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石井式漢字学習 石井勲 (『致知』2003年12月号より) ③ / 山本夏彦さんはこんなことを③-「私の岩波物語」文藝春秋 1994年(1) 【再掲載】 [読書記録 教育]

今回は、5月3日に続いて、月刊誌『致知』2003年12月号より、
石井勲さん「石井式漢字学習」の紹介 3回目です。


20年ほど前の『致知』での小堀桂一郎さんとの対談ですが、
石井式漢字学習法の一端が分かります。





「教育は、最初から本物を教えなければ駄目なのですね。
 これは芸術数育や音楽教育などにも言えることで、子どもに
 はこれは難しかろうと気を回して、易しくアレンジしたもの
 を与えるのは、絶対間違いなんです。
 子どもにはこんな高級な料理の味はわからないだろうから、
 適当に甘味をつけて食べやすくして与えようというようなも
 ので、そういう食事を与えていたら、いつまでたっても味覚
 が発達しないのと同じですね。」


上の言葉から、最近の「楽しい学習を」のキャッチフレーズを
思います。
活動が楽しければよしとするのではなく、苦しくても学ぶ中か
ら玉しみが少しずつ分かってくることもあると思うからです。
「ほんもの」とは何かと考えさせてくれました。



 
もう一つ、再掲載となりますが、
「山本夏彦さんはこんなことを」③を載せます。





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☆石井式漢字学習 石井勲 (『致知』2003年12月号より) ③

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◇漢字は決して難しくない

小堀 
  そこから始まった国語改革によってどれだけ日本人の心性が堕
 落したかということは、石井先生もいろいろ書いておられますが、
 石井先生のお説の中で私が特に重要だと思うのは、漢字が難しい
 という無知なアメリカ人の先入観に、どうして日本人は負けたの
 か。

  漢字は幼児期に身につけてしまえば決して難しくないと、ここ
 に尽きると思うのです。


石井 
  漢字は難しい、数が多いから大変だ、それは表面的に捉えたら
 確かにそう思うんです。

  ところが人間の頭っていうのは不思議なもので、複雑なものの
 ほうが関心が持てるし、実際によく記憶できるんです。
   
  私は子どもで実験してみたんです。
  
 「鳩」という字は「鳥」という字と「九」という字に分解できま
 すね。
 
  これを別々に3人の子に教えるんです。

  そして次の日に聞いてみると、覚えていて読めるのは「鳩」を
 教えられた子どもだけで、「九」と「鳥」はほとんど覚えられな
 いんです。

  これは何万人も実験していますが同じでした。
   
  ですから、大人の勝手な解釈で「これは難しい」「易しい」と
 決めるのは間違いなんです。


小堀 
  その間違いこそ、まさにアメリカの教育視察団のやった間違い
 なんですね。

  漢字を見て、自分たちの無知を棚に上げて「これは大変だ」と
 いうことで国語改革を勧告した。

  ですから漢字を難しいと主張する人は、大体アメリカ教育視察
 団並みの水準しかないと考えていいのです。
   
  それから、日常生活で使われている漢字は、いま大体三千字ぐ
 らいなんですが、三千字もの漢字を子どもの頃から覚えさせるの
 は大変だ、という議論もよく出てきます。


石井 
  そうですね。


小堀 
  この件では、漢字は多すぎるから習得が難しいという先入観を
 持っているあるドイツ人の学者と議論したことがあるんです。
   
  ドイツ語に社会人として知っていなくてはならない単語がどの
 くらいあるかと聞いたら、三千から三千五百だろうと言うんです。

  そして、子どもが普通教育の課程でその三千五百の語を覚える
 のは何でもないとされています。
   
  これは英語でも、大体そのくらいだと言われています。
   
  そこで私は彼に、あなた方は漢字は字だと思っているが、あれ
 は単語なんだと言ったのです。

  そして漢字には二字熟語、三字熟語、四字熟語とあるけれども、
 これは西洋近代語における複合語と同じことで、基礎語に当たる
 漢字約三千を習得してしまえばその複合語の造成は少しも難しい
 ものではないと。

