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読書ノート「宿題」③-自学日記 / 『作文集 泣くものか』 養護施設協会編 亜紀書房 1977年(昭和53年度毎日出版文化賞受賞)④【再掲載 2012.3】 [読書記録 教育]

今回は、11月28日に続いて、わたしの教育ノートから、
キーワード「宿題」 3回目の紹介です。

三十数年前からの教育ノート。
古い記録が多いのですが。



今回は「自学」の宿題についての紹介。
「自学」と言う言葉を知っているかどうかで年代がわかるようです。
ちなみに地域のわたしの同級生はほとんど知りません。
「自学」は「自主学習」と呼べばよいのでしょうか。
「自主学習」なら出さなくてもいいのにとこそっとわたしは思ってしまうのですが…






今回紹介分から強い印象に残った言葉は…

・「なるほど日記(なるほどベスト5)」
-自学としてではなく宿題として課していました。
 「今日のなるほどベスト3」と題を出すと、授業の振り返りもできました。
 「今日のびっくりベスト3」「今日のトホホ」なども…。


・「日記文化の崩壊
 短時間で情報を受け取る生活,情報に浸る生活は,筆記しながら自己を反省するよう
な場を追い出してしまった。」
-文章を書くことについて鍛えられていないとも感じます。
 「一律に」を極端に批判されるからかもしれません。 


・「Aメニュー  思考を促すテーマ
  Bメニュー 知的ドリルテーマ」

 



もう一つ、再掲載となりますが、養護施設協会が編集した、
「作文集 泣くものか」④を載せます。
何度読んでも、そのたびに涙が出てしまいます。
わたしが通った小学校、中学校の近くに、養護施設がありました。
学年に何人か施設の子もいたのですが、このような過去をもっていたとは、思ってもいま
せんでした。
学級にはいろいろな生活を背負っている子がいる、十分な配慮が必要だと改めて感じます。

出版社のコメントは次の通りです。
「泣きました、感動しました、何とかしなけりゃと思いました。この本が出たのが昭和50
 年。それから子どもを取り巻く状況が果たしてどれだけ変わっているのでしょう?実は、
 何にも変わってないのではないでしょうか。子どもたちが『泣かなくても』いいような
 そんな時代になればこの本もその役目は終えるはずです。それまでは亜紀書房はこの本
 を出しつづけます。」

喜ぶべきか、残念に思うべきか、現在でも本書を購入することができます。
40年以上出し続けている亜紀書房に感服します。
大勢の子どもが読んでくれれば…
「子どもたちが『泣かなくても』いいような時代」に近づくように努力していきましょう。








<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





◇子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」




ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
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☆読書ノート「宿題」③-自学日記

◇自学日記

 ① なるほど日記(なるほどベスト5)


 ② なるほど&なぜ日記(なるほどとなぜベスト5)


③ 今日の学び(今日の学びベスト5)

 日記風でも

 箇条書きでも


④ テーマ日記


⑤ 学校生活日記 - 授業日記


⑥ 発見日記

書き出し「今日○○の時発見したことがあったので書く。」

最後  「発見」か「なるほど」を入れる。





◇自学(岩下修)
 
□日記文化の崩壊
   
 短時間で情報を受け取る生活,情報に浸る生活は,筆記しながら自己を反省するような
場を追い出してしまった。  



 大量の情報に浸るだけで知識を組み入れる術を失った。
  
 日記 → 自学  = 書くことによる想像
 


□発表を念頭に置いた編集作業

 1 一冊のノートを用意する。

 2 1ページから2ページ,自学する量をあらかじめ計画させる。

 3 様々な学習テーマを盛り込んだメニューを用意する。
(教師 → 子ども)

 4 テーマを選択,決定し,計画したページの中にレイアウトしながら筆記してく。

5 教師に提出し,教師はひとことコメントを入れて返す。

6 「自学」を発表する場を持ち,仲間の自学と交流したり学んだりする。


 ◎ Aメニュー  思考を促すテーマ

 ◎ Bメニュー 知的ドリルテーマ
 




◇自学日記
  
 ① なるほど日記(なるほどベスト5)
  

 ② なるほど&なぜ日記(なるほどとなぜベスト5)
 

 ③ 今日の学び(今日の学びベスト5)
 
    日記風でも

     箇条書きでも
 

 ④ テーマ日記
 

 ⑤ 学校生活日記 - 授業日記
 

 ⑥ 発見日記
 
    書き出し「今日○○の時発見したことがあったので書く。」

    最後  「発見」か「なるほど」を入れる。






◇自学方式(岩下修)
 
 1 教科書・資料集の読み 指定範囲 自学1


 2 グループでどこを読むか決定 ①

  予めグループごとに教科書を分ける



発表したい(読みたい)ところを立候補で
 

 3 担当箇所の読みの練習

  自学2 グループ発表の練習と意味調べ
 

 4 グループ発表(読み)と問題探し ②

   隅から隅まですべて読ませる



◎ 発表を聞く側は疑問点・問題点を探しノートに書き出していく。
◎ 家庭でもさらに疑問点・問題点を探し,ノートに付け加えていく。

 ◎自学3 
   テーマ 社会の問題探し

   A 自分で調べたい問題

  B 調べたい問題 分類・まとめ
 

 5 話し合いたい問題の発表と検討 ③

  指示 「よい話し合いになる問題を発表しよう」

    自学③の成果


 6 課題の決定 ④

    課題を絞る ← 教師が援助役


7 討論 ⑤

自学4 問題について話し合う


 8 討論のまとめ ⑥















☆『作文集 泣くものか』 養護施設協会編 亜紀書房 1977年(昭和53年度毎日出版文化賞受賞)④【再掲載 2012.3】

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◇  私の父            中1 沢中富美子(仮名)

