「日本文化の源流を求めて」立命館大学文学部 文理閣 2010年 ①(前半) /「地域住民から福祉・教育関係者等への無理難題要求をどう読み解き対応するか」~イチャモン研究の到達点~ 大阪大学教授 小野田正利 2008年 ④【再掲載 2015.10】 [読書記録 歴史]
今回は、立命館大学文学部から出ている
「日本文化の源流を求めて」1回目 前半を紹介します。
出版社の案内には、
「縄文のいにしえより、東アジア世界とかかわりつつ、独自の発展をとげた日本文化。古
代信仰・神道・仏教・いけばな・茶・能・狂言・文楽・和歌・食…その源流を探す旅に
でませんか。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「能は縄文の文化が凝縮したものであり、仏教そのもの」
「観阿弥 - 世阿弥 - 音阿弥 → 3人総称 『観世音』」
・「日本人は無宗教ではない - 生活の中に宗教が入っている」
・「日本列島は鎮守の森 『森の州』 『野の州』 『山の州』 『海の州』」
- 川勝平太さんは、現静岡県知事?
以前、早稲田大学教授、静岡文化芸術大学の学長等をされていました。
・「八百万 ~ 800万体あるのではなく状況次第で名前が変わる」
もう一つ、再掲載となりますが、小野田正利さんの
「地域住民から福祉・教育関係者等への無理難題要求をどう読み解き対応するか
~イチャモン研究の到達点~」④ を載せます。
大変勉強になります。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「日本文化の源流を求めて」立命館大学文学部 文理閣 2010年 ①(前半)
◇能と仏教 梅原猛
□縄文の音
① 能は縄文の文化が凝縮したもの
能楽の始祖は秦河勝 - 蘇我氏により流罪に
救済の劇
② 能は仏教そのもの
南北朝時代-戦いの時代 → 仏教が広がる
「草木国土悉皆成仏」~縄文の思想
仏教を普及するために能を作った
観阿弥 - 世阿弥 - 音阿弥 → 3人総称 観世音
□観阿弥の「自然居士」
歌と舞で表現
一定のストーリー
□鎮められる霊
世阿弥のピーク「井筒」と「八島」
□悲しみへのまなざし
世阿弥
3代義満(寵愛)-4代義持(冷や飯)-6代義教(迫害)
見捨てられたヒトを主人公に
「ぬえ」「弾丸」 世捨て人
前場と後場
□「陰の能」と「陽の能」
◇日本文化の成り立ちとその特徴 川勝平太
□日本 - 多神教
「八百万の神」
「一寸の虫にも五分の魂」
アニミズム(精霊信仰)
「山川草木悉皆成仏」
□日本人は無宗教ではない
生活の中に宗教が入っている
□日本人の宗教とは
仏教 「正法」「像法」「末法」
「南無阿弥陀仏」 - 無寺院主義、無仏像主義
□内村鑑三とキリスト教
内村鑑三 - 矢内原忠雄、大塚久雄
無教会主義
□日本人の自然観
□日本列島は鎮守の森
北海道・東北 「森の州」
関東 「野の州」
中部・東海 「山の州」
近畿以西 「海の州」
↓
※ ポスト東京時代
鎮守の森の都
◇立命への道 玄有宗久
□いのちとは?
□宿命と運命
運 = 動く
宿 = 止まる
□いのちの混沌
老子
「天地に仁なし」 = 偶然
八百万
~ 800万体あるのではなく状況次第で名前が変わる
六道
地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間(じんかん)、天
□キリスト教の人間観
なぜアメリカやイギリスの真似を?
防犯カメラ?
予防の考え?
いいのか?
