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「教師の哲学」岬龍一郎 PHP研究所 2003年 ⑧(最終) [読書記録 教育]

「人を導くものは、まず師自身が仁義礼智信をわきまえた徳のある人間として立派でなけ
 ればならない」





今回は、2月3日に続いて、岬龍一郎さんの、
「教師の哲学」の紹介8回目 最終です。





出版社の案内には、


「後という言葉も遠くなり、平成も15年になってしまった。振り返れば戦後の日本は文
 字どおり献身的な努力と勤勉なる働きにおいて、この国を廃墟から経済大国へと復興さ
 せた。しかし、その繁栄もつかの間、どこでどう間違ったのか、バブル崩壊後の日本は
 いまだ立ち直れず未曾有の不況にある。中高年はリストラのもとに解雇され、若年層の
 就職率は悪化する一方だ。それにともない、人心は荒廃し世の中にはびこる無節操な倫
 理観の欠如は夢想だにしなかった悪質な犯罪やわけのわからない変質的な事件を生み出
 している。その一方では、もっとも倫理観の強かったはずの教育者、警察官、医療関係
 者といった人びとまでもが常識では考えられないような不祥事を起こしている。こうし
 たモラルの喪失はなぜおこったのか? 本書は、そういった問題の本質にある一因とし
 てあげられる学校の教育者の質の低下を憂い、理想の教師とはどのような人かについて
 とりあげたものである。」


とあります。




今回紹介分(緒方洪庵さん)から強く印象に残った言葉は…

・「(適塾の名は)『適々斎』から ~ おのれの心に適うところを楽しむ『荘子』」


・「30畳の大部屋と10畳の部屋に40~50人が同居」


・「江戸時代 道>芸
現代 芸<道」






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☆「教師の哲学」岬龍一郎 PHP研究所 2003年 ⑧(最終)

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◇緒方洪庵

□緒方洪庵 1810-1863

 江戸末期蘭学医 
   号は適々斎 
   備中足守藩の武士の子


 江戸に出て坪井信道らに学び大阪で開業 
  

 「適塾」を設けた


 のち幕府に招かれ医師最高位 法眼典医師


 大村益次郎、橋本左内、福沢諭吉などの人材育成





□医者は自分を捨てて他人を救うためにだけ生きろ

 「松下村塾」 
    思想教育


 「適塾」   
    蘭学を主体にした実学教育 - 「扶氏医戒之略」





□たぐいまれなる高徳の君子

 備中(岡山県)足守藩の下級武士の子
      

 十代半ばから医者志す
   ~ コレラ流行が動機


 「仁の精神」-人間的魅力 
   「静の教育」





□大阪で診療所兼蘭学塾を開く

 洪庵の号 
  「適々斎」から ~ おのれの心に適うところを楽しむ「荘子」

  「病学通論」1849年 
    種痘とコレラの最新治療


 適塾 1838~1862 24年間に三千人の門弟
「天下一の蘭学塾」



当時最大は広瀬淡窓「咸宜園」大分県日田
文化2年~明治30年
延べ五千人





□「適塾」の教育

30畳の大部屋と10畳の部屋に40~50人が同居
枕・寝具、身の回り品  
開放的 
   不衛生 しかし一心不乱に勉強


 場所取りは成績順 
   成績が上がるにつれ窓際の明るい場所へ移動


 8階級


 成績は「輪講」によって決まった
1人が和訳、次の者が質問。順次繰り返し応えられなければ敗者黒丸、うまく答え
  られると勝者白丸。



月に6回 月末に合計の勝敗を調べて席取り
    3ヶ月そのクラスで首席を占めると上級へ


 「蘭日辞典」日本に一冊
    ~ 「ズーフ部屋」

辞書を巡って争奪戦



最上級生とのみ直接洪庵の指導
原書をすらすらと読みこなし、筆頭(塾頭)は大藩の藩医に招かれるエリート

 大村益次郎 佐野常民 大鳥圭介 福沢諭吉 長与専斎らは塾頭





□洪庵が教えた「徳の教育」とは

 医者の心得
1 「他人を救うためにだけ生きろ」

修己治人「己を修め人を治める」
道 自分自身を鍛える魂の陶冶
学問
芸 知識を活かして食うための技術をみがく
江戸時代 道>芸
現代 芸<道

 五常 「仁・義・礼・智・信」
      思いやり 正義 礼節 叡智 信用・信頼
       
            優しさ 工夫

 「人は優しくあれ」

「弱い者をいじめるな」

「正直であれ嘘をつくな」

「卑怯なことをするな」

「礼儀正しくあれ」

「約束を守れ」
仁=愛=慈悲 王者の徳





□弟子は師の「仁」に感動する

 孟子    四端説 性善説 惻隠の情


 橋本左内  乞食の診療


 高松凌雲  五稜郭の函館戦争で傷病兵治療
       赤十字思想最初の実践者(敵味方の区別なく) 


 佐野常民  西南戦争-「博愛社」→ 後の日本赤十字


 福沢諭吉  教育者に


 長与専斎  近代医学制度 第2代文部省医務局長 東京医学校長兼務





□洪庵の晩年

 奥医出仕を何度も断わったがやむなく江戸へ 53歳


 法眼という最高位にも就いた


 文久3年(1863)6月10日 急死 54歳
   




□戦後教育がなくしたもの 

「人を導くものは、まず師自身が仁義礼智信をわきまえた徳のある人間として立派でなけ
 ればならない」



戦後教育

 「内なる規範」づくりをしなかった 


    |

内なる規範(道徳律)の未確立
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