「宮本常一伝書鳩のように」石川直樹 平凡社 2019年 ⑤ / 玄侑宗久「多生の縁」文藝春秋 2006.3【再掲載 2011.5】 [読書記録 民俗]
今回は、9月15日に続いて、石川直樹さんの
「宮本常一 伝書鳩のように」の紹介 5回目です。
歩く民俗学者と呼ばれた宮本常一さんに関しての本が、
没後40年近くたっても出版され続けています。
現在でも求められているからこそだと思います。
出版社の案内には、
「日本各地を歩き、漂泊民や被差別民、歴史の表舞台に姿を現さなかった無名の人々の営
みや知恵に光を当てた『野の学者』宮本常一。膨大な著作のエッセンスを一冊に集成。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「現状の中で人間として貴重な何ものかが科学的という名のもとにうしなわれしまいつ
つあるのではなかろうか」
・「戦後教育は発達したという。ことに教育に関する道具は大変にぎやかなものになった。
都会の学校ならば図書室は整い、実験道具もそろい、ラジオも映画もテレビもかなり
自由に利用できるようになった。それでいて、人がものを見る態度は一歩も二歩も後
退しているのではなかろうか。」
・「言葉のないほうが言葉のあるよりももっと多くのことを気付かせまた同感させる場合
もある。」
もう一つ、再掲載となりますが、玄侑宗久さんの
「多生の縁」を載せます。
人生とは、生きるとは、喜びとは何かについて考えさせてくれた本です。
☆子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「宮本常一伝書鳩のように」石川直樹 平凡社 2019年 ⑤
◇自然を見る眼(2) 1960年 53歳
<前回より続き>
3 自然の重さ
「近頃、自分と立場を異にするものを冷たく冷ややかに見、その欠点歩をあげつらうこと
を批判と心得、批判精神が旺盛だと心得ているものが多いのだが、対象の中へ溶け込み、
その本質的なものにふれることなくして、本当の批判というものがありうるだろうかと
思っている」
「現状の中で人間として貴重な何ものかが科学的という名のもとにうしなわれしまいつつ
あるのではなかろうか」
テレビ、ラジオ、事物になる知識
↑↓
ファーブル
何日も続けた観察 → 知識
自然と人とのつながりの中
※ 空気のない闇の中でさいてこそ空虫の声も大地の声のように聞き取れたし、時の移ろ
いで心の中に感じることができたのであろう。
※ 自然を見る眼は、細かであり切実であったといえる。
4 見捨てられたものの中へ
柳田国男『海上の道』 風の名、潮流、宝貝、地名
◎「戦後教育は発達したという。ことに教育に関する道具は大変にぎやかなものになった。
都会の学校ならば図書室は整い、実験道具もそろい、ラジオも映画もテレビもかなり
自由に利用できるようになった。それでいて、人がものを見る態度は一歩も二歩も後
退しているのではなかろうか。」
5 借り着をぬごう
テレビのホームドラマ
◎「気の利いた言葉とその場その場を調子に合わせて生きることが果たして本当の人間の
すがたであろうか。人生というものは、そんなに浅く、また小波のたった流れのよう
なものであろうか」
◎「とにかく皆さん才子になり才気走っていて何でもこなし ていくし、また皆おくれま
いとして勇み足になる。流行の中にそうした人間の姿を見ることができるが、いった
いそのあとに何が残るであろうか。」
◎「マスコミが人間を駆り立てているともいえる。が、ここでマスコミに駆り立てられい
ような、また、マスコミの中にも人を駆り立てないような芽が一方に伸びてきてよい
のだろうか」
◎「たとえば私の子供のころには、『明日の天気はどうだろう』というとすぐに家の前に
出るか裏の浜へ出て空を見たものである。そして雲の行き先や形を見た。ほぼ見当が
ついたのである。ところがラジオテレビで天気予報が始まってから、空を見るものが
ほとんどいなくなった」
◎自分自身の眼でものを見る力が生まれてくる
6 無言の言葉
おばあさん
「テレビというものはようまあ、立て続けにしゃべり、しゃべらぬ時はものを食ってい
るものだ。」
新藤兼人『裸の島』
セリフはほとんどない。だが、見ていてわかるのである。
言葉のないほうが言葉のあるよりももっと多くのことを気付かせまた同感させる場
合もある。
自然は無言に呼び掛けている
☆玄侑宗久「多生の縁」文藝春秋 2006.3【再掲載 2011.5】
◇京極夏彦 妖しの世界へ
お寺 - おがみや - 占い師
自己救済の希いから妖怪は生まれた
「死後の世界」はどこにあるのか
科学者 ○「分からない」 ×「ない」
近代的自我にとらわれる不幸 寝た子を起こす番組ばかり
不思議なことを文化として楽しむ余裕がない
「ないがままの自分」
◇山折哲雄 死者の行方
死後のビジョン
日本的輪廻転生(身近) おがみや・「祟り」信仰
霊魂はどこにいる
グレーゾーンの大切さ
無神論と無宗教
無宗教と言っても実はもう避けがたく宗教的なものが浸透している
お骨はどこに行く?
