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「図説・日本のうつわ」神崎宣武 河出書房新社 1998年 ⑦(最終) /「学力低下問題の本質」隂山英男(立命館大学教授) 日本標準『教師のチカラ』2010年春号より 【再掲載 2012.7】 [読書記録 民俗]

今回は、12月1日に続いて神崎宣武さんの
「図説 日本のうつわ」の紹介7回目 最終です。




出版社の案内には、

「わん、はち、さら、ぜん。日本は、多種多様の食器をつくりだしてきた。
 食器の豊かなかたちと色彩を紹介し、縄文から現代までの食器の歴史をた
 どり、日本人の食器文化を探る。」
とあります。


食器のことがよくわかりました。




今回紹介分より強く印象に残った言葉は‥

・「カンビンは燗用の容器から。アルミ容器は軍隊の弁当箱の匙,箸から」


・「銘々膳での『個食』から食卓での『共食』となり、主婦の配膳作業が簡
略化された」


・「現在日本の食卓は無国籍化され、世界でも有数の食器保有量となってい
る。うつわは使うことで価値が高まる」


・「ペケ(不良品)の食器は露店営業へとつながりやすい」





もう一つ、再掲載になりますが、隂山英男さんの
「学力低下問題の本質」を載せます。
社会の生活は夜型に大きく変わりました。
わたしが子どもの頃は、当たり前のように「晩ご飯」といっていたものが、
いつの間にか「夜ご飯」と呼ぶ人が増えています。
わたしは「晩」に食べるのが良いのではないかと感じています。






<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。







☆「図説・日本のうつわ」神崎宣武 河出書房新社 1998年 ⑦(最終)

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◇食卓の時代 近代・現代
  
 交通の発達と食器
   明治 ~ 洋風様式 

   衣から
  


 ガラスとアルミ 
   コップ = ビールと共に普及 

カンビン   燗用の容器

アルミ容器   匙,箸(軍隊)-弁当箱
  


 飯台と卓袱台 
卓袱台 
     円形 明治24(1891)年 大分県 後藤友六「卓子(折脚)」
     明治中期~大正時代  主に都市部で広がる   

   銘々膳での「個食」
    → 食卓での「共食」
◎ 主婦の配膳作業の簡略化
  


 食卓の変化 
卓袱台の中央に盛り鉢や盛り皿

主婦の配膳の手間の軽減
しかし,黙々と食べていた
  


 団欒の風景 
現在日本の食卓は無国籍化
    - 世界でも有数の食器保有量
     ◎「うつわ」は使うことで価値が高まる  

      食器との対話





◇取材協力

 味の素食の文化センター 
   1989年 財団 食文化 03-5250-8357
火・水・木・金 10:00~17:00
中央区東橋1-16-7 本社ビル別館2階
  

 小川原湖民俗博物館   
   昭和36年 杉本行雄氏 青森県三沢市
  

 祈願堂
   湯島天神下 割烹酒場
  

 武蔵野美術大学 
   民俗資料館 
     宮本常一の指導   


 ペケ(不良品)の食器
  → 露店営業








☆「学力低下問題の本質」隂山英男(立命館大学教授) 日本標準『教師のチカラ』2010年春号より 【再掲載 2012.7】

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 さてこの十年、日本の教育界は学力低下問題に振り回された。

 十年前は総合的学習の時間という、今までの教科学習とはまったく違う課題
が提起されていた。


 その準備が整ったところで、その否定の論調が強まった。


 いったいそれはなぜだったのだろう。


 私は、まずこの部分での、理解がなされていなければ、今後の教育活動にお
いて、学校は説明責任を果たすことができないと考えている。


 なぜなら、この問題の根底には、日本の教育が根本的に抱える問題があるか
らであり、学力問題はそこから致命的なミスとして発生した。


 日本の教育が根本的に抱える問題とは何か。それは、日本の教育は、理念的
に過ぎ、実証性が乏しい点である。


 かつて日本の教育は知育偏重と言われたが、日本の教育はよくも悪くも徳育
偏重である。


 そのため、日本の教育議論は、実証性がなく、方法論ばかりに終始し、一般
社会や現実から遊離してしまう危険性が絶えずあるのである。


 そのために、的外れなことが、ときには堂々と語られる点にある。


 ゆとり教育と学力低下の問題は、その典型だったと私は考えている。


 では、どこでミスは始まったか。私はそれを昭和56年と考えている。


 この年は、中学における校内暴力の爆発が起き、戦後教育の最大の危機であ
り転換点であった。


 たまたま私はその年、教師となった。


 そして、当時もっとも校内暴力問題が激しい兵庫県尼崎市の学校に赴任した。


 近隣の中学校はとても荒れていた。
 

 その中学に行くことを避けるため、児童の多くは、深夜遅くまで中学入試の
勉強に追われ、5年生になれば、学校の授業は空洞化していた。


 一方、ドロップアウトした子どもはゲームセンターに入り浸っており、そう
した子の親は学校の指導をうっとうしいとしか思っていなかった。


 この状況を克服するため、校則を強化し管理的に暴力を鎮めていく方法や、
合唱大会などイベントによる子どもたちの自主性の開花によって安定させてい
く方法などが提起された。


