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「図説・日本のうつわ」神崎宣武 河出書房新社 1998年 ⑥ /「悩む力をどのように培うか(上)-悩む力を身につけねばならないのは、今からなのです-」 『月刊少年育成』2004年1月号③より 伊藤友宜(神戸心療親子研究室主宰)【再掲載 2012.6】 [読書記録 民俗]

今回は、11月23日に続いて神崎宣武さんの
「図説 日本のうつわ」の紹介 6回目です。




出版社の案内には、

「わん、はち、さら、ぜん。日本は、多種多様の食器をつくりだしてきた。
 食器の豊かなかたちと色彩を紹介し、縄文から現代までの食器の歴史をた
 どり、日本人の食器文化を探る。」
とあります。




今回紹介分より強く印象に残った言葉は‥

・「磁器はハレの主食器として用いられた。ケは漆器中心」


・「かて飯 米に雑穀,根菜を混ぜて炊いたもの - ケの主食→ 汁で薄めた
物が『雑炊』。御飯(米飯)ハレの日」
         
  
・「かて飯であればこそのかたちと作法。飯碗に粘り気薄くポロポロのかて飯
が盛られたとすれば縁に口を付けかき込むしかない。それなら滑らかな縁
の磁器が適。かき込むのは不作法ではなかった。ハレの日の主食である御
飯は長く漆器椀に盛られた」


・「江戸の男女比は3:1で単身独身男性が多く、食欲は旺盛だった。盛り切
りの食事が丼鉢で提供されることが多かった。丼物は簡便であるが,あく
までも主食であり『中ごちそう』。日本の食事形式特色づけるのが『ドン
  ブリ文化の国」



もう一つ、再掲載になりますが、「月刊少年育成」誌より、伊藤友宜さんの
「悩む力をどのように培うか(上)-悩む力を身につけねばならないのは、今
からなのです-」
を載せます。





<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
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機会があれば、ぜひお訪ねください。
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☆「図説・日本のうつわ」神崎宣武 河出書房新社 1998年 ⑥

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◇食器の多様性 近世2
  
□磁器碗の始まり

 磁器碗 - 瀬戸産中心

 瀬戸 磁器 文化文政(1804-1830)時代より
加藤民吉が備前有田に出向いて磁器製造の技術を習得し,それを瀬戸
   に持ち帰ったことにより「新製セト」

 文化文政以前 
   陶器「本業セト」

 文化文政以後 
   磁器「新製セト」 - 幕末期には東濃地方にも
磁器を焼く窯元を「茶碗屋」と言った
商人も「茶碗屋」と言った

 ハレの主食器として用いられた
   ケは漆器中心
  

□主食は米か? 
米主食は食料の非生産者( = 都市民)

 農山村は米を主食とするなら,1年の1/2~1/3の賄い量のみ確保
(ハレの日のため)

 麦飯,稗飯,粟飯,芋飯,大根飯
[米] + [畑作物] = 混ぜ物

 かて飯
  米に雑穀,根菜を混ぜて炊いたもの
     |
   飯(かて飯)ケの主食 
    → 汁で薄めた物が「雑炊」
      
 御飯(米飯)ハレの日         
  

□かて飯と磁器碗
かて飯であればこそのかたちと作法 
   ~ 飯碗 - 粘り気薄くポロポロ

  = 縁に口を付けかき込むしかない

   → 滑らかな縁 = 磁器

 かて飯を日常の主食にした伝統が磁器の飯椀を発達させた
   かき込むのは不作法ではなかった
        ↑↓
   ハレの日の主食である御飯は長く漆器椀に盛られた
     → 食事作法はケの食べ方と異なる    

 近世 
   正座して一口ずつゆっくり口に 
   ~ 御飯でこそ


 戦後,飽食の時代にかて飯が消えた
   かつてのハレの食事作法が一般化  
  

□磁器の丼鉢
丼鉢 飯碗のほぼ二杯分の飯 = 一食分

指先に感じる熱よりも薄手で軽いという運搬機能の方が問われるから

◎ 外食の器として発達
  

□外食と丼物
外食 
   江戸時代の市中で盛んになった

 江戸 
  - 男性人口が多い 
    江戸の男女比 3:1

 単身独身男性の食欲
   煮売り屋台,蕎麦,茶飯,かて飯 ~ 盛り切りの食事 = 丼鉢 
大阪「くらわんか茶碗」-伊予の砥部焼
丼物 簡便であるが,あくまでも主食 ~ 「中ごちそう」
     日本の食事形式特色づけ 「ドンブリ文化の国」 
  

