(1)「教育一分話」柴山一郎 学陽書房 2000年 ⑤ (2)「土のいろ」集成 第五巻 42~51号【再掲載】 [読書記録 教育]
今回は、8月25日に続いて、柴山一郎さんの、
「教育一分話」5回目の紹介です。
出版社の案内には、
「《『心の教育』にすぐ活用できる!》『思いやり』『生きる力』『豊かな心』に分けて子ど
もが他との関わりの中で『心が育つ』130話を収録。子どもが肯定的にとらえて一頁一
話で簡潔明瞭。学活、道徳、朝会、学年集会、父母会、地域の集会の話材・例話に最適。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「涙とともにパンを食べたものでなければ人生の味は分からない。」
・「大事をなさんと欲すれば小さな事を怠らず勤むべし」
・「人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る。」
・「自己に頼るべし,他人に頼るべからず。」
いかにも、その方らしいと思う言葉です。
もう一つ、再掲載となりますが、古い郷土誌『土のいろ』
(「土のいろ」集成 第五巻 42~51号)を紹介します。
昭和6年から昭和7年の頃のことを知ることができるのは、
先人がこの郷土誌を発行してくれたおかげです。
せっかくの資料、子どもたちに社会科で学習させたいのですが、
残念なことに本年度も社会科を受け持っていません。
勤務校は明日が始業式。
今日は、年休。
平日にしかできないことを済ませておきます。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
(1)「教育一分話」柴山一郎 学陽書房 2000年 ⑤
◇ペスタロッチ
1747~1827 スイス教育者
一切合切他人のために。自分のためには何物も。
自発性・直観・労作の教育方法
◇ゲーテ
1749~1832
涙とともにパンを食べたものでなければ人生の味は分からない。
◇二宮尊徳
1787~1856
大事をなさんと欲すれば小さな事を怠らず勤むべし
◇井伊直弼
1815~1860
一期一会
「茶湯一会集」に
会った時が別れの時 ~ 積極的に豊かな人生を送ろう
◇ホイットマン
1819~1892 詩人
寒さに震えた者ほど太陽の暖かさを感じる。
人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る。
◇トルストイ
1829~1910
何を為すべきか
嘘をつかぬ 自分も有罪 命を守るため自然と闘う
◇福沢諭吉
1835~1901
独立自尊
◇内村鑑三
1861~1930
自己に頼るべし,他人に頼るべからず。
◇夏目漱石
智に働けば角が立つ
◇レーニン
1870~1924
嵐は強い樹を育てる
◇フリーチェ
1870~1929 ロシア・文学者
人生は学校である。そこでは幸福より不幸の方が良い教師である。
◇武者小路実篤
今が一番大事な時だ,もう一歩。
◇チャップリン
1889~1977
そうだ人生はすばらしい
(2)「土のいろ」集成 第五巻 42~51号【再掲載】
◇第8巻第2号 通刊42号 昭和6.3
□川名のヒヨンドリ 法月敏郎・牧沢宇兵衛
踏歌のなごり 性の解放
火踊り 毎年2月8日(旧暦は正月八日)
□ 日本左衛門について
日本左衛門
見付中泉本拠 本名浜島庄兵衛 京都出身の浪人
◇第8巻第3・4号 通刊43・44号 昭和6.5
□狐狸表現の史的研究 後藤粛堂
◇第8巻第5号 通刊45号 昭和6.5 遠州方言研究
□遠州方言の特色 野島角男
① 音韻変化
イ 「アイ」が「エー」
あの人ぐらいになりたい → あの人ぐれーになりテー
入れないのか → へーれネのか
もう行くまい → もう行くメー
ロ 「アエ」が「エー」
おまえはいつ帰ったのだ → おメー,いつケーったのだ
ハ 「エイ」が「エー」
成功(セーコー)
低能(テーノー)
ニ 「オイ」が「エー」
