山折哲雄さんはこんなことを ⑦-「死を観ること帰するがごとし」講談社 1995年 (2) /「土のいろ集成」第7集 63~74号 1987年(集成として)①(前半)【再掲載 2015.10】 [読書記録 宗教]
今日は7月8日、月曜日です。
今回は、7月5日に続いて、「山折哲雄さんはこんなことを」7回目、
「死を観ること帰するがごとし」の紹介 2回目です。
出版社の案内には、
「死がこわくなくなり、気持が楽になる『心の書』。死は『別れ無にあ
らず。自然のふところへ還る、出発のときである。
- 死後や来世に、もうひとつの生があることを…日本人は忘れて
いないか -
自分の遺体がカマで焼かれて、骨になっている。やがて粉々にくだか
れ、ごくわずかな肉親や知人によって遠い海の彼方に、あるいは山奥
の樹木の根元にまかれている。そういう光景を想像してみよう。私の
骨灰をまいている人びとが、たんに別れを告げているようには、とて
もみえないのである。むしろ私の最後の大切なものを、自然のふとこ
ろに返しているようにみえる。私の骨灰をもともとあった場所にそっ
と戻しているように思うのである。まかれている当の私にしても、山
や海の自然のなかに融けこんで、生きのこっている人びとと地つづき
のところに横たわっている感じなのだ。水の流れにそって自分を送っ
てくれた人びとの足元に漂っているといってもよい。 - 本書より」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「老いてボロクズのように見捨てられ路頭で死ぬことこそすばらしい。
布団の上で家の子・郎党に囲まれて死ぬのは悪い執着だ」
・「日本の仏教は人情から離れられない」
・「地蔵和讃-生者が死者の追善のために行う傲慢な行為なのではない。
生きているものもまた,死者の側から寄せられる回向によって守ら
れている」
・「儒教、仏教、キリスト教は輸入品の人生観。日本固有の考え方
は美しい自然との共生。山紫水明の自然、山川草木の輝きの美
しい自然との共感・同化の思想」
もう一つ、再掲載になりますが、郷土誌「土のいろ」をまとめた
「土のいろ集成」第7集①を載せます。
もう一度読みたいと思いました。
「方言特集」が楽しそうです。
また、地域の鈴木実さんの「新津村の郷土研究」を読みたくなりました。
今日は、今年初めてのゴーヤを採ることができました。
今年はなぜか遅くなっています。
☆山折哲雄さんはこんなことを ⑦-「死を観ること帰するがごとし」講談社 1995年 (2)
◇余計なお節介
マザー・テレサ 余計なお節介
◎ 老いてボロクズのように見捨てられ路頭で死ぬことこそす
ばらしい
= 布団の上で家の子・郎党に囲まれて死ぬのは悪い執着だ
= 輪廻から抜け出すことはできない
津田真一「反密教学」
① 非人情の実践
② 慈悲の実践
言うは易く行うは難し
非人情の極限・非人情の重大さ
日本の仏教は人情から離れられない
◇仏教の慈悲
キリスト教
① 神の愛(アガペー)
② 性愛(エロス)
仏教
慈悲は仏のものでもあり人間のものでもある
◇回向
「地蔵和讃」
◎ 既に亡者になった子どもが,賽の河原で小石を積んで父のた
め母のために回向している
= この世からあの世を一方的に眺めているのではない
この世があの世から眺められている世界を映し出している
◎ 生者が死者の追善のために行う傲慢な行為なのではない。生
きているものもまた,死者の側から寄せられる回向によって守
られている。
◇「沈黙」の力
「聞法」(もんぽう)仏法
そもそも見て確かめるというよう
聴覚
◇仏陀と翁の表情
ブッダ・フェイス
- 体を病んだため,生き生きとした表情を失って,一見穏やか
そうに見える表情になつた顔
オキナ・フェイス
- 死の前
= 精神的に成熟していったのではない
◎ 老人こそ「カミ」の世界に最も近いところにある
◇仏教は美しく
驚きや感動をもたらした仏像
美的イメージの原点 達磨の絵
◇日本人と死
外国の影響
儒教…「修行」
自己訓練の重要性 庶民の日常道徳
仏教…「空」「無」
世の中は一切空しいという感覚
キリスト教…「個人主義」
= ◎ 輸入品の人生観
日本固有の考え方
美しい自然との共感・同化の思想
山紫水明の自然 = 山川草木の輝き
◎ 美しい自然との共生
☆「土のいろ集成」第7集 63~74号 1987年(集成として)①(前半)【再掲載 2015.10】
◇月報7
宮本勢助と土俗誌 宮本瑞夫(宮本勢助の孫)
大正12.12.22.