日本人は宗教嫌いの墓好き
◇鈴木秀子 死と向き合い,生を充実させる
禅とキリスト教の接点
今こそ死について語り始めるとき
玄侑テーマ「死の周辺での心の交流」
死は言葉が届かない世界だから言葉では話せない
光と出逢う至高の体験
カトリック・聖心会 修業 絶対沈黙
本は一切読まない 文字に触れない等
8年間の修行 → 終生誓願
↓
大変革 → 苦悩の多い現代社会の中に一人の人間として入る 外での活動
奈良女子大での全国国語国文学会に参加のときに修道院に泊まる
本宮様別荘での臨死体験に遭う
あの世で最も大切なこと
①「知る」こと 「叡智」
②「愛する」こと 「慈しみ」「慈悲」
人格としての光 ~ 阿弥陀如来 ~ 浄土教
「アミターバ」無量の光
人は死ぬとき何を見るのか
授かった不思議な能力
「大宇宙の力が人物を通って出会う人に伝わって,その人の運勢がどんどん良くなる
能力」
あの世に行くまでのひととき
死にゆく人々との交流
「死が近い方というのはあの世とこの世を行き来していて,御自分がまもなく死ぬと
言うことが分かっている。」
|
「亡くなるときには生から死へパタッと行くのではなく,ちょっと行っては戻るとい
うことを繰り返すプロセスがあるのではないか」
仏教:亡くなった方の額の左上の方には霊と繋がっている
→ 坊さんが刀を引き抜いて額と繋がっている魂の糸を切ってあげる
= 「逝きなさい」と引導を渡す
※出たり入ったりの時間を含めて完全に向こう側に逝くまでの間の時間を中陰という
本来の自分の姿とは?