面白い(おもしれ)
ひどいことををする(ひでーことをする)
ホ 「イエ」が「エー」
見える(めーる)
◇第8巻第6号 通刊46号 昭和6.8
□木喰上人の遺作について 牧沢宇兵衛
日本廻国 56~93歳
寛政12 奥山 十王堂・観音堂
→ 堀江 - 三方原 - 宮口(十王堂) - 森町(蓮華寺)
□浜松の秋葉神社 山田鉄一
慶長18年正月建立 武田勝頼退陣に際し秋葉社寺に火
← 道案内の十坊浄全を別当職に
浜松城に帰った後浄全を召して浜松に勧請
□祭神迦具土神
並 御子孫の神々 火を司る神様
稚産霊神 豊受比売神
□防火祭(12月15,16日) 菅粥神事(1月28日) 鎮火祭(2月28日)
◇第8巻第7号 通刊47号 昭和6年9月
□蜆塚 後藤粛堂
□「地名の起源」に就いて 佐藤秀太郎
周智郡山梨 「御旅所」
月見里はヤマナシ = 山梨
山がないから月を見る里
◇第9巻第1号 通刊48号 昭和7年1月
□松島鶴島並びに四本松の起源 鈴木松陽
芳川の豪農・鈴木門五左衛門が寛永7年に松島を開発
寛文7年に開発終了 ~ 高130石 五左右衛門新田
↓
鶴島の開拓
↓
松島・鶴島を領有→豪農 鈴木姓から松島姓に
松島家第12世が松島簾作 = 国会議員
→ 静岡へ 静岡民有新聞創刊
□四本松・鈴木門左衛門の祖先は四本松の創始者
◇第9巻第2号 通刊49号 昭和7年3月
□つるし地蔵につきて 呑洋生
佐久間村藩場字神妻
□遠江輩出の刀剣鍛冶工雑記考 近藤用一
□兼吉の墓に就きて
新津・助信地名由来 鈴木泰助
□兼吉地蔵尊(兼吉様)
今より530年前
関の兼定一派用いた刀鍛冶の大家・志津三郎兼吉
応永年間・上杉氏が関東に
志津三郎は備前長船の名家・助信と従軍
|
帰途・引馬で病死(今の高岡憲一郎氏方)
助信が草庵-剣匠の祖として祀った
∥
志津・助信 → 新津(しんづ)・助信(すけのぶ)
◇第9巻第3号 通刊50号 昭和7年5月 遠州方言研究号
□遠州方言研究号 坂元幸次郎,宇波耕作,平松東城
「教育一分話」5回目の紹介です。
出版社の案内には、
「《『心の教育』にすぐ活用できる!》『思いやり』『生きる力』『豊かな心』に分けて子ど
もが他との関わりの中で『心が育つ』130話を収録。子どもが肯定的にとらえて一頁一
話で簡潔明瞭。学活、道徳、朝会、学年集会、父母会、地域の集会の話材・例話に最適。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「涙とともにパンを食べたものでなければ人生の味は分からない。」
・「大事をなさんと欲すれば小さな事を怠らず勤むべし」
・「人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る。」
・「自己に頼るべし,他人に頼るべからず。」
いかにも、その方らしいと思う言葉です。
もう一つ、再掲載となりますが、古い郷土誌『土のいろ』
(「土のいろ」集成 第五巻 42~51号)を紹介します。
昭和6年から昭和7年の頃のことを知ることができるのは、
先人がこの郷土誌を発行してくれたおかげです。
せっかくの資料、子どもたちに社会科で学習させたいのですが、
残念なことに本年度も社会科を受け持っていません。
勤務校は明日が始業式。
今日は、年休。
平日にしかできないことを済ませておきます。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
(1)「教育一分話」柴山一郎 学陽書房 2000年 ⑤
◇ペスタロッチ
1747~1827 スイス教育者
一切合切他人のために。自分のためには何物も。
自発性・直観・労作の教育方法
◇ゲーテ
1749~1832
涙とともにパンを食べたものでなければ人生の味は分からない。
◇二宮尊徳
1787~1856
大事をなさんと欲すれば小さな事を怠らず勤むべし
◇井伊直弼
1815~1860
一期一会
