「忘れないでおくこと 随筆集あなたの暮らしを教えてください2」暮しの手帖社 2023年 ④ / ふえる一方の不登校をどうとらるか(下)「学校の存在意義をとらえ直すきっかけ」 伊藤友宣(神戸心療親子研究室・主宰) 2001年 ⑪ [読書記録 教育]
今日は1月22日、水曜日です。
今回は、1月19日に続いて、暮しの手帖社の
「忘れないでおくこと 随筆集あなたの暮らしを教えてください2」
4回目の紹介です。
出版社の案内には、
「豪華執筆陣で贈る珠玉の随筆集『あなたの暮らしを教えてください』は、
『暮しの手帖』の本誌と別冊に寄せられた「暮らし」がテーマの随筆作
品を選りすぐり、全4冊にまとめたシリーズです。
第2集は、日々の気付きにまつわるお話を集めています。当時の話題に
触れて感じたこと、近所の猫やお店のこと、仕事や家事を通しての発見
や、趣味や学びのなかで思うことなど、小さな日常をいつくしみたくな
る一冊です。
とあります。
もう一つ、再掲載になりますが、伊藤友宣さんの
「学校の存在意義をとらえ直すきっかけ」⑪を載せます。
☆「忘れないでおくこと 随筆集あなたの暮らしを教えてください2」暮しの手帖社 2023年 ④

◇平凡を非凡に生きる 渡邊和子
修道院に入ったからといって、すぐ修道者になれるのではない。
カトリックの洗礼を受けていることを前提としてその後いくつかのステー
ジを通らなければなれないのだ。
入会をした後、まず一年近い志願期を過ごす。そこを無事通過すると、修
練期が二年程。
その後ようやく、清貧、貞潔、従順の三誓願を立てることが許される。
これら誓願は、一年毎に数回更新するので、この間は、有期誓願者と呼ば
れ、この間に還俗する人もあり、修道会が退会をすすめることもある。
この後ようやく、三誓願を一生守り通す約束をして、修道者になるのであ
る。
家庭の事情もあって、30歳近くまで働いてから修道院に入った私は、英語
が使えることもあって、たった一人の日本人修練女として、ボストンの修練
院に派遣され、百名近いアメリカ人修練者たちとで一年間生活した。
朝5時起床、夜9時就寝の間の時間は、ほとんどが命ぜられた単純労働に
費やされた。
ある夏の昼下がりのことだった。
私は、与えられた夕食の配膳をしていた。
一つひとつのパイプ椅子の前のテーブルに皿、コップ、フォーク等を並べ
るのである。
いつの間にか背後に修練長が来ていて、私に
「シスター、あなたは何を考えながら仕事をしているのですか」
と尋ねた。
咄嗟のことでもあり、
「別に何も」
と答えた私に、修練長は、
「あなたは、時間を無駄にしています」
と叱責するのだった。
命ぜられた仕事をしているのに「なぜ」といぶかる私に、修練長は穏やかに
言った。
「同じ並べるのなら、夕食を摂る一人ひとりのために、祈りながら置いて
いきなさい」
かくてその時まで私は、仕事はすればいい(doing)と考えていたが、仕事は
意味あるものとする(being)ことが大切なのだ。
時間の使い方は、そのままいのちの使い方になるのだということ。
この世の中に雑用はないということ。
用をぞんざいにした時に雑用になるのだということを習ったのである。
草取りでも同じであった。
むしるのでなく、根こそぎ抜く。それは面倒かも知れないが、非行少年少
女の足が、悪の世界から抜けますようにと祈りながら抜くのだ。
その時、つまらない仕事は、意味あるものに変わるのだ。
人間の尊さは、このように平凡な行いを、意味あるものに変えることがで
きるところにあるのだ。
環境の奴隸でなく、環境の主人となり得ることにあるといえよう。
何も考えないで皿を並べ、草を抜いたとしても、外から見たら、ほとんど
同じにしか見えず、時間も同じだけ経っているかも知れない。
時間の使い方は、いのちの使い方なのだ。ロボットがするような仕事では
なく、私しか与えることのできない愛と祈りをこめる時、平凡な仕事は、非
凡な仕事になり得るのだ。
「ひとも、ものも両手でいただくこと」
ある人から教えられたこの心を、大切に、雑用を雑用とすることなく、平凡
な暮らしを、非凡な日々にして過ごしてゆきたい。
2014年11月
☆ふえる一方の不登校をどうとらるか(下)「学校の存在意義をとらえ直すきっかけ」 伊藤友宣(神戸心療親子研究室・主宰) 2001年 ⑪
◇学校や教員や級友の違いによって
早い話が、私のような行政組織のいずれにも属しないフリーのカウン
セラーのもとによせられる、ごく一般からの雑多極まりない相談の全体
をみれば、地方地域のカラーの違いや学校の伝統的な性格特長の違いな
