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参観会・懇談会資料 ⑲ / 「青葉繁れる季節に」 伊集院静 『2011 ベスト・エッセイ』光村図書 2011年 より ⑥【再掲載 2013.12】 [読書記録 教育]

「勉強はできるがひどくだらしのない子は上の学年に進むにつれだんだん成績のふるわな
 い子になる。面倒なこと、時間の掛かることを避けるような子は、学力も伸びないし人
 格面でもあまり人から信頼されなくなっていく」










今回は、わたしの教育ノートから、6月21日に続いて、
キーワード「参観会・懇談会資料」19回目の紹介です。



教育雑誌、教育書籍より、懇談会資料として使えると思ったものをノートに要約したもの
です。



今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「根底は
 ① 会話と読書
 ② 家庭で毎日何かの仕事をさせる
 ③ 外遊び、野外施設での体験」


・「太陽の下、戸外で3人以上で土と水と緑と」
- 夏休み、子どもとの合言葉にぴったりだと思います。


・「落ち着きがあって勉強も良くできるという子は姿勢のいい子」
- 姿勢が良くなると落ち着きが出て、学力も高まっていくという印象があります。


・「最重視『後始末をいつもきちんとするというしつけ』」




もう一つ、再掲載となりますが、伊集院静さんのエッセイ
「青葉繁れる季節に」を載せます。
井上ひさしさんの存在の大きさに改めて気付きます。





☆子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」







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☆参観会・懇談会資料 ⑲ 

◇岸本祐史

「見えない学力」の三要素

①言語能力  読書を通じて育てられる


②根気 家庭での仕事・役割


③先行体験 規則正しい生活、遊び、野外活動、史跡見学等



 ◎肥沃な土壌に逞しい根

  根底は  

 「子供たちが長じるに及んで、自分に最も相応しい生き方を自分自身の力で選択し、自
  分自身の力で幸せをつかみ取るための知恵



 ① 会話と読書

 ② 家庭で毎日何かの仕事をさせる

 ③ 外遊び、野外施設での体験








◇基本は「遊んで学ぶ」

□集団での遊びを先行体験
     
 古い皮質に動物的逞しさ・集団本能→戸外遊び
太陽の下、戸外で3人以上で土と水と緑と



□室内遊びの工夫が知的発達への近道

 カルタ、トランプ、双六、百人一首


 レールを繋いだり物を組み立てたりする遊び
テレビ漬けの子供だけにはしない(受け身一方)



□遊びも勉強も正しい姿勢で

 落ち着きがあって勉強も良くできるという子は姿勢のいい子


 勉強は集中力と根気の強弱
根気強い子は姿勢がよい 静筋(背筋)が鍛えられている



常によい姿勢  読書するときもテレビを見るときも



□豊かな会話が言語能力を高める

 学力の土台は言語能力

 - 言語を理解し言語で考え言語で表現する

言語能力のない動物は学力を一切獲得できない


 努めて丁寧に!



□後始末はしつけの第一歩

 やりかけた仕事や勉強を最後までやり抜くといった習性は、十日や二十日では身に
付かない



勉強はできるがひどくだらしのない子
・上の学年に進むにつれだんだん成績のふるわない子になる
・面倒なこと、時間の掛かることを避けるような子は、学力も伸びないし人格面でも
   あまり人から信頼されなくなっていく