  そこから説明を始めまして、彼  はあっさりと納得してくれ
 ましたね。
   
  私は大学でドイツ語を教えていましたが、ドイツ語には基礎語
 と複合語があって、基礎語に一定の接頭語・接尾語を組み合わせ
 ると簡単に新しい意味の複合語が発生してくるのです。
   
  これを私は漢字のへんとつくりになぞらえて教えたのです。

  そういう漢字遊びの理屈で覚えていくと、ドイツ語の単語は楽
 にいくらでも覚えられますし、逆に漢字の持つ合理性と機能性に
 改めて眼が開かれるのです。


石井 
  実に上手い教え方ですね。


小堀 
  子どもをお寿司屋さんに連れていきますと、大きな湯飲みがあ
 って魚へんの字がたくさん書かれているのに出会いますね。

  ああいうのは子どもは面白がって、いったん興味を持てばあっ
 という間に覚えますよ。

  それから、そういう系統的なことでなくても、相撲の好きな子
 は、力士のあの難しいしこ名を横綱から十両まで全部すぐ覚えて
 しまいます。
   
  漢字は難しいとか、漢字をたくさん覚えるのは負担だというの
 は、完全に誤った先入観なのです。


石井 
  おっしゃる通りです。


小堀 
  むしろ、例えば木へんにはどんな漢字があるか、人べんにはど
 んな漢字があるかと系統的な組み合わせ方式で字彙を増やしてい
 くのは、子どもにとっては知的な喜びなのです。

  この知的な喜びを、何年生では教える漢字は何字まで、といっ
 て制限してしまうのは、文化的犯罪だと私は思いますね。




◇最初から本物に触れさせる

石井 
  漢字で表す言葉は最初から漢字で教えるべきなんです。

  例えば「学校」という言葉をいったん「がっこう」と仮名で習
 うと、それを後から漢字に改めるのはとても難しいんです。
   
  私は昭和28年から三年間、小学生に漢字から最初に教見てい
 く石井方式で教えました。

  続いて二年間は、文部省の方針通りの教え方をしました。

  すると、最初から漢字で教えた子どもたちはすんなりと頭に入
 るんですが、仮名の後で漢字に移った子はすごく難しく感じて、
 なかなか正しく使えなかったんです。
   
  それから、こういう問題もあるんです。

  例えば、一年生が習う最初の漢字に「木」があるでしょう。

  いままで「き」と書いていたものを、「木」と書きなさいと教
 えられる。

  それで子どもは、「きしゃがきた」の「き」も「木」と書こう
 とすると、先生から、
 
 「汽車の汽は違うから、仮名で書きなさい」

 と注意される。
   
  それで、「つみきをしてあそびました」という時に、前に漢字
 で書いて直されたから仮名で書くと、今度は先生に

 「木という字を教えたのになぜ仮名で書くんだ」

 と怒られる。

  書けば「書くな」、書かないでいれば「書け」と言われて、子
 どもは頭が混乱してしまうんです。


小堀 
  本当にそうですね(笑)。


石井 
 「き」と書いていたものが、いっぺんに書き分けられるわけが
 ありません。

  最初から「きしゃ」は「汽車」と教え、「きた」は「来た」
 と教えればよいのです。

  子供はそういうものだと受け取ってくれます。
   
  どこの国だって最初から本物を教えています。

  ところが日本の国語教育では、仮名という現実の社会では使
 われていないものから入っていく。

  これはおかしいと思ったのが、私が漢字教育に取り組むきっ
 かけでした。

  昭和26年頃です。
   
  その頃、私は教育委員会の指導主事をしておりましもので、
 多くの先生の中からベテランの先生を選んで、最初から漢字で
 教えて、その結果を報告してほしいと頼んだんです。

  そうしたらその結果が皆よかったんですよ。

  漢字から教えたほうが、みんなすぐに覚えてスラスラと読む
 んだそうです。
   
  そこで、年に一回、全国の先生方が集まって、国語教育につ
 いて会議をする大会があるんですが、昭和26年に行われたそ
 の大会で、私は思い切ってそのことを発表したんです。

