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石井式漢字学習 石井勲 (『致知』2003年12月号より) ② /「城館調査ハンドブック」千田嘉博 小島道裕 前川要 新人物往来社 1993年【再掲載 2012.4】 [読書記録 教育]

今回は、4月30日に続いて、石井勲さんの
「石井式漢字学習」2回目の紹介です。


『致知』での小堀桂一郎さんとの対談です。

このような視点もあるのだと感じました。


もう一つ、再掲載となりますが、
千田嘉博さん、小島道裕さん、前川要さんの
「城館調査ハンドブック」を載せます。
確認調査の際、土地の所有者より
「いわれのある石の下を詳しく見ていただきたい」
と聞き、トレンチ調査したところから
大きく本調査区域が広がった遺跡もあります。
伝承の重要性を知ります。
発掘調査現地説明会に参加できる機会も増えそうです。




<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。





☆石井式漢字学習 石井勲 (『致知』2003年12月号より) ②

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◇幕末からあった国語問題

小堀 

  日本語のほうに話を戻しますと、私は現在の日本の国語問題
 は、一種の文明の衝突だろうと思っているのです。


石井 
  
 なるほど。  


小堀 
  日本人が自分の国語について何かの疑いを抱き始めたのは、
 明らかに西洋文明と接触したその刺激によってなのですね。

  ですから、幕末から明治維新期にかけての文明開化期に、
 「漢字御廃止の儀」というものも上奏されますし、それから
 間もなく、仮名遣いを表音式に改訂しようというような運動
 も起こってきます。
   
  どうしてそんな変な考えが起こったかと申しますと、西洋
 文明の表面的な華やかさに幻惑されて、ああいう技術文明を
 見事に花開かせるには、わずか26文字の組み合わせで意思
 の伝達ができる能率的かつ簡便な言語を使っていること。

  そこに稀密があるに違いない、と思ったのが始まりなんで
 すね。
   
  これは明らかに思い過ごしでしたが、この間違いは明治期
 を通じてずっと続いていきます。

  その中で仮名遣いを表音式にしろとか、漢字を制限しろと
 いう話が出てくるわけで、いわゆる国語問題は決して戦後に
 わかに出てきた議論ではないのですね。
   
  それに対して、森鴎外、木下杢太郎など言葉の正しい意味
 での保守主義的な思想の人たちが、いや、それは違う、学問
 の原理として見れば、漢字仮名交じり文こそ日本語表記の王
 道で、漢字の多用に少しも不利なところはない、と言い続け
 た。

  そうした第一級の思想家がいわゆる歴史的仮名遣いと、正
 漢字を存分に使って、国語の文章を綴るという、われわれの
 国語表記力を守ってきたわけです。
   
  ところが、大正期になってそこに左翼の影響が入ってくる
 ことで、この戦いはかなり陰湿な様相を呈します。
   
  ここで左翼というのは一体何かということですが、この間、
 面白い定義をした人がおりましてね。

 「自分の生の不如意の一切を他人の責任に転嫁するのが左翼
  である」
  
 と。


石井 
  なるほど。


小堀 
  マルキシズムを動かしている怨みの情念というのは、結局
 それですね。

  その広い意味での左翼の怨念の一つの標的となったのが、
 日本語なんです。 

  つまり、国語が悪い、国語の保守性のせいでわれわれ日本
 の文明は進歩が遅れたと。

  彼らは様々な社会的不如意とか、階層的差別とかそんなも
 のを感じていたんでしょうね。

  その怨みを国語に転嫁して国語の古典的性格を攻撃すると
 いう、一種の反伝統的・破壊主義的イデオロギーが生じてき
 たのです。
   
  これが大体マルキシズムと同じ時期、大正期に発生し、昭
 和期に入ってもずっと持ち越してきたわけですが、そこで日
 本が大戦争に突入したことからちょっと妙なことが起こるの
 です。
   
  昭和16年の12月に、日本は連合国に宣戦布告をして、最
 初は南方の国々を勢いよく占傾して日本の勢力圏を拡げまし
 た。

  そうすると、当然日本軍が進駐した地域の人たちと各種の
 現実的な接触が生じます。

  日本語による占領地行政を円滑に運ぶためには、現地の人
 々に日本語を習得してもらわなくてはならない。

  この時に主として陸軍省が、仮名遣いが表音式、つまり発
 音通りでないと教えにくいと思い込んでしまって、日本語を、
 耳で聞いた通りに綬れる方法はないだろうかという要求が、
 国語学者たちに対して出るのです。

