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「町田忍の昭和遺産100」 町田忍 天夢人 2021年 ① /ふえる一方の不登校をどうとらるか(上)「決断を次回送りにのばす悪癖の背景に-分かっていて動きのとれない、という心理-」 伊藤友宣(神戸心療親子研究室・主宰) 『月刊少年育成』2001年 ②【再掲載 2015.3】 [読書記録 一般]

今回は、町田忍さんの
「町田忍さんの昭和遺産100」の紹介 1回目です。


昭和は随分遠くなりましたが、
昭和遺産として何が取り上げられているのかと楽しみながら読みました。



出版社の案内には

「風俗文化研究の第一人者・町田忍の昭和研究50年を集大成。昭和時代
 に誕生し、現在の生活にも大きな影響を与え続ける生活文化を100の
 テーマに厳選。町 田忍がフィールドワークで撮りためた約300点の写
 真とともに、『昭和遺産』に斬り込んでいく。巻頭では『町田忍の昭和
 遺産ベスト20』を紹介。本文では、『建築』『乗物』『風俗』『広告・看
 板』『商品』『実用品』『日用品』『その他』『町田忍昭和遺産研究60年
 のあゆみ』などに分けて紹介。巻頭に巻末に『昭和遺産と流行年表』
 を合わせて収載。取材イラスト集『町田忍の昭和グラフィティ』をセ
 ンター頁に綴じ込む。」

とあります。



今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「昭和時代だからこそ生まれたユニークな庶民文化は命をつないで
  いる」
- 確かに「昭和」と聞くと「庶民」を思い出します。


・「宮型霊柩車は都内では稼働中の35台が廃棄になると、昭和生まれ
  文化の灯がまた1つ消える」


・「ペコちゃんは、昭和25年生まれだが永遠の6歳」


・「浪花千栄子さんの本名が『南口(なんこう)キクノ』だから、『軟膏
効くの』でオロナイン軟膏のホーロー看板に」



昭和のものが次第になくなっていることに気付かされました。





もう一つ、再掲載となりますが、伊藤友宣さんの
「決断を次回送りにのばす悪癖の背景に-分かっていて動きのとれない、
 という心理-」②
を載せます。
学校に行きたいのに行けない子どものこころを思うと辛くなります。






<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト







ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。




☆「町田忍の昭和遺産100」 町田忍 天夢人 2021年 ①

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◇まえがき
  心に昭和時代を「ストック」して令和時代に「フロー」しよう


◇昭和の玉手箱  
 - 昭和時代だからこそ生まれたユニークな庶民文化は命をつないで
  いる

001 実用自転車
    憧れの風切りマスコット  
当時の実用自転車の価格は現在の価格で100万円ほど
町には必ず自転車屋があった


002 宮型霊柩車
    大正末~昭和初 大阪で誕生
まるで動く神社仏閣
職人はもういない
都内稼働中の35台が廃棄になると昭和生まれ文化の灯がまた
   1つ消える


003 宮造り銭湯
    東京に多い
平均42℃と高温
燕湯は国の登録有形文化財
足立区の大黒湯 北千住のタカラ湯


004 ペコちゃん
    店頭人形(ポップドール)  
昭和25(1950)年日劇に依頼 張り子で
    ベロ 向かって右が11体 向かって左が30体 
牛の「べコ」
昭和25年生まれだが永遠の6歳


005 コーワのカエル
    昭和24(1949)デザイナー・佐野寛氏が考案 
指人形カエルのマスコット化 昭和23(1948)年
現代2代目 久世アキ子デザイナー 
      昭和52(1977)ケロ(男子)コロ(女子)


006 遊郭建築
    唐破風 
昭和初期流行のスパニッシュ様式


007 滑り台
    昭和の滑り台はコンクリート製の手作り
    動物のデザインが多い   
バリエーションが多いタコもの


008 ホーロー看板
    オロナイン + ビタミンC = オロナミンC
    浪花千栄子 
      本名が「南口(なんこう)キクノ」 → オロナイン軟膏


