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「民俗学」宮田登 講談社学術文庫 2019年 /ふえる一方の不登校をどうとらるか(上)「決断を次回送りにのばす悪癖の背景に-分かっていて動きのとれない、という心理-」 伊藤友宣(神戸心療親子研究室・主宰) 『月刊少年育成』2001年 ⑤【再掲載 2015.4】 [読書記録 民俗]

今回は、宮田登さんの
「民俗学」を紹介します。




出版社の案内には、

「民俗学って何だ?戦後の民俗学を発展させた泰斗による、決定的テキスト。
 人々の日常への探究は、いかに始まり、どう展開し得るか。これを読めば
 全体像がわかる!ハレとケ、山民/海民、カミとホトケ、ケガレ、女性と
 子ども……。人々の営みを学として探究するための最重要事項を、初歩か
 ら核心まで明快平易に講義。近世の萌芽から柳田国男、南方熊楠、折口信
 夫らに至る研究史をふまえ、さらには都市の民俗などアクチュアルな学問
 としての可能性を展望する。」

とあります。




今回紹介分より強く印象に残った言葉は‥

・「明治末に日本の近代化、工事化に対する批判姿る勢をもった柳田民俗学
  現代社会に現実に生きている民俗の意味を問う。その枠組みとして、
  『常民』『ハレとケ』の概念」


・「古風への関心。宣長の視点は古代文化の記録の必要性。
  菅江真澄(1754-1829)の視点各地の風俗習慣を丹念に記録」


・「最初の民俗調査は大正7(1918)年の神奈川県津久井郡内郷村でのフィー
ルドワーク。村の外からの知的刺激が民俗の在り方を変えていくと柳田
は指摘」


・「柳田國男と南方熊楠の差異」





もう一つ、再掲載になりますが、伊藤友宣さんの
「ふえる一方の不登校をどうとらるか(上) 決断を次回送りにのばす悪癖
 の背景に-分かっていて動きのとれない、という心理-」を紹介します。
八ツ塚実さんの言葉が頭に残ります。







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☆「民俗学」宮田登 講談社学術文庫 2019年

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◇まえがき
 
 日本  
   本居宣長や平田篤胤、菅江真澄
   ↓ 
   田舎の習慣に古代を求めたり、他界観、神概念
       ↓
   明治末
     日本の近代化、工事化に対する批判姿勢をもった柳田民俗学
 
 ◎ 現代社会に現実に生きている民俗の意味を問う
     
 ○ その枠組みとして「常民」「ハレとケ」の概念



◇Ⅰ 民俗学の成立と発達

1 20世紀の学問を目指して

  日常生活の認識
国学に系譜 - 在野の研究者と糾合した柳田國男が体系化

  ヨーロッパの民俗学
イギリス 1846 トムズ フォークロア
1890 ゴンム 「民俗学ハンドブック」
グリム 「ドイツ神話学」1835 昔話の収集


2 古風への関心

宣長の視点 
    古代文化の記録の必要性
  
  菅江真澄(1754-1829)
    各地の風俗習慣を丹念に記録

  菅江真澄と屋代弘賢
菅江真澄
      1754三河生まれ 白井英二・本草学の知識
真淵門下の国学者 植田義方の指導を受けた
      『遊覧記』70冊 絵も巧み  

    屋代弘賢(やしろひろたか 1758-1841)
      幕府の寺社奉行手付
      文化13年頃アンケート 
        年中行事、冠婚葬祭


3 平田篤胤の幽冥界探求  

異人への関心
   『仙境異聞』『勝五郎再生記聞』
   15歳以下の少年 
       - 現世と幽界とのメッセンジャーと考えられた

  勝五郎再生記譚  
    文政6年(1823) 
      再生暗示
      柿の木と竈
    勝蔵から勝五郎に再生する過程 
      異人たる山人支配観 
仙童寅吉


4 20世紀初頭の民俗学

  フィンランド民俗学 
    <カレヴァラ>研究  
     クローン父子の業績
  
  アメリカ民俗学   
    1888民俗学雑誌
       F.ホアズ トムプソン ドーソン  

  アジアの民俗学  
    中国 1927 中山大学民俗学会



◇日本民俗学の先達たち

1 柳田國男と郷土研究

民俗学への第一歩
柳田國男(1875-1962)兵庫県神崎郡福崎町生
農商務省 
    明治42~43
      『後狩詞記』『遠野物語』『石神問答』
1914 高木俊雄と協力して「郷土研究」
郷土で或もの(日本人の生活、民族の一団としての過去の経
      験)を研究しよう 
       = 日本文化研究
  
  郷土研究 
明治43(1910)年12月創立 12月4日新渡戸稲造宅で郷土会の初会
    合
    石黒忠篤(農政) 木村修三(農政) 正木助次郎(地理) 小野武夫
    (農政) 牧口常三郎(人文地理・創価学会) 小田内通敏(人文地理) 
    十時弥(ときわたる 社会)
    