 私の父は、お酒が大好きでいつも、夜飲んでばかりいて、ときどき、気げんが悪いと物
をやたらに投げ、こわしたり、母や祖母や近所の人たちに迷惑をかけていた。


 その時の父は鬼のようで、私はとっても恐ろしくて、外へにげてしまう。


 でも、いつもは、仕事を一生懸命働き、やさしくて、きりっとした父です。

 
 私は、そんな父を、尊敬している。


 父の仕事は、私の家は農家なので、田植えをしたり、稲をかったりする事で、冬になる
と、山へ行って、母と草かりをすることです。


 だから、父は一年中休む暇がなく、私たちのために働いてくれていた。


 だから、父の手はごわごわしていて、体がたくましいのです。


 私は、そんな健康な父が死んでしまうなんて、思ってもみなかった。




 それは、ちょうど私の11才の誕生日の時だった。


 父はいつものように、かっ手で、酒を気持よさそうに、一人言をいって飲んでいた。


 私は、父に、おめでとうを言ってもらいたくて父の所へ行って、

「おとうちゃ、今日は私の誕生日だで、おめでとう言ってや」

と言ったら、父は、

「ああ。そうか、富美子誕生日おめでとう」

と、ニコニコ笑いながら言ってくれた。私は、

「プレゼソト、何かちょうだいやあ」

と父にねだった。そしたら父は、

「う-ん、そうだなあ。富美子は、山芋が大好きだから、明日ほってきてやるよ」

と言った。


 私は、洒によってたから、くれるかわからないが、とってもうれしかった。


 それで、父は次の日の15日、朝から昼までと昼から、3時ごろまで山で母と草かりを
していたが、3時ごろになると、家に帰ってきて、自転車のしゅう理をやっていた。


 でも、知らない間に、自転車へ乗ってどっかへ行ってしまった。


 自転車は、停留所の所に置いてあった。


 それから16日17日と父は、家に帰ってこなかった。


 私の家では、母と祖母がひどく心配し、さがしていた。


 それで18日の日、私は、いつものように学校へ行った。


 ちょうど今日は、野菜サラダの調理実習だった。


 とても楽しかったが、父が行え不明だったので、あまり、喜ぶことなんて、できなかっ
た。


 私は、とても心配だったので、担任の黒田先生に、

「私の父が、15日からずうっと行え不明になっちゃってるんです」

と言ったら、

「そう、それは心配だね」

と言った。


 やがて帰る時になって、黒田先生が、私の所へきて

「富美子さん、ちょっと、下た箱の所まできて下さい」

と言ったので私は、かばんをもって、行った。そしたら、理科の外岡先生が来て、

「車へ乗りなさい」

と言った。


 それで私が乗ったら、弟も一緒に乗っていた。


 それで車が私の家へ向かっていたので、どうしたんだろうなあと思いながら家の近くに
来た。


 それで、そこから、近所のおばさんが、乗り、

「富美子ちゃん。気をおとすんじゃあないよ、お前の父さんが死んだんだよ」

と悲しそうにいった。


 私は、一しゅん、信じられなかった。


 何も言わず、車からおり、急いで、家にかけていった。


 弟も、信じられないような顔をしていた。


 家の中には、父が、ふとんに横たわっていた。


 私はやっぱりほんとだったんだと思い、胸の中がごちゃごちゃになり、はりさけそうだ
った。

それで、裏の茶畑へ行き、大声で泣いた。

 泣いて泣いて胸がはりさけそうだった。


 あとで母に、父がなぜ死んだのか理由を聞いてみたら

「おおやぶの山で、山芋を掘っている時に、脳溢血になって山から落ち死んだんだよ。そ
 れで、その山に山芋がもう少しでほれてしまうという所まで掘ってあって、横には道具
 が、きちんと並べてあった」

と言いながらも涙をかみしめていた。


 私は、この事を聞いて、もしかしたら私が、山芋ちょうだいって言ったから、山へ行っ
て山から落ちて脳溢血になったのではないのか、もしそうだったら、私は、どうやって父
にあやまればいいのだろう。


 私は、今も父にすまないと思っている。


「でも、脳溢血というのは、病気だから、山へ行っていなくても死んでたかもしれないよ」


と、私の親友に聞いたらこう言った。


 だから、私もこの言葉を聞いて、ほっとした。


 でも私は、父の死をむだにせず、父の分も、一生懸命、勉強や、運動に寮生活にがんば
りたい。


 父は、きっとそんな私の姿を見れば、喜こんでくれるだろう。


 それで、いつかりっぱになった私の姿を見せてやりたい。


※ 父死亡のため養育困難となり、75年3月入寮。優しくて地味な性格を反映して学校
 では園芸クラブに所属しこまめに世話をやいている。  (1976年 静岡県 S寮)



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