□誓いを立てる
「命というものは分からないものだ」
◇神道と日本の伝統行事 田中安比呂(賀茂別雷(いかづち)神社)
□はじめに 上賀茂神社(正式名:賀茂別雷(いかづち)神社)
□日本の伝統文化
= 継承の文化、繰り返して行う文化
松尾芭蕉「不易流行」
□葵祭の始まり
下鴨神社 … 賀茂の親の神社
□賀茂の神事
□日本の神社神道
◇金閣・銀閣の思想 有馬臨済宗相国寺派管長
足利幕府成立
天竜寺と相国寺
☆「地域住民から福祉・教育関係者等への無理難題要求をどう読み解き対応するか」~イチャモン研究の到達点~ 大阪大学教授 小野田正利 2008年 ④【再掲載 2015.10】
(3)「情報の共有」と「推し量る」こと
私のとごろには5年ほど前から、学校と保護者の関係づくりの難しさに関して、何とか
打開の道はないものであろうかと、講演や研修会の依頼が殺到しています。
1年間の依頼は600件(これがもはや異常)に達しますが、大学の公務や講義はもちろ
ん、先約があって実際にできるのは100件強ぐらいです。
1年以上先の予定が打診されることも珍しくありません。
当初は学校関係者が中心でしたが、PTAや地域の諸団体から依頼が増えてきたのは3年
前からです。
これは私自身が狙っていた当初からの思いでした。
学校関係者だけが、仲間内で議論しても、いやな言い方ですが「傷のなめあい」にしか
ならない場合があるからです。
最も大事なことは、教職員と保護者のお互いいが「いまどういう状況にあるのかを分か
り合う」という情報の共有があって、学校のできること、「子どもの成長=自立と自信の
獲得であること」を認識する以外にないということです。
いきり立つ状況は、いま社会のいたるところで起きています。
教師と親、医療関係者と患者、福祉施設職員と利用者など。
お互いが弱者である場合が多いのに、分かり合えず「他を一方的に指弾する」状況を、
まずはクールダウンする必要性があります。
しかしそれをした上でも、なおもサービス提供者側が反省し、「対応力を高める」必要
性もまたあるのです。
私は教育学者ですから学校という場を中心にしていますが、閉鎖性や不必要な権威主義
を色濃くもっていることが問題ではないか、というトラブルのケースに遭遇することも多
くあります。
学校側のどういう言い方に保護者はむかつくのか、いかなる態度に腹を立てるのかが分
かれば、不必要な摩擦や対立へと向かわなかったのではないか。
このために3年前から積極的に進めてきたのが「ロールプレイング」というワークショ
ップです。
事例によって変化させますが5人前後を1グループとして、「保護者役」「教師役」「記
録役」などに分けながら、8分間ほどそれそれら役割(ロ-ル)を演じてもらい、その後
に「記録係」を司会者として反省会をもちます。
すると必ず、わずかの時間でも保護者役がエスカレートしたり、学校側が立ち往生した
りします。
互いの立場を変えてみることによって、はじめて見えるものがあるのです。
保護者はなぜそのことを“要求”するのか、思いのウラ(本音)にあるものは何か、そ
れでも学校として譲歩できない部分はなにか、、を考えてみようということです。
「教師は理屈で説明し、保護者は思いで要求する」というズレを「子どもを中心に置く」
ということで冷静さを取り戻すという取り組みです。
「日本文化の源流を求めて」1回目 前半を紹介します。
出版社の案内には、
「縄文のいにしえより、東アジア世界とかかわりつつ、独自の発展をとげた日本文化。古
代信仰・神道・仏教・いけばな・茶・能・狂言・文楽・和歌・食…その源流を探す旅に
でませんか。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「能は縄文の文化が凝縮したものであり、仏教そのもの」
「観阿弥 - 世阿弥 - 音阿弥 → 3人総称 『観世音』」
・「日本人は無宗教ではない - 生活の中に宗教が入っている」
・「日本列島は鎮守の森 『森の州』 『野の州』 『山の州』 『海の州』」
- 川勝平太さんは、現静岡県知事?
以前、早稲田大学教授、静岡文化芸術大学の学長等をされていました。
・「八百万 ~ 800万体あるのではなく状況次第で名前が変わる」
もう一つ、再掲載となりますが、小野田正利さんの
「地域住民から福祉・教育関係者等への無理難題要求をどう読み解き対応するか
~イチャモン研究の到達点~」④ を載せます。
大変勉強になります。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「日本文化の源流を求めて」立命館大学文学部 文理閣 2010年 ①(前半)
◇能と仏教 梅原猛
□縄文の音
① 能は縄文の文化が凝縮したもの
能楽の始祖は秦河勝 - 蘇我氏により流罪に
救済の劇
② 能は仏教そのもの
南北朝時代-戦いの時代 → 仏教が広がる
「草木国土悉皆成仏」~縄文の思想
仏教を普及するために能を作った
観阿弥 - 世阿弥 - 音阿弥 → 3人総称 観世音
□観阿弥の「自然居士」
歌と舞で表現
一定のストーリー
□鎮められる霊
世阿弥のピーク「井筒」と「八島」
□悲しみへのまなざし
世阿弥
3代義満(寵愛)-4代義持(冷や飯)-6代義教(迫害)
見捨てられたヒトを主人公に
「ぬえ」「弾丸」 世捨て人
前場と後場
□「陰の能」と「陽の能」
◇日本文化の成り立ちとその特徴 川勝平太
□日本 - 多神教
「八百万の神」
「一寸の虫にも五分の魂」
アニミズム(精霊信仰)
「山川草木悉皆成仏」
□日本人は無宗教ではない
生活の中に宗教が入っている
□日本人の宗教とは
仏教 「正法」「像法」「末法」
「南無阿弥陀仏」 - 無寺院主義、無仏像主義
□内村鑑三とキリスト教
内村鑑三 - 矢内原忠雄、大塚久雄
無教会主義
□日本人の自然観
□日本列島は鎮守の森
北海道・東北 「森の州」
関東 「野の州」
中部・東海 「山の州」
近畿以西 「海の州」
↓
※ ポスト東京時代
鎮守の森の都
◇立命への道 玄有宗久
□いのちとは?
