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(1)「保護者との関係に困った教師のために」 小林正幸・有村久春・青山洋子 ぎょうせい 2004年 ② (2)「お母さんちょっと」岩上薫 学陽書房 1985年 ①【再掲載 2012.4】 [読書記録 教育]

今回は、9月11日に続いて、小林正幸さん、有村久春さん、青山洋子さんの、
「保護者との関係に困った教師のために」2回目の紹介です。




出版社の案内には、


「保護者との関係が問題になりやすい場面で、学校や教師がどうすればよいのか、対応の
 ヒントを示すとともに、非行や学業不振、不登校等、それぞれの場面に応じたQ&Aを
 交えてわかりやすく解説。保護者の心理についても触れる。」


とあります。



対保護者だけでなく、人間関係全般にも共通することがあると感じました。




今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「教育者としてのコメント力」


・「対応の見通しを持つ - 現状と見通しを伝える」


・「最近の児童・生徒
 = すぐに担任が話を聞いてくれないと訴えるケースが増加している。自分中心に周
   りの人が動いてくれないとイライラする。」




もう一つ、再掲載となりますが、岩上薫さんの
「お母さんちょっと」①を再紹介します。
わたしが、教員になった頃出版された本です。
今読んでもわたしは納得するのですが、そうでない方も増えて…。
時代の移り変わりを感じます。




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(1)「保護者との関係に困った教師のために」 小林正幸・有村久春・青山洋子 ぎょうせい 2004年 ②

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◇万一の時のかかわり

1 対応の4ポイント

 ① 危機に向き合う

 ② 共通の課題意識を持つ

 ③ 保護者の悩みにつきあう - 待つ

 ④ 学校としての方針(マニュフェスト)を示す 
    教育者としてのコメント力




2 予期せぬ危機

 ① 身体の安全管理不備

 ② こころや行動の危機 
    自分自身に不適応感

 ③ 教育内容の不十分さと理解不足 
    子ども同士のトラブル処理で不信

 ④ 保護者同士,家庭関係のトラブル危機

 ⑤ 就学に関する危機

  



3 保護者の心配事の理解 

 ① 自己一致できない

 ② 子どもの事態に直面できない 
    保護者のいらだち

 ③ 相談相手がいない 
    PTA等支援

 ④ 親が自分のことに不安を持つ

  



4 そこでの教師の悩みと対応 - 保護者に見える動き 

 ① はじめの一歩を踏み出す

 ② 組織体制を理解する 
     外とも

 ③ 対応の見通しを持つ
   - 現状と見通しを伝える

 ④ 子どもの成長を見る

  


□保護者が気にする学校の出方 

 ① 保護者が苦情を言いに来るとき 

    自らの判断基準 - 怒りの感情が体中に


 ② 課題に正対する注意

  ・ 学校,担任の判断基準を押しつけ,暗に親の判断基準が間違っていると指摘する

  ・ 対応を先延ばしにし,具体的に解決しない。



□すぐに市教委に

 最近の児童・生徒

  = すぐに担任が話を聞いてくれないと訴えるケースが増加している。自分中心に周
   りの人が動いてくれないとイライラする。



□日常の危機管理の内容 
       
 ① 児童の問題  


 ② 教育活動に関する問題  


 ③ 教員を巡る問題


 ④ 家庭・地域の連携に関係する問題













(2)「お母さんちょっと」岩上薫 学陽書房 1985年 ①【再掲載 2012.4】

◇親ゆずり

 中学2年の娘が、辞典を買って釆ました。こたつに入るなり、奥付のところに、買い求
めた日付けを記入したのです。



目の前にいたわたしは苦笑し、「親ゆずりだなあ」と心の中で思いました。



 わたしも、ときどき、大切な本や品物には、購入したときの日付けを書いておきます。
このことが知らず知らずのうちに娘に移ったのだろうと思うのです。


 娘にとっては、感得したということになります。


 でも、このことは、わたしにとっても感得したことなのです。


というのは、母親が、日付けを書いていたのです。


 お米をはかる一升ます、なべ(木のふたに)、ミシン、コーヒー茶わん(箱)など、あ
りとあらゆるものに、日付けを筆で記入しているのです。


 先日、わたしが生まれた家に帰ると、


「これは、昭和10年に買ったものだ。おまえより古いことになるね。残念なことに、一
 個だけわれてしまった。いいものは、いつまでたってもいい」
 

と、湯のみ茶わん4個を出して来て、お茶をついでくれました。


 箱には値だんまで書いてあります。


 こうした母親の行為が、いつとはなしにわたしに伝えられ、そして、娘に伝わっていっ
たことになります。




 ふりかえって見ますと、こういうことが、真の家庭教育ではないかと思うのです。


 口で教えるのでなく、体で受け取らせることこそ、家庭でしかできない教育であると思
うのです。



 学校もまもなく終わりです。この時期に、お母さんがやることは何か。


 それは、それぞれの息子や娘の学習ノートや図工の作品を整理して、保存してやること
だと思うのです。


 わかっていたら、作品をつくりあげた日を記入しておいてやること。空箱などを利用し
て、きちんと入れておくことなどです。


 わたしの母親はやってくれました。今でも小さいときの作品をみて、なつかしく思い、
親に感謝しています。






◇ことばの乱れ=電話での会話

 電話帳が届けられるたびに、厚くなっていくのに驚く。


 電話の普及率を改めて思うものである。


 ところで、この電話の普及率があがるに従って、2つの現象が、にわかに上昇したとみ
るのは筆者だけだろうか。


 ひとつは、ことばの乱れであり、もうひとつは、いいにくいことを平気でいう世の中に
なってしまった。

 しかもそれが大人の世界だけでなく、子どもの世界に反映しているのだから、教育がま
すますやりずらくなってくる。


「きょうさ、25頁といったじゃない。算数の宿題。あれさ、3番目ならった?ならって
 ないよな。頭にきちゃうよな。ならわねえの出すのさ」


 5年生の男の子が友だちに電話している会話である。


 電話は人と人との隔たりをなくし、相対しているようなものであるから、これでいいの
かも知れないが、実にいい加減な日本語である。



 昔は、相手に伝達するときは、ことばを選び、相手を意識したものである。


 相手を敬う慎み深さを持って手紙を書いたものである。こうしたことは、今はない。



 子どもの世界にないというのではない。



 大人、とりわけ子どもと多くの時間過ごしている母親に相手を敬うつつしみ深さがなく
なっているのである。



 先日は、えらい電話を受けてしまった。


「先生ですか。うちの子ね、風邪ひいちゃったんです。学校へ行きたくないといってるん
 ですよ。休みます」


 ある母親からである。


 朝の忙しいときであるから、要件のみを伝えようとしたのであろう。


 けれども、あまりにも味もそっけもない。


 まして、敬語などというものは、どっかへ消えてしまっている。お世話になっています
も何もない。



 こういう親が家庭で教育をしているのだから、電話のかけ方など子どもに指導していな
い。電話のかけ方も親のしつけの分野である。相手を敬う精神で常にかけることを実践で
教えてやるのが親である。


 人権尊重は電話からと言いたくなる。



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