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『新版 静岡県伝説昔話集』(上巻)静岡県女子師範学校郷土研究会編 ⑳ [読書記録 郷土]

浜松市のゆるキャラは「家康くん」。
静岡市では「家康さん」と呼んでいるそうですが、わたしのまわりの人は、「家康」と気
安く呼んでいます。
負け戦「三方原のたたかい」に関する言い伝えが浜松市には極めて多く、家康由来の地名
もたくさんあります。気安さは、そこから生まれているのかもしれません。






今回は、8月15日に続いて、静岡県女子師範学校郷土研究会編による
『新版 静岡県伝説昔話集』(上巻)20回目の紹介です。




静岡県にある羽衣出版による、すばらしい本です。


今回も前回に引き続き、「地名の由来」にまつわる伝説の紹介です。
採取者の女子師範学生のたいへんな努力に感じ入ります。










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☆『新版 静岡県伝説昔話集』(上巻)静岡県女子師範学校郷土研究会編 ⑳

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9 地名の由来


(7)成子町 (浜松市)

 今の浜松市成子町の近所は、昔は険しい夜道で、所々に松の木が植えてあり、ただ地蔵
様があるばかりの寂しい道だったそうである。


 ある冬の夜のこと、どこからか赤子の泣き声が聞こえてきた。


 里人はその泣き声をたよりに探してみると、地蔵様の前で、生まれて間もない赤子が泣
いていた。


 可哀相に思ってその人は拾って連れて帰り育てたという。


 それでその夜道を鳴子坂と呼んだ。それが後に成子坂となり、成子町となったのだそう
である。        
                                 (金原せつ)





(8)下垂 (浜松市)

 現在の浜松市尾張町は、元は下垂と言った。

 それは家康が戦に敗れた時、兜の緒を垂れて逃げた所だからという。        
                                 (本多みち)






(9)隠里 (浜名郡吉野村・現浜松市)

 吉野村の隠里には林が茂っている。


 昔、家康が武田軍と戦って負け、吉野村まで逃げて来て、谷の林の茂みに隠れて、よう
やく敵の目をのがれた。


 それからここを隠里と呼ぶようになった。                    
                                 (本多みち)






(10)旗見 (浜名郡伊佐見村・現浜松市)

 伊佐見村大人見地内にある一地名で、小高い岡である。


 そこに二本の老松があったが、近年伐り倒された。


 そこで家康が敵の旗を見たと言い伝えられている。


 そして旗見の森と呼んでいたが、今ではアタミと称している。           
                                 (本多みち)







(11)俵んばし (浜名郡白脇村・現浜松市)

 家康が戦に敗れて自脇村三島の一農家に逃げ込んだ。


 ちょうど稲の取り入れ時だったから、主人は庭で米俵を編んでいた。家康は頼んでその
中へ隠れたので、かろうじて敵の目をくらます事が出来た。


 その後、この地を俵んばしというようになった。
                                 (本多みち)


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