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山折哲雄さんはこんなことを 24-「宗教の話」朝日新聞社 1997年 (3) /「我が子に教える作文教室」清水義範 講談社 2005年 ③【再掲載 2016.8】 [読書記録 宗教]

今日は11月5日、火曜日です。


今回は、10月25日に続き、
山折哲雄さんはこんなことをの紹介24回目、
「宗教の話」の紹介 3回目です。


出版社の案内には、


「日本人にとって宗教とは何か。宗教学の第一人者が、オウム真理教事
 件を機に、宗教と日本人について考えた警醒の書。麻原教祖から親鸞、
 蓮如、日蓮まで日本人の宗教心をめぐって、思いのたけを語る。」


とあります。




今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「阪神大震災に宗教家の姿は目立たず、ボランティア・精神科医・カ
ウンセラーに注目が集まった。宗教の権威が地に落ちた」


・「日本での『無神論』とは、あれもこれもの主体滅却の宗教だと言う
ことができる。西欧の確信的無神論とは隔たりがある」


・「修行者とは『解脱』と『世俗』の間を永久に行き来する存在」







☆山折哲雄さんはこんなことを 24-「宗教の話」朝日新聞社 1997年 (3)

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◇宗教ニヒリズムの時代
 「仏典」や「聖書」の言葉が,今日本当に嘆き苦しんでいる人々
  の心に届かなくなってしまった

阪神大震災
宗教家の姿がなく ボランティア・精神科医・カウンセラー
宗教の権威が地に落ちた

  宗教の言葉が一挙に説得力を失った
「宗教的ニヒリズムの時代」
宗教がボランティア・カウンセラーに
      = 宗教的ペシニズムの時代
 

◇オウム真理教と三つの宗教集団
  ① 麻原とその側近
② 一般信者
③ 科学(化学)知識を持ち最新テクノロジー情報機器を操る幹部
     = 無神論的人間
※ 革命家気取りの反乱分子
  
  無神論
   = あれもこれもの主体滅却の宗教
※ 西欧の確信的無神論とは隔たり
 

◇ドストエフスキーとオウム真理教
ドストエフスキー
    「悪霊」テロ・革命
      ~ 内部抗争
「人神」の誕生 
       五秒間の永久調和の瞬間

  仏陀・空海「即身成仏」
       
  麻原  仏陀とキリーロフを同時に生きる
 

◇異常繁殖する悪霊のイメージ
  修行者 
    「解脱」と「世俗」の間を永久に行き来する存在
  
   ハードな無神論のウィルスがソフトな無神論的風土の中で増殖し
  ていく異常発酵

  ◎ ドストエフスキーによって思い描かれた悪霊の世界が120年
   の時空を越えて、現代日本の無神論的風土の中に再び蘇ってくる
   かのような錯覚
 






☆「我が子に教える作文教室」清水義範 講談社 2005年 ③【再掲載 2016.8】

[出版社の案内]

こうすれば、子どもは必ず作文上手になる! 「作文親父」(もちろん母
親もOK)としての家庭での指導法アノ手コノ手を楽しい例文つきで紹
介。基本からユーモアのある文章まで、実は親までうまくなる名講座。

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◇第11回 人の作文を読む刺激
「よくできた作文をみんなに読み聞かせる」

◇第12回 小学作文の文体
  小学生の作文は殆どが<です・ます>体
物語になると<だ・である> 体に
   → 「いいこぶって<です・ます>で書かなくてもいいよ」


◇第13回 接続詞を教えよう
 「それでそれで地獄 と そしてそして地獄」
   → 「しかしをつかってごらん」
     「ところがを使って作文を書こう」
        接続詞を意識させて
     「それともを使おう」


◇第14回 箇条書きという手もある
  「すべての大人には子どもを教育しているんだという自覚が必要な
   のだ」
 
  「お父さんのいい所と悪い所を3つずつ並べてごらん」

  「ぼくの優れている所というのを十項目書き並べてごらん」

  ※ 無理矢理多項目を並べてしまうゲーム


◇第15回 形容詞は心の響き
  子どもとは未熟なものである。
  
  形容詞が多いほど作文は生き生きとしてくる。
   = 形容詞は心の響き


◇第16回 手紙はチャーミングに
  アニメのキャラクターに手紙
  ジャニーズに入れてくださいという手紙


◇第17回 観察文はクールだが 
作文を書くねらいは,伝える力を付けさせる所
観察文に挑戦 
    事実を正確に見てそれを人に説明できるのが観察の目的
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いっぷく

神戸の「かの組」は炊き出しをしたので、「かの組」の方が「宗教」より立派という理屈になりますが。

>修行者とは『解脱』と『世俗』の間を永久に行き来する存在
永久に行き来していたら、永久に生きていることになるじゃないですか。
そんなばかな。
まさか輪廻転生を前提としているのでは?
そもそも釈迦牟尼でさえ、輪廻転生を信じていたかどうかについては学界では懐疑的です。
仏教のいう「不一不異」と「輪廻転生」は意味が違いますから。
一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など)も、基本的に輪廻転生の教義を採用していません。
山折哲雄さんは多神教論者ですが、宗教によって世界観、とくに死生観は全く違います。

山折哲雄さんは鈴木大拙の財団に勤めていたそうですが、鈴木大拙さん自体が仏教の解説書を書きながら、その編纂者に「これはただの鈴木大拙教だ」と評されていたほどですから、その宗教観は、特定の宗教に当てはめると矛盾があるのでしょう。
「宗教は……」なんて言い方は、「科学は……」と同じく、あまりにも漠然とした定義の仕方であり、もちろんそういう括り方でも語れることはありますが、死生観は根本に関わることですから、全称命題で語るべきではありません。そんなものよりも、きちんと特定の宗教についての理解を深めることのほうが大切です。
by いっぷく (2024-11-06 00:29) 

ハマコウ

いっぷくさん ありがとうございます。
確かにひとくくりでまとめることは乱暴なところがありますね。
by ハマコウ (2024-11-06 07:06) 

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