「日本史真髄」井沢元彦 小学館新書 2018 年 ② [読書記録 歴史]
今回は、12月10日に続いて、井沢元彦さんの
「日本史真髄」の紹介2回目です。
出版社の案内には、
「西郷隆盛の本名は隆永!?江戸幕府崩壊の原因は家康にあった!?信長が天皇を超えるため
に取った戦略とは?なぜ平氏政権絶頂期に『源氏物語』を書けたのか?邪馬台国の女王は
『卑弥呼』ではない!?『ケガレ』『和』『怨霊』『言霊』『朱子学』『天皇』の6つの逆説
史観で2500年史を読み解くと、教科書では学べなかった“本当の日本史”を知ること
ができる。超ベストセラー『逆説の日本史』の著者が、30年以上に及ぶ執筆活動で体
得した「極意」を初公開。この1冊で100冊分の教養が身につく決定版です!!」
とあります。
今回紹介文より強く印象に残った言葉は…
・「談合文化の源は『憲法十七条』」
・「『話合い絶対主義』は日本独自の宗教」
・「『和』に固執するのは怨霊が発生するのを恐れてのこと」
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「日本史真髄」井沢元彦 小学館新書 2018 年 ②
◇「和」の精神 聖徳太子「憲法十七条」と「話合い絶対主義」
□談合文化の源は「憲法十七条」
競争入札の問題点(ダンピング営業)
~ 必要悪と見られている
① 過酷な労働につながる
② 資本力の大きい業者が有利
□聖徳太子が「憲法十七条」で最も伝えたかったこと
「憲法十七条」が説く「話合い絶対主義」
= 「協調性をもって上も下もなくみんなで仲よく話し合いなさい」
□聖徳太子は仏教ではなく「話合い教」の信者だった
「話合い絶対主義」は日本独自の宗教
「国譲り物語」に見る「和」と話合いのルーツ
□明治新政府が「5か条のご誓文」に盛り込んだ思想
□昭和天皇の「戦争責任」観と東久邇宮内閣「一億総懺悔」
日本の「稟議書」「起案書」
会議を開くほど重要ではない案件について、ハンコをつくことで紙の上で「みんなで
話し合った」というタテマエ
→ しかし、責任者不在になる
判断の遅延、責任者の不在 ○○省ぐるみの犯罪
□八百長会議で「浅倉攻め」を決めた織田信長
忖度した発言をした木下籐吉郎の意見を採り上げる(八百長)。
ガス抜き と 根回し … 「オレは聞いていないぞ」を防ぐ
|
日本人がなぜこれほどまでに「和」を重んじる民族になったのか?
◇怨霊信仰 崇徳上皇の祟りを恐れた明治天皇の懺悔
□なぜ日本人は「和」にこだわるのか
敗者がもつ怨念(恨み) → それが問題 - 怨霊
|
「和」に固執するのは怨霊が発生するのを恐れてのこと
根底に「天皇の存在」
神の国に災いが起こるのか?
→ 何か強い霊が邪魔-怨念を抱いたまま亡くなった人間の霊
∥
怨念が生じないように「和」を大切にする
怨霊が生じたら、あらゆる形で鎮魂「怨霊信仰」
□日本一巨大な出雲大社に封じられた最初の怨念オオクニヌシ
「怨霊」と「和」はセット
雲太・和二・京三(出雲大社・東大寺大仏殿・京都大極殿)-高さ
出雲大社
~ 敗れた先住民族の王オオクニヌシ(敗者)
敗者の大大建造物 ~ 怨霊信仰(和の精神)
和・仏教・天皇
□「徳」の字が付いた6人の天皇への鎮魂
聖徳太子(厩戸皇子)・仁徳天皇 = 徳をもった人
安徳天皇・称徳天皇・文徳天皇・崇徳天皇・孝徳天皇・順徳天皇 = 不幸な死に方
↓
「徳」の字は出雲大社の社殿の代わり
聖徳太子の死が不幸なもので太子の怨霊化を恐れた後世の人びとが素晴らしい諡号
□奈良の大仏建立は怨霊鎮魂が目的だった
光明子が聖武天皇をたきつけて長屋王を自害に追いやる命令か?
