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『致知』2004年1月号① /「図説 ふるさとの歴史シリーズ 浜松浜名湖周辺」上巻 郷土出版社 1992年 ⑦【再掲載 2015.3】 [読書記録 一般]

今日は12月12日、水曜日です。


今回は月刊誌『致知』より稲盛和夫さんの
「リーダーの資質」を紹介します。

20年が過ぎるのは早いですね。


- 政官財を問わず、呂新吾のいう第三等の資質(聡明才弁)しか持って
 いない人物がリーダーに選ばれていることが多々あります。

この20年間で変わったのかなあ。



- 「人格」とは不変ではなく、時とともに変化してしまうということ
 です。例えば、努力家で謙虚であったはずの人が、いったん権力の座
 に就くと、一転傲岸不遜になることがあります。

このごろマスコミでよく拝見する野党議員さんの顔を思い浮かべます。
およそ20年前の選挙の際の姿とは大きく変わっています。



もう一つ、再掲載になりますが、郷土出版社から出ている
「図説 ふるさとの歴史シリーズ 浜松浜名湖周辺」上巻を載せます。



☆『致知』2004年1月号①

◇「リーダーの資質」  京セラ名誉会長・稲盛和夫
                                        
□聡明才弁は三番日の資質に過ぎない

 リーダーが持つべき資質について、中国明代の思想家である呂新吾は、
「深沈厚重なるは、これ第一等の資質」と、著書『呻吟語』で述べてい
ます。


 つまり、リーダーとして一番重要な資質とは、つねにものごとを深く
考える重厚な性格だというのです。


 呂新吾は、さらに続けて、「聡明才弁なるは、これ第三等の資質」と
も述べています。


「頭がよくて才能があり、弁舌が立つこと」は三番日の資質でしかない
というのです。



 現代の社会をみると、政官財を問わず、呂新吾のいう第三等の資質し
か持っていない人物がリーダーに選ばれていることが多々あります。


 確かに、彼らは能力があり、有用な人材であるかもしれません。



 しかし、果たして彼らがリーダーとしてふさわしい資質を備えている
かどうかは疑問です。


 私は、現在の社会が荒廃している原因の一つに、このように第三等の
資質しか持ち合わせていない人物を、われわれ自身がリーダーに選択し
ていることがあげられるのではないかと思います。


 現在の混迷を脱し、より良い社会を築いていくには、呂新吾が述べる
第一等の資質を持った人物、つまり素晴らしい「人格」を備えた人物を
リーダーに選ぶことが大切です。


 しかし、そのとき注意しなければならないことがあります。


 それは、「人格」とは不変ではなく、時とともに変化してしまうとい
うことです。例えば、努力家で謙虚であったはずの人が、いったん権力
の座に就くと、一転傲岸不遜になることがあります。


 一方、身を誤った人間であっても、心を入れかえ、研鑽と努力を重ね
て、素晴らしい人格者に一変した例もあります。


「人格」というものは、このように良い方向にも悪い方向にも絶えず変
化していくものです。


 そうであれば、リーダーを選ぶにあたり、その人物が適任であるかど
うかは、判断した時点における「人格」だけで決めつけてはならないは
ずです。


 では、われわれは何を基準にリーダーを選んでいけばよいのでしょう
か。



□仕事に打ち込み、人格をつくる

 それには、まず「人格はいかに形成されていくのか」、また「どのよ
うにすれば、人格を向上させることができるのか」ということを考える
必要があります。


 人格を高め、自己を磨くためには、本来なら宗教者が行っているよう
な厳しい修行を自らに課すことが求められるのでしょうが、それではわ
れわれ一般人が人格向上を果たすことは難しくなります。


 私は、日々の仕事に打ち込むことによって、人格を向上させていくこ
とができると考えています。


 つまり、一所懸命働くことは、単に生活の糧をもたらすのみならず、
人格をも高めてくれるのです。


 その典型的な例は、二宮尊徳です。


 彼は生涯を通じ、田畑で懸命に働き、刻苦勉励を重ねていくなかで真
理を体得し、人格を高めていきました。


 そのような尊徳であったからこそ、リーダーとしてたくさんの人々の
信頼と尊敬を集め、多くの貧しい村々を救うことができたのです。


 真のリーダーとは、このように人生において、ひたむきに仕事に打ち
込み、そのなかで人格を高め続けているような人物ではないでしょうか。


 そのような人間であれば、リーダーとして権力を委ねられた後も、堕
落することも傲慢になることもなく、集団のために自らを犠牲にして懸
命に働き続けてくれるはずです。


 大小を闘わず、あらゆる集団のリーダーが、今まで述べてきたように、
人格を高めることに懸命に努める人であることを願ってやみません。


 それぞれの集団のリーダーの方々が、そのようにして一隅を照らし続
けることで、日本の社会は、今までよりずっと素晴らしいものになると
私は信じています。








☆「図説 ふるさとの歴史シリーズ 浜松浜名湖周辺」上巻 郷土出版社 1992年 ⑦【再掲載 2015.3】


<奈良平安時代-3>

◇荘園と御厨

□墾田永年私財法(743)
  有力社寺、貴族、豪族が開墾
   → 現地に事務所を置いた(荘 荘政所)
→ 墾田が荘園と呼ばれるようになった
口分田は荒廃の一途


□10世紀以降 
  地方の豪族が自分の土地を中央の有力貴族・社寺の荘園として寄進
 し、自分はそのまま現地管理者として実質的支配権を担うケースが多
 くなる
  現地管理者 
   = 荘官・荘司
総検校・別当・下司(げし)・公文


□浜松付近 
浜松庄 都田御厨 刑部御厨 川勾(かわわ)庄(仁和寺観音院末寺
  の頭陀寺領) 川勾御厨 大墓御厨 蒲御厨 池田荘(松尾神社領)
  市野庄(貞観寺領) 羽鳥庄(新熊野神社領) 美園御厨
 
  西遠地区には伊勢神宮の御厨が多いのが特徴
  遠江の御厨は14世紀中頃の「神鳳抄」に20箇所程
  大半が西遠地域に集まっている
 
  奈良時代以降伊勢神宮と深い関わりがあった
  古代に成立は?
  尾奈御厨、刑部御厨(12世紀初細江町中川)
    都田御厨、蒲御厨、豊永御厨(浜北市西南部 1087年)
  美園御厨

  蒲御厨
    = 大蒲町居宅 蒲氏の祖先が平安時代初に開発した土地
    → 伊勢神宮に寄進 550町 上分米30石

  蒲氏は、旧蒲・和田・飯田各村における広大な支配権
  伊勢神宮を勧請して(蒲神明宮) その神官も兼ねた
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