団士郎「木陰の物語」(月刊『少年育成』誌連載-号数不明)① /「日本人はなぜ大災害を受けとめることができるのか」大石久和 海竜社 2011年 ②【再掲載 2016.4】 [読書記録 教育]
今回は、『月刊少年育成』誌の連載記事、団士郎さんの
「木陰の物語」1回目の紹介です。
コマ漫画と共に添えられた文章ですが、文章のみでの紹介となります。
漫画と共に文章が綴ってある、おもしろいスタイルの連載。
家族のことで心に響く作品ばかり。
毎回楽しみにしていましたが、
掲載誌が休刊(事実上の廃刊?)になり残念に思っていました。
『月刊少年育成』誌、大好きな雑誌だったのになあ。
要約を記事にするにあたり検索すると、何と3月に新刊が出ていたではありませんか。
「わが子が小学校に上がる前に読みたい『木陰の物語』」団士郎 ホンブロック社
ぜひ、漫画の絵と共にお読みください。
新刊の出版社の案内には、
「あんなに小さかったうちの子が、いよいよ小学校に上がる。ランドセルを抱え、ワクワ
クが止まらない子どもに対し、親御さんの頭の中は、考えても仕方のない不安でいっぱ
いになります。試されているのは、親の覚悟なのかもしれません。
家族心理臨床家であり、漫画家としても活躍する著者の人気作『家族の練習問題〜木陰
の物語〜』シリーズの中から、学齢期のお子さんを持つ親御さんに特に人気の高い作品
や、この時期に繰り返し読んでいただきたい13話と、既刊本未収録の新作7話を集め
た特別版ができました。新たにコマ割り漫画で読める「木陰の物語」です。
自分は親としてどうあるべきなのか――。心と向き合い、整理するのに最適な一冊です。
ご自身用に、あるいはご贈答用に、ぜひご一読ください。」
とあります。
ホンブロック社からは
「家族の練習問題 〜木陰の物語〜」として何冊か出ています。
わたしも数冊保っていますが、漫画と共に家族のことを考えることができます。
ホンブロック社は「団遊」さんが経営される出版社だと、今、知りました。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「頑張ってきた人が責められている
わかってもらえることの少ない、選べなかった日々を過ごす人が
たくさんあるにちがいない
そういう人達がみんな、今日も黙って働いている」
- これを読むと涙がにじんできます。
独りで、さぞつらいだろうなあと。
自分がその立場だったら、と考えてしまいます。
・「私は常々、やりたいことがあるのに他のことをしている人に、
幸運が舞い降りることはないと思っている。
とくに若者がそんな風にしているのは、
チャンスを潰しているように見える」
・「いつ、何によって運が開けるのかはだれにも分からない。
しかしその扉は、強く願って
叩き続けた者に先に開くぐらいの
公平さは持っていると信じている」
- 意気地なしの自分を振り返ります。
もう一つ、再掲載となりますが、大石久和さんの
「日本人はなぜ大災害を受けとめることができるのか」②を載せます。
大震災から10年。今後が気に掛かります。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆団士郎「木陰の物語」(月刊『少年育成』誌連載-号数不明)①
◇木陰の物語 第29話「飛べない日々」 団士郎
50歳近い独身の長男が病身の両親、ことに父親に辛くあたる
「腕が痣になっていたりして、あれは虐待よ」
ヘルパーで入っている人が、何とかならないものかと訴えているなどと聞こえてくる
私が相談を受けたわけではないが聞こえてしまうので、頭の中で思いめぐらす
それなら決断できなかった親子、どっちもどっちだ。
ひょっとして長男には、障害か病気でもあるのか?
仕事は何をしてるんだろう?
どうやって家計は成り立っているのか?
