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学年はじめの三日間 ⑤(最終) / 『調査報告 学力低下の実態』岩波ブックレット№587 苅谷剛彦・志水宏吉・清水睦美・諸田裕子 2002年【再掲載 2011.7】 [読書記録 教育]

今回は、7月4日に続いて、わたしの教育ノートから、
「学年はじめの三日間」5回目の紹介です。



新年度の学級開き、担任はじめ教員はいろいろ考えます。

新学期スタート時のヒントを集めた、内山義朗さんが書かれたものの要約です。


「鍛える」ことが中心だった頃を思い出します。






もう一つ、再掲載となりますが、
苅谷剛彦・志水宏吉・清水睦美・諸田裕子さんによる、
岩波ブックレット№587『調査報告 学力低下の実態』を載せます。
20年ほど前に出版された本ですが、ここに書かれた状態から現在の状況は改善されてい
るでしょうか。 
このコロナ禍による学校休業中の児童・生徒の学習の状況を見ると、
むしろそれが広がっているような気がしてなりません。

学校教育とは何か、考えさせられる本、お薦めです。

大変長くなってしまいましたが。








◇子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」








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☆学年はじめの三日間 ⑤(最終)


◇最初の三日間学級担任として何をすべきか 2003年 4月(『正義と勇気を育てる学級&学年集団づくりNO24 最終回』)   道徳教育改革集団・鹿児島  内山義朗 (3)

□3日目
 
1 1学期の個人目標
  
 ・達成目標となる数値などを入れ,具体的に自己評価できる目標設定指導。

 ・みんなの前で一人ずつ全員発表。
  
 ・発言の仕方の指導。最も遠い人に届く声で。
 


2 美化活動班
  
 ・美化活動場所と人数を板書。
  美化活動班は「学期交代」「教室そうじの人数は約3分の1。」

 ・希望する場所にマグネットネームプレート。
  人数が定員より多いところは、じゃんけん。

 ・班長・副班長を立候補じゃんけん制で決定。
 


3 委員会活動
  
 ・委員会の説明。意義や内容。
  
 ・決め方は美化班と同様。
 


4 学級の係
 
 ・「世のため人のために役立つ仕事」を設定。
  「これは必要」という係と「あったっほうがいい」係を募集。
  (例)
   ・学級代表
    -児童代表委員会に出席。学校・学年行事での係などの代表になる時優先権。

