山本七平さんはこんなことを ⑦-「人生について」PHP研究所 1994年 / 「土のいろ」集成 第九巻 84~92号 ②【再掲載 2012.6】 [読書記録 一般]
今回は、5月30日に続いて、「山本七平さんはこんなことを」⑦
山本七平さんの「人生について」の紹介です。
出版社の案内には、
「山本書店店主、山本七平の随筆集。『クジラとりの末裔』『一兵士としての真実』『一つ
の恵み』『ある本との出会い』『内村鑑三に学ぶ』など、生まれた時からキリスト者で
あった著者の人生観が吐露される。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「論語とか聖書とか,そういう親子,地域社会に共通する規範が全く無くなったのが戦
後の日本の特徴」
・「楊枝と塩と番茶」
「土の上に寝とれば,歯は絶対に悪くならないんです」
もう一つ、再掲載となりますが、かつての遠州・浜松の郷土誌
「土のいろ」集成第九巻84~92号を載せます。
「土のいろ」誌は、地域の行事や町の歴史などを紹介した郷土民俗雑誌で、
子供たちの郷土を愛する気持ちを育てることを目的としていました。
教員の寄稿者も多く、地域・文化への思いを感じます
(30年ほど前ひくまの出版より集成として再び出版されました)
浜松おぼえがき(二)に
「田畑氏邸内に小祠現存」
の記録があります。
この田畑氏邸とは、昨年度の大河ドラマで知られるようになった、
先の東京オリンピックの事務総長:田畑政治氏の邸宅だと推察されます。
☆子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆山本七平さんはこんなことを ⑦-「人生について」PHP研究所 1994年
◇鯨とりの末裔
□世田谷・三軒茶屋
□父親
台湾銀行子会社サラリーマン
「健康よりは勉強」×の逆
紀州網元の出
海と釣りが好き-役人にはならない
|
昔 企業集団内の位置と共同体の中での位置は無関係だった
∥
昔の人はかえって良かった
□明治時代 論語の影響
「学んで思わざれば則ちくらく,思いで学ばざれば則ちあやうし」
「己の欲せざるところは,人に施すことなかれ」
「巧言令色鮮し仁」
渋沢栄一
当時の親は子供を訓戒する時、必ず「論語にこう書いてあるからいけないんだ」と
言った。
|
※ 親の言うことだけでは納得できないが,親がいつも畏敬し守っている規範,それに対
しては子供もないがしろにできないものがあった
↓
─
※ 論語とか聖書とか,そういう親子,地域社会に共通する規範が全く無くなったのが戦
後の日本の特徴
◇ガタンガリガリ「あっ痛い」
□歯医者
「楊枝と塩と番茶」
「土の上に寝とれば,歯は絶対に悪くならないんです」
◇カマボコ要員
□陸軍17師団
徴兵制 - 2年で除隊
↑
除隊者再徴募 予備役
年齢繰り上げ徴募 後備役 招集「赤紙」
南方向け要因 = カマボコ要因(沈没すればサメに食われる)
☆「土のいろ」集成 第九巻 84~92号 ②【再掲載 2012.6】
◇復刊第2号 通刊85号 昭和30年11月
□特集・郷土芸能
○水窪町西浦田楽能 小国神社舞楽上演解説 近藤用一
① 無病息災
② 五穀豊穣
③ 鎮魂 もののけ退散
◎ 田遊びの発達した形式が田楽 → 田楽法師
北条氏の滅亡と共に田楽能も衰微
↓
猿楽
↓
◎ 観阿弥・世阿弥が猿楽能と歌舞玄体に改善して「能楽」に
※ 田楽能は一忠・亀阿弥とか天才の死後,室町時代に盛んな名残をとどめたのみで神事
芸能化したまま固定し,伝承形態を保守して今日に至った。
