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鷲田小彌太さんはこんなことを ⑰-「新学問のすすめ」マガジンハウス 1997年 (5) /「地域住民から福祉・教育関係者等への無理難題要求をどう読み解き対応するか」~イチャモン研究の到達点~  大阪大学教授 小野田正利 2008年⑦【再掲載 2015.11】 [読書記録 教育]

今回は、9月27日に続いてわたしの読書ノートから、
「鷲田小彌太さんはこんなことを」17回目、
「新学問のすすめ」5回目の紹介です。




出版社の案内には

「楽しく生きるために、何をどう学び活かしていくか。仕事と生活に役立
 つ『新・学問』の快楽的修得法。」

とあります。



今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「6時からの学問 = 自分のバージョンアップ = 自己投資」


・「学校教育は強制を本分とする。学校は学ぶ習慣を身に付ける強制収容所」


・「アベレージ教育を本分とするのが学校教育
- アメリカの学校教育の芯が腐っているのはアベレージ教育に失敗した
から」


・「日本の学校では,高度の知識・技術を学ぼうと思えば独学独習しかない」



もう一つ、再掲載になりますが、小野田正利さんの
「地域住民から福祉・教育関係者等への無理難題要求をどう読み解き対応するか」⑦
を載せます。




<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。






☆鷲田小彌太さんはこんなことを ⑰-「新学問のすすめ」マガジンハウス 1997年 (5) 

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◇情報化社会の学問

□学問の個人主義化


□学校の「学問」
大学での学問の重要性

学説史と註釈
    オリジナリティ獲得の大前提
註釈 ~ オリジナルの正確な理解を目指すと同時に解釈でもある
改釈,修正,改正 = バージョンアップ

  ビジネス化
    1 予算 
    2 産業との近接 
    3 学問成果の利用販売


□学校を出てからの学問
パソコン
   - 情報をただで

  6時からの学問 
   = 自分のバージョンアップ=自己投資

  人生が学問のステージになる
「自宅」が学問を成熟させる場所
自宅 = 自室 = 仕事場
 ネットワーク


□学ぶシステム
ルーティング作用

テーマを持った勉強 
    テーマ設定 → 文献を読む →回答を文章で

  共同で学ぶ
学校教育は「強制」を本分とする
学校は強制収容所
      → 学ぶ習慣作り
「アベレージ教育」
共同で学ぶ場所
      ~ 学校はスズメの学校
共同相乗効果が学校教育の特長

アベレージ教育を本分とするのが学校教育
学校への適応不全
  1割のできる子と2,3割の落ちこぼれ
        アメリカの学校教育の芯が腐っているのはアベレージ教育に
       失敗したから
         → エリート教育には成功

  日本にないのはエリート教育  
      ∥
◎ 日本の学校では,高度の知識・技術を学ぼうと思えば独学独習し
     かない

  「師」につく
根気よく「先生」を探す
  ◎ いい先生とは最低限「いい教育者」のことだ
→ 教えるタイプより課題をくれる人,仕事をくれる人

  「いい先生」は学校の外にいる
師弟関係の危うさ  
       若い人の仕事を丸ごと横取りする強盗
派閥好きもいる

   独学独習


□学ぶ目的
職業を獲得する
  職業としての学問 
  職業のための学問


□報酬を得る
学ぶ費用は高く報酬は安い
報いのある活動
社会を開く 人間を開く
 人間に固有な活動 
「学問は技術だ」










☆「地域住民から福祉・教育関係者等への無理難題要求をどう読み解き対応するか」~イチャモン研究の到達点~  大阪大学教授 小野田正利 2008年⑦【再掲載 2015.11】
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3 子どものために手をつなぐ一学校へのイチャモンのウラにあるもの

(1)「教師を喜びとする」から「教師を降りる」

 20数年前に長崎大学に動めていた頃、退職された校長先生の何人かから
話を聞く機会がありました。


 1980年代半ばの当時は、全国にやや遅れて、長崎でも多くの中学校で校
内暴力や非行などの問題が深刻化していました。


 その渦中にあって、ようやく定年退職を迎えられた方が

「教員でなくな った日から、中学生を見る気持ちが変わったように思い
 ます。彼らも、本当は子どもらしいところがあるんですね」

とつぶやくように言われたことが印象的でした。


 現職の時に「取り締まりの対象」としてしか見えなかった中学生が、立
場を変えてみると「ごく普通の思春期に悩む青年」として映るということ
でした。


 しかし今、定年を迎えずに「教師を降りる」人が増え続けています。 


 そこにはかつての校内暴力を中心とした生徒指導上の悩みや苦悩(生徒
対応)ではなく、保護者との関係づくりの厳しさ(保護者対応)が暗い影
をおとし、同時に教員評価という同僚性文化を破壊する政策が導入される
中で、

「もうやってられない」

と決意するようになっています。


 有望な若い教師が、OJT(On the Job Training)として同僚の中で少しず
つ成長する文化が急速に薄れる中で、教科指導とは別に、部活や生徒指導
の場面でトラブルを抱え、他方で指導力もあって有能なベテラン教師が、
あえて「火中の栗を拾う」ようにしんどいクラスを受け持つ中で、子ども
との関係ではなく、保護者との抜き差しならない関係づくりに神経をすり
減らしています。


 そして時には、心の病にかかり、不幸なことに自死されることも増えて
います。

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