   ・保健係
    -児童保健委員会への出席。

   ・学級会企画係
    -班長会を開き、議題の設定と議長団の決定。
     担任と交渉し学級会の日時等決定。

   ・パーティー係
    -学級パーティーの企画。計画案を作成し、学級会で提案。

   ・水族館係
    -水槽でかう生き物の世話。

   ・写真サービス係
    -学級の写真注文の取りまとめ。

   ・環境新聞会社
    -環境問題について調査し、新聞で伝えたり、朝の会などで緊急報告。

   ・学級文庫係
    -学級文庫の本の整理。本の紹介。
  
   ・このほかに「やってみたい係とおもな仕事内容」を板書。

 ・「どの係に所属するか」を決める。「人数は、各係3~5人」と伝えた上で、「やりた
  い係」のところにマグネットネームプレート。

 ・係が決定したら、各係ごとに話し合い仕事内容や担当の決定。

 ・係名・目的・おもな仕事内容等の発表。記入した紙を教室内に掲示。
 


5 ノート指導
  
 ・直線は,定規で引く。
  
 ・ノートのはじめには,日付を記入。
  
 ・消しゴムは,使わない。
 


6 学習指導

 ・当たり前のことが当たり前にできるようにさせる。例えば、時間。

 ・授業開始時刻に授業を始める。形式的なあいさつなし。遅れてくる子がいても待たな
  い。「遅れて、しまった」と思わせる。
 
 ・「何ページを開く」「ノートに写す」の指示のあとに教科書・ノートを確認。

 ・話をする時は手に持っているものを置いてから聞かせる。「きちんと聞いていなくて
  まずかった」と思わせればよい。

 ・授業中トイレに行きたくなったら「トイレに行ってもいいですか?」ではなく、「ト  イレに行かせてください」または「トイレに行って来ます」と。
 


7 並び方

 ・集会時や体育授業時にさっと並べるように、いくつかの列の並び方(1列・2列・ 
 4列)を指導。



















☆『調査報告 学力低下の実態』岩波ブックレット№587 苅谷剛彦・志水宏吉・清水睦美・諸田裕子 2002年【再掲載 2011.7】

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<目次>

 はじめに -確かな現状認識のために



 第Ⅰ部 小中学生の基礎「学力」はどう変わったか

  1 二つの学力観を超えた議論を

  2 今回の調査について

  3 基礎学力は下がっているのか?

  4 算数・数学の学力はどう変化したか

  5 国語の学力はどう変化したか

  6 公立学校の役割 - 改革の十年を経て問われるもの



 第Ⅱ部 教育の階層差をいかに克服するか

  1 教育の階層差という問題

  2 十二年間で何が変わったのか

  3 学習意欲・学習行動・学力の階層格差

  4 新学力観と階層、学力

  5 小学校の授業経験と中学校時の学力

  6 「効果のある学校」とは

  7 公教育の再生をめざして





◇はじめに-確かな現状認識のために

 教育改革をめぐる議論の展開はめまぐるしい。

 わずか数年前までは、受験教育や詰め込み教育が批判され、「ゆとり」や「総合学習」
を支持する声で教育界は一色に染まった。


 知識の伝達も重要だと言おうものなら、すぐさま「詰め込み教育に戻るのか」、「せっか
くの改革の横運に水を差すのか」、と批判を浴びた。



 ところが、完全学校週五日制と新しい学習指導要領の実施を目前に「学力低下」の声が
高まると、今度は「確かな学力」の向上が政策的スローガンとして掲げられるようになっ
た。



 今や学習指導要領は「最低基準」である。しかもそれは、1958年に学習指導要領が
「試案」からその性格を変え、法的な強制力を持つようになった時以来ずっとそうであっ
たとの見解のもと、実際の運用上は「上限規定」でしかなかった事実を文部科学省は難な
くあっさりと方針転換した。



 それにあわせて「発展的内容」を教えるための教師用指導事例集を発表したり、それら
を教科書にも記載できるようにするため、教科書検定のしくみの変更を提案する審議会答
申を出したり、「教える内容を減らすと学力が低下する」といった「学力低下」論に押さ
れるようにして、「できる」子どもたちを救う手だてが着々と進んでいる。



「学力向上」をめざしたスーパー・イングリッシュ・ランゲージ・ハイスクール、スーパ
ーサイエンスハイスクールなどの「学力向上フロンティア事業」も、その一環である。



 このような文科省の″変節〃とも思えるような動きに対して、過去への逆戻りだと批判
する声があがっている。



 アピール「学びのすすめ」でもっと宿題やドリルを、といったり、「総合的な学習の時
間」も教科との関連をつけ、場合によっては教科指導に使ってよいとする見解が出される
や、詰め込み教育、受験競争の時代への回帰だというのだ。



 しかしながら、文科省の路線変更にしても、それへの批判にしても、重要かつ深刻な問
題にいまだ目が向かないままの議論が続く。無視されているのは、子どもの学習の実態で
あり、なかでも学習面での階層差の実態である。



 「確かな学力」の向上をもっとも必要としているのは誰か。とりわけ、義務教育段階で
「確かな学力」を保障すべきなのは、どのような境遇におかれた子どもたちなのか。それ
を可能にするためには、学校には何が求められているのか。




 このような問題に関心を向けることもなく、「学力低下」論以後の教育改革の修正とそ
れへの批判が展開されている。さらには、こうした議論とは無関係のように、かつまた、
「新しい学力観」や「総合」の授業において誰の学習が停滞しているのかといった問題に
十分目が向けられることもなく、「総合的な学習の時間」をどう運営するのか、「学力向上」
をどう図るのかに、多くの教師が忙殺されている。




 このような現状を見ると、今必要なのは、学力が低下しているか否かに単純に一喜一憂
する学力調査でも、水掛け論に終わりがちな学力の定義をめぐる学力論争でもない。まし
てや、教育の実態をふまえることもなく、「確かな学力」向上策が逆戻りなのかどうかを
争う議論でもない。




