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(1)「総合的な学習とこれからの学校・授業作り」 北俊夫 光文書院 2000年 ⑦ (2)こころの時代 「人生はあなたに絶望しない」 永田勝太郎 「ラジオ深夜便」より 【再々再掲載】 [読書記録 教育]

今回は1月23日に続いて北俊夫さんの
「総合的な学習とこれからの学校・授業作り」7回目の紹介です。


およそ20年前に出版された本です。
平成10年版の学習指導要領が最新だった頃です。


今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「教師の作成した指導案を超える子どもを育てているか」


・「計らざる突然の出来事や場面に対する対応能力」
- 予想したことと全く違う子供の表れが出たときの対応、おもしろくもあり冷や冷やも
 します。




もう一つ、再々再掲載となりますが、「ラジオ深夜便 こころの時代」より、
永田勝太郎さんの「人生はあなたに絶望しない」を紹介します。
ラジオを聴きながら、涙がこぼれたことを思い出します。
大好きな文章です。





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(1)「総合的な学習とこれからの学校・授業作り」 北俊夫 光文書院 2000年 ⑦


◇教科等との関連

 ①教科等からの「発展型」

 ②①の逆

 ③教科と並行

 ④合科型 融合型

 ⑤サンドイッチ型
 




◇授業の改善をどう図るか

(1)子どもの意識を連続・発展させているか

  学習指導案は授業が始まるまで


(2)教師の作成した指導案を超える子どもを育てているか

「光る言葉」「光る活動」

計らざる突然の出来事や場面に対する対応能力


(3)子供の発言作品などを「もう一つの教材」として生かしている

発言 発表 作品 なる教材



子供同士の学び合い
学級の中で共に生きている姿



学級の中に友達同士の関わり合いを意識した子供たちの発言や教師の助言



もう一つの教材











(2)こころの時代 「人生はあなたに絶望しない」 永田勝太郎 「ラジオ深夜便」より 【再々再掲載】

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 医師で浜松医科大学医学部附属病院心療内科科長の永田勝太郎さんは、1948(昭和23)
年生まれです。20年前、永田さんは、医師としての岐路に立たされていました。そんなと
き、オーストリアの精神科医ヴィクトール・E・フランクル博士(1905~97)の著書『夜
と霧~ドイツ強制収容所の体験記録』に感銘を受け、ウィーンに住む博士を訪ねて交流を続
けました。永田さんが提唱している「全人的医療」は、フランクル博士が強制収容所という
極限状況の中から導き出した「人間とは何か」という、深い洞察に支えられているのです。
                                [聞き手 鈴木健次」


◇人間の可能性を信じることの大切さ

― まず、フランクル博士について簡単にご紹介いただけますでしょうか。


<永田> 
 フランクル先生は5年、オーストリアのウィーンでお生まれになっています。ユダヤ人で
あったために、第二次世界大戦中ナチスドイツによって、ポーランドのアウシュピツツ強制
収容所に捕虜として捕らわれた経験をお持ちです。


 収容所では、冬でもシャツー枚、ズボンー枚の生活で、食事といってもパンー枚と塩水の
ようなスープだけでした。


 当然のごとく、次々と餓死者が出ます。その中で先生は、あることに気づきました。それ
は、弱っていく人に自分のたった一切れのパンを与えることができる人がいる一方で、けだ
もののように人のパンを奪って食べてしまう人がいるということでした。この違いは何によ
るものか、先生は観察を続けました。

   
 その結果、人にパンを与えることができる人たちは、自分の。「生きる意味」を心の中に
しっかりと持っていた人たちであることがわかりました。

   
 どんなささやかなことでもいいんです。まだ成人前の子どもがいるとか、やり残してきた
仕事があるとか、きわめて日常的なことなのですが、「これをやり遂げるまでは死ねない」
ということ、それがフランクル先生の言う「意味」なのです。

   
 先生はそのことをアウシュピッツという煉獄の中で自ら体験し、ポケットに忍ばせたカー
ドに速記で記録し、精神医学の見地から学問的に実証された方です。

   
 戦後になって『夜と霧』(日本での初版は1956年)という本にまとめられましたが、人間
の可能性を信じることの大切さを主張するこの本が戦後世界に及ぼした影響は、大変に大き
なものがあります。




― 永田さんがフランクル博士と交流することになったきっかけをお聞かせください。


<永田> 

 20年前、私は東京のある大学病院におりました。ところが、そこでいろいろな事件に巻
き込まれて、いわば失脚するようなかたちで大学を追われてしまった。

   
 地方の小さな病院で医師としての仕事は続けましたが、自分にとってこの職業がどういう
意味を持つのか、深く悩んだ時期が続きました。

   
 そのとき、高校生のころに読んで感銘を受けた『夜と霧』を読み返しましてね。非常に得
るところが大きかったわけです。

   
 フランクル先生の確立された実存分析という学問を勉強したいと思った私は、先生に手紙
を出しました。

   
 すると先生はすぐに、「ウィーンにいらっしやい」という返事をくださったので、私は飛
んで行きました。先生は両手を広げて私を迎えると、「私にできることは?」とおっしやっ
てくださったのです。