□箱膳と磁器   
日本人 
   「一汁一菜」一飯 = 二ワンと一皿

 箱膳 
   指物膳 ケヤキ・スギ 春慶塗が多い
   一尺四方,八寸四方 高さ3,4寸 被せ蓋
   中には飯ワンと汁ワンと小皿と箸
           ∥  
◎ 箱膳の普及が瀬戸美濃産の磁器,粗磁器の流通,特に美濃焼との
    関係(安物)
   ◎「有田産は料亭食器 美濃焼は家庭食器」
  

□箱膳の時代 
西日本の農村での実用が顕著  
  - 大都市では確認しにくい

 幕末 
  ~100年間ぐらい 

 なぜか
一回の食事毎に食器を洗うことをしない
   三日に一度ぐらい洗った
     ~ 水の倹約 = 生活上の合理  
  

□箱膳の由来 
都市社会での身分制の遅れ
  ~ 膳と卓の中間

 箱膳使用から銘々器所有の観念の定着










☆「悩む力をどのように培うか(上)-悩む力を身につけねばならないのは、今からなのです-」 『月刊少年育成』2004年1月号③より 伊藤友宜(神戸心療親子研究室主宰)【再掲載 2012.6

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◇心の二面性が収束できなくなる

 かの神戸の少年Aの事件は、もともと心の二面性が収束できなくなっての犯
行でした。


 犯人から地元の新聞社に送られてきた犯行宣言の文言の中に、自分の中のも
う一人の自分が人を殺せと脅迫するので抗し難くして、やったということなど
があったのが、鮮明な印象で思い出されます。


 このたびの大阪・河内長野で起こった大学生と高校生の家族殺傷事件でも、
平常から子の心の世界の異常さが親に掴めてはいなくても普通に暮せていたわ
けです。


 女の子は、家族殺しや自分達の心中の計画などは、自身に覚えのないことだ
と全面否定したのですが、その実、これまでの彼女自体の言動でクラスの同輩
達に、絶望的な自殺願望や実際のリストカットのことなどが知られてもいるし、
パソコンに死や絶望の記録が残ってもいて、内心の破綻状況と外部の大人に見
せる態度の激しい落差は、心の二面性を語るに充分なわけです。


 この事件については、双方の家族を皆殺しにし、残った自分達二人が、しば
らくは女の子の家で暮した後に、心中してこの世の中とはおさらばしようとい
う、まるで近松の心中ものを現代風にデフォルメしたような約束ごとを、実際
の行動として展開し、男の子の例の母親を殺し父親や弟に傷をつけた時点で、
父親の通報で逮捕、となったようですが、その後、精神鑑定をすることになっ
たと報じられたりで、事件のこまかな様子はまだこれから明らかにされていく
ことでしょう。


 単にマスコミ報道を散見しただけの私などが、事件そのものについて言及す
ることはできないし、しようとも思いませんが、この事件に触発されて、私な
ど、これまで何十年かのカウンセリング体験での思いが、一気に噴きだすまま
に、常日頃感じ続けてきた問題点をこの際しっかりまとめておかねばという激
しい思いを、抑えることができません。


 問題のポイントは、なんといっても前述した心の二面性がどうにも収束でき
なくなるという破綻のあり方と、親など近親者との心のへだてです。


 なにしろ、双方の両親と家族を殺して自分ら二人だけになるというやり方で
しか、邪魔ものの介入しない二人だけの世界が作れないと考えるなんて、なん
という親達とのへだたりであることか。


 もちろん、それで二人がそのまま生きていけるとは思ってはいなくて、家族
皆殺しは二人が心中すことが前提になっての計画だったというわけのようです
が、この大学生と高校生は、自分の人生をどうにもこのまま続けて行く気はな
いというお互いの自殺願望を確認し合ったことが、結びつきの基本のようなの
ですね。


 ネットで知りあった同士の集団自殺がこのところいくつも続いて起こってい
ます。


 このケースもそれらと共通点があるわけですが、身の回りの誰とも素朴な共
感を味わったことがないという、いわば孤独に自分で自分を追い込んで孤独の
寂蓼に耐えられなくなった人間にとって、この先、生きて行く気は毛頭なくて
もはや死ぬしかないという自分と同じ自殺願望の人間に出会ったことが、いわ
ばかけがえのない劇的な出会いだったのでしょう。