 今、求められているのは、子どもの「学力」や学習の実態から、日本の教育が抱える問
題を見通していく視座と、問題解決を図るための正確な現状認識である。


 それによって、雇用の不安定化や賃金格差の拡大など、社会全体の不平等が拡大する時
代の中で、公教育が果たすべき(最低限の)役割を考えるための知識の基盤を提出できる。



 本書は、そうした意図にもとづき、実施・分析した「学力調査」報告である。



 したがって、学力の変化竪目を向けるのも、たんに学力が低下しているかどうかに関心
を持つからではない。むしろ、その背後でどのような変化が起きているのかを知るための
第一歩にすぎない。



 そして、本書を通じて私たちが提示したのは、教育のみならず将来の日本社会に重大な
影響を及ばしうる抜き差しがたい変化が、子どもたちの学習と学力をめぐり、すでに進行
しているという事実である。



 本書が明らかにした事実を前に、私たちは教育を、とりわけ義務段階の公教育をどのよ
うに見直していけばよいのか、わずかながら、救いの手だても本書では提示したつもりで
ある。



 実態をふまえた論議を通じて、教育改革や学力をめぐる議論を、まっとうなものに引き
戻したいと考えるからである。



 なお、本書は、総合雑誌『論座』(朝日新聞社)の2002年6月号と7月号に掲載さ
れた報告をもとに、表データの追加と文章の加筆修正を行ったものである。



 初出の原題はそれぞれ「「学力低下」の実態に迫る」、「教育の階層差をいかに克服する
か」である。『論座』執筆にあたっては同編集部に大変お世話になった。また、データの
収集及び分析の過程では、多くの共同研究者の方々の協力を得た。



 1989年データの使用と再分析をお許しいただいた池田寛教授はじめ大阪大学の研究
者グループにも、ご協力いただいた調査対象校の皆様にも感謝したい。

                   執筆者を代表して  苅谷 剛彦




【キーワード】

◎「新しい学力観」

  従来の知識偏重型の教育を改め、「自ら学ぶ意欲と社会の変化に主体的に対応できる
 能力を育成するとともに、基礎的・基本的な内容を重視し、個性を生かす教育を充実す
 ること」(1991年の教育課程審議会答申)を、わかりやすいスローガンとして集約
 した表現だといわれる。    



◎「生きる力」

  1996年7月19日発表の中央教育審議会答申「21世紀を展望した我が国の教育
 の在り方について(第一次答申)」において、これからの教育が育むべき目標として掲
 げられた「力」。「これからの子供たちに必要となるのは、いかに社会が変化しようと、
 自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を
 解決する資質や能力であり、また、自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思い
 やる心や感動する心など、豊かな人間性であると考えた。(中略)我々は、こうした資
 質や能力を、変化の激しいこれからの社会を[生きる力]と称することとし、これらを
 バランスよくはぐくんでいくことが重要であると考えた」とある。



◎「確かな学力」の向上

  文部科学省は2002年1月17日、確かな学力の向上のための2002アピールし
 「学びのすすめ」を発表。学力低下についての社会各方面からの懸念に対し、「新しい
 学習指導要領のねらいとその実現のための施策とを今一度明確に示すとともに、そのね
 らいが確実に実現されるようさらこ努力する必要があると考え」提出された。
  そこでは「新しい学習指導要領のねらいとする「確かな学力」の向上のために、指導
 に当たっての重点等を明らかにした方策」か示さわるとともに、以下に見る「学力向上
 フロンティア事業」「スーパーサイエンスハイスクール」「スーパー・イングリッシュ・
 ランゲージ・ハイスクール」についても資料が提示されている。(以下はその資料から
 抜粋)





<途中 大幅に略 - 内容は大変に充実しています>






7公教育の再生をめざして

 今回の分析から明らかとなったのは、これまでの教育改革をめぐる議論の中では、あま
りに軽視されてきた、義務教育段階での階層差という事実である。子どもの意欲や「よさ」
を大切にしてきたはずの教育は、基礎学力の低下と格差の拡大をもたらしただけでなく、
小学校段階からの学習意欲、行動、学習成果の階層差を生んだ。