 ◎最重視「後始末をいつもきちんとするというしつけ」

要は朝起きたときのパジャマ等の始末



 ◎後始末をきちんとする子で所謂「おちこぼれ」の子供はいない























☆「青葉繁れる季節に」 伊集院静 『2011 ベスト・エッセイ』光村図書 2011年 より ⑥【再掲載 2013.12】


1.JPG

 思わぬ訃報であった。


 見舞いに行った方から、元気になられたと聞いて安堵していただけに、その報せはショ
ックだった。


 もう逢って話ができない、と思うと、ひどく私は動揺してしまった。



- 私たちは大きな星を、燦然とかがやく光を失なった…。



 井上さんは現代日本文学の標べのごとき光を放っておられた。新しい作品を読むたびに
感動し、作品を再読するたびに発見があるのに感心させられた。


 やさしく書かれてあるのに深く、軽妙な文体であるのにずっしりとした重さで、テーマ
があらわれてくる。


 なぜ、こういうものが言けるのだろうか、と何度も考えさせられた。勿論、持って生ま
れた才能もあろうが、それだけではないように思えた。


 考えた末、ひとつの光景が浮かぶようになった。


 それは広漠たる荒地の一角に、身体半分を砂に埋もれさせながら大きな石のような塊り
を両手で持ち上げ、どちらにむかえばいいのかともがいている井上さんの姿だった。


 その姿が浮かんでからは後輩の私たちを見る時の、あのにこやかな表情も、編集者や舞
台関係者をやきもきさせた遅筆も、すべてがその苦悶の果てにあらわれたことではないか
…と思うようになった。



 そんな印象を抱くようになるまでには井上さんと最初に話をさせていただいてから十数
年の歳月がかかった。



 井上さんに最初にお逢いしたのは吉川英治文学賞の新人賞の授賞式だった。


 選考委員であった井上さんの下に受賞のお礼を申し上げにいくと、井上さんは作品を誉
めて下さった後に、舞台の演出や作詞(当時、私はまだ執筆のかたわら演出、作詞の仕事
をしていた)の方も忙いんでしょう、と訊かれた。


 私は執筆だけでやって行くことにしました、と応え、少し不安なのですが、と言った。


 すると井上さんは、あなたはこれから大変な量の執筆依頼が殺到するでしょう。それで
十分やっていけますから、と言われた。


 それでも私は井上さんの言葉をそのまま信じられず、自分に限ってはそのようなことは
ないと思います、と言った。実際、そんなありさまは想像もつかなかった。


 井上さんは笑いながら、少し強い口調できっぱりと言われた。



「それは私が保証します。これから大変な量の注文が来ます。間違いありません。頑張っ
 て下さい」



 果して井上さんの言葉に嘘はなかった。


 迷いがふっきれる言葉だった。



 それから十数年後、古川英治文学賞を頂戴した。思わぬ受賞に、私は田舎から両親を呼
んだ。これが最後の賞という思いがあった。


 やはり選考委員であった井上さんの下にお礼を申し上げに行った。


 井上さんに、十数年前に言われたことで執筆一本でやってこられたことを話した。


 すると井上さんはささやくような声でこう言われた。


「晩年に、なお注文が続いて、それに応えることです。作家は晩年が大切です」


 この時も、自分の晩年など想像もつかなかった。


 私は井上さんの言葉を信じることにした。


 ヤンキース(当時)の松井秀喜選手の背番号と同じ歳になった時、晩年、晩節のために
どうあるべきかを考えはじめ、60歳を期に仕事を倍にできる準備をした。


 この2月に私は還暦を迎え、お逢いできる日があれば、その報告をしようと愉しみにし
ていた。去年、入院された報を聞き、退院をこころ待ちにしていた。



 それが今回の訃報である。


- もうお逢いして話を聞くことができない。



 人間の生死は運命によるものだろうから望みどおりになるはずはないとわかっていて
も、やはりせつないものである。


 私が仙台に居を移した時、井上さんは仙台文学館の館長をしておられた。


 月々のエキシビションの案内が届く度に、感心するほど佳い企画の展が催されていた。


 会報の冒頭に井上さんの小文があり、まことに意義のよくわかる文を読み、見学に行く
のが愉しみだった。学館員の人たちも明るくて楽しそうだった。


 井上さんの、明るく、やさしく、元気な生き方が館員の方々に浸透しているのだと思っ
た。


 仙台は今、青葉繁れる季節を迎えている。

             (いじゅういん・しずか作家)「小説現代」6月号


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