009 交番(派出所)
    交替で番に当たるから交番   
第二の人生を送る交番たち
     ~ 一気に絶滅危惧種化している戦前の交番


010 消火栓
    明治17(1884)年 都内中心部200か所に消防用井戸 
明治31(1898)年 消火栓
土地柄を反映する









☆ふえる一方の不登校をどうとらるか(上)「決断を次回送りにのばす悪癖の背景に-分かっていて動きのとれない、という心理-」 伊藤友宣(神戸心療親子研究室・主宰) 『月刊少年育成』2001年 ②【再掲載 2015.3】

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◇知力体力共に優秀な子の不登校の例

 加藤春作(高一)(仮名)の親が、弱り切って、私のところへ相談に
きた時点では、とびとびに三十余日休んでいて、科目によればそろそろ
時間数が足りなくなると学校から通告を受けている、とのことでした。


 明日は行くと力み、月曜からは絶対に、と繰り返し約束し、結局は次
の日もその次の日も、朝になると人が変ったように動きがとれない。


 小中学では学業もスポーツも、親が気になるような出来では全くなか
った。


 それが神戸の学区制の高校群の中の二番手の高校に入らざるを得なか
ったのは、中一の終り頃から、意欲不振もいいところで、成績が低迷し
た故である。という親の話を聞いて、本人を私のところへ来所させるよ
うにすすめたのでした。



 4回目の来所時に親が当人を伴って来ました。


 ほとんどの例では、不登校に入ってしまっている当人が、私のところ
などへ容易には来たがりません。


 春作は、親から、私が提案した勧め方を、再三再四聞かされた上で、
来る気になったようです。


 子を来所する気にさせる勧め方のポイントは、後にくわしく述べます。


 やる気がこれほどなくなったのはなぜだか分からない。

 自分が不登校に陥るなんて考えもしなかったことだと、ボツリポツリ
とながらの当人の述懐をはさみながら、重い口は無理には開かせずに、
私が主にしゃべります。



◇ 子どもが、まずこちらを確かめる

 ここはいわゆる「カウンセリング」なるものの技法とか理論として大
いに意見を頂くところです。


 聴き手に徹してこちらが話しすぎないこととされるのが一般ですが、
黙しがちで意欲の湧かない子が語り出すのをやたら待つだけで共に硬化
状態のままで過ごすのは、得策と言えないことが多く、その場にいつか
「気」の生ずるか否かの勝負どころなのですから、私は時に、自己の体
験や考え方など、それを聞く相手の反応をさりげなくしっかり見守りな
がら、どんどんしゃべることがしょっちゅうです。


 特にこの春作の場合は、よく私の語るところを表情の変化を見つめな
がら聞き込んでいるようでした。


 納得出来る人物だかどうかを、確かめながら耳をそばだてている少年
の様子に、むしろこちらが思わず威儀を正すことになるのでした。


 柔道の心得のある父親の誘いで幼児期から柔道教室になじみ、少年野
球では専らキャッチャーとして活躍していたが、中学に入ってからは背
丈があるので、部活の先生の強いすすめでバレーボールに入部し、それ
なりに期待された3年間だったと、ポツポツ語り出します。


 勉強は中学になってからいい加減になってしまったものの、スポーツ
はなんでもかんでもこなせる。


「なにが問題なのか。なにが気になるの?」と、問えば、

「さあ、さあ…」

と首をかしげるばかり。まるで要領を得ないのです。

「友達は普通にいる…」

と答え、どうしても行けないから近所の友人に呼びかけ、この頃、毎晩
一緒に走ってもらっているのだと言います。友人とは

「よ-しこれでいい。明日は必ず行くからな」

「お-ッ」

とかわし合って別かれるのに、次の日も行けない。

「その繰り返しですよ」

と淋しく笑っています。いかにも力無い感じです。


 学校暮しに関しては体と心が、頭の命ずる通りにはどうしても動かな
い。


 そういうことが、学業もスポーツも能力の素地としてはトップクラス
の子の場合にも起り得るのが、つまり不登校というものの本質を語って
いるのだと、春作の不登校の例は印象深いものでした。


 当人が首をかしげ、カウンセラーである私も首をかしげるしかないわ
けなのです。


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katakiyo

町田忍さんには銭湯のことでお世話になったことが有ります。
by katakiyo (2022-07-03 13:41) 

ハマコウ

katakiyoさん ありがとうございます。
「昭和」を見つけ記録する町田さんの地道な活動のおかげで、懐かしさを楽しむことができるのですね。
by ハマコウ (2022-07-03 17:26) 

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