 小学校5年生の段階で、学校の授業への取り組みや家庭での学習、基礎的内容の学力テ
ストの得点に、これだけ家庭環境の影響があらわれるのである。どの子どもにも学ぶ意欲
があるはずだとの前提は、ここではもろくも崩れている。あれかこれかの学力論に拘泥し
ているうちにも、教育の実態はこのように変化しているのだ。



 しかも、意欲を高める決め手として期待される「総合的な学習」や「新学力観」型の授
業への取り組みにおいても、家庭の環境差が明瞭にあらわれている。



 理想通りの教育が行われない場合、理想に裏切られたツケは、平等に配分されるわけで
はない。基礎的な学習をおろそかこしこまま、俗にいわれる流行りの学習を追うばかりで
は、そのしわ寄せは恵まれない家庭環境の子供に集まる。



 小学生の段階からこうした家庭的な背景の影響が色濃くでている事実を目前にすれば、
教育の世界に「自己責任」の論理を持ち込もうとする改革の問題点が明らかとなる。



 条件整備も不十分なうえに、理想に振り回されるばかりで実際の教育が手薄になれば、
自己決定ができる年齢のずっと以前の段階から、学びに乗り遅れる子どもが、階層的偏り
を持って作り出されていくからだ。



 どの子どもも自ら学ぶ意欲を自然に持ち、自己選択ができるとの「強い個人の仮説」は、
義務教育段階の小中学生にはあてはまらない。          




 ところが、こうした階層格差の実態把握さえも行政は怠ってきた。しばしば文科省が依
拠する学力の国際比較調査(国際教育到達度評価学会『国際数学・理科教育調査』など)
でも、家庭的な背景の影響を調べる項目が入っており、他の参加国ではあたりまえのこと
として分析の対象となるのに、日本ではそうした項目自体が排除されている。



 残念なことに、こうした学力や学習の階層格差が全国的にどのように進行しているのか
を示すデータは、日本中どこを探しても存在しないのである。




 教育政策を論じるとき、他の先進国では当然の論点と見なされる階層格差の問題が、日本では政策論の対象にさえならない。受験教育からの脱却が国民的合意を得てきたためか、こと教育に限っては、論点を提出する政治的勢力もほとんどみあたらない。



 社会的弱者の味方と称する政党や団体さえ、この問題に正面から取り組もうとするとこ
ろはほとんどない。アメリカやイギリスをはじめ、新自由主義的な経済改革を堆し進めて
きた国々では、雇用の流動性(不安定化)の高まりと所得格差の拡大を前提に、それへの
対抗措置として、人びとの雇用可能性を高めるべく「学力向上」を教育政策の中心に掲げ
てきた。



 英国のブレア首相が教育を政策課題の中心に据えたことは有名だが、社会経済的に恵ま
れない人びとの多い学区に特別の財政的措置を行い、公教育を通じて不平等の拡大をおさ
えようとしている。従来型の福祉国家に戻るのではなく、経済的に自立できる「強い個人」
を形成するために、教育への財政支出を年率5%ずつ増やし、教育による下支えを強化す
る政策がとられているのだ。





 日本でも痛みの伴う構造改革が進められようとしている。それが不可避だというならな
おさらのこと、改革後の経済社会に参入していくまでの教育をより充実したものにしなけ
ればならない。




 たしかに、教育改革だけによって、階層格差が拡大しているとはいえないだろう。階層
ごとに異なる家庭でのしつけの変化や、親の子どもへの期待の変化といった要因と相互に
関係しながら、教育の変化が階層格差の拡大をもたらしている可能性がある。しかしなが
ら、社会全体が不平等の拡大を許す経済政策を採ろうとしているときに、それを教育がさ
らに促進する側に回るのか、それとも抑制する側に回るのかはすぐれて政策的論点になる
はずだ。