□宿命と運命
運 = 動く
宿 = 止まる
□いのちの混沌
老子
「天地に仁なし」 = 偶然
八百万
~ 800万体あるのではなく状況次第で名前が変わる
六道
地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間(じんかん)、天
□キリスト教の人間観
なぜアメリカやイギリスの真似を?
防犯カメラ?
予防の考え?
いいのか?
□誓いを立てる
「命というものは分からないものだ」
◇神道と日本の伝統行事 田中安比呂(賀茂別雷(いかづち)神社)
□はじめに 上賀茂神社(正式名:賀茂別雷(いかづち)神社)
□日本の伝統文化
= 継承の文化、繰り返して行う文化
松尾芭蕉「不易流行」
□葵祭の始まり
下鴨神社 … 賀茂の親の神社
□賀茂の神事
□日本の神社神道
◇金閣・銀閣の思想 有馬臨済宗相国寺派管長
足利幕府成立
天竜寺と相国寺
☆「地域住民から福祉・教育関係者等への無理難題要求をどう読み解き対応するか」~イチャモン研究の到達点~ 大阪大学教授 小野田正利 2008年 ④【再掲載 2015.10】
(3)「情報の共有」と「推し量る」こと
私のとごろには5年ほど前から、学校と保護者の関係づくりの難しさに関して、何とか
打開の道はないものであろうかと、講演や研修会の依頼が殺到しています。
1年間の依頼は600件(これがもはや異常)に達しますが、大学の公務や講義はもちろ
ん、先約があって実際にできるのは100件強ぐらいです。
1年以上先の予定が打診されることも珍しくありません。
当初は学校関係者が中心でしたが、PTAや地域の諸団体から依頼が増えてきたのは3年
前からです。
これは私自身が狙っていた当初からの思いでした。
学校関係者だけが、仲間内で議論しても、いやな言い方ですが「傷のなめあい」にしか
ならない場合があるからです。
最も大事なことは、教職員と保護者のお互いいが「いまどういう状況にあるのかを分か
り合う」という情報の共有があって、学校のできること、「子どもの成長=自立と自信の
獲得であること」を認識する以外にないということです。
いきり立つ状況は、いま社会のいたるところで起きています。
教師と親、医療関係者と患者、福祉施設職員と利用者など。
お互いが弱者である場合が多いのに、分かり合えず「他を一方的に指弾する」状況を、
まずはクールダウンする必要性があります。
しかしそれをした上でも、なおもサービス提供者側が反省し、「対応力を高める」必要
性もまたあるのです。
私は教育学者ですから学校という場を中心にしていますが、閉鎖性や不必要な権威主義
を色濃くもっていることが問題ではないか、というトラブルのケースに遭遇することも多
くあります。
学校側のどういう言い方に保護者はむかつくのか、いかなる態度に腹を立てるのかが分
かれば、不必要な摩擦や対立へと向かわなかったのではないか。
このために3年前から積極的に進めてきたのが「ロールプレイング」というワークショ
ップです。
事例によって変化させますが5人前後を1グループとして、「保護者役」「教師役」「記
録役」などに分けながら、8分間ほどそれそれら役割(ロ-ル)を演じてもらい、その後
に「記録係」を司会者として反省会をもちます。
すると必ず、わずかの時間でも保護者役がエスカレートしたり、学校側が立ち往生した
りします。
互いの立場を変えてみることによって、はじめて見えるものがあるのです。
保護者はなぜそのことを“要求”するのか、思いのウラ(本音)にあるものは何か、そ
れでも学校として譲歩できない部分はなにか、、を考えてみようということです。
「教師は理屈で説明し、保護者は思いで要求する」というズレを「子どもを中心に置く」
ということで冷静さを取り戻すという取り組みです。
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