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「『児相』虐待からの再生-この十数年になにがあって、児相はなにか変化したのだろうか…」団士郎 立命館大学大学院教授 (『月刊少年育成』2003年6月号より) ②(後半) /「ハシモト式 古典入門」橋本治 ごま書房 1997年 ③【再掲載 2016.9】  [読書記録 教育]

今回は、10月24日に続いて、『月刊少年育成』より、団士郎さんの
「『児相』虐待からの再生-この十数年になにがあって、児相はなにか変化したのだろう
 か…」
の2回目 後半を紹介します。


前回は、掲載年不明としていましたが、2003年であることが分かります。
18年経っても、状況がよくなっていないことを残念に思います。



2011年まで出されていた『月刊少年育成』、わたしは大好きです。
このような真面目な雑誌を安価で提供していた大阪少年補導協会の頑張りが分かります。
かなり大変だとは思いますが、復刊はならないでしょうか。
虐待、いじめ等々、子どもたちを取り巻く課題はこの10年間でさらに膨らんでいます。
現場をよく知る執筆陣、豪華でした。





今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「少子化傾向の続くこの時期、児童福祉関連の人員も予算も削られて当然の行政力学の
中にあった。…児童虐待は数ではなく深刻な質の問題として、財政担当者に立ち向か
う説得力を持っていた。…高齢化社会の数を頼んだ福祉予算の側にあっても、児童対
策予算をカットする機運にはならないだろう…。この点では確実に機能した。しかし
その渦中で台頭してきた心理臨床ブームが、本当に役に立つ新製品たり得たかどうか、
その検証はまだなされていない。」


・「家族問題が火を噴き始めて久しい。いつの間にか、少子化、晩婚化、児童虐待、不登
校、障害児問題、家庭内暴力、離婚の増加、中高年のリストラ、働き盛りの自殺の増
加、引きこもり、DV、高齢者介護問題と虐待…、などきりがないほどの家族関連問題
を同時に抱える時代になった。」


・「こんな中で児相が児童虐待に取り込まれていったことには同情を禁じ得ない。しかし
この期に及んで、児相がまだ一過性の専門用語に振り回されていては存続そのものも
危ういと思う。今後、児相は地域関係者と共に、『家族』に取り組む道を探るしかな
いと思う。」


・「地域の仕事に資するための研修を地域で実施する。そして公の予算を当てにしないで、
費用は自分たちが負担する。」


・「次々に押し寄せる社会要因に、児相は圧倒され続けてきたのだと思う。」





もう一つ、再掲載となりますが、橋本治さんの
「ハシモト式 古典入門」③を載せます。
古典のことが易しく書かれています。
受験時代にあったなら… と思ってしまいます。





<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
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☆「『児相』虐待からの再生-この十数年になにがあって、児相はなにか変化したのだろうか…」団士郎 立命館大学大学院教授 (『月刊少年育成』2003年6月号より) ②(後半) 