「第一回懇話会」柳田邸
→ 大正15「民族」
勢助 - 風俗史・服飾史
遠州付近の地方誌
~ 「土のいろ」「設楽」「土の香」「ひだびと」
「土のいろ」飯尾校長そして縁 内山惣蔵
昭和56.4 13代目追分小校長 浜松師範第二附属
2代目が飯尾校長(S18.4.~S21.3)
「土のいろ」校訂余録(七) 佐藤彰
白洲人形 - 伝統人形芝居
白洲の福紗人形- 明治初~昭和30年代半ば
創始者 西野米作
◇12-1 通刊63号 昭和10年4月
教育者としての賀茂真淵先生 宇波耕策
奇僧風外の遺蹟 冨田準作
大谷の三度栗について
◇12-2 通刊64号 昭和10年7月
後藤氏「遠江考古学」を読みて 阿瀬利吉
岳南考古学の立場 阿宇族
「音羽の松」の絵について 鈴木実
浜名郡新津村小沢渡 大東院西
「遠江風土記」「曳馬拾遺」
天保年間に枯死
福田半香(渡辺崋山高弟)の絵
高塚・麦飯長者・小野田五郎兵衛宅に寄寓
浜松市神明町のそば店・音羽屋の主人は小沢渡出身
- 野口八幡社 ざざんざの松
◇12-3 通刊65号 昭和10年10月 方言特集
山村語抄 青山茂保
浜名湖岸に残るアイヌの言語と地名(1) 船越安夫
アカ = 水
誌友 鈴木実氏近著 - 「新津村の郷土研究」宝林堂書店扱い
◇12-4 通刊66号 昭和10年12月
小国神社と舞楽 神間由太郎
賀茂真淵先生の郷土愛 宇波耕策
挨拶方言 高井松一郎
郷土随筆
「遠南のしぶき」 浜松市神明町宝林堂扱い
ナミコゾウ,史蹟御台場,小楠伊兵衛公と堤村,西行さん
沼の伝説,音羽の松,高塚小野田家,山内蒙斎,岡田勘右衛門
迷信考,遊戯玩具,方言考,鈴木定太郎
◇13-1 通刊67号 昭和11年3月
聞き書き第一上 中道朔爾
伝説多数 笑う女(白脇村) 吐坊(秋葉神社 木部氏)
◇13-2 通刊68号 昭和11年5月
聞き書き第一下 中道朔爾
伝説多数 列車を止める(三方原) 堕胎~南方-ホオヅキの根
今回は、7月5日に続いて、「山折哲雄さんはこんなことを」7回目、
「死を観ること帰するがごとし」の紹介 2回目です。
出版社の案内には、
「死がこわくなくなり、気持が楽になる『心の書』。死は『別れ無にあ
らず。自然のふところへ還る、出発のときである。
- 死後や来世に、もうひとつの生があることを…日本人は忘れて
いないか -
自分の遺体がカマで焼かれて、骨になっている。やがて粉々にくだか
れ、ごくわずかな肉親や知人によって遠い海の彼方に、あるいは山奥
の樹木の根元にまかれている。そういう光景を想像してみよう。私の
骨灰をまいている人びとが、たんに別れを告げているようには、とて
もみえないのである。むしろ私の最後の大切なものを、自然のふとこ
ろに返しているようにみえる。私の骨灰をもともとあった場所にそっ
と戻しているように思うのである。まかれている当の私にしても、山
や海の自然のなかに融けこんで、生きのこっている人びとと地つづき
のところに横たわっている感じなのだ。水の流れにそって自分を送っ
てくれた人びとの足元に漂っているといってもよい。 - 本書より」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「老いてボロクズのように見捨てられ路頭で死ぬことこそすばらしい。
布団の上で家の子・郎党に囲まれて死ぬのは悪い執着だ」
・「日本の仏教は人情から離れられない」
・「地蔵和讃-生者が死者の追善のために行う傲慢な行為なのではない。
生きているものもまた,死者の側から寄せられる回向によって守ら
れている」
・「儒教、仏教、キリスト教は輸入品の人生観。日本固有の考え方
は美しい自然との共生。山紫水明の自然、山川草木の輝きの美
しい自然との共感・同化の思想」
もう一つ、再掲載になりますが、郷土誌「土のいろ」をまとめた
「土のいろ集成」第7集①を載せます。
もう一度読みたいと思いました。
「方言特集」が楽しそうです。
また、地域の鈴木実さんの「新津村の郷土研究」を読みたくなりました。
今日は、今年初めてのゴーヤを採ることができました。
今年はなぜか遅くなっています。
☆山折哲雄さんはこんなことを ⑦-「死を観ること帰するがごとし」講談社 1995年 (2)
◇余計なお節介
マザー・テレサ 余計なお節介
◎ 老いてボロクズのように見捨てられ路頭で死ぬことこそす
ばらしい
= 布団の上で家の子・郎党に囲まれて死ぬのは悪い執着だ
= 輪廻から抜け出すことはできない
津田真一「反密教学」
① 非人情の実践
② 慈悲の実践
言うは易く行うは難し
非人情の極限・非人情の重大さ
日本の仏教は人情から離れられない
◇仏教の慈悲
キリスト教
① 神の愛(アガペー)
② 性愛(エロス)
仏教
慈悲は仏のものでもあり人間のものでもある
◇回向
「地蔵和讃」
◎ 既に亡者になった子どもが,賽の河原で小石を積んで父のた
め母のために回向している
= この世からあの世を一方的に眺めているのではない
この世があの世から眺められている世界を映し出している
◎ 生者が死者の追善のために行う傲慢な行為なのではない。生
きているものもまた,死者の側から寄せられる回向によって守
られている。
◇「沈黙」の力
「聞法」(もんぽう)仏法
そもそも見て確かめるというよう
聴覚
◇仏陀と翁の表情
ブッダ・フェイス
- 体を病んだため,生き生きとした表情を失って,一見穏やか
そうに見える表情になつた顔
オキナ・フェイス
- 死の前
= 精神的に成熟していったのではない
◎ 老人こそ「カミ」の世界に最も近いところにある
◇仏教は美しく
驚きや感動をもたらした仏像
美的イメージの原点 達磨の絵
◇日本人と死
外国の影響
儒教…「修行」
自己訓練の重要性 庶民の日常道徳
仏教…「空」「無」
世の中は一切空しいという感覚
キリスト教…「個人主義」
= ◎ 輸入品の人生観
日本固有の考え方
美しい自然との共感・同化の思想
山紫水明の自然 = 山川草木の輝き
◎ 美しい自然との共生
☆「土のいろ集成」第7集 63~74号 1987年(集成として)①(前半)【再掲載 2015.10】
◇月報7
宮本勢助と土俗誌 宮本瑞夫(宮本勢助の孫)
大正12.12.22.