  そこで一部の頭語学者、いわゆる表音派がそれに乗って陸
 軍と結託し、占領地行政を円滑に進めるためと称して大幅に
 改めた仮名遣いを教え始めたわけです。




◇アメリカに言い返さなかった日本

小堀 
  その結果はすぐに国内の小学校の教育に反映します。これ
 は、私の世代は実際に経験していますから、実感を伴った記
 憶として鮮明に残っているのです。


石井 
  そうですね。


小堀 
  いまでもはっきり覚えているのは、昭和19年、小学校の5
 年生の時のことでしたが、「標高」という字に振り仮名を振れ
 という問題が試験に出ましてね。

  その頃の教科書はまだ歴史的仮名遣いで書いてありましたか
 ら、当然私も歴史的仮名遣いで「へうかう」と振ったんです。

  すると正しい答えを解説した先生が、
 「いままではこれが正しかった。しかし、これからはだんだ
  んこのように書くほうが正しいとされるようになっていき
  ます」
 と言って、
 「ひょうこう」
 という仮名遣いを黒板に書かれたので す。
   
  その時は実に不思議な気がしたのですけれども、後から考
 えますと、それは陸軍省の占領地行政の要求を表音派の国語
 学者たちが得たり賢しと受け止めて、その影響が小学校教育
 にじわじわと出始めていたのですね。


石井 
  なるほど。


小堀 
  その勢いが戦後の占領期にワーッと出てしまうんです。

  つまり昭和21年の3月、占領軍(GHQ)の要請でアメリ
 カの教育使節団というのが日本に乗り込んできました。

  表向きは自由と民主主義の宣伝を看板としていましたが、
 実は大半が左翼だったようです。

  GHQはポツダム宣言によって天皇をも日本国政府をも凌
 ぐ強大な権力を握ったわけで、占領中の日本へ行けば、GH
 Qの御威光の下で自分たちがやってみたい行政的な実験が
 何でもできると思い込んだわけです。

  そしてアメリカの国内では到底考えられないような過激
 な教育改草を日本でやるわけです。

  本当にひどいもので、わずか3週間の滞在でさんざん日
 本の教育をかき回してサッと帰っていくんですね。
   
  その中で、彼らが日本の小学校を視察すると、日本の小
 学生はこんな難しい漢字を教えられていると思う。

  仮名でさえ48文字、アルファベットよりずっと多いのに、
 その上こんなに漢字を習わなければならない。

  これじゃ理科教育がそれに時間を食われた分だけ遅れて
 しまう。

  こんな漢字、こんな仮名遣いを使ってるから日本は技術文
 明で西洋に後れをとり、戦争に負けたんだと短絡的に決めつ
 けたのです。


石井 
  そうでしたね。


小堀 
  その時に、これは本当に残念なことでしたけれども、禍の
 もとは文部官僚その他教育界の人々すべてが敗戦のショック
 にうちひしがれていて、そういう浅はかな考えに対して

 「そんな馬鹿な見方があるか!」

 と言い返せなかったことです。

  アジアの文明、漢字文明を勉強したこともない無知蕃昧な
 アメリカの駆け足視察団の言うことに、一人も言い返さなか
 った。
 
  そこから表音派が、国語を改革しなければまた戦争に負け
 るぞと脅し始めた形です。
  
  表音派はもともと、学界で全権を掌握しようという野心が
 あって、その野心が占領軍の目茶苦茶な占領地行政と結びつ
 いて、文字通りに火事場泥棒的な国語改革を強行してしまっ
 たのですね。













☆「城館調査ハンドブック」千田嘉博 小島道裕 前川要 新人物往来社 1993年【再掲載 2012.4】

<出版社の案内>
故郷の歴史を身近に理解するための城や館の歩き方と発掘調査の
手引き。

◇中世城館の世界
□絵画資料  
 「粉川寺縁起絵巻」
    河内長者の屋敷(平安末)


 「一遍上人絵伝」
    筑前武士の館(鎌倉末)


 「法然上人絵伝」
    漆間時国の館

    防御性乏しく土塁存せず
    ※ 堀というより区画や用水路の性格


□西日本発掘調査 
 12世紀末  
    大内城跡(京都市福知山市) 