どがいろいろある訳です。
公立の小中学でも、当面の学校長の違いとか評価されているスポーツ
クラブやいわゆる進学校とみなされているか、落ちこぼれ校などと陰口
を叩かれている学校かの空気の違いに、激しい落差があります。
また、同じ一つの学校でも学年ごとの色というか空気というかの違い、
更にまたクラスごとの質の違いが担任教員によってとか、たまたま構成
される子どもの性格能力習慣の違いというのがあって、これはもう歴然
と違っているものです。
たまたま一人の生徒の不登校が起こる背景について、それが一体何に
起因するものであるかを吟味する際の問題の要因は、実に多種多様なも
のですね。
◇不登校の共通の状況
結局のところ、なんらかの抑圧的な力関係のために、生き生きしたプ
ラス発想に支えられず、登校すべき日の朝に、心が動かない、体が動か
ない、というのが、具体的な不登校児の共通の現実でしょう。
三回にわたってのこの原稿の余白もあと少なくなり、学校制度や教員
のあり方とか親のなすべき配慮等をなにもかも書き切れないまま、さし
あたって一人の少年の自発的な不登校克服の例を述べて、一介のフリー
のカウンセラーの、増大する不登校なるものへの対し方を示すことで、
論の結びにしようと思います。
去年九月に出した拙著「子どもの心をひらく魔法の会話」(青春出版社
刊)にも、この事例は、ポイントをいささか違えて概略を述べてあるもの
です。
◇自己蔑視が常習の少年
さて、相談来所したのは、こまかい気遣いとくどくどしい忠告癖で、
精一ばいにわが子を見守る母親でした。
能力は普通にあるはずなのに、努力を怠る子なので、幼児期から心配
のし通しだったと、しおれきった調子でわが子の難儀ぶりを訴えます。
幼堆園児の頃から園には行きしぶり、小中学校もずっとその時々の担
任のお世話になり通しだったのだとのこと。
成績は上がらないままで中二の頃は普通科の公立高校に行く能力があ
ると見られていたのに、ランクを落とす恰好で県立の商業高校に行くは
めになり、
「いやだいやだ。つまらない、こんな学校なんか」
とこぼす当人をなだめすかして登校させはじめたものの、一学期半ばか
ら、ついに週に一日、二日と休みが重なったと見る間に二学期のはじめ
からすっかり不登校気味になってしまったのだという相談でした。
困り抜いた母親の熱心さにほだされて、高校のクラス担任教員が、電
話で本人を説得すれば、ある日やっと午後の授業には顔を出したりする。
会って話せば、よくかまって育てられた子の特長で、もともと素直な
よい子だ、というのがクラス担任の三十代はじめの教員の感想でした。
◇あっけない程の一週間の様子
明日こそ登校すると前夜は一応決意するのですが、朝になると目があ
かない。
ぐずってふとんから出られない、と言うので、結婚して幼児二人がい
る四人家族の担任教員が、学校から近いところに住んでいる事だしと、
ちょっと今どき珍しい思いつきで、当人にしばらく自分の家から学校へ
通ってみないかと提案したのです。
思いがけぬ提案に、びっくりしながらもおもしろがって、当人もその
気になりました。
担任教員とその妻は、教師生命をかけての試みだ、本当に、しばらく
やってみようということで、不登校ぎみの生徒を家に泊らせて、朝、生
徒と一緒にわが家を出て学校に向かうという実践をはじめたのでした。
案ずるよる生むが易しというべきか、起こさないでも朝は早い目に起
きて来る。
幼な児たちとの暮しにおもしろがって、本来の親切さなのか、子ども
らの朝食の世話をやいている。
出かける時間には先生より早く玄関に立ち、一歩遅れた先生を自分の
方が促しているほどの、世話のかからぬ当人の態度に、教員夫妻は、肩
の力がぬける思いだったというのです。
私もこの試みを横から見守っていたわけですが、先生からの報告だと、
夜は夜で本人が先生一家四人のだんらんにも進んで参加する。なにかに
つけてよく気のつく優しい性格には、改めて感心し直したということで
した。
でも、そうなってみると、高校生一人をいつまで同居させてやるべき
か、意外と若い妻にとっては大きな負担であり、一週間が過ぎた日曜の
夜、私も加わり、本人の母親もやって来て、先生宅で今後どうするか皆
で話し合うことになったのでした。
教師が口を切ります。
「なんということなく、学校へは行けることが、これで実証できたね。
よく頑張った。もう大丈夫だろう。この試みもこれで終りにしよう。
明日は学校で顔を合わせて『おはよう』と声をかわそうや。どうや。
先生の家から通学した一週間の感想は?」
