SSブログ

「宮本常一さん 教育について」 29 「彷徨のまなざし」長浜功 明石書店 1995年 ③【再掲載】 [読書記録 教育]

「古い教育の中で興味をそそられるのは塾の制度である。そこでは人が人を啓発すること
 が何よりも喜ばれた。そこには,教授法というものもなかったし,また,教えることも
 偏っていたが,人間を人間として育てていく何ものかがあり,不合理の克服を不合理か
 ら避けることによって達するのではなく,不合理の中でまず不合理を克服してみようと
 する気迫を身につけさせた」(著作集26巻)






今回は12月10日に続いて、「宮本常一さん 教育について」29回目
長浜功さんの「彷徨のまなざし」3回目の紹介となります。





出版社の案内には、

「『民衆』という言葉を使い、民衆の視線と同じ高さで民衆を論じた民俗学者・宮本常一。
 その生涯と全国を歩いて調査した旅について概観し、彼の業績と民俗学研究上での役割
 を考える。」


とあります。





今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「教育とは希望を語るもの」


・「…学校教育というのが古い秩序による子どもの世界というものを滅茶苦茶にしてしま
  ったと思う方なんだから…。例えば,我々盆踊りの唄を学校で歌うと皆廊下に立たさ
  れたんですがね,大変けしからんと。学校で教えてくれる唱歌以外は学校では絶対歌
えなかった。そういうように,それ以前の生活から断ち切っていくようにすることが
新しい教育だった」(著作集別巻2)


・「子どもに対する評価が 学校のそれと村という地域で異なっていた」
- 学校では優等生だけれども地域では…
  学校では劣等生のようにされているけれども地域では…
  かつてはよく聞きました。
  





<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。

浜松ジオラマファクトリー








☆「宮本常一さん 教育について」 29 「彷徨のまなざし」長浜功 明石書店 1995年 ③ 【再掲載】

1.jpg

◇人と教育

 教師が子供たちからどんなに慕われているか


 農閑期大学 1947年2月 純真学園(横浜)


教育とは希望を語るもの



□学校教育批判

○明治政府 

   土着の教育機関(寺子屋・私塾)を無視



西洋の教育組織制度を導入



日本固有の教育理論が生まれない
(ルソー曰く ペスタロッチ曰く デューイ曰く)



   広瀬淡窓 吉田松陰 本居宣長 安藤昌益


「古い教育の中で興味をそそられるのは塾の制度である。そこでは人が人を啓発すること
 が何よりも喜ばれた。そこには,教授法というものもなかったし,また,教えることも
 偏っていたが,人間を人間として育てていく何ものかがあり,不合理の克服を不合理か
 ら避けることによって達するのではなく,不合理の中でまず不合理を克服してみようと
 する気迫を身につけさせた」(著作集26巻)


↓↑


○新しい教育制度  

 人間を育てるのでなく,できるだけ生産を高める知識と技能を持つ人間をつくりだすこ
 と


「要するにぼくら学校教育というのが古い秩序による子どもの世界というものを滅茶苦茶
 にしてしまったと思う方なんだから,学校教育を今更どうすることもできないね。例え
 ば,我々盆踊りの唄を学校で歌うと皆廊下に立たされたんですがね,大変けしからんと。
 学校で教えてくれる唱歌以外は学校では絶対歌えなかった。そういうように,それ以前
 の生活から断ち切っていくようにすることが新しい教育だった」(著作集別巻2)





 学校は生活と労働を切り離した


              |


 教育という問題が民衆の生活要求という土台から生まれてくるのではなく,国家の要求
することを土台として生まれるのが当たり前…という前提



  教育における民衆無視


「新たに起こった学校教育制度は実学的であることを目指しつつ,村人の生活や生産に直
 接参与することは少なかった。むしろ漁業では義務教育のために技術伝承がおろそかに
 なる畏れがあり長い間漁民の抵抗が見られた。農民もまた新しい教育に飽きたらぬもの
 を持っていたが政府はこれらの人々に批判や要求の余地を与えなかった。その上修身科
 が置かれることによって,庶民の世界にも忠・礼・仁・智などの儒教を背景にした武家
 道徳が植え付けられるに至った。学校教育は国家の要望する教育をうえつけることであ
 ったがそれは庶民自身がその子に要求する教育とは違っていた。しかも両者の意図が長
 く調整させられることがなかったため学校における道徳・教育が形式主義に流れ,村里
 のそれが旧弊として排撃されつつ今日に至ったため村人たちは苦しみ続けてきた。」




 子どもに対する評価が 学校のそれと村という地域で異なっていた


「学校制度が整って,至る所に小学校中学校がつくられ,また,高校大学の数もおびただ
 しいものになってきたが,それにつれて教育せられる青少年は教科によって育て上げら
 れ,いわゆる画一的な教科的な人間ができあがっていく。そしてその一種の画一性を持
 った人たちを教養のある人と考えるようになった。」


「時代と共に民衆というものが変わらなければならないならば,教育もまた,それに応じ
 た適切な変化を伴わなければならない。」



nice!(142)  コメント(1) 
共通テーマ:学校