○西浦の田楽能
室町田楽のおもかげ(田遊び・陰陽道・猿楽)
毎年旧暦1月18日の日の出から19日午前9時ごろまで
地能33番・はね能12番 合計45番
◎ 古風な反ぺい・安倍晴明家の秘法
・力足を踏んで悪魂を退け精霊を押さえつける。
・能楽の足拍子,舞踏の乱拍子,歌舞伎の六法,相撲の四股
◎ はね能 もどきの手
田楽・田遊び・神楽・はね能と曲番が変化に富む
~ 西浦独特のバラエティ
○小国神社舞楽の解説
遠州舞楽二つの残存
① 天宮神社(森町)
② 小国神社
童舞・大人舞
□「蓑かぶり一揆」について 鈴木氏
○動機
- 風水害による農民の困窮と中泉代官所の重祖・圧政
万延元年の大出水
→ 浜名郡方面に物乞いに出る者も
○下岡田村庄屋・鮫島万平が代官に減税を嘆願
しかし,代官は情け容赦なく不納者の召し捕り 受け入れられず
(掛川藩・浜松藩は年貢一割引)
○鮫島万平(下岡田村)・鈴木孫三郎(上岡田村)・山田金左衛門(千手堂村)
嘆願行 = 身命を賭してまで闘う決意
- 家を去り転々と居をかえる
井通以南75か村の庄屋にゲキ
一言坂山中にて70余名の庄屋の会合
○一揆勃発の経過
貧農たち 岩田村方面で暴動
↑
明治3年正月元旦を期し三ケ野に集合 静岡直訴行決議
|
とらえられて清水の江尻獄舎に
明治7年4月28日獄死
※ 清水次郎長の弟分・見付大和田友三しばしば鮫島家に出入りし何かと世話を焼き,
次郎長もまた清水の獄舎をしばしば訪ねて,よくその労をねぎらった。
○むすび
倒幕軍
年貢半減の公約を破棄
↑
民衆各地で一斉に立ち上がる
→ 実質的な負担軽減に
□続浜松城下町時代の民衆 渥美静一
魚,塩,糀(竜禅寺村)
□浜松おぼえがき(二) 渥美実
・成子町の愛宕神社とその道標
・田畑氏邸内に小祠現存
・道標の石 鴨江観音五佐路(南東)の右側
- 並んで地蔵(石仏)
山本七平さんの「人生について」の紹介です。
出版社の案内には、
「山本書店店主、山本七平の随筆集。『クジラとりの末裔』『一兵士としての真実』『一つ
の恵み』『ある本との出会い』『内村鑑三に学ぶ』など、生まれた時からキリスト者で
あった著者の人生観が吐露される。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「論語とか聖書とか,そういう親子,地域社会に共通する規範が全く無くなったのが戦
後の日本の特徴」
・「楊枝と塩と番茶」
「土の上に寝とれば,歯は絶対に悪くならないんです」
もう一つ、再掲載となりますが、かつての遠州・浜松の郷土誌
「土のいろ」集成第九巻84~92号を載せます。
「土のいろ」誌は、地域の行事や町の歴史などを紹介した郷土民俗雑誌で、
子供たちの郷土を愛する気持ちを育てることを目的としていました。
教員の寄稿者も多く、地域・文化への思いを感じます
(30年ほど前ひくまの出版より集成として再び出版されました)
浜松おぼえがき(二)に
「田畑氏邸内に小祠現存」
の記録があります。
この田畑氏邸とは、昨年度の大河ドラマで知られるようになった、
先の東京オリンピックの事務総長:田畑政治氏の邸宅だと推察されます。
☆子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆山本七平さんはこんなことを ⑦-「人生について」PHP研究所 1994年
◇鯨とりの末裔
□世田谷・三軒茶屋
□父親
台湾銀行子会社サラリーマン
「健康よりは勉強」×の逆
紀州網元の出
海と釣りが好き-役人にはならない
|
昔 企業集団内の位置と共同体の中での位置は無関係だった