 ところが、、階層差の実態を捉えようともせず、ましてや政策の遡上にのせることも、
財政的サポー卜の十分な拡充もないまま、美名に彩られた教育の改革が進む。



 その「不作為」の結果が、私たちの分析が示したように、過去十年間と同様、十歳前後
から学習についていけない子どもを増やすことにつながるのであれば、十年後、二十年後
の日本社会はどうなるのか。



 彼ら・彼女らを待ち受ける将来が、すでに階層的偏りを持ちながら増え続ける若年無業
者=「フリーター」の世界だとすれば、行政側の「不作為」の結果は、教育の問題に限定
されない。



 80年代を通じて欧米社会が経験したように、不平等の拡大と若年失業が引き起こす様
々な社会問題を生み出す温床につながる可能性がある。




 「学力低下」の声に押されるかのように、文科省は「できる」子どものための発展的学習への道を開きつつある。その重要性を否定するつもりはない。しかし、それ以上に、義務教育段階の早い時期から生じる教育の階層差をくい止めるための手だてを打つことこそ、「確かな学力」を子どもたちに身につけさせる最優先の課題ではないか。



 公教育である以上、できるだけ多くの子どもたちの学力を下支えしてこそ、「できる」子どもたちへの発展的学習にも正当性が与えられるのである。



 私たちの調査は一地域に限った小規模なものだが、全国的に教育の世界で階層差がどれ
だけ拡大しているのか、その実態を把握することが急務であり、実態をふまえた対策にと
りかかる必要がある。



 放っておいても階層差の拡大が進んでいく時代に、義務教育段階の公立学校が、それに
ブレーキではなくアクセルをかけるようでは、公教育の役割を放棄したことになる。




 最後に、今回の分析からほのみえた希望の道について述べておきたい。




 学校の努力と取り組み次第では、教育における階層差の拡大をおさえられるというA小、
X中の事例である。たしかに少数の事例にとどまる。



 ましてや関係者の「がんばり」は並大抵のものではない。こうしたがんばりをすべての学校に期待することは無理な注文でもあるだろう。


 それでも、地域住民と地方行政の十分なサポートがあれば、学校にはこれだけのことが
できるのだ。



 これら少数の事例から私たちが学べるのは、家庭学習を含めたしっかりとした教科の学
習指導と「総合的な学習の時間」との連携である。



 基礎的な学力をつけないまま、安易に「総合」に走った場合、その後の学習に影響が及
ぶことは今回の分析が示すとおりである。


 基礎の下支えをきちんとやった上で、発展的な学習として「総合」をとらえる方がよい
だろう。



 私たちの類型でいえば、「全力型」の授業や「がんばっている学校」をどうすれば増や
していけるのか。ナショナルミニマムを保障する思い切った行政側のサポートと、地域の
ニーズに合わせた教育を可能にする地方分権=規制緩和の両方が必要だろう。



 社会経済的に不利な子どもの多い学校には、イギリスのように財政的、人的な支援を増
すことも検討に値する。時間的資源の点でいえば、塾に行けない子どもたちへの措置とし
て、場合によっては、地方の実情と判断に応じて、3月までと同様に月2回程度の土曜日
を再び開校してもいいのかもしれない。



 学習指導要領が最低基準だというなら、学校五日制も最低要件にして、地方の実情に応
じ授業時数を柔軟に確保できるようにする。


 その方が現状では実態にあうだろう。自由化の名のもと、全国一律で一斉に網をかける
改革のあり様が、齟齬を生み、格差を拡大する背景となっているからである。行政の面子
にこだわっている場合ではない。




 「中央=東京」の論理に振り回されない、地に足のついた教育改革を再スタートさせる
ためにも、地域のサポートをもとに学校改革を可能にする基盤整備の議論を始めなければ
ならない。



 その際、階層的な視点が不可欠なことは、私たちの分析が示した通りである。教育政策
の場合、深刻な問題が顕在化するようになってからでは手遅れである。教育の影響は、二
十年後、三十年後の社会を覆う。


 だからこそ、上すべりの言葉だけの議論に惑わされないためにも、問題を実態レベルで
不断に把握しておくことが必要なのだ。


 公教育の使命を、もう一度社会的・公共的な視点からとらえ直す。そこから、教育の再
生を図ることが求められているのである。

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