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(1)教育ノートから「教師」 ③ (2)私の「夜間中学」教師体験記・命の光がいっぱいの教室 いっぱいの学校 ① 夜間中学校教論・松崎運之助 『致知』2004.3【再掲載】 [読書記録 教育]

今回は、1月19日に続いて、要約した教育ノートから、
キーワード「教師」3回目の紹介です。


30年以上前からキーワード「教師」でまとめてきたものの紹介です。


今回も、著名な実践家・齋藤喜博さんの言葉です。



今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「見る(藪医者) と見える(名医)」


・「とにかく藪医者になって一歩一歩自分を築く」
- とにかく子どもたちをよく見ていくことから、ということでしょう。


・「教師の働きかけ → 自分が変わる しなやかな美しい姿(に)」
- 子どもにも教師にも「しなやかさ」を求めています。
  子どもに変わることを期待するだけでなく、まず教師自身が変わらなければならない
 ということ、今さらながらそうだなあと強く思います。 


・「 百失敗して2つ身につける -  あらゆる手だてをつくす」
- まず手数を工夫して出し続けなければならないということですね。




もう一つ、6年前の記事の再掲載ですが、松崎運之助さんの、
「私の『夜間中学』教師体験記・命の光がいっぱいの教室 いっぱいの学校 ①」
本当の学びの姿とは何かについて考えさせてくれます。
友人が前川喜平さんの講演を聴いたと言います。前川さんも、夜間中学に関わっていると
のこと。そこに求めるものがあるからでしょうか。










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(1)教育ノートから「教師」 ③

◇課題づくり 斉藤喜博

 そのときどきの課題をつくって突破させていく

    大きな課題と小さな課題





◇授業 斉藤喜博

 授業という教師の本来の仕事の中でどれだけ子どもの持っている可能性を引き出し得る


○「見る」 と  「見える」
藪医者 と 名医


○教師の表現力 = 子どもの前では必死になる




◇授業 斉藤喜博
 
 ① 優れた教材を選ぶ 
  
    栄養のあるいいものを


 ② 教師の働きかけ 

    自分が変わる 

    しなやかな美しい姿


 ③ 教師の教材解釈


④ 授業の流れ


⑤ 見る力  

    いいところを見つける


⑥ 教師の豊かな表情

    ゲラゲラ 

    フーン 

    ウーン

    「ああいいね」-表情


○同一教材を繰り返してやる大切さ


○一生懸命

百失敗して2つ身につける
   -  あらゆる手だてをつくす





◇授業 斉藤喜博

 ① 子どもの事実の中から課題をつくる
    絶えず子どもに働きかける


② 一人の子どもも見落とさない


③ 働きかけ診察し治療する

とにかく藪医者になって一歩一歩自分を築く


④ 原則と実践


⑤ 技術  

    技術を身につける努力を - 手にとって教えてもらう


⑥ 授業は楽しいものでなくてはならない
    本質的なことで緊張・集中


⑦ 平押しでない授業

ポイント - 核になるものをポンポンと











(2)私の「夜間中学」教師体験記・命の光がいっぱいの教室 いっぱいの学校 ① 夜間中学校教論・松崎運之助 『致知』2004.3【再掲載】

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◇夜間中学校教論・松崎運之助(まつざき・みちのすけ)
 昭和20年中国東北部(旧満州)生まれ。中学卒業後、三菱長崎造船技術学校・長崎市立
高校(定時制)を経て、明治大学第二文学部卒業。。夜間中学の教諭になり、現在に至る。
著書『学校』は山田洋次監督の映画『学校』の原作になった。他に『夜間中学の歴史』『青
春』『母からの贈りもの』など多数ある。




◇小さな明かりを目指しやってくる生徒たち

 夕日が沈み、夜の帳が下りる頃、大きな校舎にいくつかの小さな明かりが灯ります。

 世の人々が家路に急ぐなか、その明かりを目指しやってくる生徒たち。

彼らは夜間中学に通う生徒です。


 生徒といっても、上は81歳から下は15歳と年齢層は幅広く、国籍も日本はもちろん
中国や韓国、最近はタイやベトナムの人も多くいます。


 多くの生徒さんが昼間は仕事をしながら通っていますが、休む人はほとんどいません。


 早朝から働きに出かけ、夕方17時半から21時まで学校で勉強。それから家に帰り、
また翌朝から仕事へ行く。なんて大変なんだろうと思いますが、


「この教室の明かりが故郷の家の明かりに見える。学校に来ると、仕事場でいやなことが
 あっても忘れられるんだ」


とおっしゃる方もいらっしゃいます。



 特に年配の方々の「学校」に対する憧れは並々ならぬものがあります。学齢の頃は戦争
や貧困から学校どころではなく、昼夜を問わず働かなければ生きていけなかった。


 働き盛りの3、40代になると、日本にも学歴社会が根付き、小学校もろくに行ってい
ないと言うことでどれだけ辛い思いをしたことか。それは日本人だけでなく、在日朝鮮人
や中国から引き揚げてきた残留孤児の方々も同じです。