   
 先生の考え方の根底にあるのは、深い人間愛なんですね。非常にユーモアにあふれた方で
どんなつまらないことでも笑いに変えてしまう特技をお持ちでした。

   
 それはやはり、生と死の境を生き抜いてこられた体験をお持ちだからこそではないかと思
います。以後、先生がお亡くなりになる97年まで、私は何十回もウィーンにうかがってお
ります。




◇絶望の淵から

― フランクル博士は、夫人をアウシュビッツで亡くされていますね。


<永田>

 はい。最初の奥さまは、ガス室の犠牲になっています。しかし戦後、生涯の伴侶となるエ
リーさんと運命的な出会いをされて、再婚なさいました。



― 永田さんはそのエリー夫人から、「人生はあなたに絶望しない」というフランクル博士
 の言葉を贈られたそうですね。


<永田>

 はい。実は十年ほど前、私は大きな病気を患っております。ある日突然、末梢から筋肉が
麻蝉してくる病気で、寝たきりになってしまいました。

   
 主治医からは、「治療方法はない。もう車いすで生活することも無理だろう」とまで言わ
れました。
 
   
 ある温泉病院に入ってリハビリを続けたのですが、ちっともよくなりません。部下の局員
はどんどん辞めていき、とうとう誰もいなくなってしまいました。

   
 何か自分が見捨てられたような、絶望的な気持ちでしたね。
   

 花を見ても、「来年この花が咲くころには、心はこの世にいないのだ」と思ってしまう。

   
 そのころ、フランクル先生はすでに亡くなられていて、私はエリーさんに手紙を書きまし
た。

  
「エリーさん、さようなら。僕は不治の病になってしまった。僕は先生のもとへ行くよ」

   
 するとエリーさんからすぐに返事が届きまして、こう書いてあったんです。

  
「私はあなたに何もしてあげることができない。でも、生前フランクルがいつも私に言って
 いた言葉をあなたに贈ろう。『人間誰しも心の中にアウシュビッツ(苦しみ=編集部註)
 を持っている。しかしあなたが人生に絶望しても、人生はあなたに絶望しない。あなたを
 待っている誰かや何かがあるかぎり、あなたは生き延びることができる』」

   
 私はその手紙を何百回も読み返しました。時を同じくして、私が教えていた学生が何十人
も押しかけて、
  

「先生、早く大学に戻ってきてください」
  
と励ましてくれたり、
  

「先生が実践されている全人的医療を勉強したい」
  
と申し出てくれるドクターたちが現れました。そして家族の存在。

  
「よし、もし命を長らえることができたなら、残りの人生を医学教育に捧げよう」

と、私は決心したんです。

   
 それからは、リハビリのメニューを3倍にしてもらいました。加えて、生命力を高めるた
めに東洋医学的な方法も治療に取り入れました。

   
 その中で、すばらしい鍼灸師の先生に出会いましてね。私が
  

「ちっともよくならない。どうせ死ぬんだ」
  
と愚痴を言うと、先生は一緒に泣いてくれたんです。

   
 その先生が示してくれた共感とエリーさんの手紙を心の支えにしながら必死に努力して、
2年後、私は大学に復帰することができました。



― フランクル博士の言う「生きる意味」を、永田さんご自身が実体験されたのですね。


<永田>

 病気のあと、患者さんへの対応が変わりました。私たち医師にとって、死と隣り合わせの
患者さん、「生きる意味」を探そうにも探せない患者さんに共感することは、実は大変難し
いことです。

   
 しかし、私は自分の経験を通して、どんな状況に陥ってもそこから逃れる方法は必ずある
ということを、患者さんたちに伝えられる。それが今の私の役割かなと思っています。

   
 ですから、「私はいつ死ぬんですか」とびくびくしている患者さんには、カルテを閉じて
こう言います。

  
「いいかい、これは医者として言うんじやないよ。僕は三途の川まで行ってきたけど、こう
 して戻ってきた。そして、今、生きている。あなたも今、生きているじゃないか。あなた
 にも、『戻ってくる自由』があるんだよ」。





◇全人的医療と現代医学

― 先ほどおっしやった「全人的医療」は、人間の心理的な側面を重視する医学と考えてよ
 ろしいのでしょうか。



<永田>

 そのとおりです。現代医学は高度に進んだ科学である半面、人間を臓器や細胞、場合によ
ってはDNAのレベルにまで専門分化しすぎたきらいがあります。

   
 しかし、それでは人間というものはわからない。人間はもっと総合的な存在です。そのよ
うな視点に立って、ありとあらゆる科学的な思考を一人の患者さんのために投入する。それ
が、私どもの目指す全人的医療です。

