「宮本常一伝書鳩のように」石川直樹 平凡社 2019年 ⑦(最終) / 『灯し続けることば』大村はま 小学館 2004年 ⑥ 【再掲載 2012.6】 [読書記録 民俗]
今回は、10月5日に続いて、石川直樹さんの
「宮本常一 伝書鳩のように」の紹介 7回目 最終です。
歩く民俗学者と呼ばれた宮本常一さんについて詳しく書かれています。
出版社の案内には、
「日本各地を歩き、漂泊民や被差別民、歴史の表舞台に姿を現さなかった無名の人々の営
みや知恵に光を当てた『野の学者』宮本常一。膨大な著作のエッセンスを一冊に集成。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「『もし宮本君の足跡を日本の白地図に赤インクで記したら、全体が真っ赤になるほど
であろう』 渋沢敬三」
・「『おい、月給というのは怖いぜ。ありゃ○○とっても入る金じゃからな。人を堕落さ
せるぜ。」」
・「人間は伝承の森である」
・「進歩の陰に退歩しつつあることを見定めてゆくことこそ我々に課せられている最も重
要な課題ではないか」
もう一つ、再掲載となりますが、大村はまさんの
「灯し続けることば」⑥を載せます。
著名な教育家、大村はまさんの名前を知っている教員も少なくなってきました。
教員としてのあり方を具体的に教えてくれます。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
☆子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「宮本常一伝書鳩のように」石川直樹 平凡社 2019年 ⑦(最終)
◇宮本常一 1907-1981
□明治40.8.1 山口県周防大島生 宮本善十郎とまちの長男
□昭和10.12 玉田アサ子と結婚
□旅する人
「歩き始めたのは昭和8年、歩くことを仕事にするようになったのは昭和14年から」
生涯で4000日を旅に費やした。
16万㎞(地球4周分)三千を超える村を渡り歩いた
渋沢敬三
「もし宮本君の足跡を日本の白地図に赤インクで記したら、全体が真っ赤になるほどで
あろう」
□宮本常一
「まったくの貧乏旅行」
多くは先々の民家に宿を借りた 1000軒
昭和14年秋 一か月余りの中国地方の旅費 50円(?)
□生活
郵便局員 → 教員 → アチックミュージアム
30~40代 渋沢敬三宅 口をしのぐ
1967年 57歳で武蔵野美術大学教授になるまで定収入なし
※ 教授時代も月給の多くは若い人を育てるのに費やし、原稿料・講演料を生活費に充
てた
□教授時代
「おい、月給というのは怖いぜ。ありゃ○○とっても入る金じゃからな。人を堕落させる
ぜ。」
□「人間は伝承の森である」
常に生き生きとした現場の生活論を膨大な文章と10万点もの写真を残した。
民俗学的調査の枠を超えて、そこに住む人間の営みを記録するとともに、その知恵を
未来にどう生かしていくかという問題意識を常に持っていた。
□在野の人
民具、離島、村、農業、技術、漁業、林業、口承文芸、文化論
|
多彩なフィールドを駆け巡った在野の人
「人間は伝承の森である」
□ブックガイド
『忘れられた日本人』岩波文庫 1984年(原本は1960年)
『民俗学の旅』講談社学術文庫 1993年(原本は1978年)
「進歩の陰に退歩しつつあることを見定めてゆくことこそ我々に課せられている最も
重要な課題ではないか」と問題提起
『宮本常一が撮った昭和の情景』上下巻 毎日新聞社 2009年
昭和30~55年 35mmフィルム1600本から厳選メモ写真800点
『旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三』佐野眞一 文春文庫 2009年
(原本は1996年)
第28回大宅壮一ノンフィクション賞
◇STANDARD BOOKS
平凡社 新しい随筆シリーズ
科学と文学双方を横断する知性をもつ科学者・作家の珠玉の作品
|
「知のスタンダード」
◇石川直樹
1977年東京生
「村人の愛情と老人の謙虚な姿に学んだ彼は、市井の人々への敬意を常に忘れず、出会っ
