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山折哲雄さんはこんなことを ①-「近代日本人の宗教意識」岩波書店 1996年 (1) /「教師はおびえ、保護者は仲たがい」大阪大学大学院教授 小野田正利  『内外教育』誌2012年2月24日【再掲載 2012.3】 [読書記録 宗教]

今日は6月14日、金曜日です。


今回は「山折哲雄さんはこんなことを」1回目、
「近代日本人の宗教意識」1回目の紹介です。


出版社の案内には、

「日本人にとって宗教とは何か.オウム真理教事件が提起する問題を見
 据えながら,著者年来の問題関心とその成果を集成.正岡子規,夏目
 漱石,寺田寅彦,宮沢賢治,和辻哲郎,木村泰賢他の言行を検討し,
 風土に規定された自然感覚の深奥に横たわる原初的な宗教意識と,そ
 の特質を浮彫りにする.日本人の心の深層に新しい角度から光を当て
 る労作」

とあります。


今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「あれもこれもという主体滅却の精神態度の中から描き出された受動
  的な無神論」


・「『山も川も木も一つ一つが神であり人でもあった』-八百万の神が生
まれたのも当然」


・「危機的状況下では,非日常的な意識へと移行し、ふと神の影を感じ
る」


・「『心のケア』と『マインド・コントロール』両者とも善玉・悪玉にな
りうる」



もう一つ、再掲載になりますが、小野田正利さんの
「教師はおびえ、保護者は仲たがい」を載せます。
12年前の記事です文科省総合教育政策局教育人材政策課長・小幡泰氏の
「教員採用倍率の低下と『教師不足』等について」報告(R5.1)によると、
全国小学校教員採用試験の倍率は、
過去最高(昭和54年度以降)だった平成12年度の12.5倍が、
令和4年度には2.5倍(過去最低)に低下しています。
教職に就きたいと思う人が増えてほしい…。




☆山折哲雄さんはこんなことを ①-「近代日本人の宗教意識」岩波書店 1996年 (1)
 
1.jpg

◇無神論者
我々の無神論は漠然としたもの
- 二者択一でなくあれもこれも 自己批判
    = あれもこれもという主体滅却の精神態度の中から描き出さ
     れた受動的な無神論

寺田寅彦「天災は忘れたころにやってくる」
地震学者
1935(昭和10)年「日本人の自然観」
日本の自然は不安定 
        地震・津波・台風の教脅威
- 自然の前で従順に生きる智恵
自然を師として学ぶ謙虚な態度
= 日本人の科学もそう
対症療法 非攻撃的
  天然の無常観
八百万の神が生まれたのも当然
「山も川も木も一つ一つが神であり人でもあった」
 = 天然の無常観の中に無神論的心情

  危機的状況下では,ふと神の影を感じる
非日常的な意識へと移行
 

◇オウム事件 
  二つの観点 
① 高度消費社会 
       将来への不安と退屈な日常
② 攻撃的で狂信的なカルト集団
背景
      - ステロタイプ 家庭崩壊,競争社会,偏差値教育
 

◇心
 ◎「心のケア」と「マインド・コントロール」
両者とも善玉・悪玉になりうる

最澄 
   - 道心 道(仏法)を求める心

明恵 
   - 菩提心 仏道を志す心

親鸞 
   - 深心

道元 
   - 身心脱落         

  神殺し人殺し
 

◇子規 
  俳句短歌の革新 
   - 「写生」の方法
自然との一体
    「病床六尺」「墨汁一滴」 






☆「教師はおびえ、保護者は仲たがい」大阪大学大学院教授 小野田正利  『内外教育』誌2012年2月24日【再掲載 2012.3】

◇ポイント
①「いい先生」といっても、全ての保護者や 子どもがそう思ってはい
 ない

② 新たな制度をつくり出し強要することで、大事なものまでなくして
 しまわないか

③ 教師と保護者、そして保護者同士の間での風通しは確実に悪化する


◇「いい先生」と誰もが見るのではない

 子どもや保護者から「いい先生(だった)」といわれる教師でも、実
は100%がそう思っているわけではない。


「クラスの保護者の7割が担任を支持していたら、その先生は力のある
 先生や」


 一年以上前にある小学校長から聞いた言葉である。


 無論7割に科学的根拠があるわけではない。


 機会あるごとに私は「この見方をどう思うか」といろんな人に尋ねた
が、割合には違いがあるものの、クラスの40人の保護者が、ある担任に
絶対的な信頼を置いていることはなく、必ず一定の批判的な見方をする
保護者がいたり、どちらでもないと考えている人がいることに、異論を
挟む者は誰もいなかった。


 それは子どもも同じであろう。


 学園ドラマで、手が着けられなかった非行少年・少女たちが立ち直っ
ていく「GTO」「ごくせん」「ルーキーズ」にしろ、冷ややかに見てい
る者は確実にいる。


 私は、長崎大学でも大阪大学でも、2年に1回のサイクルで「映画と
テレビドラマを通して考える教育学」という講義を組み立てて実施して
いる。


 その中で一世を風靡した、「3年B組金八先生」を題材として扱い、
1985年12月に放送されたスペシャルⅣ(114分)を見せて解説した後
「私は金八(のような)先生が好きです(あるいは嫌いです)。なぜな
らば……」という書き出しでのリポートを指定している。


 今、手元にある2006年(受講者数60人)と10年(同50人)のリポー
トを概観すると「好き(大好き)」「嫌い(好きではない)」「どちらで
もない」は、39・9・12(06年)、33・4・8(10年)という結果に
なっている。


 架空のドラマであるが、要するに誰もが感動して同じように金八先
生(主演‥武田鉄也)を見ているわけではなく、3割程度は「肯定的
ではない」。


 教師を評価するという制度の場合に、特に、注意しなければいけない
のは、常にこういった実態があることを、慎重に考えながらシステムや
手続きをつくっていくかということにある。


 そこに保護者や生徒が関与するとしても、それが分限免職につながっ
ていく重さを持つが故に、適正な手続きが慎重につくられなければ、暴
走する危険性が高い。



 教育行政の責任者が、最終的に分限免職判定の責任を負う形となって
いるとしても、保護者と生徒と教師の間に亀裂が生じ、信頼関係に基づ
く授業改善や学校改良に向けての合意の姿ではなく、相互に監視し合う
という殺伐とした光景の方が、私には見える。


 なぜなら実効性よりは「実質毎年5%の教員をあぶり出す」教育目標
を設定する権限を首長に求めているからである。

(本誌前号の第72回「信頼の構築ではなく仲たがいへ」を参照)
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