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中村諭さんはこんなことを①-「どっこい学校は生きている」1 中村諭 文芸社 2000年 /「ハシモト式 古典入門」橋本治 ごま書房 1997年 ⑥【再掲載 2016.10】 [読書記録 教育]

今日は1月20日、月曜日です。


今回は、「中村諭さんはこんなことを」1回目として
「どっこい学校は生きている」の紹介 1回目です。


中村諭さんは、出版時は宝塚市立中学校の校長先生。
NHKラジオ深夜便「こころの時代」にも登場されました。

著書の感想を送ったところ、大変丁寧な返事とともに
多くの資料を送っていただきました。



出版社の案内には、

「平成11年度読売教育賞受賞の現役校長が教育の現場から訴える!怒り
 と笑いと涙の『学校物語』。子どもの力を信じます。」

とあります。



今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「教育とは、『気ままを取ること 中山延二博士』、『ギブ・アンド・
 ギブ サリバン先生』、『生命の呼吸,生き方の種まき 森信三』
 『自己中心性を取ること トゥインビー』」


・「職場の三原則は、礼を正し、場を清め、時を守る」


・「教育に王道はない『教育は本来,地味でささやかな行為の連続なの
 だ。時代が変わろうと変化するものではない』『教育の営みに奇手も
 妙手も新手もない。あるのはただ営々と黙々とうまずたゆまず語りか
 けることだ』八ツ塚実」


・「本当の個性とは、踏みつけられてもなお輝こうとするもの。少々規
 格をはめようともムクムクと頭をもたげてくる個の力こそ個性である」



もう一つ、再掲載になりますが、橋本治さんの
「ハシモト式 古典入門」⑥を載せます。





☆中村諭さんはこんなことを①-「どっこい学校は生きている」1 中村諭 文芸社 2000年

1.jpg 

◇仰げば尊し
  教育とは
    気ままを取ること(中山延二博士)
ギブ・アンド・ギブ(サリバン先生)
生命の呼吸,生き方の種まき(森信三)
自己中心性を取ること(トゥインビー)

  職場の三原則 
    ① 礼を正し
② 場を清め
③ 時を守る
 

◇序に変えて 
  前著
  「新米校長奮戦記」
     安倉中学校の二年間  
平成11年度第48回読売教育賞
      - ロマンを求める教育

  赴任早々体罰問題でマスコミの渦中に
子供たちの証明「人間は伸びていく存在である」

  故・八ツ塚実先生
「教育は本来,地味でささやかな行為の連続なのだ。時代が変わ
    ろうと,変化するものではない。‥教育の営みに奇手も妙手も
    新手もない。‥あるのはただ営々と黙々とうまずたゆまず語り
    かけることだ」
= 教育に王道はない

  教育とは「〇○の法」と次々に新機軸を繰り出すことではない
「いのちの畏敬」に触れ,魂が交流する,人格が触れ合う醍醐
    味を共有することであると確信している。
- 「たゆみないささやかな行為の中に教育そのものがある」
山口良治(伏見工)野口芳宏(北海道教育大)網澤昌永
 

◇世の大人たちよしっかりしろ
  平成10年度 学級崩壊・学校崩壊が騒がれた
- 最大の責任者は大人
「個性を大事にする」「自由を大事にする」という甘い言葉
     の裏で、子供を人格的にしっかりとさせていく基盤を育てず
     して放棄している
      
  麦踏み
    一旦麦をおさえる
  
  杉    
    たっぷりスペースを空けておくと枯れる
    
  教育における個性化は野生化
   「個性を育てる」美名のもと,野放図化でやりたい放題に
    = SOS

  本当の個性とは
「踏みつけられてもなお輝こうとするもの」
     少々規格をはめようともムクムクと頭をもたげてくる個の力
    こそ個性

  学校の役割 
    小さい子 
     → 一般性としつけ,教え導く
少し大きい子
     → 社会性を広げ,伸びていく筋道をつけ目的に向かい挑戦
      できる基礎体力・基礎的精神力を育む必要がある

  単なる自由化路線は危ない
インド   
    「子供の頃,砂糖を与えすぎると大人になって歯がだめになる」
デンマーク
    「塩気のない肉と折檻されない肉は腐敗する」
   = 吟味された厳しさ

  先生   
   - 温もりを持ちながら厳しくきっぱりと子供たちに相対する
サバサバした態度

  今の教育界の混迷の原因
小田晋 
     「社会のアノミー化,無規範性』


 





☆「ハシモト式 古典入門」橋本治 ごま書房 1997年 ⑥【再掲載 2016.10】

1.JPG

◇物語嫌いの光源氏も『今昔物語集』なら読むだろう
□物語はすべて「むかしむかし」ではじまる
今ハ昔 


□昔のことはすべて本当である
 「縁起」は信じる 
    ~ 難しい漢文で書かれているから
  漢文とカタカナで書かれた『今昔物語集』はみんな「本当のお話」
  である
  「説話文学」
   = 事実
     「嘘」に騙されやすい女が書くものではなく,「しっかりと
     事実ばかりを書きとめる」男が書くものだから
   →「漢字+カタカナ」でなければ本当らしくない


□とんでもない区別 
   「漢字+カタカナ」で書くか,「ひらがなだけ」で書くかは内容
  の嘘本当にまで発展してしまう



◇「普通の日本語の文章」が登場する鎌倉時代は日本文学の大転換期
□鎌倉時代には何かが変わる 
  京都で王朝文化は健在 
   - 平安時代の貴族は何もしなかった

貴族のやること 
   = 「自分たちが楽しむこと + 組織内の出世競争」

  貴族「趣味と人事異動とお祭り」
  文化だけであとは何もなかった
文化だけがよりどころ



◇鎌倉時代はこんな時代
□『新古今和歌集』を作った後鳥羽上皇は文武両道の人
  三種の神器 
    ①八咫の鏡 
    ②八尺瑠璃の曲玉 
    ③天叢雲剣


□源実朝は「おたく青年」の元祖
  『金槐和歌集』 
    ~ 都かぶれ
    - 文学青年



◇どうして古典というと平安時代ばかりなのか
□源実朝の和歌に人気がある理由
  分かりやすく明快
   -「万葉ぶり」
表現が素直
   - 男性的で古風
関東の地名が出てくる


□「地方蔑視」は平安時代に生まれた
  文化の中心地は京都 
光源氏 - 須磨 
    京から引き離された
     = 京以外まともな人間は住まない
田舎を知っている
     = 生まれが悪い,身分が低い


□平安時代の京都中心文化観
日本の古典 
   → 京都中心主義 
   = 明治時代に復活

  平安時代をゆがめたのは明治政府の事大主義
 
  江戸時代
   「お国自慢」~特色を競っていた時代
   各地の郷土の名産,自慢は江戸時代に作られたもの

  明治時代  
    「王政復古」武士の時代以前に
  宮中行事の復活
    明治時代になって作られた「平安時代のもの」
    
  新しい国家体制の根本を作る衣装

国家は偉い 
   = 偉くて重々しくて難解なもの
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Take-Zee

こんにちは!
ハマコウさんはどちらに引っ越されますか!
by Take-Zee (2025-01-20 12:17) 

ハマコウ

Take-Zeeさん 訪問ありがとうございます。
わたしは、完全移行はまだなのですが、移行は済ませております。
Seesaaブログでこちらと同じ名前です。
これからも、よろしくお願いします。

by ハマコウ (2025-01-20 16:58) 

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