 心の二面性の収束に破綻を来たした者同士の、運命的な邂逅であったのです
ね。




◇上から「正しさ」を強制された者

 さて、昔昔の古い子育ては、「心は清く正しく強くあれ」の絶対命令につき
ていましたね。


 こんな単刀直入のいさぎよさは、一見して誰でも気持のよいものです。


 半世紀以上前の、皇国日本の軍国主義が華やかだった頃の、兵士や子どもの
古い写真があれば見てごらんなさい。


 目元が涼しい。凛としている。


 正しいことを正しいと信じている。


「敵を討つ」が、絶対使命だったのですもの。


 いよいよとなれば、正義のため、国家のため生命を捨てて悔いはない。


 迷いはない。


 滅私奉公。    


 男子に二言なし、でした。


 ところが世界大戦が惨めな敗戦に終って、軍部など権力の中枢の実体があら
わにされてみると、権威権力の中身は私利私欲のかたまり、国民を扇動する二
枚舌、三枚舌のどろどろした陰湿さが国家のやわな屋台骨の正体であったわけ
です。


 それよりも、より広い視野に立って日本のおかれた地球全体の勢力分野を見
ると、もともと列強諸国の陣取り合戦が、まさに稚児のお菓子の奪いあいにも
比すべき、強い者勝ちの植民地の早取り合戦だったのですから、日本もうかう
かすると植民地にされてしまう。


 必死に列強のしたい放題に抗して自己の存立をはかるべく、やむを得ない努
力のどうしようもない悪乗りが、半世紀前の日米戦争にまでとめようもなかっ
たわけで、誰が悪いでなく地球上の人類の総体が、その程度の愚かさであった
わけです。


 戦後復興の掛け声のなかでの新制教育で、私達の世代は育って来たのですが、
この半世紀の教育の基調は、過去の「権威を奉れ」の反動として、まったく裏
返しの自由平等、自主自立でした。


 「個人を尊ぶ」でした。


 「自分の思うようにやりなさい」なのでした。


 幼い間はそれですむのですが、中学生頃になっても思うようにやっていると、
いつからか一々介入されることになって、結局大人の都合のいい形に折り曲げ
られ型にはめられてしまう。


 これでは権威に従えの昔と同じではないか。


 「大人は信用ならん」の若者の不満が、戦後教育の基調といっていいでしょ
う。




◇色は変れど質は似たようなもの

 昔の「心は清く正しく強くあれ」を、昔のように絶対命令だと言い抜く元気
はないが、心もとなげにも、どうかそうであってほしいという一縷の願いが、
今どきの親の本音なのに、続く事件のように普通に育てて来たはずの子ども達
のうちから、度肝を抜かれる大変な子が出てくるとすれば、誰しもの心の屋台
骨がへし祈られる思いです。


 大人の無力感はひどくなる一方で、戦後、50年の間に、親の権威は脆弱に
なるばかりです。


 そんな大人を見りゃ子もつまらない。

 
 先の事件にしても、どうせこんな世の中、生きるに値いしない。


 死んでおしまいということなら、せめてこれは是非してみたいと思うことだ
けは、最後にやっておこう。


 生命というものが神秘なのだ。


 実際見れるものなら見たいという幼い頃からの願いだった。


 しかとこの目で見るという形でしか納得することはできないという発想だけ
で生きて来た心の貧しさ故に、生命というものをこの目で見たいということに
なれば人を殺して噴き出る血を見るという形でしか、生命の神秘は確かめるこ
とができない。


 そんな思い込みに捉われてしまい、さあ、誰を殺そうかということになる。


 一番手っ取り早く無難にやれるのは、身近にいる肉親だ。


 一人殺せば、あとが騒ぐ。


 皆殺ししかない。


 人間にはいつしか身についた優先順位があります。


 自分が死ぬことになった以上は、親なんて、道端の石ころと同じ値打ちなの
ですね。


 まあ今どきの子どもの目を見てごらんなさいよ。


 戦争時代の兵士や子どもに匹敵する程目元涼しく凛とした瞳が見つかります
か。


 きらきら光る目をしているのはせいぜいクラブの対外試合に好調な成績を上
げている子ども達位と違いますか。


 澱んだ目、気力喪失した目、険しくこちらを咎めてやまない目ざし、病んだ
目。 


 「信じるに足るものがほしい」という切々たる願いが、巷に満ち満ちていま
す。


 そういう心の弱みにつけ込んで、悪ふざけの一攫千金を企むいかがわしい輩
がまたいっぱいです。


 今でも、幼い子には「清く正しく強くあれ」の励まし方しか言えない大人達
は、この50年来世の中がどんと変ってしまったことには未だによく対応しき
れず、昔に変らぬ励まし方はするものの、なんとそのかけ声のか弱いこと。