「仲良し時間」
= さりげないけれども,その人にとっては一番大事な愛を伝えるような時間
精一杯愛を送っている一体感を感じている
|
※ アイデンティティは死ぬ間際にほどける
ビーイング = 本来のありのままの自分
エントロピーの法則
~ 秩序が時と共に無秩序化していくこと
老化もエントロピーの法則
※ あらゆる物質は諸行無常で正のエントロピーの方向に変化している。
= 人間が生まれる,受精卵が大きくなるのはその法則に反する
(負のエントロピー) ← 「ゆらぎ」 ブリゴジン
散逸構造論 ~ 再結晶化
見えない部分を見据えて生きる
人間は根っこでは繋がっている
手 人は指の部分,見える部分だけ見てお互いを比較する
→ しかし,見えない部分は平等
平等 … 誰一人命を作り出すことはできず命をもらっている
※ 見える世界,ドゥーイングにだけ焦点を置くと,ビーイングという人間の根本を成
すものが虚ろになるので人生もすごく虚しくなる
日日是好日
にちにちこれこうにち - 毎日が独立して良い日
|
「知足」 裸で生まれてきたのに何不足
自分には「既にすべてが与えられている」
「宮本常一 伝書鳩のように」の紹介 5回目です。
歩く民俗学者と呼ばれた宮本常一さんに関しての本が、
没後40年近くたっても出版され続けています。
現在でも求められているからこそだと思います。
出版社の案内には、
「日本各地を歩き、漂泊民や被差別民、歴史の表舞台に姿を現さなかった無名の人々の営
みや知恵に光を当てた『野の学者』宮本常一。膨大な著作のエッセンスを一冊に集成。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「現状の中で人間として貴重な何ものかが科学的という名のもとにうしなわれしまいつ
つあるのではなかろうか」
・「戦後教育は発達したという。ことに教育に関する道具は大変にぎやかなものになった。
都会の学校ならば図書室は整い、実験道具もそろい、ラジオも映画もテレビもかなり
自由に利用できるようになった。それでいて、人がものを見る態度は一歩も二歩も後
退しているのではなかろうか。」
・「言葉のないほうが言葉のあるよりももっと多くのことを気付かせまた同感させる場合
もある。」
もう一つ、再掲載となりますが、玄侑宗久さんの
「多生の縁」を載せます。
人生とは、生きるとは、喜びとは何かについて考えさせてくれた本です。
☆子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「宮本常一伝書鳩のように」石川直樹 平凡社 2019年 ⑤
◇自然を見る眼(2) 1960年 53歳
<前回より続き>
3 自然の重さ
「近頃、自分と立場を異にするものを冷たく冷ややかに見、その欠点歩をあげつらうこと
を批判と心得、批判精神が旺盛だと心得ているものが多いのだが、対象の中へ溶け込み、
その本質的なものにふれることなくして、本当の批判というものがありうるだろうかと
思っている」
「現状の中で人間として貴重な何ものかが科学的という名のもとにうしなわれしまいつつ
あるのではなかろうか」
テレビ、ラジオ、事物になる知識
↑↓
ファーブル
何日も続けた観察 → 知識
自然と人とのつながりの中
※ 空気のない闇の中でさいてこそ空虫の声も大地の声のように聞き取れたし、時の移ろ
いで心の中に感じることができたのであろう。
※ 自然を見る眼は、細かであり切実であったといえる。
4 見捨てられたものの中へ
柳田国男『海上の道』 風の名、潮流、宝貝、地名
◎「戦後教育は発達したという。ことに教育に関する道具は大変にぎやかなものになった。
都会の学校ならば図書室は整い、実験道具もそろい、ラジオも映画もテレビもかなり
自由に利用できるようになった。それでいて、人がものを見る態度は一歩も二歩も後
退しているのではなかろうか。」
5 借り着をぬごう
テレビのホームドラマ
◎「気の利いた言葉とその場その場を調子に合わせて生きることが果たして本当の人間の
すがたであろうか。人生というものは、そんなに浅く、また小波のたった流れのよう
なものであろうか」
◎「とにかく皆さん才子になり才気走っていて何でもこなし ていくし、また皆おくれま
いとして勇み足になる。流行の中にそうした人間の姿を見ることができるが、いった
いそのあとに何が残るであろうか。」
◎「マスコミが人間を駆り立てているともいえる。が、ここでマスコミに駆り立てられい
ような、また、マスコミの中にも人を駆り立てないような芽が一方に伸びてきてよい
のだろうか」
◎「たとえば私の子供のころには、『明日の天気はどうだろう』というとすぐに家の前に
出るか裏の浜へ出て空を見たものである。そして雲の行き先や形を見た。ほぼ見当が
ついたのである。ところがラジオテレビで天気予報が始まってから、空を見るものが
ほとんどいなくなった」
◎自分自身の眼でものを見る力が生まれてくる
6 無言の言葉
おばあさん
「テレビというものはようまあ、立て続けにしゃべり、しゃべらぬ時はものを食ってい
るものだ。」
新藤兼人『裸の島』
セリフはほとんどない。だが、見ていてわかるのである。
言葉のないほうが言葉のあるよりももっと多くのことを気付かせまた同感させる場
合もある。
自然は無言に呼び掛けている
☆玄侑宗久「多生の縁」文藝春秋 2006.3【再掲載 2011.5】
◇京極夏彦 妖しの世界へ
お寺 - おがみや - 占い師
自己救済の希いから妖怪は生まれた
「死後の世界」はどこにあるのか
科学者 ○「分からない」 ×「ない」
近代的自我にとらわれる不幸 寝た子を起こす番組ばかり
不思議なことを文化として楽しむ余裕がない
「ないがままの自分」
◇山折哲雄 死者の行方
死後のビジョン
日本的輪廻転生(身近) おがみや・「祟り」信仰
霊魂はどこにいる
グレーゾーンの大切さ
無神論と無宗教
無宗教と言っても実はもう避けがたく宗教的なものが浸透している
お骨はどこに行く?