 学校へ行ってみたい、勉強してみたいと願い続け、通える環境が整ったのが、60代や
70代だったのです。


 また、外国から日本へ働きに来た人たちも必死です。


 彼らも祖国にいた頃は、4、5歳からわずかな現金収入を得るために働いています。身
を粉にして働いてもなお生活苦は解消されず、意を決して日本へ渡ってきたのです。


 何としてでも日本語を覚え、仕事をし、生きていかなければなりません。



 一方、15、6歳の生徒たちは「学校」に対し、一種幻滅を抱いています。

 小中学校に通っている頃、辛いことがあって学校へ行けなくなってしまった。その理由
が何であるかなど、私は興味がないし、知る必要もありません。


 ただ、それでも彼らが「夜間中学になら行ってもいい」と思って入ってきたのです。



 年齢も違う、国籍も適う、職業も生活習慣も違う。しかしここに集う生徒は、その時代
時代の日本社会の問題を色濃くく反映しています。


「学校」の枠から弾き飛ばされ、たどり着いた小さな教室で机を寄せ合い学ぶ生徒たち。
この狭く小さな教室は、「それでも学校へ行きたい、学びたい」という熱意や希望で溢れ
ています。





◇愛から始まるあいうえお

 ある日、教室へ行ったら机の上に饅頭が載っていました。


 生徒の皆さんも「これどうしたの?」と不思議そう。すると年配の生徒さんが、


「きょうは娘の命日でさ、お墓参りに行ってきたのよ」


とおっしゃいました。娘さんを亡くされて以来、一人暮らし。おそらく誰かに自分の思い
を伝えたく、饅頭を買って配ってくれたのでしょう。


「どんな娘さんだったの?」


「何歳で亡くなったの?」


とクラスのみんなが質問すると、お母さんの顔になって一つひとつ嬉しそうに答えていま
した。


 その時、教室は″ほわ-つ″とした雰囲気に包まれていました。人は皆、過去を重ねて
生きています。特に夜間中学にいらっしゃる方々は人よりも幸い過去がちょっと多い。


 饅頭一個がきっかけとなって、何かがきっかけとなって、自分が抱えている辛い過去の
十分の一を話す。すると他の誰かも自分の過去の十分の一を話す。この教室の中では自分
の過去を話していいんだ。


 ここにいる人たちには、自分の辛い過去を分かってもらえる。一人ひとりが、ちょっと
ずつ自分を出し、他の人を受け入れていく。その営みが実に穏やかに、自然のなかで行わ
れていきます。


 生徒の皆さんはこれまで学校に行っていないため、夜間中学で初めてひらがなを覚える
人が多くいらっしゃいます。


 ギュッと鉛筆を握り、次のページに裏写りしそうなくらい力強く、ノートに、「あいう
えお」を何度も何度も書いていく。その時の表情はまるで怒っているかのように真剣です。


 黙々と「あいうえお」を書く中で、ある時突然、


「あのさ、気づいたんだけどさ、あいうえおって素敵よね」


と言い出した方がいました。40歳くらいで、小さなお子さんのいる女性です。


「あいうえおって″あい″から始まるじゃない。やっぱり愛が一事なのよ。なんでも愛か
 ら始まるのよ!」


 きりきりと書いていた生徒さんが、


「ああ、愛か」


「そう言われればそうだね」


「愛は地球を救う」

と口々に言い出し、教室には″ほわ-つ″とした空気が流れました。


 ひとしきり皆さんが「愛」について書きが始まりました。するとしばらくしてから、


「ああ、そうか。愛か」


という声がしました。声の主はいつも感動のテンポが人より遅い60代のおじさんです。


 クラスのみんなは「また始まったよ」というように、


「もう、その話は終わったよ!」


「だいたい、あんたに愛なんて分かりっこない」


とさんざんな言いようです。するとおじさん、


「俺にだって愛は分かる」


と応戦します。失礼ながら、その方は下町のドヤ街に住み、一年中洗ったことのないよう
な作業者を着ていて、およそ「愛」などからはかけ離れている。私も興味深く聞いている
と、


「あいうえおは″あい″から始まり、いろはにほへとは色気の″いろ″から始まる。文字
 っつうもんは、人間にとって一番大事なものから始まるのよ」

 
と誇らしげに答えるのです。みんなは「ああ、そうか」と感心しました。



 いま、昼間の学校ではこのおじさんが「ああ、そうか」と言い出すまで待つことができ
ません。


 皆が足並みそろえて先を急ぐ時代、ついてこられない人は置いていくしかない。効率、
能率を追求した結果、同じような経済状態の、同じような学歴の、同じような感性の人た
ちが小さく小さくまとまっている。それがいまの社会です。


 足を止め、待っていれば出合えるのです。新しい発見に、新しい感性に。より深く学べ、
より深い感動につながるのです。





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