→ 長屋王の祟りを恐れて大仏建立
□なぜ桓武天皇は遷都し新たな仏教を求めたのか
皇女が皇位
孝謙天皇 未婚で皇位に就いた
重そし称徳天皇(天武天皇の血が絶えた)
↓
天智系 光仁天皇-桓武天皇
□桓武天皇
平安京 + 新仏教
光仁天皇には二人の男子
長男が桓武天皇
次男が早良親王
桓武天皇の遷都案に早良親王は反対した
→ 兄は弟を島流しにした(憤死)
「崇道天皇」の名をおくり怒りを淡路から大和に移送
□藤原氏によるライバル落としが生んだ怨念の火だね
天皇の権力を奪うシステム
「摂政」と「関白」
□鎮魂のために書かれた文学作品と六歌仙の謎
六歌仙の共通項 = 惟喬親王(母紀氏)の側近
怨霊になりかねない関係者の鎮魂を落ちぶれた紀氏に藤原氏がやらせた
□「学問の神様」菅原道真から始まった御霊信仰
道真 閑職で失意のまま亡くなった
→ 間もなく宮中清涼殿に二度の落雷
↓
事例を取り消し、二級上の太政大臣に任じ正一位
→ 神として祀る「天満大自在天」
□怨霊会の「スーパースター」崇徳天皇
保元の乱 1156 隠岐に配流400年ぶり
写本を後白河法皇に送ったが送り返される
↓
激怒し悔しさのあまり舌をかみ切って血 写本に
「我日本国の大魔縁(?)となり皇をとって民となし民を皇となさん。」
↓
悪魔のような姿になり憤死
のち武士の時代に…
□琵琶法師が弾き語りで広めた鎮魂文学「平家物語」
平家物語のスポンサー 延暦寺の座主・慈雨
鎮魂効果+識字率アップ(耳で語りを聞いている)
□日本で演劇の発達が著しく遅れた理由
法師-内容が怨霊の話
言霊信仰
仏に守られた僧でない人間がむやみに怨霊の話をすると憑依されて命の危険がある
取り憑かれないためには何かで身を守ることが必要
|
怨霊が人を演じたら危険は計り知れない
能面が怨霊から身を守る装置
歌舞伎の隈取りもそう
□今も続く皇室の白峯宮参拝
明治天皇は孝明天皇の崩御によって即位したといわれているが、正式な即位式は行
っておらず、この「宣命」(勅使-讃岐の白峯宮に派遣)が読み上げられた翌月に正
式な即位をされている。
そして崇徳天皇の御霊を輿に乗せて京都まで運び、京都の真ん中に位置する上京区
に白峯神宮を建立し、祀ったあとに明治と改元した。
∥
武家に政権が移ったのは崇徳上皇の呪いによるものだと朝廷が700年もの間ずっと
考えていたということの証明でもある。
「日本史真髄」の紹介2回目です。
出版社の案内には、
「西郷隆盛の本名は隆永!?江戸幕府崩壊の原因は家康にあった!?信長が天皇を超えるため
に取った戦略とは?なぜ平氏政権絶頂期に『源氏物語』を書けたのか?邪馬台国の女王は
『卑弥呼』ではない!?『ケガレ』『和』『怨霊』『言霊』『朱子学』『天皇』の6つの逆説
史観で2500年史を読み解くと、教科書では学べなかった“本当の日本史”を知ること
ができる。超ベストセラー『逆説の日本史』の著者が、30年以上に及ぶ執筆活動で体
得した「極意」を初公開。この1冊で100冊分の教養が身につく決定版です!!」
とあります。
今回紹介文より強く印象に残った言葉は…
・「談合文化の源は『憲法十七条』」
・「『話合い絶対主義』は日本独自の宗教」
・「『和』に固執するのは怨霊が発生するのを恐れてのこと」
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「日本史真髄」井沢元彦 小学館新書 2018 年 ②
◇「和」の精神 聖徳太子「憲法十七条」と「話合い絶対主義」
□談合文化の源は「憲法十七条」
競争入札の問題点(ダンピング営業)
~ 必要悪と見られている
① 過酷な労働につながる
② 資本力の大きい業者が有利
□聖徳太子が「憲法十七条」で最も伝えたかったこと
「憲法十七条」が説く「話合い絶対主義」
= 「協調性をもって上も下もなくみんなで仲よく話し合いなさい」
□聖徳太子は仏教ではなく「話合い教」の信者だった
「話合い絶対主義」は日本独自の宗教
「国譲り物語」に見る「和」と話合いのルーツ
□明治新政府が「5か条のご誓文」に盛り込んだ思想
□昭和天皇の「戦争責任」観と東久邇宮内閣「一億総懺悔」
日本の「稟議書」「起案書」
会議を開くほど重要ではない案件について、ハンコをつくことで紙の上で「みんなで
話し合った」というタテマエ
→ しかし、責任者不在になる
判断の遅延、責任者の不在 ○○省ぐるみの犯罪
□八百長会議で「浅倉攻め」を決めた織田信長
忖度した発言をした木下籐吉郎の意見を採り上げる(八百長)。
ガス抜き と 根回し … 「オレは聞いていないぞ」を防ぐ
|
日本人がなぜこれほどまでに「和」を重んじる民族になったのか?