疑問がふくらみすぎたので、
「ちょっといい?」
と話しかけた
70代半ばの両親と48歳の長男。
3人兄弟だったが男は就職をして、結婚して家を出ている。
妹も短大卒業後、就職で家を出て結婚。
その後離婚していたが、現在は市内にマンションを借りて一人暮らしをしている
「ご両親はどうされたの?病気って?」
母が脳梗塞で倒れたのは60代の前半。
現在、自分のことぐらいはできる状態だという
父が脳溢血で倒れたのは70歳。
半身マヒが残って車椅子使用
リハビリを言われても、なかなか聞き入れようとしない
長男は高校卒業後、市役所に勤務。
両親が、思うように動けなくなった今、兼業農家の主である
当時から農家の嫁に行ってもよいという女性は少なかった
弟妹は家を出ることと交換にそれぞれ学校を卒業させてもらって独立した
跡取りの長男が、独身のまま残された
市役所に勤めて30年、
不本意もいっぱいあったに違いない
相続するより気軽に出ていける弟妹を羨ましいと思ったこともあった
母親が倒れて十年
頑張ってきた人が、ヘルパーさんに「虐待だ!」と言われている
父親には元気でいてもらいたかったに違いない。
病で倒れた側も大変だが、長男にもやり場のない苦悩だっただろう
その父親が車椅子に頼り、世話してくれる人に頼り切ろうとした
もう一度父親が、自分のことは自分でできるようにと長男は厳しくした
それを弟妹からも虐待だと言われた
そうなのかもしれない。
しかしなあとも思う。
頑張ってきた人が責められている
わかってもらえることの少ない、選べなかった日々を過ごす人が
たくさんあるにちがいない
そういう人達がみんな、今日も黙って働いている
◇木陰の物語 「団遊」第32話 団士郎
大学4年生の夏、長男に
「話を聞いて欲しい」
と言われた
息子が何かを書いているのを
見た記憶がなかった
思わず、
「おまえ、漢字ちゃんと知ってるか?」
と口走った
予想もしない話だったが、当てにならない他人の評価やコネを頼って、今我慢すれば
未来が拓けるなどと信じたがっている人が好きではない
私自負、一年浪人の上、一年留年と大学卒業に六年間もかかった。
おまけに就職も決めないで卒業したのだから、
今考えるとずいぶんいいかげんな奴だった
私は常々、やりたいことがあるのに他のことをしている人に、
幸運が舞い降りることはないと思っている。
とくに若者がそんな風にしているのは、
チャンスを潰しているように見える
だから現役で卒業予定の息子に、
もう一年間、浪人か留年をされたつもりで
授業料分の費用を出してやるといった
当時、次男も私立大学在学中だったから、公務員一人の給料袋で
やりくりする我が家に、けっして軽い負担ではなかった
ただし、それを持って家を出ろ
そしてもしお前に可能性があるなら、その金の続く間にチャンスを
つかめと言った
何かやりたいことがあると言いながら、
ずるずると二十代を過ごしてしまう。
若者が可哀相に思えてならない
そうさせてしまう親の方針のなさにも
苛立ちがある
なにごとにも期限があるのは、人間に寿命があることを
見えば分かることだ
こうして息子は大学卒業と同時に家を離れ、
大阪近郊の都市に小さな部屋を借りて暮らしはじめた
そして編集の夜間教室に籍を置いた。
昼間は市立図書館で書きものをして、
夜にはそれをパソコンに入力しながら校正し、
プリントアウトした作品を履歴書と共に
あちこちに送った
そんな方法でチャンスがつかめるものかどうかは分からなかった
食事は極力切りつめて出費を押え、
腹が減ると週末、親元に栄養補給に戻ってきた
それでも家賃と最低生活費、持ち金はどんどん減っていった
しかしアルバイトはしなかった
才能の有無も分からない若者が、生活のために
多くの時間をアルバイトに費やしていて、
なおチャンスに恵まれるかもしれないなどという考え方を
信用していない
目いっぱい集中しても、
果たして才能があるのかどうかなど分からない
もしだれかにその片鱗を発見してもらえるとしたら、
ひたすらそれに励んでいる姿しかなかろうと思っていた
調理法を色々工夫して今週はキャベツで一週間過ごしたなどと笑っていた
そして一日の大半を書きたいと思ったことを
書いて過ごした
ある時、
「親に大学まで出して貰って、甘いこといってんじゃない!」
と、なかなかうだつの上がらない同業年長者から批判されて落ち込んだ
弱気になって、珍しく泣き言をいってきた
そんなある日、送り続けていた雑誌社の一つから電話がかかってきた。
編集長の気まぐれのようなものだった
いつも原稿を送ってくるおまえさんなぁ、
団遊ってこれ本名か?
はい、父が付けた名前です!
それならこの履歴書の写真はなんや?
この名前ならプリクラくらい貼ってこんかい。
ホンマに持ってきよったか!