 対照的な対応に見えるが、勉強を子どもたちに強いることが、子どものスト
レスを高め、子どもの心を荒らしてしまうと信じることでは共通していた。


 それは、当時受験競争が過熟し、名門公立高校が凋落する一方、私立の中高
一貫校が勃興してくる時期で、受験競争の過熱こそ、子どものストレスの元凶
とされたのである。


 当時は私もそう思った。


 だが、問題は受験などと縁のないところでも起きていた。


 しかも、1992年には管理教育はゆるめられたが、不登校は増えた。


 受験ストレスでは説明できないことが起きていたのだ。


 この欠陥こそ、その後、日本の教育が迷走していく最大の原因となっていく
のである。


 子どもの不登校と体力低下が昭和56年から始まっていることを発見した私
は、当時の子どもたちの生活を思い出し、確かに受験競争のストレスも背景に
はあるが、直接的には、社会の夜型化の影響から来る生活習慣の崩れが原因だ
ったと考えるようになったのである。


 しかし、マスコミは、評論家を登場させ、荒れや不登校はどのような家庭で
も起き得ると社会をあおった。


 その疑心暗鬼がパニック的なものとなり、やがて勉強そのものが、子どもの
ストレスになるとの論調が強まった。そして、読み書き計算というような基礎
学習まで、子どもの心を荒らすかのような認識が広まっていったのである。


 学力低下は、こうして深く進行していった。


 だが、社会は子どもが荒れると、絶えず教師のあり方を問題とした。


 しかも、今の日本の言論には実証性がなく、感情的な批判ばかりが交錯する。


 「なぜか」をあまり問わず、「誰の責任か」ばかりを問題にする。


 そのために、すべての家庭を巻き込むような、日本人の夜型化を問題にする
人は多くはなかった。


 だが、夜遅くまでの塾通いにしても、子どもの夜遊びにしても、社会の夜型
化がなければ成り立たない。


 子どもだけが夜遅くまで起きているなどということはないのだから。


 バブルとその崩壊の中で、日本全体の生活習慣は崩れ、今や日本人は世界で
もっとも眠らない民族になった。


 皮肉なことだが、受験競争の勝利者である東大法学部の卒業生は、睡眠時間
を削って高級官僚となった。


 そして、今やもっと睡眠時間を削って働く代表的な人々となったのである。


 嘘ではない。


 その証拠として、しばらく前に問題になった居酒屋タクシーがある。


 若手官僚は、給与は高くないから、東京の中心部に自宅は持てない。
 

 だから、終電が終わったあとはタクシーで帰らなければいけない。


 しかし、彼らも眠い。


 起きたまま、運転手に自宅への行き先を告げるのはつらい。


 だからこそ、ご贔屓の個人タクシーができ、お抱え運転手のごとく使う。


 毎日のように顔をあわせていれば、深夜まで働く官僚を助けたいという運転
手が出てくるのも人情である。


 これが居酒屋タクシーの現実である。


 事実とは意外とこんなものである。


 生活習慣の悪化が、子どもの活力を奪っている。


 実はそのことをもっとも実感していたのは、文部科学省の人々ではないだろ
うか。


 私は、現場、教育委員会、文部科学省といろいろ行くが、労働時間のもっと
も長い労働者は、皮肉にも文部科学省の官僚である。


 これが、文部科学省が

「早寝早起き朝ごはん運動」

に本気で取り組んだ理由と考えるのは、いやらしいだろうか。


 私にとって苦しかったのは、この生活習慣の崩れが学力低下の最大の要因で
あるということは、自分の中で確信があっても、実証する手だてがなかったこ
とだ。


 実は、土堂小学校の校長公募に応募したり、立命館大学の研究職に移ったり
したのは、それをするためだったのである。


 そして、それは不思議なことに、文部科学省の後押しによって、

「早寝早起き朝ごはん運動」

という国民運動へと成就した。


 このことによって、子どもの生活習慣は、大きく改善の方向に助き出したの
である。


 私はこの動きが起こせたのは、やはり早寝早起き朝ごはんに読み書き計算の
実践を加え、論ではなく、事実をもとに動き、またみんなの願う事実を作るこ
とに徹したからだと思う。


 途中、あやうく挑発され、無益な論争に巻き込まれそうになったが、人々の
願いを忘れず、それを事実として実現できたことが今日につながったと思う。


 事実は論では動かない。


 事実は小さくても事実に即して動く。


 この十年の私の教訓である。

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