 大人自体が信じるに足るものを失って、心がやわなのですから、精いっぱい
腹の底から笑うことも泣くこともなくなって久しい。


 笑うなんて、平生の人情の機微で失礼にならない程度のうっかりごとを、冗
談の種にして笑う笑いしか、今は笑うタネもない。


 健康な人間らしい笑いって、思いもかけず知らず知らずにひとにうつってし
まう笑いですからね。


 そんな笑いで人柄まるごとになじめる大人がいない。


 子は心が飢渇状態です。
 

 皆腰も心も引っこめて、うっかり揚げ足取りをされてからまれたり、ひった
くりの被害を受けては大変よと一切の表情を隠し、そのくせ麗々しく身を飾っ
て歩いているのです。




◇「悩む力」はむしろ邪魔

 この50年は、今の「空ろな目」に至るまでの混沌の半世紀でした。


 時代は変ったと掛け声をかけながら、人々の心の向きは定まらずうろたえっ
ぱなしだったからです。


 戦前の昔は、人間が強かったもんだと年寄りは愚痴って今の世を嘆きますが、
戦前には無理頑張りが強制されただけで、ここで言う「悩む力」なんて必要と
されなかったのですものね。


「敵を討つ」ことが目標である以上、一々悩んでいたら話にならない。


 世の中が設定された目的達成に一路邁進せよ、と上から方向を指示されてこそ
元気が出るなんてのは、「悩む力」などは、むしろ邪魔なのですよ。


 この半世紀、「敵を討て」の大義名分に代って、万博まであと一年であったり、
日本ではじめてのオリンピックを成功させよ、だったり、はては、クリスマス
までにデートの女の子が見つけられるかだの、我が家を持つまで励まねばだっ
たり、とにかく国も個人も、イベントを目標にしての無理頑張りの気張り方で
やっと日を過ごした。


 戦前戦後、何も変らないのです。

 
 生命を犠牲にしてまでも頑張りを強制されるのだけは御免ということになっ
た戦後は、なにもかもが生半可なものにはなりましたがね。




◇今も尚、心は一つと教えられる

 古来私達は、いわゆる二枚舌は人間として恥ずべきことだの発想につながっ
て、人間の心は一つとされたものです。


 一つきりない、かけがえのないものである以上、「汚れた心を持つな」の教
えとなり、「心は清く正しく強くあれ」と励むことになります。


 教育とは、心が清く正しく強くなるよう教え導くことであり、昔の「国のた
め」とは言えなくなった今の老人たちは、戦後の教育では「世のため人のため
に役立つ人間になろう」と子らを教え導いてきたのでした。


 なににしても「偽りの心は持つな」であり「正しい心を持とう」という発想
しかもたなかったのですね。


 でも、本当のところ、「心」とはどんなものなのでしょうか。


 ハート型は心臓を型どっていますが、頭脳の中のどこかに心の核があるよう
にも思われ、結局、心はこれだと手にとるように眺めたいとあせれば、件の大
学生のように頭か胸の中を切り開いてみるしかないという発想になる。実は、
心とは、内面の思いの中心というべき「イメージ」なのですね。人間が生身の
衝動を続けでいる間、その主体となっているものが心である。単に一つの臓器
の機能ではなく観念なんですね。


 だから心はどんなものだとイメージするかは、いろいろ可能なわけです。




◇フロイトは心は三つと提案した

 20世紀のはじまりの頃、つまり今から青年前に、フロイトが心は一つと捉
えるのでなく、三つあるのだという想定のしかたをしようと提案したのでした。


 対立する二つの心があり、その対立葛藤をとりなすもうひとつの心が、二つ
の心の対立葛藤が激しければ激しい程、それをとりなすことによってよく培わ
れるのだと。


 人の言動から察して、この三つの心の働きや関係が、その都度どういう風に
展開しているのかを洞察することを、つまり「心を分析するというのだ」とい
うのがフロイトの考えの基本です。     


 心理分析とか精神分析とかいうのは、現代人に聞き慣れた用語でありながら、
いったい分析とは何をどうすることかをよく知ろうとする運びが一般にあまり
にも欠けています。


 分析といえば、精神医学や心理学のいやにこむずかしい理論の奥に潜んだ深
淵な学問にかかることであって、素人は敬遠しておくにしくはない、というの
がこれまでの人々の通念になっています。