  そうしたら翌日教育長から呼び出されましてね。

 「文部省で決めた指導方針を先生方に周知徹底する指導主事が、
  日本の教育は間違っているのではないかと言うのは、越権行
  為も甚だしい」

 と注意されたんです。
   
  指導主事というのは、学校の先生を指導する資格は持ってい
 るけど、小学生を直接指導する資格はない。

  それで、指導主事をしながら勉強して、一年後に教員免許を
 とったんです。

  そして、当時漢字教育に非常に熱心な大校長がいましてね。

  その人に自分の志を話したら、

 「私の学校に来てやってみませんか」

 と言ってくださって、指導主事を辞めて小学校の一年生を担任
 することになったわけです。
   
  最初こそ子どもたちの扱いに苦戦しましたが、二学期になる
 と、子どもたちは教えた漢字をどんどん吸収し始めて、普通な
 ら三、四年生でも読めないような本をバリバリ読むようになり
 ました。


小堀 
  いまおっしゃったことは、教育の根本ですね。

  教育は、最初から本物を教えなければ駄目なのですね。
   
  これは芸術数育や音楽教育などにも言えることで、子どもに
 はこれは難しかろうと気を回して、易しくアレンジしたものを
 与えるのは、絶対間違いなんです。

  子どもにはこんな高級な料理の味はわからないだろうから、
 適当に甘味をつけて食べやすくして与えようというようなもの
 で、そういう食事を与えていたら、いつまでたっても味覚が発達
 しないのと同じですね。









☆山本夏彦さんはこんなことを③-「私の岩波物語」文藝春秋 1994年(1)【再掲載】 
<出版社の案内> 
著者が直に見聞きした岩波書店や、講談社、中央公論社などの
様々な版元から、電通、博報堂など広告会社まで、日本の言論
を左右する面々の過去を、自ら主宰する雑誌『室内』の回顧に
仮託しつつ忌憚なく論じる。
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◇私の岩波物語 

□士族の商法 
  正義と良心の塊


□岩波茂雄と小林勇


□雑誌「世界」と盛衰を共にする


□国語の破壊者としての岩波
哲学を難しく訳

言文に忠実しかし分かりにくい
   = 外国語のできる人だけを重用し、その人の日本語能力
    を問わなかった 



◇講談社少々  

□野間一族


□野間清治 

 師範学校出
   ~当事の教育に不服

 昭和9年 
   小学校出の少年社員を毎年雇って教育

昭和10年 
   恒を社長に

昭和13年 
   清治 恒 死去

  未亡人が三代目

  → 高木省一と結婚
  → 野間省一


□「面白くてためになる」
  × 知識人にはバカにされた

大正デモクラシー → 社会主義
 ◎ 大衆に支持された
保守的 無数


□「少年倶楽部」
 <「子どもの科学」(誠文堂新光社)原田三夫 科学記者>
忠君愛国
  人の患いは好んで人の師になるにあり



□講談社の長寿は莫大な不動産に負うところがある
= 文士と共に出版社はアウトロー
 


◇社員でさえ読まない社史

□社史
 … 手前味噌,美辞麗句,自慢話のかたまり 

儲かっているときには社内に人の和がない

 赤字の時は和がある


□何にでも寿命はある
   寿命は短くなるばかりである



◇「暮らしの手帖」と花森安治

□真実を旨としている
 - 広告がない


□読者を旧制女学校二年修了の主婦十年位に想定 
   字句吟味
     耳で聞いて分からぬ言葉は使うまいとした

   極力ひらがなで書いた


□花森 = 職人 
   一人で雑誌を
    - 隔月刊

 昭和十五年大政翼賛会
  「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」
「欲しがりません勝つまでは」



◇室内室外 
   タイトルは相談してつけるものではない

   話し合ってはいけないもの 

   双方に一理あるから議論になる
     無駄である

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hagemaizo

漢字は単語、こんな考え方を初めて知りました。
もしかして、しっかり内容を捉える速読術は、漢字を使う国の方がうまくできるのかもしれないなと思いました。
by hagemaizo (2022-05-06 08:23) 

ハマコウ

hagemaizoさん ありがとうございます。
平がなばかりの子どもの文章を見るのは時間がかかります。
そんなときに漢字の良さを知ります
by ハマコウ (2022-05-06 18:24) 

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