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キーワード「新津」21-「ふるさと新津」新津婦人学級 昭和57年3月5日発行(6) / 『新版 静岡県伝説昔話集』(上巻)静岡県女子師範学校郷土研究会編 1994年 ⑫【再掲載 2018.4】 [読書記録 民俗]

今回は、11月30日に続いて、わたしの教育ノートから、
キーワード「新津」21回目の紹介です。

新津婦人学級による「ふるさと新津」6回目の紹介です。



今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「初エビス   たきたてのごはんつぶで札をはる」
- ご飯粒で札を貼ったことは覚えていますが、懐かしいなあ。


・「8日神送り 
  早朝男の子が笹竹と鉦
家々の軒先をはらい村外れまで行き厄神送り出す 12月8日」
- 浜松市南部の五島地区の「おんべ」、今でも続いているでしょうか。


・「9月 十五夜 『お月見』『芋名月』
 10月 十三夜 『豆名月』『栗名月』」
- 芋と豆ですね。


・「地の神様 新藁と青竹で祠をつくる そこに砂を盛って赤飯を12個
以前は『こんこんさま』キツネの鳴き真似をしながら各家のおむすびを下げて回った」
- 遊び仲間で、近所の赤飯むすびをもらいに回ったものでした。自分の家のものを食べ
 られなくなったことを覚えています。わたしたちが最後の世代でしょうか。「地の神様」
 は浜松ならではの風習と言われています。家の敷地の北西にほこらでお祀りしています。
 死んでから50年たつと地の神様となって家を護るとも聞きました。父が存命中は毎年
 新藁でほこらをつくっていましたが、今はホームセンターで買った物をおまつりしてい
 ます。11月15日と記されていますが、12月15日ではないかと思われます。そう、明日で
 す。お赤飯、うれしいです。狸は見られるようになったということですが、狐はまだか
 えってきていません。


先週に引き続き、土・日曜日に生け垣の剪定。
北西角は何年かサボっていたので、枝がひどく伸びていました。
それを電動ノコギリで処理しました。高い脚立上での作業を3時間ずつ。
右腕がパンパンになってしまいましたが、気持ちよく新年を迎えられそうです。
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もう一つ、再掲載となりますが、
「新版 静岡県伝説昔話集」(上巻)⑫を載せます。
火の玉は子どもの頃見た覚えもあり、話をよく聞きましたが、
このごろは聞かなくなりました。
神ヶ谷は「うなぎパイファクトリー」の近くです。





<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト




☆子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」




ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。







☆キーワード「新津」21-「ふるさと新津」新津婦人学級 昭和57年3月5日発行(6)


◇新津の年中行事

1.正月行事 

 門松・注連縄,餅つき,年越し,元旦,お供え割り,小正月




2.エビス講 

 1月20日(初エビス)
    夕方下におろして東向きにおまつりする

たきたてのごはんつぶで札をはる


 11月20日 同上




3.節分

 餅つき,ナタ餅・ヤタ餅,ヤイカガシ,豆まき(神棚に供えてから)




4.八日餅  

 8日神送り 

 早朝男の子が笹竹と鉦
家々の軒先をはらい村外れまで行き厄神送り出す 12月8日



5.雛祭り

 よもぎ餅




6.彼岸   

 鴨江観音 - 先祖供養

 3・8・9月は祝い事を控えた




7.端午の節句

 戦後生活改善運動 - 鯉のぼりは一組だけと申し合わせ

 菖蒲と蓬を束ねて軒先に飾り菖蒲湯

 柏餅 ヨシまき




8.虫除け  

 6月1日朝 門口の両側にイチジクの葉

 その上で束にした線香を焼く




9.七夕

 月遅れ8月7日

 七夕飾りの前に胡瓜・茄子・南瓜




10.丑浜
 
 土用の丑の日「丑浜」

 男子は海水を浴びて浜ごり

 帰りに潮の華(浜砂)手ぬぐいに包む

 昭和18・19年頃までは屋台も並ぶほど盛んだった




11.お盆

[施餓鬼]
   内施餓鬼と寺施餓鬼 
      死者が男なら四角の白布袋に名前と米一升 仏さまに供える

死者が女なら三角の白布袋に名前と米一升 仏さまに供える


[お盆]
  8月13日~16日

13日 夕方「迎え火」松を焚く 
     夜中に墓前でも焚く

  14日 お寺参り
     この日「盆切り」

  15日 初盆の家 昼頃「送り火」
仏前の灯明から松明に火をうつす
送り火の後,会食

  16日 供え物 サトイモの葉に包み精霊送り
夕方仏供養~送り火


[倉松大念仏]
戦前まで倉松町では鉦・太鼓で賑やかだった
寿福寺は三方原合戦ゆかりの寺




12.お月見

  9月 十五夜 
  「お月見」「芋名月」
縁側にヘソ団子(12個)農作物(サトイモ,サツマイモなど)ススキと共に満
   月に供える

    団子の替わりにサトイモの皮をむいたものも…

  10月 十三夜 
   「豆名月」「栗名月」
毛イモ 枝豆 ススキ




13.亥の子餅 

 10月亥の日

 「亥の子ボタ餅」大きなぼた餅を作り仕事を休む

 休養をとる必要からか?




