「致知」2003年12月号 ③(最終) /『オレ様化する子どもたち』諏訪 哲二 中央公論新社 2005年 ②【再掲載 2018.6】 [読書記録 一般]
今回は、5月3日に続いて、
月刊誌『致知』の2003年12月の紹介3回目 最終です。
本日紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「読書をしましょう、ごはんを食べるように」
・「ネクストワン すべてがオンリーワン」
・「古典は英知の宝庫」
・「経営は財をなすのは下、仕事を為すのは中、人を為すのは上」
もう一つ、再掲載になりますが、諏訪哲二さんの
「オレ様化する子どもたち」②を載せます。
-「農業社会」「産業社会」「消費社会」段階説
-「もっと教育的にドライに!」
納得します。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「致知」2003年12月号 ③(最終)
◇子どもたちに読書力を付けさせよう
夏目研一(昭和28年生中学校教諭早大院生)
宮本由里子(昭和38東京生八潮中学校教諭)
授業開始から十分間「連続朗読劇場」で読み聞かせ
教師は生徒以上に学ばなければならない
「致知」の授業
ナマの自分の実践
子どもたちは正しい生き方に飢えている
「致知」の授業
→ 現代人の伝記
教師としてのアイデンティティ
朗読の力、声の力
朗読 … 地の文は一息で、せりふはその人になりきって
教科書読みにならないように
致知 … 生徒にコピー 普通に読む
宮本 月3~4万円本代
今求められるべきは教師の熱さである
素晴らしい人生の未来図を描くために
10~20年後 子どもの心の中で生きている
「読書をしましょう、ごはんを食べるように」
|
「誰の人生にも人生を変える本は必ずある。その本に出合うまで読書
をやめないでほしい」
◇ビジネスマンよ読書力を養い心を磨こう
徳増須磨夫(三井住友海上大正12年生) 下村澄(福田会コモン昭和4生)
若い頃の読書体験が人生の基礎をつくる
下村澄
- 安岡正篤に師事
文庫本は宝物のようだった
夏目漱石、和辻哲郎、河島武宣
師に薦められた「呻吟語」
深い話、難解な話を平易な言葉で表現
安岡心身摂養法
1 心中常に喜神を含む
2 心中絶えず感謝の念を含む
3 常に陰徳を志す
東洋哲学、西洋哲学精通者 安岡正篤 中村元(はじめ) 和辻哲郎
慶大 村田昭治 「ネクストワン」
ネクストワン = すべてがオンリーワン
「運がいい」とは前向きの姿勢で生きること
人間の4つの要素
①徳性 ②知能 ③技能 ④習慣
※ 徳性及び習慣が大切
ハウツーよりも原理原則を学べ
読書はビジネスマンの創造が創造力を培う
室町期 禅僧・虎閣禅師 「古教照心 心照古教」
|
人生を変える「杖ことば」をもとう!
