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「宮本常一著作集 42 父母の記/自伝抄」 宮本常一 未来社 2002年 ① /「日本史小百科 学校」海原徹 東京堂出版 1996年 ①(前半)【再掲載 2014.1】 [読書記録 民俗]

今回は、宮本常一さんの著作集から
「42 父母の記/自叙伝」の紹介 1回目です。



出版社の著者紹介には

「宮本常一に強大な影響を与えた父、母、祖父、祖母に関する文章および自伝
 的エッセイを収録する。また本巻には、母の葬儀の際に出席者へ配った、
 『母の記』、妻へ向けた文章を含む『我が半生の記録』(『妻たる人に』)、
 郵便局の勤務時代の回想である『私の郵便局時代』、祖母の死去と葬儀の行
 程を記した『祖母の死と葬儀』、父の死のドキュメントである日記など、
 今回初公開となるきわめてプライヴェートで貴重な文章を多数収録。」
 
とあります。



今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「近所の子どもが納屋で火遊びしたことにより実家が火元になった。その
  後、裸足で縄帯姿で詫びにまいいった。寄り合いでは末座に座った」
- 火事を出すと、村はずれのような状況になってしまったのですね。
 きびしいですね。


・「明治の間に村から全体の100戸のうち20戸が消えた」
- 明治の厳しい生活が想像されます。

・「父がやかましかったことは、ショシャ(農作業)の善し悪しと所作'(姿勢,
態度,振り)。父が仕事をいかに大切にしていたかがわかる」


・「金は作ることは容易だが使うことは難しい」



もう一つ、再掲載になりますが、梅原徹さんの
「日本史小百科 学校」①を載せます。



<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。




☆「宮本常一著作集 42 父母の記/自伝抄」 宮本常一 未来社 2002年 ①

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◇ふるさとの島・周防大島
  平凡な島  
    よく働く女性,出稼ぎ,海外移住者


◇父祖三代の歴史
  黒船の噂 
    聞こえる時の鼓動 
    百姓 市五郎の家 
    忍び寄る不幸 

  制度改革の苦しみ
    (物納→金納)  

火事と借銭 
    近所の子どもが納屋で火遊びしたことにより実家が火元になった
→ 裸足で縄帯姿で詫びにまいる
        = 寄り合いでは末座に
善十郎(父) → 山口の染物屋に奉公

窮乏の果て 
    ハワイ官約移民に行けば 
    悲しき立身出世

敗残者の群れ 
    気が触れる者
    自殺する者
    泥棒になる者
    乞食になる者
    らい病
結核

◎村から消えた家(明治中) 
      ※ 100戸から20戸が消えた

  神仏にすがる  
    最後の庄屋は村人の保証人となり没落 
→ 神仏にすがる 
       ◎ 「御一新」以前が慕われるように

  フィジー島に渡る
    辛い生活  
    養蚕の辛苦  
    ◎ 保障なき明治



◇父祖の教うるところ
父祖の教うるところ
父がやかましかったこと 
      ◎ ショシャ(農作業)の善し悪し 
      ◎ 所作'(姿勢,態度,振り)
  = 仕事をいかに大切にしていたか
仕事は事務ではなく生活を規定するもの

  父の教育は叱責が最初ではない
    → 気込(芦田)を作ること
6,7歳で物まね
    → 10歳で実地

多くの予祝行事 
    7歳 = 氏子入り 子ども組へ
10歳の祝い
13歳の十三参り
15歳で元服一人前
  
日本の明治期 
文化産業入ってくるものに純真に手を出し従った
↑↓
◎ 失ったもの
       = 「仕事によって生活を規範する」考え

◎ 仕事を生活の手段としてと解せるようになった

◎ 人々をして純真なる情熱を以てものに対する態度を失わしめようとする
※ <インテリこそ危険思想>

  父の言葉
◎「金は作ることは容易だが使うことは難しい」
・ 多くの人が無駄金を使っている
・ 困っている人に「出し惜しみしてはならぬ」
・「金は貸してはならぬ。仲違いのもとになる。困っている友
に対してならやることだ。やる金がなかったらはっきり
          断ることだ。」
   ・「一日二十四時間,同じように与えられている。その二十四
時間をどのように自分のものにしていくかでその人の生涯
は決まっていく」
  
父の死 
昭和8(1933)年日記から
「私のことは案ぜずに体を大切にせよ」

付 祖母の死と葬儀の次第










☆「日本史小百科 学校」海原徹 東京堂出版 1996年 ①(前半)【再掲載 2014.1】
 
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◇学校  
  社会的産物  
    機能 - 社会の維持・存続

ルソー
 「学校は骨折り損のくたびれもうけをする場所でしかない」

    ◎ 四無主義(無気力・無関心・無責任・無感動)
      つまらない原因 
        ・人間性軽視
 ・創造性が養われない


◇大学寮 
  671年前後 式部省所属官立学校  

5位以上子弟の13歳~16歳
郡司子弟・自丁(庶民)も少数

  1177年 大火で消失
 

◇別曹(氏院) 
  有力氏族の奨学施設

 800年 弘文院(和気氏) 

  821年 勧学院(藤原氏)

 844年 学官院(橘氏)  

  881年 奨学院 在原氏も


◇国学  
  大宝3年(703年)
    国ごとに一校

 地方官僚の養成期間  
    郡司の子弟 13~16歳
 

◇芸亭・芸亭院 
  日本最初の公開図書館
  771年~794年 20~30年間 天理市内

 石上宅嗣(いそのかみのやかつぐ)


◇綜芸種智院  
  学校 
    すべての人に教育を
828年~845年
  庶民の唯一の立身出世のルート


◇中世     
  学問所 勧学院


◇寺子屋    
  鎌倉以後 寺入り


◇金沢文庫   
  学問・教育公開への第一歩 1269-1276


◇足利学校   
  百科全書的教養人


◇昌平坂学問所 
  1630 林家家塾が原点
1797 昌平校に 
        - 旗本・御家人に限る


◇藩校     
  エリート → 家臣団全体教育
教育対象の拡大


◇明倫館    
  綜合学術教育機関としての藩校 萩藩


◇国学校    
  国学的イデオロギーの発達
 和学 
    皇学 
    皇朝学
    皇国学
    古学
    本学
    本教学
         
  1862年~
  神道科 
     - 古事記 六国史 大日本史
法度科
     - 宣命 祝詞 詔勅 上表 律令 格式

 歌文科
     - 古事記 祝詞 万葉集 八代集


◇医学校    
  漢方から蘭学へ

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