∥
昔の人はかえって良かった
□明治時代 論語の影響
「学んで思わざれば則ちくらく,思いで学ばざれば則ちあやうし」
「己の欲せざるところは,人に施すことなかれ」
「巧言令色鮮し仁」
渋沢栄一
当時の親は子供を訓戒する時、必ず「論語にこう書いてあるからいけないんだ」と
言った。
|
※ 親の言うことだけでは納得できないが,親がいつも畏敬し守っている規範,それに対
しては子供もないがしろにできないものがあった
↓
─
※ 論語とか聖書とか,そういう親子,地域社会に共通する規範が全く無くなったのが戦
後の日本の特徴
◇ガタンガリガリ「あっ痛い」
□歯医者
「楊枝と塩と番茶」
「土の上に寝とれば,歯は絶対に悪くならないんです」
◇カマボコ要員
□陸軍17師団
徴兵制 - 2年で除隊
↑
除隊者再徴募 予備役
年齢繰り上げ徴募 後備役 招集「赤紙」
南方向け要因 = カマボコ要因(沈没すればサメに食われる)
☆「土のいろ」集成 第九巻 84~92号 ②【再掲載 2012.6】
◇復刊第2号 通刊85号 昭和30年11月
□特集・郷土芸能
○水窪町西浦田楽能 小国神社舞楽上演解説 近藤用一
① 無病息災
② 五穀豊穣
③ 鎮魂 もののけ退散
◎ 田遊びの発達した形式が田楽 → 田楽法師
北条氏の滅亡と共に田楽能も衰微
↓
猿楽
↓
◎ 観阿弥・世阿弥が猿楽能と歌舞玄体に改善して「能楽」に
※ 田楽能は一忠・亀阿弥とか天才の死後,室町時代に盛んな名残をとどめたのみで神事
芸能化したまま固定し,伝承形態を保守して今日に至った。
○西浦の田楽能
室町田楽のおもかげ(田遊び・陰陽道・猿楽)
毎年旧暦1月18日の日の出から19日午前9時ごろまで
地能33番・はね能12番 合計45番
◎ 古風な反ぺい・安倍晴明家の秘法
・力足を踏んで悪魂を退け精霊を押さえつける。
・能楽の足拍子,舞踏の乱拍子,歌舞伎の六法,相撲の四股
◎ はね能 もどきの手
田楽・田遊び・神楽・はね能と曲番が変化に富む
~ 西浦独特のバラエティ
○小国神社舞楽の解説
遠州舞楽二つの残存
① 天宮神社(森町)
② 小国神社
童舞・大人舞
□「蓑かぶり一揆」について 鈴木氏
○動機
- 風水害による農民の困窮と中泉代官所の重祖・圧政
万延元年の大出水
→ 浜名郡方面に物乞いに出る者も
○下岡田村庄屋・鮫島万平が代官に減税を嘆願
しかし,代官は情け容赦なく不納者の召し捕り 受け入れられず
(掛川藩・浜松藩は年貢一割引)
○鮫島万平(下岡田村)・鈴木孫三郎(上岡田村)・山田金左衛門(千手堂村)
嘆願行 = 身命を賭してまで闘う決意
- 家を去り転々と居をかえる
井通以南75か村の庄屋にゲキ
一言坂山中にて70余名の庄屋の会合
○一揆勃発の経過
貧農たち 岩田村方面で暴動
↑
明治3年正月元旦を期し三ケ野に集合 静岡直訴行決議
|
とらえられて清水の江尻獄舎に
明治7年4月28日獄死
※ 清水次郎長の弟分・見付大和田友三しばしば鮫島家に出入りし何かと世話を焼き,
次郎長もまた清水の獄舎をしばしば訪ねて,よくその労をねぎらった。
○むすび
倒幕軍
年貢半減の公約を破棄
↑
民衆各地で一斉に立ち上がる
→ 実質的な負担軽減に
□続浜松城下町時代の民衆 渥美静一
魚,塩,糀(竜禅寺村)
□浜松おぼえがき(二) 渥美実
・成子町の愛宕神社とその道標
・田畑氏邸内に小祠現存
・道標の石 鴨江観音五佐路(南東)の右側
- 並んで地蔵(石仏)
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