◇怨霊信仰 崇徳上皇の祟りを恐れた明治天皇の懺悔
□なぜ日本人は「和」にこだわるのか
敗者がもつ怨念(恨み) → それが問題 - 怨霊
|
「和」に固執するのは怨霊が発生するのを恐れてのこと
根底に「天皇の存在」
神の国に災いが起こるのか?
→ 何か強い霊が邪魔-怨念を抱いたまま亡くなった人間の霊
∥
怨念が生じないように「和」を大切にする
怨霊が生じたら、あらゆる形で鎮魂「怨霊信仰」
□日本一巨大な出雲大社に封じられた最初の怨念オオクニヌシ
「怨霊」と「和」はセット
雲太・和二・京三(出雲大社・東大寺大仏殿・京都大極殿)-高さ
出雲大社
~ 敗れた先住民族の王オオクニヌシ(敗者)
敗者の大大建造物 ~ 怨霊信仰(和の精神)
和・仏教・天皇
□「徳」の字が付いた6人の天皇への鎮魂
聖徳太子(厩戸皇子)・仁徳天皇 = 徳をもった人
安徳天皇・称徳天皇・文徳天皇・崇徳天皇・孝徳天皇・順徳天皇 = 不幸な死に方
↓
「徳」の字は出雲大社の社殿の代わり
聖徳太子の死が不幸なもので太子の怨霊化を恐れた後世の人びとが素晴らしい諡号
□奈良の大仏建立は怨霊鎮魂が目的だった
光明子が聖武天皇をたきつけて長屋王を自害に追いやる命令か?
→ 長屋王の祟りを恐れて大仏建立
□なぜ桓武天皇は遷都し新たな仏教を求めたのか
皇女が皇位
孝謙天皇 未婚で皇位に就いた
重そし称徳天皇(天武天皇の血が絶えた)
↓
天智系 光仁天皇-桓武天皇
□桓武天皇
平安京 + 新仏教
光仁天皇には二人の男子
長男が桓武天皇
次男が早良親王
桓武天皇の遷都案に早良親王は反対した
→ 兄は弟を島流しにした(憤死)
「崇道天皇」の名をおくり怒りを淡路から大和に移送
□藤原氏によるライバル落としが生んだ怨念の火だね
天皇の権力を奪うシステム
「摂政」と「関白」
□鎮魂のために書かれた文学作品と六歌仙の謎
六歌仙の共通項 = 惟喬親王(母紀氏)の側近
怨霊になりかねない関係者の鎮魂を落ちぶれた紀氏に藤原氏がやらせた
□「学問の神様」菅原道真から始まった御霊信仰
道真 閑職で失意のまま亡くなった
→ 間もなく宮中清涼殿に二度の落雷
↓
事例を取り消し、二級上の太政大臣に任じ正一位
→ 神として祀る「天満大自在天」
□怨霊会の「スーパースター」崇徳天皇
保元の乱 1156 隠岐に配流400年ぶり
写本を後白河法皇に送ったが送り返される
↓
激怒し悔しさのあまり舌をかみ切って血 写本に
「我日本国の大魔縁(?)となり皇をとって民となし民を皇となさん。」
↓
悪魔のような姿になり憤死
のち武士の時代に…
□琵琶法師が弾き語りで広めた鎮魂文学「平家物語」
平家物語のスポンサー 延暦寺の座主・慈雨
鎮魂効果+識字率アップ(耳で語りを聞いている)
□日本で演劇の発達が著しく遅れた理由
法師-内容が怨霊の話
言霊信仰
仏に守られた僧でない人間がむやみに怨霊の話をすると憑依されて命の危険がある
取り憑かれないためには何かで身を守ることが必要
|
怨霊が人を演じたら危険は計り知れない
能面が怨霊から身を守る装置
歌舞伎の隈取りもそう
□今も続く皇室の白峯宮参拝
明治天皇は孝明天皇の崩御によって即位したといわれているが、正式な即位式は行
っておらず、この「宣命」(勅使-讃岐の白峯宮に派遣)が読み上げられた翌月に正
式な即位をされている。
そして崇徳天皇の御霊を輿に乗せて京都まで運び、京都の真ん中に位置する上京区
に白峯神宮を建立し、祀ったあとに明治と改元した。
∥
武家に政権が移ったのは崇徳上皇の呪いによるものだと朝廷が700年もの間ずっと
考えていたということの証明でもある。
すごく引き込まれました!
by 風の友 (2019-12-14 18:47)
風の友さん ありがとうございます。
歴史ものも面白いですね。
by ハマコウ (2019-12-15 09:40)