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◇使いごこち

 時代のスポットライトが照らし出すものが変わるたびに、新しい機能や言葉、商品が現
れる。


 その多くは世間的にはいわゆる新製品の良さと弱点を持っている。


 何しろ新しいシステムはまだ使用し続けられた歴史を持たない。


 社会への作用も副作用もまだ誰も知らない。


 そんな商品を声高に売り込むのは、それによって利益を得る人たちである。



 私は長年の経験から、それがどんな機能を持っているのかと同様、どのような副産物を
生むかが明らかになってから、信頼できるかどうかを見定めてきた。


 だから心理臨床世界においても、次々立ち現れる分類概念とそれに付随するマーケット
や新製品にはもともと冷ややかであった。


 児童虐待の現実やその対応騒ぎを否定しようとは思わないし、ここまでの取り組みに意
味がなかったなどとも思わない。


 しかし作り出された現状が、児童虐待に抑止力を発揮したとも思わない。


 結果的に、子育てや親になる事への不安を広く植え付ける役目は果たしてしまったとは
言えよう。


 少子化傾向の続くこの時期、児童福祉関連の人員も予算も削られて当然の行政力学の中
にあった。


 ここで児童虐待は数ではなく深刻な質の問題として、財政担当者に立ち向かう説得力を
持っていた。


 高齢化社会の数を頼んだ福祉予算の側にあっても、児童対策予算をカットする機運には
ならないだろうとみんなに思わせた。


 この点では確実に機能した。


 しかしその渦中で台頭してきた心理臨床ブームが、本当に役に立つ新製品たり得たかど
うか、その検証はまだなされていない。




◇「家族」がえり

 家族問題が火を噴き始めて久しい。いつの間にか、少子化、晩婚化、児童虐待、不登校、
障害児問題、家庭内暴力、離婚の増加、中高年のリストラ、働き盛りの自殺の増加、引き
こもり、DV、高齢者介護問題と虐待…、などきりがないほどの家族関連問題を同時に抱
える時代になった。


 もはやこの中のどれかをピックアップして対応していればしのげる時代ではなくなっ
た。


 項目別の縦割り対応では機能しなくなったのだ。


 それにもかかわらず、そんな体制しか持たない社会システムは、場当たりの当面性で取
り扱い要件を恣意的に決めてきた。


 こんな中で児相が児童虐待に取り込まれていったことには同情を禁じ得ない。


 しかしこの期に及んで、児相がまだ一過性の専門用語に振り回されていては存続そのも
のも危ういと思う。


 今後、児相は地域関係者と共に、「家族」に取り組む道を探るしかないと思う。

 幸いなことに「子育て支援」、「家族援助」、これらの言葉は近接領域の関係者に対して
排他的ではない。



 そこでどんな道があり得るのかを、ここ数年、私が全国展開している仕事の意図を書い
て提案しておきたい。


 私はこれまで北海道(札幌)、島根(出雲)、岐阜県(岐阜)、新潟県(新潟)、青森県
(弘前)、群馬県(前橋)で家族理解・援助ワークショップを継続開催してきた。(数回
程度実施したのはもっと多くの県市地域であるが、3年以上、30人以上の参加での継続
開催はこれらの地域である)


 第一歩は北海道・札幌で1997年に始まった。


 児相とその周辺で働く人たちの「家族理解」のためのワークショップを、現地のリクエ
ストで開催することになったものである。


 とりあえず家族療法という呼び方では行ったが、狭義のセラピー訓練を目指したもので
はない。


 それにこれは、地域有志グループが主催したもので、従来の行政組織内の研修事業では
なかった。


 この点が今までの研修との大きな違いだった。


 現在もそう変わりはないが、公的機関の準備した研修というと受講者はたいてい受身で
ある。


 参加動機も様々で、中には職場を離れて息抜き、休養のつもりの人もある。


 こういう慣行に一つずつ異を挟んでいった。


 世間には民間の企画する研修プログラムも多く存在する。


 かなり高額な参加費や交通費も自己負担で参加する熱心な人もある。


 こちらの動機付けはかなり高いといえる。


 ただ、このような人の多くが勉強好きではあるが、おおむね職場スタッフとしては浮い
ている。


 恵まれた条件の者にしか受講できない高額の花の研修は、それ故の付加価値や、エリー
ト意識も作り出していた。


 教員の内地留学があまり成果があるように見えないのも似ている。


 これらにチャレンジするには、地元開催が一番だった。


 地域の仕事に資するための研修を地域で実施する。


 そして公の予算を当てにしないで、費用は自分たちが負担する。


 仕事の研修を私費で? 
と疑問の人もあるかもしれないが、これによって公的予算の切れ目が縁の切れ目にならな
くなった。

 参加も当然、地元の人たちにオープンである。


 各地バラツキはあったが、児相職員、関連行政職員、児童福祉施設職員、福祉専務所ケ
ースワーカー、家庭児童相談員、小中高校教員、養護教員、スクールカウンセラー、家裁
調査官、県警青少年担当者、精神科医、小児科医、大学教員、大学生、大学院生など、広
範な立場の参加者が集まった。