  □郷土
   = ムラ 
   = 地域住民のまとまり
       地理学的に
    
  □郷土の社会変動
  

 最初の民俗調査 
大正7(1918)年 神奈川県津久井郡内郷村 フィールドワーク
    村の外からの知的刺激が民俗の在り方を変えていくと柳田は指摘 


2 南方熊楠の比較文化論

南方熊楠の批判
    南方熊楠VS柳田國男
  
  南方熊楠観 
    1867-1941
    神社合祀反対 1909~


3 柳田國男と南方熊楠の差異

人類文化の普遍性
南方 ~ 比較民俗学、比較文化論的視点
  
  柳田民俗学の基本  
『郷土生活の研究』1935 
    『民間伝承論』1934 
    『国史と民俗学』1935
    
  柳田國男 
   - 有形文化、言語芸術、心意現象に分類 


4 折口信夫と渋沢敬三

常世(とこよ)・客人(まれびと)
折口信夫
     … 古代研究に民俗学的方法を導入  
       常世の国・客人信仰

    渋沢敬三たち 
  アチックミュージアム 
      中山太郎、喜田禎吉、早川孝太郎、宮本常一、赤松啓介




◇常民と常民性

1 常民の位置づけ

 ※ 途中まで








☆ふえる一方の不登校をどうとらるか(上)「決断を次回送りにのばす悪癖の背景に-分かっていて動きのとれない、という心理-」 伊藤友宣(神戸心療親子研究室・主宰) 『月刊少年育成』2001年 ⑤【再掲載 2015.4】

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◇ はじめの三日が勝負

 私より一つ年下なのに、先年急逝なさった広島の元中学教師の八ツ塚実先
生が口ぐせに

「登校拒否ははじめの三日が勝負」

とおっしゃっておられました。



 早く亡くなられたのが残念でたまらないのですが、これは、なる前になら
せるな、ということを言ってるのですね。


 はじめの3日って、3日休んだ状態では、決してまだ登校拒否だか不登校
だかにはなっていない、なる前になりそうだと察した時に芽をつんでおかな
いと、なってから引き上げるのは、回りも大変、当人も大変だぞ、といって
いるのですね。


 中学生の頃から、井上ひさしがよしとなったら夢中で出ている本を全部読
破するとか、スポーツはなんでも人なみ以上にこなせるとか、中学生として
最優秀の部類に属する位の加藤少年でも、なにもかも中途半端という中学生
としての実績の、いい加減さを、自分でいい加減に実感していて、そのいい
加減さを自分そのものだと決めつけて、落ち込んでしまう。


 私に時々会わないと目の下に隈ができると少年自身がはからずとも言った
ように、自分のありようと、自分の本来の資質といったらよいか、つまり、
状態と本質をちゃんと見分けて、自分を整理し直して、本来の自分に対する
誇りを持ち直すといったらよいか、それが悪い習性を自分のものにする前に、
ちゃんと出来るような、話の相手がいるのだと思うのです。


 状態と本質。言いかえれば、見てくれの姿と、もともとの生地と。


 八ツ塚さんの口ぐせだった「はじめの三日が勝負」の意味は、見てくれと
生地をいっしょくたにとらえて、「自分はあかん奴じゃ」と自分を決めつけ
ておち込ませてしまうな、ということだったのだろうと思います。




◇「だけど」の代りに「だのに」     

 私は、「事を憎んで、人を憎まず」が、人間の本然の姿だ、と誰にも言い重
ねています。


 状態と本質の違い。

 見てくれと生地の違い。

 今なしている事柄と、本来、心の根にあることの違い。


 みな同じことを指しています。


 頭でめぐらす理づめの考えと、第六感的にひらめく心の思いの違いでもある
のでしょう。


 私は先きに、登校拒否だか不登校だかは、個々の子どもの問題と見る以上に、
世の中全般の不用意な歪みのしわよせと見るべきではないかと述べました。


 戦後二十年たった頃、「もはや戦後とは言われない」とよく言われたもので
す。


 のに、一般の世の中の趨勢は、ずるずると決められたように効率的に流れる
ということのみをよしとして、基本から思い直すとか、本質論を問い直すとか、
すべてを揺さぶり直してみるということをしないで、経済面でも実に無自覚に
調子づいて、発展の一途だと思い込み、ついにバブルが崩壊したと嘆いてはな
す術を知らない、という成り行きなのですね。


 学校はなぜあるのだ。

 なぜ子どもは行かなきゃならないのだ。

 勉強って、いったい何なのか。

 けんかやいじめがどうして無くすことができないか。

 なぜ友達とつきあわずに一人でいることがいけないことなのか。

 はては、なぜ生きているのか、

など、根元的な問いに、大人達はなぜこんなに答えてくれないのか、などなど
が分からない。


 分からないと言えば、ほんとになにもかもが分からない。

 どうしようもないや。

 どうでもいいさ。

 深く考える奴はバカだ。


 納得させることができる論理で原因から結果、結果から原因への理屈のすべ
てを説明してやろうといくら力んでも、納得させられそうもないから、大人は
子どものそういう直裁な問いかけには逃げたりごまかしたりとぼけて、そこに
こだわる子は、よそ道にそれた子だとして問題視するのが、子ども達には納得
できないのですね。


「君はそういうけれども、世の中は実際こうこういうものなのだ」


という、″だけど″でつなぐ大人の物言いを、子どもは話にならないやと毛嫌
いします。


 真剣に聞いてやって、

「うん、君の経験や考えでそう考えるのか。なる程なあ。よ-く分かるよ。分
 かるさ。のに、ねえ。だのにねえ、なのにだよ。世間はそういう考えとは実
 際ずいぶん違うことが、ねえ、君も感じているのだよなあ、なのに、君の考
 えは、今君の力説した通り
 なのだ」


という、″だのに″を使い通して、子どものマイナス発想を、知らず知らずの
うちにプラス発想へと転回させるよう、日々のカウンセリングに、いそしんで
いる私です。


 不登校の多側面を、その二、三について、いくつかの事例を元に、もう少し、
あと続けていこうと思います。

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