た人々以上に謙虚な姿勢を貫き通した。それでいて列島を歩き続け、その慧眼によって、 目立たない人々の奥の奥にある核心をやわらかに記録した。彼が残した言葉も写真も、
わたしたちが未来を生きていく上での各子たる指針として、その輝きが失われることは
ないだろう。」
☆『灯し続けることば』大村はま 小学館 2004年 ⑥ 【再掲載 2012.6】
◇「裾を持ちなさい」
子どものころ、私たちは夏には浴衣を着て寝ました。
朝、その浴衣をそのままにしておいてはいけません。畳んで置いておくのですが、私は
いくらやってもきちんと畳めませんでした。
「もう少しきちんとしなさい」
と言われないように、四苦八苦していたんです。
でも、どうやってもうまくいかなかったときに、通りがかった母が、一言
「裾を持ちなさい」
と声をかけてくれました。
浴衣には両脇にわき縫いというのがあります。そこの裾を持ってから肩のほうを持つと、
ぴ-んと長方形になります。裾を持たずに上だけ持っても、だらしなく斜めになるだけで
す。
母のこの一言で、たちまち私は、浴衣をきれいにきちんと畳めるようになりました。
教師になって、私は子どもたちに 「ああしなさい、こうしなさい」という立場になり
ました。
そのとき、私は
「きちんと畳みなさい」
と言うのではなく、
「裾を持ちなさい」
と言える教師でありたいと思っていました。
「姿勢をよくしなさい」
「よく読みなさい」
と言うのではなくて、自然にそうなっていくようにするのです。
姿勢をよくしなければならないのなら、自然にそうなるような一言をかけたい。
「きちんと畳みなさい」
は、棘のあるような、人を責めるような言い方ですし、では、どうすればいいのと言いた
くなります。
でも
「裾を持ちなさい」
と言われたら、誰だって裾ぐらい持てますし、そして確実にきれいにきちんと畳めます。
小言でなく、具体的で必ず成功できることを適切に指示できてこそ、教師ではないかな
と思いつつ暮らしてきました。
「宮本常一 伝書鳩のように」の紹介 7回目 最終です。
歩く民俗学者と呼ばれた宮本常一さんについて詳しく書かれています。
出版社の案内には、
「日本各地を歩き、漂泊民や被差別民、歴史の表舞台に姿を現さなかった無名の人々の営
みや知恵に光を当てた『野の学者』宮本常一。膨大な著作のエッセンスを一冊に集成。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「『もし宮本君の足跡を日本の白地図に赤インクで記したら、全体が真っ赤になるほど
であろう』 渋沢敬三」
・「『おい、月給というのは怖いぜ。ありゃ○○とっても入る金じゃからな。人を堕落さ
せるぜ。」」
・「人間は伝承の森である」
・「進歩の陰に退歩しつつあることを見定めてゆくことこそ我々に課せられている最も重
要な課題ではないか」
もう一つ、再掲載となりますが、大村はまさんの
「灯し続けることば」⑥を載せます。
著名な教育家、大村はまさんの名前を知っている教員も少なくなってきました。
教員としてのあり方を具体的に教えてくれます。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
☆子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「宮本常一伝書鳩のように」石川直樹 平凡社 2019年 ⑦(最終)
◇宮本常一 1907-1981
□明治40.8.1 山口県周防大島生 宮本善十郎とまちの長男
□昭和10.12 玉田アサ子と結婚
□旅する人
「歩き始めたのは昭和8年、歩くことを仕事にするようになったのは昭和14年から」
生涯で4000日を旅に費やした。
16万㎞(地球4周分)三千を超える村を渡り歩いた
渋沢敬三
「もし宮本君の足跡を日本の白地図に赤インクで記したら、全体が真っ赤になるほどで
あろう」
□宮本常一
「まったくの貧乏旅行」
多くは先々の民家に宿を借りた 1000軒
昭和14年秋 一か月余りの中国地方の旅費 50円(?)