 ここで「家族の構造」をベースにした新しい勉強を一緒にやり始めた。


 これが地域ネットワーク作りや、地元の異機関の間での共同作業を促す結果を作り出す
ことになっている。




◇おわりに

 児相の変化はこれまでいつも、外からやってきた。


 問題意識はたくさん持ちながら、それに根ざした児相デザインにまで展開し得たところ
は少なかった。


 次々に押し寄せる社会要因に、児相は圧倒され続けてきたのだと思う。


 そんな中で見つけた地域ぐるみの学習システム (「家族理解と家族・子育て支援」 
ワークショップ)は、「事件反応型」の行政スタイルから、「対応の場作り型」への転換
可能性を秘めたものだと私は思っている。関心のある方はご連絡ください。   


                       「月刊少年育成」2003.6月号








☆「ハシモト式 古典入門」橋本治 ごま書房 1997年 ③【再掲載 2016.9】

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◇「ひらがな」の持つ意味

□国家が認めた最初のひらがな  『古今和歌集』

 『古今和歌集』
    序文 紀貫之はひらがなで書いた                        
    = 国家事業として作られた本



□日本人の心は,ひらがなが表現した

 序文(意訳)

「和歌というものは,人の心の中にある感情を核として生まれた言葉によってできている
 ものだ。世の中に生きている人間には,いろんな事が起きて忙しいけれども,その忙し
 さが人間に働きかけて,いろいろな感情を生む。その感情があるからこそ,人間は,何
 かを見たり聞いたりするに付けて,自分の感情を形にした歌を詠むのだ。」
 




◇「古典の中の古典」が日本の古典をわかりにくくしている

□「古典の中の古典」とは?

  古典 
   ①「漢字だけ」          
      『日本書紀』『古事記』

 ②「漢字だけの万葉仮名によるもの」
      『万葉集』

 ③「ひらがなだけ」
      『源氏物語』『土佐日記』

  『古今和歌集』
  

 ※ 古典というものは元々分かりにくいもの



□平安時代に,まだ,ちゃんとした日本語の文章は存在しない

 「普通の日本語の文章による古典」は『徒然草』(兼好法師)



◎ 兼好法師の時代になって初めて現代人にも読める文章が登場
 




◇「和歌」はどうして重要なのか

□和歌が重要な『伊勢物語』

  『伊勢物語』 - 和歌がとても多い


  在原業平が主人公 - 絶世の美男 
    → 后とスキャンダル起こし都外へ


 「作者が詠んで,主役は和歌」



□漢字ばかりじゃ女にもてない

 「男 = 漢字」

  「歌を歌う」
   
= 漢詩の一節にメロディを付けて歌った 

      男の上等な趣味

 ◎ ひらがなによる和歌よりも,漢文・漢詩の外国系が断然優位


 ◎「和歌」 = 「やまと歌」 日本オリジナルの歌の形



□清少納言は漢字の分かる「とんでる女」

 清少納言
   男が漢詩の一節をなぞなぞめかして言うとすぐに返事

= 男たちの人気者



清少納言嫌いが多い 
    代表格が紫式部
    「女が漢字にまつわる知識を振り回すのはみっともない」 = 美学

         |

  ◎ いくら男たちが漢詩を歌っても女の所へは届かない

→ ひらがなの和歌を詠む = ラブレター

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そら

素晴らしいものってどんどんなくなってしまうのですよね。利益が出る出ないは別物になってしまいますもんね。
心理臨床ブームにも触れてらしたのですね。ブームって良い部分もあるのですが、困る部分も大きいと思います。教師もそうだと思います。人に関わるってとてもとても大変な世界です。全ての子供達がハマコウ先生の様に常に勉強なさってる方に出会えると良いのですが…。色々と考える機会をありがとうございました。
by そら (2021-10-27 06:25) 

ハマコウ

そらさん ありがとうございます。
生徒指導関係で大変有意義な雑誌でした。
なくなってしまったのは残念ですが、大阪少年補導協会はよく出し続けていてくださったなと感じます。
学校にカウンセラーさんが入るようになって随分経ちます。ソーシャルワーカーさん、通訳さんなども入るようになり、大変助かっています。常勤職員が増えればありがたいのですが。
学校は「人間関係」そのものの場だと強く感じています。

by ハマコウ (2021-10-27 13:54) 

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