「斉藤喜博さんはこんなことを」⑩-「斎藤喜博教師の実践小辞典」笠原肇 一茎書房 1996年 (4) [読書記録 教育]
今回は、11月25日に続いて、
「斎藤喜博さんはこんなことを」10回目の紹介です。
笠原肇さんによる「斎藤喜博教師の実践小辞典」の要約から4回目です。
出版社の案内には、
「斎藤喜博の教育実践法を復活させ、子どもたちの可能性を開くような授業をし、現代の
子どもたちをいじめや不登校から救いたい。そのために役立つ教師へのエールや教えを
100項目収録した本。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「宿題で生徒を縛る現実の中で主体性は育ちません」
- ただ宿題をやるだけでは…。
・「説教は教育ではない」
- 説教すれば子供が言うことを聞く時代ではありません。
・「緊張関係が大切」
・「生徒にべたべたとくっつくことだけが生徒と親しくすることではない」
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「斉藤喜博さんはこんなことを」⑩-「斎藤喜博教師の実践小辞典」笠原肇 一茎書房 1996年 (4)
◇宿題
宿題で生徒を縛る現実の中で主体性は育ちません
|
目に見える結果だけに翻弄されては「自主性」も「創造性」もそして教育の可能性まで
も捨ててしまうことになってしまう。
◎「異端では少しもないという自覚を持つ故長くたたかいて来ぬ」
(「證」1952)
◇説教
説教をする自分の醜さ
説教は教育ではない
◎「具体につけ具体につけ念じ来てやうやく私に一つの確信」
(「職場」以後1965)
◇集会
全校集会を見ればその学校のレベルはわかる
|
進学校の集会はひどい 教師の話を聞こうという真摯なもののかけらもない
緊張関係が大切
◎「実践者が多数に認められるなどといふことはないと思へばやすらぎてゐる」 (「職場」以後 1962)
◇校長先生の話
状況に合わせた話(式典)
入学式の話「猿の話」
状況に合わせて式典でも話ができなければいけません
◎「鼻のある一つの猿の悲しみも覚悟せざるば動かざるなり」 (「證」1951)
◇学級通信
学級作りは一時間一時間の授業においてである
斎藤喜博は学級通信というものに必要性や異議を感じていなかった
通信は「お知らせ」 = 学級担任の理念を伝える場
◎「積み重ね積み重ね来て魯鈍なるわれに幾らかはなせしことあり」
(「職場」1959)
◇人間関係
教師の表情は授業という具体的な仕事の中で
教師の技能と技術
人間関係は「無理」がいけない
~ 普通にやればよい
◎「気短に人を退けいよいよに気弱く狭くなるもすべなし」 (「職場」以後1965)
◇子どもとの関係
生徒にべたべたとくっつくことだけが生徒と親しくすることではない
本質的な意味での親しさ・尊敬は教育という仕事の中で
→ 教師の人間の高さ,深さ,授業の質により決まる
「斎藤喜博さんはこんなことを」10回目の紹介です。
笠原肇さんによる「斎藤喜博教師の実践小辞典」の要約から4回目です。
出版社の案内には、
「斎藤喜博の教育実践法を復活させ、子どもたちの可能性を開くような授業をし、現代の
子どもたちをいじめや不登校から救いたい。そのために役立つ教師へのエールや教えを
100項目収録した本。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「宿題で生徒を縛る現実の中で主体性は育ちません」
- ただ宿題をやるだけでは…。
・「説教は教育ではない」
- 説教すれば子供が言うことを聞く時代ではありません。
・「緊張関係が大切」
・「生徒にべたべたとくっつくことだけが生徒と親しくすることではない」
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☆「斉藤喜博さんはこんなことを」⑩-「斎藤喜博教師の実践小辞典」笠原肇 一茎書房 1996年 (4)
◇宿題
宿題で生徒を縛る現実の中で主体性は育ちません
|
目に見える結果だけに翻弄されては「自主性」も「創造性」もそして教育の可能性まで
も捨ててしまうことになってしまう。
◎「異端では少しもないという自覚を持つ故長くたたかいて来ぬ」
(「證」1952)
◇説教
説教をする自分の醜さ
説教は教育ではない
◎「具体につけ具体につけ念じ来てやうやく私に一つの確信」
(「職場」以後1965)
◇集会
全校集会を見ればその学校のレベルはわかる
|
進学校の集会はひどい 教師の話を聞こうという真摯なもののかけらもない
緊張関係が大切
◎「実践者が多数に認められるなどといふことはないと思へばやすらぎてゐる」 (「職場」以後 1962)
◇校長先生の話
状況に合わせた話(式典)
入学式の話「猿の話」
状況に合わせて式典でも話ができなければいけません
◎「鼻のある一つの猿の悲しみも覚悟せざるば動かざるなり」 (「證」1951)
◇学級通信
学級作りは一時間一時間の授業においてである
斎藤喜博は学級通信というものに必要性や異議を感じていなかった
通信は「お知らせ」 = 学級担任の理念を伝える場
◎「積み重ね積み重ね来て魯鈍なるわれに幾らかはなせしことあり」
(「職場」1959)
◇人間関係
教師の表情は授業という具体的な仕事の中で
教師の技能と技術
人間関係は「無理」がいけない
~ 普通にやればよい
◎「気短に人を退けいよいよに気弱く狭くなるもすべなし」 (「職場」以後1965)
◇子どもとの関係
生徒にべたべたとくっつくことだけが生徒と親しくすることではない
本質的な意味での親しさ・尊敬は教育という仕事の中で
→ 教師の人間の高さ,深さ,授業の質により決まる
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