 13世紀初頭
    日置(ひき)荘遺跡(大阪府美原町)

    寺家(じけ)遺跡(石川県羽咋市)

土塁,土塁痕跡,堀
  
 ※ 単純に堀と土塁のセットが14世紀以降というのは成立しない 


□鎌倉の屋敷  

 普通は一戸主(約445㎡=140坪) 
  八戸主,十八戸主の大型は北条本家一門

今小跡西遺跡
    - 私的な軍事の否定
低い土塁と小さな溝


□平泉の館   
「平泉館」 
   柳之御所遺跡 無量光院 
長大な堀 幅7~8m,深さ3m

  強い軍事性
  

□防塁の時代  
 阿津賀志山防塁(福島県国見町) 1189年

 元寇土塁(福岡市)
  

□中世城館の展開 
 在地領主
   土豪 半町四方

国人 一町四方


□山城・城館の出現 
 14世紀南北朝の争乱


□過渡期の館  
 大内城
   平安末~南北朝


□守護の城郭と城下



◇文献史料による調査
□文献史料の限界  
 史料の偶然性と信憑性 


□系図・家譜など 
 千差万別の信頼性



◇歴史地理的方法による調査
□地形図
 五万分の一 
 二万五千分の一 
 その他役所発行のものも

 ※ 藤岡健次郎「地形図に歴史を読む」1~5巻


□地籍図
 地籍図
  - 税務課・法務局

 一筆一筆
  ~ 地割りの高低も

 村絵図タイプ と 冊子タイプ
  

□地籍図の利用 
 通称地名,小分け地名は聞き取りで 


□空中写真を利用する
 (財)日本地図センター(空中写真部)


□絵図を読む


□地名を探る
①「城」地名  
    城,○○城,城山,城ノ越

②「殿」地名  
    殿屋敷,殿垣内

③「屋敷」地名 
    御屋敷,古屋敷,○○屋敷,奥屋敷

④「堀」地名  
    堀之内,堀田,○堀

⑤その他
  (1) 政所,間所   

  (2) 門田,前田,佃

  (3) 馬場,的場

  (4) 木戸

  (5) 国名のつくもの

  (6) 職人名 特に鍛冶

  (7) 市場地名
「角川日本地名大辞典」
  

□伝承を探る

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コメント 8

tyuuri

 このお二人の日本語表記変遷の歴史観については、相当に偏っていると思います。特に戦後GHQが国語教育に全面的に介入して表音式表記に変えさせたというのは歴史認識が間違っています。どうもこのお二人は、歴史的仮名遣いと旧表記がお好きらしい。
 以後の日本語の発展を見ると明らかです。今でもまだ不十分ですが、私たちの努力により、ヨリ明快な日本語を目指していきたいものです。
by tyuuri (2022-05-03 06:02) 

ハマコウ

tyuuriさん ありがとうございます。
20年近く前の文章ですが、当時もこのような視点で国語教育に当たっていた関係者は多くはないと思います。
考えの異なる相手に気を遣うことの大切さについて考えました。
by ハマコウ (2022-05-03 06:18) 

とし@黒猫

コメントをありがとうございました。
とりあえず入院しとけば安心と考えましたが、
何かあると、GW当番看護師に言って、そこから主治医へ電話で
エスカレーションして、看護師が対応なので、
ものすごく時間がかかります。
でも、自宅にいて、いちいち救急車を呼ぶよりはましです。
by とし@黒猫 (2022-05-03 15:36) 

SORI

ハマコウさん こんにちは
石井勲さんと小堀桂一郎さんの対談方式というのはいいですね。
by SORI (2022-05-03 16:01) 

ハマコウ

とし@黒猫さん ありがとうございます。
早くよくなることを願っております。
by ハマコウ (2022-05-03 21:30) 

ハマコウ

SORI さん ありがとうございます。
話し言葉からその場の様子が分かるような気がするのは、対談ならではだと感じました。
by ハマコウ (2022-05-03 21:31) 

tai-yama

漢字追放な運動があったとは・・・韓国と同じですね。
GHQが来て大改革をするなら英語を公式言語にしてくれた
方が良かったのでは?と思ったり。
by tai-yama (2022-05-04 00:05) 

ハマコウ

tai-yamaさん ありがとうございました。
戦後すぐのことについては知らないことがたくさんあります。
慌ただしく進められたようですね。
by ハマコウ (2022-05-04 10:21) 

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