14.神さまのお発ち

  11月1日早朝 餅をつき重箱に入れ神棚に祀る
  = 神さまのお弁当
のし袋にお金,御神酒と共に

  新津地区は11月





15.地の神さま 

 11月15日「イヌイヅマ(乾隅)」
新藁と青竹で祠をつくる

そこに砂を盛って赤飯を12個

 ※以前は「こんこんさま」キツネの鳴き真似をしながら各家のおむすびを下げて回った
 
  → 昭和30年頃「生活改善運動」で風習廃止
(しかし,倉松町では昭和45年頃まで残っていた-ハマコウ註)




16.庚申講

 道教の思想 青面金剛本尊

 [倉松]新縄でなった縄を輪の形にする 
 前浜で浄めた板を渡して鴨居から下げその上にお供え物
「ナム ホンテン タイシャワ ショーメー コンゴードージ」三回唱える
その後,会食
ごはん,みそ汁,煮ず和え(大根,人参,蓮根,椎茸,油揚げ,蒟蒻,昆布),
     飛竜頭または油揚げの煮しめ,おつば
2か月に一度 信仰と娯楽
倉松では昭和38年頃まで続いていた





17.お日待ち

 夕方集まって会食をし,伊勢皇太神宮や秋葉大権現をおまつりしてから夜通し雑談,太
陽が昇ってから氏神様にお参りしたり太陽を拝んでから解散する。

 まち = まちごと「神のおそばにいる」

 神と共に夜を明かす

 寄り合いと同















☆『新版 静岡県伝説昔話集』(上巻)静岡県女子師範学校郷土研究会編 1994年 ⑫【再掲載 2018.4】

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5 祟りと怨霊、妖怪塚と墓



(1)八十松火 (浜名郡神久呂村神ケ谷・現浜松市)
 神久呂村神ケ谷には、昔から八十松という怪火が出現して人を驚かしている。しかも今
もって時には現れるといわれている。


 神ケ谷神田原の水神様のお池から源を発して、神ケ谷の東の谷を南流し、入野村早土の
総氏神様と片葉の葦で有名な一本松の間に出て、それから堀留に通じる運河と佐鳴湖に通
じる川と合流して浜名湖に注いでいる清流がある。


 これを同地ではただ「川」と呼んでいる。


 神ケ谷本村の南方の田の中に「お休み場」という所があり、その東方は高台地で墓地と
なっている。


 この間をその清流が流れているので、墓地に通じる橋を中橋と呼んでいる。


 土地の人の恐れているその八十松火は、この川の下の方から現れて、以前はこの中橋ま
でであったが、現今ではずっと上の方まで上って来るという。


 数十年前、当地の島村某という者が、若い元気にまかせてその正体を見届けようと、あ
る夕方、お休み場まで出掛けた。


 当時そこには4人抱え位の大松が一本あったので、その大木の根に身をひそめて怪火の
出現を待っていたが、なかなか出ないので帰ろうとして、ふと下手の方を見ると、彼方か
ら小さな白い火が動いて来るのが見えた。


 某は、にわかに元気が出て、

「おのれ、正体を見届けて村人を驚かさん」

と息を殺して待っていた。


 怪火は川岸を次第に上に来た。


 そして中橋付近に来ると、不意に方向を転じてお休み場の方に真一文字にとんで来て、
某との距離約2、3間(約3.6~5.4m)まで来ると、また突然に逆戻りをして下
手の方へ走った。


 元気者の島村某も、その火が近づいた瞬間には流石に驚き恐れて、堅く目を閉じて急に
総身がぞっと冷たくなった。


 やがて目を開いた時には付近には火影も見えず、はるか下手の方に走り去った時であっ
たから、やっと生き返った思いで急ぎ逃げ帰ったという。


 現今の古老の間にも、その八十松火を見たものが多いという。


 この八十松火について次のような物語が残っている。




 昔、八十松という小僧が、主人の金を持って某地に使いし、この川の近くで失くしてし
まったので、小僧は大いに驚き思案にくれた結果、ついに主人にその訳を正直に物語り平
身低頭してその罪を謝った。


 それを聞いて主人は大いに怒り叱責したので、小僧は無念やる方なくてついに自殺した。


 その怨霊が、夜な夜なこの川の付近に現れて、先に失くした金子を求めるのである。
                                 (本田みち)


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