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「致知」2003年12月号 特集「読書力」② /『ことばの風景』中西進 角川春樹事務所 1999年 ④【再掲載 2014.11】 [読書記録 一般]

今日は11月28日、木曜日です。


今回は、月刊誌「致知」2003年12月号要約の紹介 2回目です。


記事の執筆者は不明です。


この20年間の間に、
アメリカの社会、民主主義も大きく変化していることを感じました。



もう一つ、再掲載になりますが、中西進さんの
『ことばの風景』④を載せます。





☆「致知2003年12月号 特集「読書力」②

◇開かれた時代のリーダーシップ

 1995年、私はカリフォルニア大学パークレー校に留学し、貴重な学
びを得ることができました。


 一つは、フロンティア・スピリッツです。


 留学した最初の学期、大学院でのグループディスカッションで私の発
言は非常に高く評価されました。


 ところが、二学期に入ると、さほどの評価が得られなくなったのです。


 その時教官から言われたことは、

「一学期の君の発言は、実に個性的で新鮮だった。最近は英語も上手く
 なり、発言のまとまりはよくなったが、当初ほどの独自性、創造性が
 なくなった」

とのことでした。


 確かに、留学したばかりの頃の私は、その発言に日本人としての視点
が色濃く反映されていましたが、語学力に磨きがかかり、アメリカに対
する理解が深まるにつれ、知らず知らずのうちに、向こうで書かれてい
ることや、話されていることにもとづいて発言するようになっていたの
でした。


 たとえ粗削りでも、オリジナルな意見を述べる者は高く評価されるが、
自分の意見を持たない者は相手にされない。


その時私は、アメリカという国のフロンティア・スピリッツを強く実
感したものでした。




 二つ目は、アメリカ国民の倫理観、正義感の強さです。


 駐車場に止めておいた車が、他の車に当て逃げされた時、被害を受け
た車のフロントガラスにメモが挟んであるのを私はしばしば見かけまし
た。


 メモには目撃者の連絡先と追突した車のナンバーが記してあり、必要
であればいつでも証人になるというメッセージがしたためられているの
です。


 また、買い物帰りのお年寄りが交差点でつまずき、倒れたことがあり
ました。


 その時、近くを歩行中の人々が一斉に駆け寄り、ある人はそのお年寄
りを助け起こし、ある人は落ちたものを拾い集め、ある人は車を止め、
あっと一言う間に事態を収拾する光景を目撃したこともあります。


 不正や因っている人を見ると黙っておられず即それに対するアクショ
ンを起こす。


 キリスト教の精神にもとづくそうした「行動する正義感」に私は深く
感銘を受けました。




 三つ日は、個人の主体性を重んじる文化です。


 グループで食事をする際、日本人は右へならえで同じメニューを注文
しがちですが、アメリカ人はそこで妥協せず、自分の食べたいものを注
文します。


 それは、多様性を認める文化の上に成り立っているものです。
 

 日本は21世紀に、集団主義、組織主義、画一主義で大きな成功を収め
ました。


 しかし、それはあくまでも閉じた社会のリーダーシップによるもので
した。

 
 21世紀に入り、時代は開かれた社会へと大きくシフトしました。


 これからの日本に求められるのは、私が留学時代に学んだ開かれた民
主主義であり、行動を伴った社会正義であり、そこでは一人ひとりが主
体性を持ち、個性や創造力を発揮していかなければ生きていけなくなり
ます。


 この大転換期を日本がどう乗り切るか、世界中が注目しています。


 日本は「丘の上の町」の自覚を持って、道を切り開いていかなければ
なりません。









☆『ことばの風景』中西進 角川春樹事務所 1999年 ④【再掲載 2014.11】

[出版社の案内]

ことばは、人間の心の鏡である。考えていること、感じたこと、それら
はすぐことばに現れる。たとえばそんなことばというものをいくつか設
定してみると、そのことばの窓から見える風景がある。いくつかのエッ
セイをまとめてみたのが本書である。

1.jpg

◇「いきる」(2)

□合戦を栖とした若武者 - 護良親王
護良親王(もりよし,もりなが)親王
  1331年~1335年 4年間の合戦の後、生涯終える
  天台座主
   「日々合戦」を栖とした
     → 建武中興という平和1334年
       その後に不満をもち、信貴山にたてこもる

  尊氏と衝突し鎌倉に配流
「父子の義」が切れる

  父・天皇にしてみれば幕府が倒れれば合戦は無用だった


□権威無用のエネルギー - 高師直
高師直(?~1351)悪名高い
しかし,行動的で合理的な力に生きた人間だった
北朝の功臣 
    天皇無用論
      ~ もし必要なら代用品を!
  = いっさいの権威が無用


□権勢を超えて生き抜く - 高山右近
高山右近(1552~1615)
    キリシタン大名
1578年高槻城で父と反対側・信長につく
→ 高槻城主 4万石
  (配下を捨てた十字架)
    領民2万5千の内1万8千人がキリシタン
= 信仰に生きる
1587年6月 
    秀吉により禁教令が出ると大名を選ばず信徒に
→ 小西行長の所領・小豆島に隠れ天草に
→ 一時利家の好意で金沢にいたが1613年12月徳川禁教令で
     長崎へ下った
  1614年 
    国外追放の命令によりマニラで死す


□祖国との貿易果たせず - 山田長政
山田長政(?~1630)
  沼津の殿様に仕える駕籠かき 体格立派
 1617年 
    アユタヤ日本人町の指導者に 3千人
  シャム政権に着くが後に毒殺
国王ではなく、日本との貿易を望んだが、鎖国により見放された


□蝦夷地に誘う自由の風 - 菅江真澄
菅江真澄(1754~1829)
  『真澄遊覧記』
       天明4(1784)年津軽へと旅立つ
アイヌ体験
奥羽や蝦夷地にとけ込み45年間にわたり地誌をしたため旅行記を
  書いた 
   = 精神の自由さ


□正義感「救民」をかかげる - 大塩平八郎
  大塩平八郎(1793~1837)
    大阪東町奉行所役人
  天保8(1837)年
   「救民」のため旗町奉行目指して暴動
  敏腕役人であり陽明学者
  「知行合一」
    = 考えたことはすぐに実行
江戸支配の反発に自ら踊ってしまった人物
  ◎ 身近に寄せてくる大阪のエネルギーによってついに自分を抑制
   することができなくなってしまった


□幕末版ネットワーク - 島津斎彬
島津斎彬(1809~1876)
ローマ字日記
人間のネットの作り方
    中国内乱に危惧 ~アジア主義
突然の死が斎彬の汚辱を救ったと言える


□虚飾を拝し「人間」描く - 絵金
  高知市美術館
    絵師・金蔵(1812~1876)
  広(引)瀬金蔵 林洞意
    狩野派に反発して田舎絵師になる 
    北斎そっくり
    「地獄変」さながら
  帰国後 
    御城絵師
     → 剥奪 
        人間が悪かったから
もっとも人間に忠実に生きた絵師


□「狂」に徹し世の内側描く - 河鍋暁斎(1831~1889)
エミール・キメ フェリックス・レガメイ
 明治3(1870)年投獄
    書画会で泥酔 当世風刺 
   笞打ち50の刑罰 - 放免
   狂斎 → 暁斎
   自分が狂であることを暁った
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