゃん」
身振りをつけて唄う
身振りだけで
②「おならうた」谷川俊太郎
何人かに音読 → 擬音語「ぽたぽたたとぷん」
○言葉遊びの魅力
声に出さずに歌う
○言葉のリアリティ
「入門期の国語指導」
谷川 → 赤ちゃんの頃が入門期
谷川 ①おならうたのことについて十分話し合った後
②テキストに入る リアリティのあるものを!
竹内 ・もっと音の感じを
・詩は一斉に読ませるべきではない
・教師がもっと音声イメージを
○「おならうた」という教材
佐伯 ・音よりも嗅覚
河合 ・音を字で書く
○テキストからスタートする問題
まず聞くことが先
うまい子はうまいと認めるべき(谷川)
日本語のリズム
現実のおならからスタートする発想は一般の教師も考えつかない
= 音を聞くという訓練がない
せめて先生が聞く
「座っての音読」に本音
教師の師範は皆の活動を抑えてしまう
「演出する人は絶対に役者に台詞を言って見せてはイケナイという鉄則がある」(竹内)
→ 音読指導に熱心な先生のクラスは皆同じ読み方をする
↓
教師が下手なやり方をやって見せても良いのではないだろうか?
=マイナスの典型化は効果がある
「先生はヘタに読もう!プライドを捨てて」
∥
常に教師がコントロールする側にいるのではなく子供と一緒に味わう側の一人と
して…
○子供に対応する難しさ
「固いまま、柔らかいままの教師が多い」
→ 時に固く、時に柔らかく
ニコニコとコントロールするとテレビっぽくなる
「一人を大事にしないでみんなを大事にしている」
↓
昔の教師
◎昔はもっとぶっきらぼうだったし自然だった
◎評価の言葉も素朴だった
∥
教育学の大罪
○昔は先生がもっと自然の人間だった
○沈黙や問いのない授業
昔はリスクを冒して責任を取ったが、今はリスクのないところで皆もたれ合って
やっている
→ 形式的な対応
佐伯胖さん等の編集による
「国語〈2〉詩と物語をあじわう (シリーズ授業 実践の批評と創造 2)1回目の紹介です
25年 四半世紀前の大変古い本ですが 今でも学ぶことがたくさんあります
出版社の案内には
「ことば遊びの詩をからだ全体で楽しむ。物語を話し合いによって深く味わっていく。
文学鑑賞の2つの授業。 」
とあります
今回紹介するのは前者:「ことば遊びの詩をからだ全体で楽しむ」木村久子さんの授業
についての話し合いです
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「詩は一斉に読ませるべきではない」
・「先生はヘタに読もう!プライドを捨てて」
「常に教師がコントロールする側にいるのではなく子供と一緒に味わう側の一人として」- 教師が下手にやると…子どもたちは安心してできます
・「一人を大事にしないでみんなを大事にしている」
・「昔は先生がもっと自然の人間だった」
「昔はリスクを冒して責任を取ったが、今はリスクのないところで皆もたれ合ってや
っている」
- 厳しい言葉ですが そうかなあとも思ってしまいます
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまち 浜松
山田卓司さんのすばらしい作品が
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お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください
☆「国語〈2〉詩と物語をあじわう (シリーズ授業 実践の批評と創造 2) 」岩波書店 1992年 ①
◇「ことば遊びの詩を楽しむ」の授業を批評する
○木村久子(東海市立宮木島小学校)
①「ごんべえさんの赤ちゃん」
身振りをつけて唄う
身振りだけで
②「おならうた」谷川俊太郎
何人かに音読 → 擬音語「ぽたぽたたとぷん」
○言葉遊びの魅力
声に出さずに歌う
○言葉のリアリティ
「入門期の国語指導」
谷川 → 赤ちゃんの頃が入門期
谷川 ①おならうたのことについて十分話し合った後
②テキストに入る リアリティのあるものを!
竹内 ・もっと音の感じを
・詩は一斉に読ませるべきではない
・教師がもっと音声イメージを
○「おならうた」という教材
佐伯 ・音よりも嗅覚
河合 ・音を字で書く
○テキストからスタートする問題
まず聞くことが先
うまい子はうまいと認めるべき(谷川)
日本語のリズム
現実のおならからスタートする発想は一般の教師も考えつかない
= 音を聞くという訓練がない
せめて先生が聞く
「座っての音読」に本音
教師の師範は皆の活動を抑えてしまう
「演出する人は絶対に役者に台詞を言って見せてはイケナイという鉄則がある」(竹内)
→ 音読指導に熱心な先生のクラスは皆同じ読み方をする
↓
教師が下手なやり方をやって見せても良いのではないだろうか?
=マイナスの典型化は効果がある
「先生はヘタに読もう!プライドを捨てて」
∥
常に教師がコントロールする側にいるのではなく子供と一緒に味わう側の一人と
して…
○子供に対応する難しさ
「固いまま、柔らかいままの教師が多い」
→ 時に固く、時に柔らかく
ニコニコとコントロールするとテレビっぽくなる
「一人を大事にしないでみんなを大事にしている」
↓
昔の教師
◎昔はもっとぶっきらぼうだったし自然だった
◎評価の言葉も素朴だった
∥
教育学の大罪
○昔は先生がもっと自然の人間だった
○沈黙や問いのない授業
昔はリスクを冒して責任を取ったが、今はリスクのないところで皆もたれ合って
やっている
→ 形式的な対応
2016-03-01 04:00
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コメント(4)
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映画「海街diary」の撮影中、"おならのラップ"が四姉妹のブームだったそうですね(^^;;
by 風来鶏 (2016-03-01 15:29)
風来鶏さん ありがとうございます
子どもたちはおならの話が大好き
下品にならない程度というのが難しいところです
by ハマコウ (2016-03-01 21:06)
またもや大変ご無沙汰しておりました。
ついつい文章に見入ってしまうため、
心に余裕がないと内容を咀嚼しきれないもので・・・。
言葉を上手く表現しようと、
最近は誰もが試み過ぎるのかもしれませんね。
例えば小学生の音読はどうしても単調ですが、
それだからこそ「その思いは?」と問いかけることもできます。
何でも最初から答えを求めようとし過ぎなのが、
言葉の捉え方を画一化させてしまい、逆効果になっている気がします。
先生も、演劇みたいにしなくたっていいと思います。
それを見聞きすることで、
学生自身が「本当の思いはこうじゃないのかな?」と
考え実践する機会もあるような気がします。
何でも「答え」を早急に求める、与え過ぎるのは
人間の本来の能力を奪ってしまう。
そんな気が個人的にします。
by はらぼー (2016-03-02 06:03)
はらぼーさん ありがとうございます
そうですね
成果を求めすぎているのかもしれません
わたしが子どもの頃は先生もゆったりとしていて いろいろなことができました
表現できることは大切ですが 追い込みすぎてはいけませんね
by ハマコウ (2016-03-02 19:39)