 心は三つあるとみなす、というのがフロイトのいわば平生の思念を深めるた
めの便宜としてのイメージの持ち方の提案なのですが、これは、マルクスの正、
反、合の弁証法とならんで、近代の人間科学や社会科学の扉を固くキーとなっ
た考え方なのですね。


「正」と「反」の矛盾対立を通して一層高い統一の「合」の見地に到る(=止
揚する)のが、人間社会の可能な道筋だとするマルクスの弁証法と、「我(エゴ
イズム)」と「超自我(スーパーエゴ)」の葛藤を超克して「自我(エゴ)」が確
立するというフロイトの精神分析とは、対象を、社会にとるか個人にとるかの
違いがあっても、原理は同じなのです。




◇心の二面性はあって当然

 人のためを思ってばかりいたら、自分のことがなおざりになりがちです。


 だといって、自分のことばかり考えていたら、やがて人の輪からはずされる
でしょう。


 他人との関係や集団全体のバランスを考えるのが、一つの心。超自我。


 自分のことにかかずらわるのが、もう一つの心。これは東洋思想にも出てく
る我で、フロイトの原語のルビをふるなら我(エゴイズム) 


 超自我と我の対立葛藤が私たちの日々の常。それをとりなして、まあまあの
線で日々をすごす工夫を考えるのが、三つ目の心。我。 


 心は三つなんだよと、小さい時から教えられていたら、心の二面性を気にし
て、どうにも立ちいかないというような思いつめはしなくてもすむわけですの
に。無念です。



 訳語が、どれも似ていてまぎらわしいので、心理分析などと聞いただけで、
一般は敬遠してしまい、三つの心の理解は、戦後半世紀以上たっても本当に進
んでいません。


 学校教員でも、早い話、我と超自我と自我の三つの心の説明がしっかり出来
る人は、驚く程少ないのです。


 自我と我なんて、同じものだ位に混乱している人のなんと多いこと。




◇これまで「悩む力」は不要だった

 どうでも勝たねばならない。負けられない。そういう時は「悩む力」なんて
いらないのです。勝つための「頑張り」がいるばかりですね。勝つのでもない、
負けるのでもない-一緒になんとかやっていくしかない。そういう時にこそ、
「悩む力」が必頑なのですね。


 これからの社会は、どんどんテクノロジーがさかんになり、情報の交流が密
になるという意味で、世界がひとまとまりのものになっていく一方です。

 一人びとりの個人が自分の内面の三つの心の分析の達人になるために、「悩
む力」を身につけねばならないのは、今からなのです。 近年、人間の大脳は、
左脳と右脳に機能の違いがあるということが分かってきました。


 左脳は知識を使って論理を組み上げる働きを司っているということです。そ
れに対して右脳は感覚やイメージの世界を領分としているのだそうです。


 あ、これはおもしろそう、とか、これはくだらない、話にならないとか、プ
ラスイメージとして受けとめるか、マイナスイメージとしてシャットアウトす
るかは、瞬時の判断であって論理ではないのですね。


 いくら大事なことを伝えようと力んでも、シャットアウトされていたら、力
めば力むだけ余計毛嫌いされる。そうなっている親が最近普通に多いのです。
生きていたくないと思うマイナスイメージがあまりにも多い世の中ですね。


 人生には悩みがつきものです。


 一瞬の歓喜やくつろぎに一息つくことができて、よ-しまた出直そうと、元
気をとりなおしても、またぞろ新たな悩みに遭遇するのが人生の常です。


 ああも努めこうも頑張っただけ、喜びや愉しみが光り輝いたものになるわけ
で、結局のところ、あらゆる悩みに打ち克って、人生を生き抜き、天寿を全う
するのが、人間としてあるべき姿なのだ、と考えるが、いわば常識というもの
ではありませんか。


 悩むべきときに、くよくよしたりげっそりしてしまったり、悩みに負けてし
まったら話になりません。


 だからどうしても、いわば悩みを悩み通して、悩みを脱するとか、悩みに打
ち克つことができるだけ充分な″悩む力″をとにもかくにも普段から身につけ
ていなければならないと思うわけです。


 「悩む力」なんて、いまの常用語にはありません。平和の恒常のために必須
なのです。


 町という町が焦土と化して、よれよれの復員兵がやっと祖国に戻って来はじ
めた頃、つまり半世紀も前、平和こそ大事、これから立て直しだと、誰もが必
死になったあの頃に唱える議論だったのに、と思います。

 ″悩む力″が大切という、今私が書いているこんな議論は。(以下次号)


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