□生活
郵便局員 → 教員 → アチックミュージアム
30~40代 渋沢敬三宅 口をしのぐ
1967年 57歳で武蔵野美術大学教授になるまで定収入なし
※ 教授時代も月給の多くは若い人を育てるのに費やし、原稿料・講演料を生活費に充
てた
□教授時代
「おい、月給というのは怖いぜ。ありゃ○○とっても入る金じゃからな。人を堕落させる
ぜ。」
□「人間は伝承の森である」
常に生き生きとした現場の生活論を膨大な文章と10万点もの写真を残した。
民俗学的調査の枠を超えて、そこに住む人間の営みを記録するとともに、その知恵を
未来にどう生かしていくかという問題意識を常に持っていた。
□在野の人
民具、離島、村、農業、技術、漁業、林業、口承文芸、文化論
|
多彩なフィールドを駆け巡った在野の人
「人間は伝承の森である」
□ブックガイド
『忘れられた日本人』岩波文庫 1984年(原本は1960年)
『民俗学の旅』講談社学術文庫 1993年(原本は1978年)
「進歩の陰に退歩しつつあることを見定めてゆくことこそ我々に課せられている最も
重要な課題ではないか」と問題提起
『宮本常一が撮った昭和の情景』上下巻 毎日新聞社 2009年
昭和30~55年 35mmフィルム1600本から厳選メモ写真800点
『旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三』佐野眞一 文春文庫 2009年
(原本は1996年)
第28回大宅壮一ノンフィクション賞
◇STANDARD BOOKS
平凡社 新しい随筆シリーズ
科学と文学双方を横断する知性をもつ科学者・作家の珠玉の作品
|
「知のスタンダード」
◇石川直樹
1977年東京生
「村人の愛情と老人の謙虚な姿に学んだ彼は、市井の人々への敬意を常に忘れず、出会っ
た人々以上に謙虚な姿勢を貫き通した。それでいて列島を歩き続け、その慧眼によって、 目立たない人々の奥の奥にある核心をやわらかに記録した。彼が残した言葉も写真も、
わたしたちが未来を生きていく上での各子たる指針として、その輝きが失われることは
ないだろう。」
☆『灯し続けることば』大村はま 小学館 2004年 ⑥ 【再掲載 2012.6】
◇「裾を持ちなさい」
子どものころ、私たちは夏には浴衣を着て寝ました。
朝、その浴衣をそのままにしておいてはいけません。畳んで置いておくのですが、私は
いくらやってもきちんと畳めませんでした。
「もう少しきちんとしなさい」
と言われないように、四苦八苦していたんです。
でも、どうやってもうまくいかなかったときに、通りがかった母が、一言
「裾を持ちなさい」
と声をかけてくれました。
浴衣には両脇にわき縫いというのがあります。そこの裾を持ってから肩のほうを持つと、
ぴ-んと長方形になります。裾を持たずに上だけ持っても、だらしなく斜めになるだけで
す。
母のこの一言で、たちまち私は、浴衣をきれいにきちんと畳めるようになりました。
教師になって、私は子どもたちに 「ああしなさい、こうしなさい」という立場になり
ました。
そのとき、私は
「きちんと畳みなさい」
と言うのではなく、
「裾を持ちなさい」
と言える教師でありたいと思っていました。
「姿勢をよくしなさい」
「よく読みなさい」
と言うのではなくて、自然にそうなっていくようにするのです。
姿勢をよくしなければならないのなら、自然にそうなるような一言をかけたい。
「きちんと畳みなさい」
は、棘のあるような、人を責めるような言い方ですし、では、どうすればいいのと言いた
くなります。
でも
「裾を持ちなさい」
と言われたら、誰だって裾ぐらい持てますし、そして確実にきれいにきちんと畳めます。
小言でなく、具体的で必ず成功できることを適切に指示できてこそ、教師ではないかな
と思いつつ暮らしてきました。
「裾を持ちなさい」。要は「具体的に」なんですね(>_<) 常に気をつけたいです(^_^;)
by yokomi (2020-10-16 21:43)
yokomiさん ありがとうございます。
そうですね。より具体的に、子供たちにわかるように伝える技術を教員は学びなさいと、大村はまさんは教えてくれているのですね。
by ハマコウ (2020-10-16 21:47)