「地名のいわれが一気に分かる本」浅井建爾 成美文庫 2001年 ④ [読書記録 一般]
今回は、3月8日に続き、浅井健爾さんの
「地名のいわれが一気に分かる本」の紹介 4回目です。
地名の由来、楽しさ、不思議などを教えてくれる本です。
出版社の案内には、
「私たちの生活と切り離すことのできない「地名」。その由来のひとつひとつを調べて
みると、その土地に秘められた歴史や伝説、さらには崖崩れが多発する危険地帯とい
った、日本の地形までもがわかるのだ。さあ今すぐ本書を開いて、「日本」の素顔を
覗いてみよう。 」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「九十九里浜 → 実際は16里
昔、頼朝が6町(一町=109m)を一里として99里」
・「姥捨山は作り話 昔の墓地『オハツセ』が『オバステ』に」
・「屍の山『屍蔵(カバネクラ)』から カバクラ → 鎌倉」説
・「『西陣』は応仁の乱の際、西軍の陣地だったことから」
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「地名のいわれが一気に分かる本」浅井建爾 成美文庫 2001年 ④
◇伝説地名
□青森県三戸郡新郷村
かつては「戸来村」キリスト伝説
□九十九里浜 → 実際は16里
昔、頼朝が6町(一町=109m)を一里として99里
∥
「里」単位の違い
4㎞ = 1里(明治9年)
□長野県「寝覚の床」
浦島太郎伝説
□「姥捨て伝説」
長野県姥捨山 作り話
昔の墓地「オハツセ」→「オバステ」
□「吾妻」あずま
日本武尊伝説
あづま=端っこ説も
□「鎌倉」屍の山伝説
神話 神武天皇の矢に1万人以上の死者→屍の山「屍蔵(カバネクラ)」
↓
カバクラ → 鎌倉
他にも「竃説」「アイヌ説」
□「葛城」神武天皇の神業
◇人物由来地名
□「首玄城」
鎌倉時代の盗賊の名
□「八重洲」
「ヤン・ヨーステン」 → やえす
□「有楽町」
織田有楽斎長益の屋敷
信長の弟 → 茶人(出家)
□「紀尾井町」
紀伊徳川家・尾張徳川家・井伊家
「紀」「尾」「井」町に
□「西陣」
応仁の乱
西軍の陣地
□北海「道」が一つなのはなぜ
日本 1都1道2府43県
北海道
昔「蝦夷地」
蝦夷 = 大和朝廷に付かない東北以北の住民の蔑称
「北海道」の提案者は杉浦武四郎
北加伊道・海北道・東北道など六案から
北加伊道が採用
□石川五右衛門
石川五右衛門 伊賀上野説・浜松説
1594(文禄3)年 釜ゆでの刑
その釜の流れ着いた先が京都府・釜ヶ淵説
□織田信長が「岐阜」を選んだ
稲葉城下
「井口」に改名しようとした
尾張政秀寺の闇山沢彦宗恩に案を出させた
「岐山」「岐陽」「岐阜」の中から信長が選んだのが岐阜
□「駿府」→「静岡」
古代「駿河国府」
→ 中世「府中」「駿府」
1868年 駿河府中藩
府中は不忠に通じると徳川家達は考えた
|
駿府を代表する山・賤機山に因んで「賤が丘」と改名
駿府学問所の初代校長・向山黄村が「賤しい丘」ではよくないと静岡に
= 静かな時代が始まったから
↓
家達藩知事任命時に初めて使用した
「地名のいわれが一気に分かる本」の紹介 4回目です。
地名の由来、楽しさ、不思議などを教えてくれる本です。
出版社の案内には、
「私たちの生活と切り離すことのできない「地名」。その由来のひとつひとつを調べて
みると、その土地に秘められた歴史や伝説、さらには崖崩れが多発する危険地帯とい
った、日本の地形までもがわかるのだ。さあ今すぐ本書を開いて、「日本」の素顔を
覗いてみよう。 」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「九十九里浜 → 実際は16里
昔、頼朝が6町(一町=109m)を一里として99里」
・「姥捨山は作り話 昔の墓地『オハツセ』が『オバステ』に」
・「屍の山『屍蔵(カバネクラ)』から カバクラ → 鎌倉」説
・「『西陣』は応仁の乱の際、西軍の陣地だったことから」
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「地名のいわれが一気に分かる本」浅井建爾 成美文庫 2001年 ④
◇伝説地名
□青森県三戸郡新郷村
かつては「戸来村」キリスト伝説
□九十九里浜 → 実際は16里
昔、頼朝が6町(一町=109m)を一里として99里
∥
「里」単位の違い
4㎞ = 1里(明治9年)
□長野県「寝覚の床」
浦島太郎伝説
□「姥捨て伝説」
長野県姥捨山 作り話
昔の墓地「オハツセ」→「オバステ」
□「吾妻」あずま
日本武尊伝説
あづま=端っこ説も
□「鎌倉」屍の山伝説
神話 神武天皇の矢に1万人以上の死者→屍の山「屍蔵(カバネクラ)」
↓
カバクラ → 鎌倉
他にも「竃説」「アイヌ説」
□「葛城」神武天皇の神業
◇人物由来地名
□「首玄城」
鎌倉時代の盗賊の名
□「八重洲」
「ヤン・ヨーステン」 → やえす
□「有楽町」
織田有楽斎長益の屋敷
信長の弟 → 茶人(出家)
□「紀尾井町」
紀伊徳川家・尾張徳川家・井伊家
「紀」「尾」「井」町に
□「西陣」
応仁の乱
西軍の陣地
□北海「道」が一つなのはなぜ
日本 1都1道2府43県
北海道
昔「蝦夷地」
蝦夷 = 大和朝廷に付かない東北以北の住民の蔑称
「北海道」の提案者は杉浦武四郎
北加伊道・海北道・東北道など六案から
北加伊道が採用
□石川五右衛門
石川五右衛門 伊賀上野説・浜松説
1594(文禄3)年 釜ゆでの刑
その釜の流れ着いた先が京都府・釜ヶ淵説
□織田信長が「岐阜」を選んだ
稲葉城下
「井口」に改名しようとした
尾張政秀寺の闇山沢彦宗恩に案を出させた
「岐山」「岐陽」「岐阜」の中から信長が選んだのが岐阜
□「駿府」→「静岡」
古代「駿河国府」
→ 中世「府中」「駿府」
1868年 駿河府中藩
府中は不忠に通じると徳川家達は考えた
|
駿府を代表する山・賤機山に因んで「賤が丘」と改名
駿府学問所の初代校長・向山黄村が「賤しい丘」ではよくないと静岡に
= 静かな時代が始まったから
↓
家達藩知事任命時に初めて使用した
本や旅先で地名のいわれに出会うことがありますが、
なるほど、と思うのも多いです。
by 旅爺さん (2020-03-15 09:59)
旅爺さん ありがとうございます。
旅爺さんがおっしゃるように、「なるほど、と思うのも多い」ので、
大切に次の代へとつないでいきたいと思います。
by ハマコウ (2020-03-15 14:43)
北海道に住んでいて知りませんでした。
by JUNKO (2020-03-15 17:27)
JUNKOさん ありがとうございます。
読むと「目から鱗が落ちる」ような本でした。
北海道は「北加伊道・海北道」2案の合成地名のようなものなのですね。
by ハマコウ (2020-03-15 18:36)