「第一回懇話会」柳田邸
→ 大正15「民族」
勢助 - 風俗史・服飾史
遠州付近の地方誌
~ 「土のいろ」「設楽」「土の香」「ひだびと」
「土のいろ」飯尾校長そして縁 内山惣蔵
昭和56.4 13代目追分小校長 浜松師範第二附属
2代目が飯尾校長(S18.4.~S21.3)
「土のいろ」校訂余録(七) 佐藤彰
白洲人形 - 伝統人形芝居
白洲の福紗人形- 明治初~昭和30年代半ば
創始者 西野米作
◇12-1 通刊63号 昭和10年4月
教育者としての賀茂真淵先生 宇波耕策
奇僧風外の遺蹟 冨田準作
大谷の三度栗について
◇12-2 通刊64号 昭和10年7月
後藤氏「遠江考古学」を読みて 阿瀬利吉
岳南考古学の立場 阿宇族
「音羽の松」の絵について 鈴木実
浜名郡新津村小沢渡 大東院西
「遠江風土記」「曳馬拾遺」
天保年間に枯死
福田半香(渡辺崋山高弟)の絵
高塚・麦飯長者・小野田五郎兵衛宅に寄寓
浜松市神明町のそば店・音羽屋の主人は小沢渡出身
- 野口八幡社 ざざんざの松
◇12-3 通刊65号 昭和10年10月 方言特集
山村語抄 青山茂保
浜名湖岸に残るアイヌの言語と地名(1) 船越安夫
アカ = 水
誌友 鈴木実氏近著 - 「新津村の郷土研究」宝林堂書店扱い
◇12-4 通刊66号 昭和10年12月
小国神社と舞楽 神間由太郎
賀茂真淵先生の郷土愛 宇波耕策
挨拶方言 高井松一郎
郷土随筆
「遠南のしぶき」 浜松市神明町宝林堂扱い
ナミコゾウ,史蹟御台場,小楠伊兵衛公と堤村,西行さん
沼の伝説,音羽の松,高塚小野田家,山内蒙斎,岡田勘右衛門
迷信考,遊戯玩具,方言考,鈴木定太郎
◇13-1 通刊67号 昭和11年3月
聞き書き第一上 中道朔爾
伝説多数 笑う女(白脇村) 吐坊(秋葉神社 木部氏)
◇13-2 通刊68号 昭和11年5月
聞き書き第一下 中道朔爾
伝説多数 列車を止める(三方原) 堕胎~南方-ホオヅキの根
「老いてボロクズのように見捨てられ路頭で死ぬことこそすばらしい」
本当でしょうか?
実際に冷たい水たまりのあるアスファルトで死ぬ時、
決してそうは思えないと思います。
心を通さない単なる文字的な理屈で、
そうはさせなかったマザーテレサの方が何倍も素晴らしいです。
by 岩崎ナギ (2024-07-08 16:37)
岩崎ナギさん ありがとうございます。
もし自分がそのように死を迎えることとなったら耐えられません。
マザーテレサと聞くと「見捨てないこと」を思います。
執着への戒めが示されていることと感じます。
by ハマコウ (2024-07-09 06:37)
布団の上で囲まれて死にたいとは思いません。ボロクズのように路頭で死にたいとも思いません(>_<) が、現代で考えれば、子等を都会に盗られ、田舎から抜け出すことの出来ない、死を待ちながら一人で暮らしている爺婆の姿でもあるような...(>_<) 決して素晴らしいとは思えません。
by yokomi (2024-07-10 22:41)
yokomi さん ありがとうございます。
自分はどのように死ぬのかなあ。
死について思うことが多くなりました。
by ハマコウ (2024-07-10 22:52)