日本人は宗教嫌いの墓好き
◇鈴木秀子 死と向き合い,生を充実させる
禅とキリスト教の接点
今こそ死について語り始めるとき
玄侑テーマ「死の周辺での心の交流」
死は言葉が届かない世界だから言葉では話せない
光と出逢う至高の体験
カトリック・聖心会 修業 絶対沈黙
本は一切読まない 文字に触れない等
8年間の修行 → 終生誓願
↓
大変革 → 苦悩の多い現代社会の中に一人の人間として入る 外での活動
奈良女子大での全国国語国文学会に参加のときに修道院に泊まる
本宮様別荘での臨死体験に遭う
あの世で最も大切なこと
①「知る」こと 「叡智」
②「愛する」こと 「慈しみ」「慈悲」
人格としての光 ~ 阿弥陀如来 ~ 浄土教
「アミターバ」無量の光
人は死ぬとき何を見るのか
授かった不思議な能力
「大宇宙の力が人物を通って出会う人に伝わって,その人の運勢がどんどん良くなる
能力」
あの世に行くまでのひととき
死にゆく人々との交流
「死が近い方というのはあの世とこの世を行き来していて,御自分がまもなく死ぬと
言うことが分かっている。」
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「亡くなるときには生から死へパタッと行くのではなく,ちょっと行っては戻るとい
うことを繰り返すプロセスがあるのではないか」
仏教:亡くなった方の額の左上の方には霊と繋がっている
→ 坊さんが刀を引き抜いて額と繋がっている魂の糸を切ってあげる
= 「逝きなさい」と引導を渡す
※出たり入ったりの時間を含めて完全に向こう側に逝くまでの間の時間を中陰という
本来の自分の姿とは?
「仲良し時間」
= さりげないけれども,その人にとっては一番大事な愛を伝えるような時間
精一杯愛を送っている一体感を感じている
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※ アイデンティティは死ぬ間際にほどける
ビーイング = 本来のありのままの自分
エントロピーの法則
~ 秩序が時と共に無秩序化していくこと
老化もエントロピーの法則
※ あらゆる物質は諸行無常で正のエントロピーの方向に変化している。
= 人間が生まれる,受精卵が大きくなるのはその法則に反する
(負のエントロピー) ← 「ゆらぎ」 ブリゴジン
散逸構造論 ~ 再結晶化
見えない部分を見据えて生きる
人間は根っこでは繋がっている
手 人は指の部分,見える部分だけ見てお互いを比較する
→ しかし,見えない部分は平等
平等 … 誰一人命を作り出すことはできず命をもらっている
※ 見える世界,ドゥーイングにだけ焦点を置くと,ビーイングという人間の根本を成
すものが虚ろになるので人生もすごく虚しくなる
日日是好日
にちにちこれこうにち - 毎日が独立して良い日
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「知足」 裸で生まれてきたのに何不足
自分には「既にすべてが与えられている」
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