「茶湯一会集」に
会った時が別れの時 ~ 積極的に豊かな人生を送ろう
◇ホイットマン
1819~1892 詩人
寒さに震えた者ほど太陽の暖かさを感じる。
人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る。
◇トルストイ
1829~1910
何を為すべきか
嘘をつかぬ 自分も有罪 命を守るため自然と闘う
◇福沢諭吉
1835~1901
独立自尊
◇内村鑑三
1861~1930
自己に頼るべし,他人に頼るべからず。
◇夏目漱石
智に働けば角が立つ
◇レーニン
1870~1924
嵐は強い樹を育てる
◇フリーチェ
1870~1929 ロシア・文学者
人生は学校である。そこでは幸福より不幸の方が良い教師である。
◇武者小路実篤
今が一番大事な時だ,もう一歩。
◇チャップリン
1889~1977
そうだ人生はすばらしい
(2)「土のいろ」集成 第五巻 42~51号【再掲載】
◇第8巻第2号 通刊42号 昭和6.3
□川名のヒヨンドリ 法月敏郎・牧沢宇兵衛
踏歌のなごり 性の解放
火踊り 毎年2月8日(旧暦は正月八日)
□ 日本左衛門について
日本左衛門
見付中泉本拠 本名浜島庄兵衛 京都出身の浪人
◇第8巻第3・4号 通刊43・44号 昭和6.5
□狐狸表現の史的研究 後藤粛堂
◇第8巻第5号 通刊45号 昭和6.5 遠州方言研究
□遠州方言の特色 野島角男
① 音韻変化
イ 「アイ」が「エー」
あの人ぐらいになりたい → あの人ぐれーになりテー
入れないのか → へーれネのか
もう行くまい → もう行くメー
ロ 「アエ」が「エー」
おまえはいつ帰ったのだ → おメー,いつケーったのだ
ハ 「エイ」が「エー」
成功(セーコー)
低能(テーノー)
ニ 「オイ」が「エー」
面白い(おもしれ)
ひどいことををする(ひでーことをする)
ホ 「イエ」が「エー」
見える(めーる)
◇第8巻第6号 通刊46号 昭和6.8
□木喰上人の遺作について 牧沢宇兵衛
日本廻国 56~93歳
寛政12 奥山 十王堂・観音堂
→ 堀江 - 三方原 - 宮口(十王堂) - 森町(蓮華寺)
□浜松の秋葉神社 山田鉄一
慶長18年正月建立 武田勝頼退陣に際し秋葉社寺に火
← 道案内の十坊浄全を別当職に
浜松城に帰った後浄全を召して浜松に勧請
□祭神迦具土神
並 御子孫の神々 火を司る神様
稚産霊神 豊受比売神
□防火祭(12月15,16日) 菅粥神事(1月28日) 鎮火祭(2月28日)
◇第8巻第7号 通刊47号 昭和6年9月
□蜆塚 後藤粛堂
□「地名の起源」に就いて 佐藤秀太郎
周智郡山梨 「御旅所」
月見里はヤマナシ = 山梨
山がないから月を見る里
◇第9巻第1号 通刊48号 昭和7年1月
□松島鶴島並びに四本松の起源 鈴木松陽
芳川の豪農・鈴木門五左衛門が寛永7年に松島を開発
寛文7年に開発終了 ~ 高130石 五左右衛門新田
↓
鶴島の開拓
↓
松島・鶴島を領有→豪農 鈴木姓から松島姓に
松島家第12世が松島簾作 = 国会議員
→ 静岡へ 静岡民有新聞創刊
□四本松・鈴木門左衛門の祖先は四本松の創始者
◇第9巻第2号 通刊49号 昭和7年3月
□つるし地蔵につきて 呑洋生
佐久間村藩場字神妻
□遠江輩出の刀剣鍛冶工雑記考 近藤用一
□兼吉の墓に就きて
新津・助信地名由来 鈴木泰助
□兼吉地蔵尊(兼吉様)
今より530年前
関の兼定一派用いた刀鍛冶の大家・志津三郎兼吉
応永年間・上杉氏が関東に
志津三郎は備前長船の名家・助信と従軍
|
帰途・引馬で病死(今の高岡憲一郎氏方)
助信が草庵-剣匠の祖として祀った
∥
志津・助信 → 新津(しんづ)・助信(すけのぶ)
◇第9巻第3号 通刊50号 昭和7年5月 遠州方言研究号
□遠州方言研究号 坂元幸次郎,宇波耕作,平松東城
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