今回は、1月19日に続いて、暮しの手帖社の
「忘れないでおくこと 随筆集あなたの暮らしを教えてください2」
4回目の紹介です。
出版社の案内には、
「豪華執筆陣で贈る珠玉の随筆集『あなたの暮らしを教えてください』は、
『暮しの手帖』の本誌と別冊に寄せられた「暮らし」がテーマの随筆作
品を選りすぐり、全4冊にまとめたシリーズです。
第2集は、日々の気付きにまつわるお話を集めています。当時の話題に
触れて感じたこと、近所の猫やお店のこと、仕事や家事を通しての発見
や、趣味や学びのなかで思うことなど、小さな日常をいつくしみたくな
る一冊です。
とあります。
もう一つ、再掲載になりますが、伊藤友宣さんの
「学校の存在意義をとらえ直すきっかけ」⑪を載せます。
☆「忘れないでおくこと 随筆集あなたの暮らしを教えてください2」暮しの手帖社 2023年 ④

◇平凡を非凡に生きる 渡邊和子
修道院に入ったからといって、すぐ修道者になれるのではない。
カトリックの洗礼を受けていることを前提としてその後いくつかのステー
ジを通らなければなれないのだ。
入会をした後、まず一年近い志願期を過ごす。そこを無事通過すると、修
練期が二年程。
その後ようやく、清貧、貞潔、従順の三誓願を立てることが許される。
これら誓願は、一年毎に数回更新するので、この間は、有期誓願者と呼ば
れ、この間に還俗する人もあり、修道会が退会をすすめることもある。
この後ようやく、三誓願を一生守り通す約束をして、修道者になるのであ
る。
家庭の事情もあって、30歳近くまで働いてから修道院に入った私は、英語
が使えることもあって、たった一人の日本人修練女として、ボストンの修練
院に派遣され、百名近いアメリカ人修練者たちとで一年間生活した。
朝5時起床、夜9時就寝の間の時間は、ほとんどが命ぜられた単純労働に
費やされた。
ある夏の昼下がりのことだった。
私は、与えられた夕食の配膳をしていた。
一つひとつのパイプ椅子の前のテーブルに皿、コップ、フォーク等を並べ
るのである。
いつの間にか背後に修練長が来ていて、私に
「シスター、あなたは何を考えながら仕事をしているのですか」
と尋ねた。
咄嗟のことでもあり、
「別に何も」
と答えた私に、修練長は、
「あなたは、時間を無駄にしています」
と叱責するのだった。
命ぜられた仕事をしているのに「なぜ」といぶかる私に、修練長は穏やかに
言った。
「同じ並べるのなら、夕食を摂る一人ひとりのために、祈りながら置いて
いきなさい」
かくてその時まで私は、仕事はすればいい(doing)と考えていたが、仕事は
意味あるものとする(being)ことが大切なのだ。
時間の使い方は、そのままいのちの使い方になるのだということ。
この世の中に雑用はないということ。
用をぞんざいにした時に雑用になるのだということを習ったのである。
草取りでも同じであった。
むしるのでなく、根こそぎ抜く。それは面倒かも知れないが、非行少年少
女の足が、悪の世界から抜けますようにと祈りながら抜くのだ。
その時、つまらない仕事は、意味あるものに変わるのだ。
人間の尊さは、このように平凡な行いを、意味あるものに変えることがで
きるところにあるのだ。
環境の奴隸でなく、環境の主人となり得ることにあるといえよう。
何も考えないで皿を並べ、草を抜いたとしても、外から見たら、ほとんど
同じにしか見えず、時間も同じだけ経っているかも知れない。
時間の使い方は、いのちの使い方なのだ。ロボットがするような仕事では
なく、私しか与えることのできない愛と祈りをこめる時、平凡な仕事は、非
凡な仕事になり得るのだ。
「ひとも、ものも両手でいただくこと」
ある人から教えられたこの心を、大切に、雑用を雑用とすることなく、平凡
な暮らしを、非凡な日々にして過ごしてゆきたい。
2014年11月
☆ふえる一方の不登校をどうとらるか(下)「学校の存在意義をとらえ直すきっかけ」 伊藤友宣(神戸心療親子研究室・主宰) 2001年 ⑪
◇学校や教員や級友の違いによって
早い話が、私のような行政組織のいずれにも属しないフリーのカウン
セラーのもとによせられる、ごく一般からの雑多極まりない相談の全体
をみれば、地方地域のカラーの違いや学校の伝統的な性格特長の違いな
どがいろいろある訳です。
公立の小中学でも、当面の学校長の違いとか評価されているスポーツ
クラブやいわゆる進学校とみなされているか、落ちこぼれ校などと陰口
を叩かれている学校かの空気の違いに、激しい落差があります。
また、同じ一つの学校でも学年ごとの色というか空気というかの違い、