|
◎ 古典は英知の宝庫
◇人生無駄なことは何もない 和地孝(テルモ会長 昭和10年神奈川県生)
「自分が主役だと思って働け」社員に訴えるため全国行脚
テルモ 大正10年北里柴三郎中心に設立された
経営は財をなすのは下、仕事を為すのは中、人を為すのは上
米国の経営者
~ 会社はマネーの変形
日本人経営者
~ 会社は城 社員は石垣
大小様々な医師を組み合わせなければ頑丈に作れない
「人は財でありコストではない」
◇一つ一つの出会いに心を込めて様々なフィールドで活躍
マリ・クリスティーヌ(上智大卒 東京工業大学院修士)
諸外国のネットワークを生かす
父・米国人 母・日本人
4歳~ドイツ、アメリカ、イラン、タイ
Life long leaning(生涯学習)
大学院-社会工学
働く場は自分でつくる
タイに学校
☆『オレ様化する子どもたち』諏訪 哲二 中央公論新社 2005年 ②【再掲載 2018.6】
◇「新しい子ども」の誕生
(1)教師と子どもは他者である
「教育改革国民会議」の子ども観論争
子どものプラス面・マイナス面ともにとらえたのは,山折哲雄・曾
野綾子・河上亮一各氏のみ。
~ 教師の思いと子どもたちの現実
「農業社会」「産業社会」「消費社会」段階説
(2)戦後社会の変遷と子どもたち
□近代日本の子ども
「新人類」
→ 「オタク」
→ 引きこもり,ニート,フリーター
□1960年以降の変化
市民的な公共性が立ち上がる前に,バラバラした向き出しの経済主体
として個が登場してきた
□1970年から現代へ
「この私」を公共空間において瞬間瞬間に実現
(3)幼児期の全能感と「特別な私」
□80年代の決定的変化
- 喫煙とカンニングの事例をもとに
「しゃべってねえよ,おかま」
私語の注意に対して
□→「農業社会型」
全体に向かって「うるさいよ」で静かになった
→「産業社会型」
一部のおしゃべりを注意すれば静かになった
→ 「消費社会型」
※ 直接注意されても否定あるいは居直る
□昔のワルと違う点
「消費社会型」段階
- それをもつ一人一人が自分一人だけの価値だと思っていないこと
= 自分の思っていること,自分の判断していることは,他のみんなにも
通用するはずだとみんなが思うように至った
◎ 客観と主観の境界がなくなった
= オレ様化
□今時の授業風景
うっかり生徒を叱れない
= 子どもたちの自我は外からの攻撃に弱くなった
= 「オレ様化」
◎ 教師は社会を代表する者でも象徴の父でもなくなった
□比較の拒否
自分がどう見られているか,自分はどのような位置にいるか気にしない
= 「世間」の領域の消失
□自分は絶対的に特別
= イチローもそう
□「全能感」から卒業せよ
◎ 幼児期の「全能感」に由来する「私そのもの」への執着
(4)なぜ校内暴力は起きたのか
□学園紛争と校内暴力の違い
偏差値のもたらしたもの
「消費型社会」
- 収入(お金)でその人物の価値が決まる
◎ 経済が生活や精神を全面的に規定してくる時代
(5)変わる子ども,変わらない教師
□保守的な論じ方,進歩的な論じ方
「共同体的」(コンサーバティブ=保守)と「市民社会的」(リベラル=進歩)
□「贈与」と「商品交換」
□贈与であった教育活動が商品交換的にと変化!
教師の権威がなぜ失墜したのか
旧・文部省「新しい学力観」の目論見
◎「贈与」から「商品交換」へ
「このオレ様にルールを守らせようとするためなら…」
等価価値に固執する動き
「いじめ」の構造
※ いじめが極端になっていったのも,子どもたちの人間関係が共同
体的なものから市民社会的なものへと変わっていったからだ(仮説)
□共同体社会
許容
「あいつは仕様のないやつだ」
「あの人はああいう性格だよ」
↑
例:そうじ
働く人が働かない人をカバーしてきた
↑↓
□排除の方向へ
いじめは共同体的なものから市民社会的なものへと変質してきた
※ バラバラな「個」がクラスに集まってくる
愛 →← 等価交換
□教育も子育ても贈与が基本
◎ 子ども・若者たちは共同体による保護がなくなり,いつも自立(孤立)
した「個」として「等価交換」に強迫されているように思う。
□教育の原点は「贈与」
◎ 贈与としての教育を一方的に受けていく中で商品交換的なコミュニ
ケーションを身に付けていく。
(6)大人と「一対一」の関係を望む - 子どもは「一」ですらない
□朝日新聞の学級崩壊報道
→ すべてがシステムまたは教師のせい
□文部官僚・寺脇研の責任は?
子どもたちが「消費社会」に動かされて個の実現を図ろうとしている
→ その欲望や衝動をすべて教育に組み込めると思いこんでいる所に
錯誤はないのか
子どもの内面をいじりすぎる教師
→ ◎ もっと教育的にドライに!
(7)子どもに近代を埋め込もう
なぜ学校に行くのか
人間は死んでも生き返る?