なんの予定もなかったから、翌朝直ぐに動けた。
そして、ここから運が開けていくことになった
いつ、何によって運が開けるのかはだれにも分からない。
しかしその扉は、強く願って
叩き続けた者に先に開くぐらいの
公平さは持っていると信じている
☆「日本人はなぜ大災害を受けとめることができるのか」大石久和 海竜社 2011年 ②【再掲載 2016.4】
<出版社の案内>
世界の人々が驚異の目で見つめる日本人の美徳。そして、その欠点とは?『国土』から紐
解く目からうろこの日本人論。
◇日本人はなぜ「装置インフラ」を軽視するのか
- 日本人になじまない「インフラ」と「公」の概念
□都市は城壁があって初めて成り立つ
紀元前数百年頃からシテ島(?)に城壁
□小麦と米の違いが文明の違いを生んだ
古代ヨーロッパ 麦 → 播種量の2~3、5~6倍
シュメール 播種量の約8倍 ~20倍
↑↓
日本の米 奈良時代 7~25倍
◎ 米は麦の2倍
□世界の強固な都市城壁
□豊かな暮らしのために「公共」が発明された
制度インフラと装置インフラ
↓
◎ 城壁に住まうための「公共の発明」が時を経てコミュニティを形成するための「市民」
概念に成長していった
□日本の都市に城壁がない
平城京 → 長安にあった都市城壁をつくらなかった
◎ 都市を攻める人々の存在を前提としなかった
□歴史でほとんど語られない明治維新の引き金
安政 1854~1859 6年間
安政江戸地震 1855年 7444人
安政東海地震 1854年 2000~3000人
安政南海地震 1854年 数千人
大風災 1856年 10万人
↓
◎ 大災害の頻発が国民全体に時代の終わり世界の終わりを感じさせた
□日本人は装置・装備を軽視する
□貧弱な日本の道路ネットワーク
S31 世界銀行 ワトキンス会長
※ 「日本の道路は信じがたいほど悪い」
◎ 貧弱なネットワーク・効率の悪さをカバーするのに長時間労働
◎ 日本の車は実走行燃費は極端に悪い = 経済速度で走れない
→ 道路ネットワークが不十分であり、平面交差ばかりで立体交差が少ない
□合理性のある議論がなかった「道路国会」
福岡ですらミュンヘンの1/3の便利さ
□道路の効用と貢献について議論されない危うさ
日本から「合理性をもって考えること」が消滅しようとしている
→ 政治改革も! 郵政も!
◇「公共事業」の本当の意味は?
□国土への働きかけをとらえる「国土学」
国土学 … 国土への働きかけをどう考えるか
◎ 国土経営がどの程度進んだのか
「木陰の物語」1回目の紹介です。
コマ漫画と共に添えられた文章ですが、文章のみでの紹介となります。
漫画と共に文章が綴ってある、おもしろいスタイルの連載。
家族のことで心に響く作品ばかり。
毎回楽しみにしていましたが、
掲載誌が休刊(事実上の廃刊?)になり残念に思っていました。
『月刊少年育成』誌、大好きな雑誌だったのになあ。
要約を記事にするにあたり検索すると、何と3月に新刊が出ていたではありませんか。
「わが子が小学校に上がる前に読みたい『木陰の物語』」団士郎 ホンブロック社
ぜひ、漫画の絵と共にお読みください。
新刊の出版社の案内には、
「あんなに小さかったうちの子が、いよいよ小学校に上がる。ランドセルを抱え、ワクワ
クが止まらない子どもに対し、親御さんの頭の中は、考えても仕方のない不安でいっぱ
いになります。試されているのは、親の覚悟なのかもしれません。
家族心理臨床家であり、漫画家としても活躍する著者の人気作『家族の練習問題〜木陰
の物語〜』シリーズの中から、学齢期のお子さんを持つ親御さんに特に人気の高い作品
や、この時期に繰り返し読んでいただきたい13話と、既刊本未収録の新作7話を集め
た特別版ができました。新たにコマ割り漫画で読める「木陰の物語」です。
自分は親としてどうあるべきなのか――。心と向き合い、整理するのに最適な一冊です。
ご自身用に、あるいはご贈答用に、ぜひご一読ください。」
とあります。
ホンブロック社からは
「家族の練習問題 〜木陰の物語〜」として何冊か出ています。
わたしも数冊保っていますが、漫画と共に家族のことを考えることができます。
ホンブロック社は「団遊」さんが経営される出版社だと、今、知りました。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「頑張ってきた人が責められている
わかってもらえることの少ない、選べなかった日々を過ごす人が
たくさんあるにちがいない
そういう人達がみんな、今日も黙って働いている」
- これを読むと涙がにじんできます。
独りで、さぞつらいだろうなあと。
自分がその立場だったら、と考えてしまいます。
・「私は常々、やりたいことがあるのに他のことをしている人に、
幸運が舞い降りることはないと思っている。
とくに若者がそんな風にしているのは、
チャンスを潰しているように見える」
・「いつ、何によって運が開けるのかはだれにも分からない。
しかしその扉は、強く願って
叩き続けた者に先に開くぐらいの
公平さは持っていると信じている」
- 意気地なしの自分を振り返ります。
もう一つ、再掲載となりますが、大石久和さんの
「日本人はなぜ大災害を受けとめることができるのか」②を載せます。
大震災から10年。今後が気に掛かります。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆団士郎「木陰の物語」(月刊『少年育成』誌連載-号数不明)①
◇木陰の物語 第29話「飛べない日々」 団士郎
50歳近い独身の長男が病身の両親、ことに父親に辛くあたる
「腕が痣になっていたりして、あれは虐待よ」
ヘルパーで入っている人が、何とかならないものかと訴えているなどと聞こえてくる
私が相談を受けたわけではないが聞こえてしまうので、頭の中で思いめぐらす
それなら決断できなかった親子、どっちもどっちだ。
ひょっとして長男には、障害か病気でもあるのか?