更にまたクラスごとの質の違いが担任教員によってとか、たまたま構成
される子どもの性格能力習慣の違いというのがあって、これはもう歴然
と違っているものです。
たまたま一人の生徒の不登校が起こる背景について、それが一体何に
起因するものであるかを吟味する際の問題の要因は、実に多種多様なも
のですね。
◇不登校の共通の状況
結局のところ、なんらかの抑圧的な力関係のために、生き生きしたプ
ラス発想に支えられず、登校すべき日の朝に、心が動かない、体が動か
ない、というのが、具体的な不登校児の共通の現実でしょう。
三回にわたってのこの原稿の余白もあと少なくなり、学校制度や教員
のあり方とか親のなすべき配慮等をなにもかも書き切れないまま、さし
あたって一人の少年の自発的な不登校克服の例を述べて、一介のフリー
のカウンセラーの、増大する不登校なるものへの対し方を示すことで、
論の結びにしようと思います。
去年九月に出した拙著「子どもの心をひらく魔法の会話」(青春出版社
刊)にも、この事例は、ポイントをいささか違えて概略を述べてあるもの
です。
◇自己蔑視が常習の少年
さて、相談来所したのは、こまかい気遣いとくどくどしい忠告癖で、
精一ばいにわが子を見守る母親でした。
能力は普通にあるはずなのに、努力を怠る子なので、幼児期から心配
のし通しだったと、しおれきった調子でわが子の難儀ぶりを訴えます。
幼堆園児の頃から園には行きしぶり、小中学校もずっとその時々の担
任のお世話になり通しだったのだとのこと。
成績は上がらないままで中二の頃は普通科の公立高校に行く能力があ
ると見られていたのに、ランクを落とす恰好で県立の商業高校に行くは
めになり、
「いやだいやだ。つまらない、こんな学校なんか」
とこぼす当人をなだめすかして登校させはじめたものの、一学期半ばか
ら、ついに週に一日、二日と休みが重なったと見る間に二学期のはじめ
からすっかり不登校気味になってしまったのだという相談でした。
困り抜いた母親の熱心さにほだされて、高校のクラス担任教員が、電
話で本人を説得すれば、ある日やっと午後の授業には顔を出したりする。
会って話せば、よくかまって育てられた子の特長で、もともと素直な
よい子だ、というのがクラス担任の三十代はじめの教員の感想でした。
◇あっけない程の一週間の様子
明日こそ登校すると前夜は一応決意するのですが、朝になると目があ
かない。
ぐずってふとんから出られない、と言うので、結婚して幼児二人がい
る四人家族の担任教員が、学校から近いところに住んでいる事だしと、
ちょっと今どき珍しい思いつきで、当人にしばらく自分の家から学校へ
通ってみないかと提案したのです。
思いがけぬ提案に、びっくりしながらもおもしろがって、当人もその
気になりました。
担任教員とその妻は、教師生命をかけての試みだ、本当に、しばらく
やってみようということで、不登校ぎみの生徒を家に泊らせて、朝、生
徒と一緒にわが家を出て学校に向かうという実践をはじめたのでした。
案ずるよる生むが易しというべきか、起こさないでも朝は早い目に起
きて来る。
幼な児たちとの暮しにおもしろがって、本来の親切さなのか、子ども
らの朝食の世話をやいている。
出かける時間には先生より早く玄関に立ち、一歩遅れた先生を自分の
方が促しているほどの、世話のかからぬ当人の態度に、教員夫妻は、肩
の力がぬける思いだったというのです。
私もこの試みを横から見守っていたわけですが、先生からの報告だと、
夜は夜で本人が先生一家四人のだんらんにも進んで参加する。なにかに
つけてよく気のつく優しい性格には、改めて感心し直したということで
した。
でも、そうなってみると、高校生一人をいつまで同居させてやるべき
か、意外と若い妻にとっては大きな負担であり、一週間が過ぎた日曜の
夜、私も加わり、本人の母親もやって来て、先生宅で今後どうするか皆
で話し合うことになったのでした。
教師が口を切ります。
「なんということなく、学校へは行けることが、これで実証できたね。
よく頑張った。もう大丈夫だろう。この試みもこれで終りにしよう。
明日は学校で顔を合わせて『おはよう』と声をかわそうや。どうや。
先生の家から通学した一週間の感想は?」
こんにちは。
最近、本を読むことが減っていますので、今年は読書も楽しみたいと思います。
新しいブログへご訪問&コメントをありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。
by pooh (2025-01-22 19:07)