◎大切なのは「この私」を崩していくこと「私とは何か」
月刊誌『致知』の2003年12月の紹介3回目 最終です。
本日紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「読書をしましょう、ごはんを食べるように」
・「ネクストワン すべてがオンリーワン」
・「古典は英知の宝庫」
・「経営は財をなすのは下、仕事を為すのは中、人を為すのは上」
もう一つ、再掲載になりますが、諏訪哲二さんの
「オレ様化する子どもたち」②を載せます。
-「農業社会」「産業社会」「消費社会」段階説
-「もっと教育的にドライに!」
納得します。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「致知」2003年12月号 ③(最終)
◇子どもたちに読書力を付けさせよう
夏目研一(昭和28年生中学校教諭早大院生)
宮本由里子(昭和38東京生八潮中学校教諭)
授業開始から十分間「連続朗読劇場」で読み聞かせ
教師は生徒以上に学ばなければならない
「致知」の授業
ナマの自分の実践
子どもたちは正しい生き方に飢えている
「致知」の授業
→ 現代人の伝記
教師としてのアイデンティティ
朗読の力、声の力
朗読 … 地の文は一息で、せりふはその人になりきって
教科書読みにならないように
致知 … 生徒にコピー 普通に読む
宮本 月3~4万円本代
今求められるべきは教師の熱さである
素晴らしい人生の未来図を描くために
10~20年後 子どもの心の中で生きている
「読書をしましょう、ごはんを食べるように」
|
「誰の人生にも人生を変える本は必ずある。その本に出合うまで読書
をやめないでほしい」
◇ビジネスマンよ読書力を養い心を磨こう
徳増須磨夫(三井住友海上大正12年生) 下村澄(福田会コモン昭和4生)
若い頃の読書体験が人生の基礎をつくる
下村澄
- 安岡正篤に師事
文庫本は宝物のようだった
夏目漱石、和辻哲郎、河島武宣
師に薦められた「呻吟語」
深い話、難解な話を平易な言葉で表現
安岡心身摂養法
1 心中常に喜神を含む
2 心中絶えず感謝の念を含む
3 常に陰徳を志す
東洋哲学、西洋哲学精通者 安岡正篤 中村元(はじめ) 和辻哲郎
慶大 村田昭治 「ネクストワン」
ネクストワン = すべてがオンリーワン
「運がいい」とは前向きの姿勢で生きること
人間の4つの要素
①徳性 ②知能 ③技能 ④習慣
※ 徳性及び習慣が大切
ハウツーよりも原理原則を学べ
読書はビジネスマンの創造が創造力を培う
室町期 禅僧・虎閣禅師 「古教照心 心照古教」
|
人生を変える「杖ことば」をもとう!
|
◎ 古典は英知の宝庫
◇人生無駄なことは何もない 和地孝(テルモ会長 昭和10年神奈川県生)
「自分が主役だと思って働け」社員に訴えるため全国行脚
テルモ 大正10年北里柴三郎中心に設立された
経営は財をなすのは下、仕事を為すのは中、人を為すのは上
米国の経営者
~ 会社はマネーの変形
日本人経営者
~ 会社は城 社員は石垣
大小様々な医師を組み合わせなければ頑丈に作れない
「人は財でありコストではない」
◇一つ一つの出会いに心を込めて様々なフィールドで活躍
マリ・クリスティーヌ(上智大卒 東京工業大学院修士)
諸外国のネットワークを生かす
父・米国人 母・日本人
4歳~ドイツ、アメリカ、イラン、タイ
Life long leaning(生涯学習)
大学院-社会工学
働く場は自分でつくる
タイに学校
☆『オレ様化する子どもたち』諏訪 哲二 中央公論新社 2005年 ②【再掲載 2018.6】
◇「新しい子ども」の誕生
(1)教師と子どもは他者である
「教育改革国民会議」の子ども観論争
子どものプラス面・マイナス面ともにとらえたのは,山折哲雄・曾
野綾子・河上亮一各氏のみ。
~ 教師の思いと子どもたちの現実
「農業社会」「産業社会」「消費社会」段階説
(2)戦後社会の変遷と子どもたち