仕事は何をしてるんだろう?
どうやって家計は成り立っているのか?
疑問がふくらみすぎたので、
「ちょっといい?」
と話しかけた
70代半ばの両親と48歳の長男。
3人兄弟だったが男は就職をして、結婚して家を出ている。
妹も短大卒業後、就職で家を出て結婚。
その後離婚していたが、現在は市内にマンションを借りて一人暮らしをしている
「ご両親はどうされたの?病気って?」
母が脳梗塞で倒れたのは60代の前半。
現在、自分のことぐらいはできる状態だという
父が脳溢血で倒れたのは70歳。
半身マヒが残って車椅子使用
リハビリを言われても、なかなか聞き入れようとしない
長男は高校卒業後、市役所に勤務。
両親が、思うように動けなくなった今、兼業農家の主である
当時から農家の嫁に行ってもよいという女性は少なかった
弟妹は家を出ることと交換にそれぞれ学校を卒業させてもらって独立した
跡取りの長男が、独身のまま残された
市役所に勤めて30年、
不本意もいっぱいあったに違いない
相続するより気軽に出ていける弟妹を羨ましいと思ったこともあった
母親が倒れて十年
頑張ってきた人が、ヘルパーさんに「虐待だ!」と言われている
父親には元気でいてもらいたかったに違いない。
病で倒れた側も大変だが、長男にもやり場のない苦悩だっただろう
その父親が車椅子に頼り、世話してくれる人に頼り切ろうとした
もう一度父親が、自分のことは自分でできるようにと長男は厳しくした
それを弟妹からも虐待だと言われた
そうなのかもしれない。
しかしなあとも思う。
頑張ってきた人が責められている
わかってもらえることの少ない、選べなかった日々を過ごす人が
たくさんあるにちがいない
そういう人達がみんな、今日も黙って働いている
◇木陰の物語 「団遊」第32話 団士郎
大学4年生の夏、長男に
「話を聞いて欲しい」
と言われた
息子が何かを書いているのを
見た記憶がなかった
思わず、
「おまえ、漢字ちゃんと知ってるか?」
と口走った
予想もしない話だったが、当てにならない他人の評価やコネを頼って、今我慢すれば
未来が拓けるなどと信じたがっている人が好きではない
私自負、一年浪人の上、一年留年と大学卒業に六年間もかかった。
おまけに就職も決めないで卒業したのだから、
今考えるとずいぶんいいかげんな奴だった
私は常々、やりたいことがあるのに他のことをしている人に、
幸運が舞い降りることはないと思っている。
とくに若者がそんな風にしているのは、
チャンスを潰しているように見える
だから現役で卒業予定の息子に、
もう一年間、浪人か留年をされたつもりで
授業料分の費用を出してやるといった
当時、次男も私立大学在学中だったから、公務員一人の給料袋で
やりくりする我が家に、けっして軽い負担ではなかった
ただし、それを持って家を出ろ
そしてもしお前に可能性があるなら、その金の続く間にチャンスを
つかめと言った
何かやりたいことがあると言いながら、
ずるずると二十代を過ごしてしまう。
若者が可哀相に思えてならない
そうさせてしまう親の方針のなさにも
苛立ちがある
なにごとにも期限があるのは、人間に寿命があることを
見えば分かることだ
こうして息子は大学卒業と同時に家を離れ、
大阪近郊の都市に小さな部屋を借りて暮らしはじめた
そして編集の夜間教室に籍を置いた。
昼間は市立図書館で書きものをして、
夜にはそれをパソコンに入力しながら校正し、
プリントアウトした作品を履歴書と共に
あちこちに送った
そんな方法でチャンスがつかめるものかどうかは分からなかった
食事は極力切りつめて出費を押え、
腹が減ると週末、親元に栄養補給に戻ってきた
それでも家賃と最低生活費、持ち金はどんどん減っていった
しかしアルバイトはしなかった