□近代日本の子ども
「新人類」
→ 「オタク」
→ 引きこもり,ニート,フリーター
□1960年以降の変化
市民的な公共性が立ち上がる前に,バラバラした向き出しの経済主体
として個が登場してきた
□1970年から現代へ
「この私」を公共空間において瞬間瞬間に実現
(3)幼児期の全能感と「特別な私」
□80年代の決定的変化
- 喫煙とカンニングの事例をもとに
「しゃべってねえよ,おかま」
私語の注意に対して
□→「農業社会型」
全体に向かって「うるさいよ」で静かになった
→「産業社会型」
一部のおしゃべりを注意すれば静かになった
→ 「消費社会型」
※ 直接注意されても否定あるいは居直る
□昔のワルと違う点
「消費社会型」段階
- それをもつ一人一人が自分一人だけの価値だと思っていないこと
= 自分の思っていること,自分の判断していることは,他のみんなにも
通用するはずだとみんなが思うように至った
◎ 客観と主観の境界がなくなった
= オレ様化
□今時の授業風景
うっかり生徒を叱れない
= 子どもたちの自我は外からの攻撃に弱くなった
= 「オレ様化」
◎ 教師は社会を代表する者でも象徴の父でもなくなった
□比較の拒否
自分がどう見られているか,自分はどのような位置にいるか気にしない
= 「世間」の領域の消失
□自分は絶対的に特別
= イチローもそう
□「全能感」から卒業せよ
◎ 幼児期の「全能感」に由来する「私そのもの」への執着
(4)なぜ校内暴力は起きたのか
□学園紛争と校内暴力の違い
偏差値のもたらしたもの
「消費型社会」
- 収入(お金)でその人物の価値が決まる
◎ 経済が生活や精神を全面的に規定してくる時代
(5)変わる子ども,変わらない教師
□保守的な論じ方,進歩的な論じ方
「共同体的」(コンサーバティブ=保守)と「市民社会的」(リベラル=進歩)
□「贈与」と「商品交換」
□贈与であった教育活動が商品交換的にと変化!
教師の権威がなぜ失墜したのか
旧・文部省「新しい学力観」の目論見
◎「贈与」から「商品交換」へ
「このオレ様にルールを守らせようとするためなら…」
等価価値に固執する動き
「いじめ」の構造
※ いじめが極端になっていったのも,子どもたちの人間関係が共同
体的なものから市民社会的なものへと変わっていったからだ(仮説)
□共同体社会
許容
「あいつは仕様のないやつだ」
「あの人はああいう性格だよ」
↑
例:そうじ
働く人が働かない人をカバーしてきた
↑↓
□排除の方向へ
いじめは共同体的なものから市民社会的なものへと変質してきた
※ バラバラな「個」がクラスに集まってくる
愛 →← 等価交換
□教育も子育ても贈与が基本
◎ 子ども・若者たちは共同体による保護がなくなり,いつも自立(孤立)
した「個」として「等価交換」に強迫されているように思う。
□教育の原点は「贈与」
◎ 贈与としての教育を一方的に受けていく中で商品交換的なコミュニ
ケーションを身に付けていく。
(6)大人と「一対一」の関係を望む - 子どもは「一」ですらない
□朝日新聞の学級崩壊報道
→ すべてがシステムまたは教師のせい
□文部官僚・寺脇研の責任は?
子どもたちが「消費社会」に動かされて個の実現を図ろうとしている
→ その欲望や衝動をすべて教育に組み込めると思いこんでいる所に
錯誤はないのか
子どもの内面をいじりすぎる教師
→ ◎ もっと教育的にドライに!
(7)子どもに近代を埋め込もう
なぜ学校に行くのか
人間は死んでも生き返る?
◎大切なのは「この私」を崩していくこと「私とは何か」
「古典は英知の宝庫」
聖書、老子、エマソン、道元禅師...最近読んでます。
by cheese999 (2023-05-09 23:57)
cheese999さん ありがとうございます。
古くからの教えから学ぶことは多いですね。
わたしは古典を抜粋した紹介本を読むことが多いので、
少しでも読まなくてはと思います。
by ハマコウ (2023-05-10 04:02)