才能の有無も分からない若者が、生活のために
多くの時間をアルバイトに費やしていて、
なおチャンスに恵まれるかもしれないなどという考え方を
信用していない
目いっぱい集中しても、
果たして才能があるのかどうかなど分からない
もしだれかにその片鱗を発見してもらえるとしたら、
ひたすらそれに励んでいる姿しかなかろうと思っていた
調理法を色々工夫して今週はキャベツで一週間過ごしたなどと笑っていた
そして一日の大半を書きたいと思ったことを
書いて過ごした
ある時、
「親に大学まで出して貰って、甘いこといってんじゃない!」
と、なかなかうだつの上がらない同業年長者から批判されて落ち込んだ
弱気になって、珍しく泣き言をいってきた
そんなある日、送り続けていた雑誌社の一つから電話がかかってきた。
編集長の気まぐれのようなものだった
いつも原稿を送ってくるおまえさんなぁ、
団遊ってこれ本名か?
はい、父が付けた名前です!
それならこの履歴書の写真はなんや?
この名前ならプリクラくらい貼ってこんかい。
ホンマに持ってきよったか!
なんの予定もなかったから、翌朝直ぐに動けた。
そして、ここから運が開けていくことになった
いつ、何によって運が開けるのかはだれにも分からない。
しかしその扉は、強く願って
叩き続けた者に先に開くぐらいの
公平さは持っていると信じている
☆「日本人はなぜ大災害を受けとめることができるのか」大石久和 海竜社 2011年 ②【再掲載 2016.4】
<出版社の案内>
世界の人々が驚異の目で見つめる日本人の美徳。そして、その欠点とは?『国土』から紐
解く目からうろこの日本人論。
◇日本人はなぜ「装置インフラ」を軽視するのか
- 日本人になじまない「インフラ」と「公」の概念
□都市は城壁があって初めて成り立つ
紀元前数百年頃からシテ島(?)に城壁
□小麦と米の違いが文明の違いを生んだ
古代ヨーロッパ 麦 → 播種量の2~3、5~6倍
シュメール 播種量の約8倍 ~20倍
↑↓
日本の米 奈良時代 7~25倍
◎ 米は麦の2倍
□世界の強固な都市城壁
□豊かな暮らしのために「公共」が発明された
制度インフラと装置インフラ
↓
◎ 城壁に住まうための「公共の発明」が時を経てコミュニティを形成するための「市民」
概念に成長していった
□日本の都市に城壁がない
平城京 → 長安にあった都市城壁をつくらなかった
◎ 都市を攻める人々の存在を前提としなかった
□歴史でほとんど語られない明治維新の引き金
安政 1854~1859 6年間
安政江戸地震 1855年 7444人
安政東海地震 1854年 2000~3000人
安政南海地震 1854年 数千人
大風災 1856年 10万人
↓
◎ 大災害の頻発が国民全体に時代の終わり世界の終わりを感じさせた
□日本人は装置・装備を軽視する
□貧弱な日本の道路ネットワーク
S31 世界銀行 ワトキンス会長
※ 「日本の道路は信じがたいほど悪い」
◎ 貧弱なネットワーク・効率の悪さをカバーするのに長時間労働
◎ 日本の車は実走行燃費は極端に悪い = 経済速度で走れない
→ 道路ネットワークが不十分であり、平面交差ばかりで立体交差が少ない
□合理性のある議論がなかった「道路国会」
福岡ですらミュンヘンの1/3の便利さ
□道路の効用と貢献について議論されない危うさ
日本から「合理性をもって考えること」が消滅しようとしている
→ 政治改革も! 郵政も!
◇「公共事業」の本当の意味は?
□国土への働きかけをとらえる「国土学」
国土学 … 国土への働きかけをどう考えるか
◎ 国土経営がどの程度進んだのか
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