   
 現代医学は外科的な手術や放射線療法、抗がん剤治療、化学療法といったような、どちら
かというと体の中にある問題点を除去する方法論にすぐれています。

   
 一方、ある臓器が弱っても、他を活性化して全体のバランスをとればよしとする考え方が
東洋医学的な考え方。それから、体が病気になれば心も病気になってしまうから、心をしっ
かりと支えていこうというのが心身医学の考え方です。

   
 フランクル先生の実存分析は、そこに人間を生かしている「意味」という概念を取り入れ
ることによって、その人が自分の能力以上の力を出せるよう支えていこうという考え方です
ね。

   
 そういったことをやっていきますとね、人間というのはけっこうすごいパワーを示すこと
があるんですよ。

   
 私どもの病院には、末期がんの患者さんも多いのですが、中には奇跡としか表現できない
ような回復をされる患者さんがおられるわけです。

   
 そのことを現実のこととして受け止めて、なぜその人が回復したのか、科学的に実証して
ゆかなければならないと思っています。

   
 これはわれわれの研究でわかってきたことですが、面白いことに、「生きる意味」に気づ
いたとき、人間の脳は生命力を活性化するホルモンを分泌するんですよ。つまり、単に心理
的に元気になるだけでなく、身体的な反応として生命力が活性化する。まだ発展途上ではあ
りますが、医学の可能性を大きく発展させることができる考え方ではないかと思います。

   
 逆に言うと、それがわれわれの仕事ではないかと考えているんですね。







◇だれにも。生きる意味がある

― 具体例をお聞かせいただけませんか。


<永田>

 15年ほど前のことですが、東京の大きな病院で筋ジストロフィーと診断されて、医師か
ら「余命半年」と宣告された男性の患者さんが私どもの病院に来られました。

   
 私は彼に、

  
「今、あなたは生きているし、こうやって東京から浜松まで来ることもできた。『あと半年』
 と言った医者は神さまじゃありません。まず体をしっかりケアしましょう」

  
と励ましました。彼は病気のためにコンピューターのキーボードを押すこともできなくなっ
ていましたが、それはリハビリで機能回復するしかありません。

   
 そこで彼は、太極拳を習い始めたんです。その後、彼はみるみる健康を回復していきまし
た。
   

 今では太極拳の最高段位を取得して、弟子が150人もいます。彼の場合、リハビリのため
に始めた太極拳が「生きる意味」の1つになったんですね。

   
 こんなケースはいくらでもあります。キューブラー・ロスというアメリカの精神科医で、
やはりフランクル先生の影響を強く受けた方が、こういう言葉を遺しています。

  
「人間とは、その死の瞬間まで成長する可能性のある生物である。その可能性を、われわれ
医師は奪ってはならない」

   
 患者さんに対して「余命何か月」などと軽々に言うことは、医師として厳に戒めなければ
ならないことだと私は思います。

   
 残念ながら亡くなってしまわれた例ですが、50歳のある女性のケースもご紹介したいと
思います。彼女はお父さんを早くに亡くされて、母親と二人暮らしでした。

   
 そのお母さんががんになられたので、彼女はずっと介護をしていました。しかし、お母さ
んもついに亡くなり、ほかに身寄りのない彼女は一人ぼっちになってしまった。

   
 そんなとき、今度は彼女自身が子宮がんであることがわかりました。

   
 彼女は放射線療法を受けました。ところが、治療中に大出血を起こして、医師からは、

  
「これ以上あなたにできることはない。ホスピスヘ行ってください」

  
と言われたそうです。しかし、ホスピスは満床で一か月待ち。

   
 そこで彼女は考えたんですね。

  
「私の人生、ちっともいいことがなかった。死ぬ前くらい、どこかの温泉にでも行こう」

   
 そのとき彼女が選んだのが、たまたま私どもの病院がある浜松に近い舘山寺温泉でした。

 それから一週間後、彼女は激しい痛みのためにベッドの上で動けなくなってしまった。病
気が急速に進行したんですね。

   
 女将から連絡を受けて、私はとりあえず、症状を緩和する治療をしました。しかし、この
人を救うにはどうしたらいいのか、私にはわからなかったんです。彼女はもう死を覚悟して
いるんですよ。

   
 天涯孤独になってしまった。この人の「生きる意味」はいったいどこにあるのか、見つけ
られないんです。私は暗澹とした気持ちで彼女を診ていました。

   
 ところがある日、一人の男性が彼女の車いすを押しているんですね。

  
「この方はどなた?」

  
と聞くと、彼女はニコニコしながら、

  
「先生、この人はね、私の幼なじみなんですよ。私、この人にプロポーズされたの」

  
って言うじゃないですか。それはもう驚きました。

   
 その男性は昔からずっと彼女のことが好きで、彼女が病気と聞いて駆けつけて来たんだそ
うです。そして、これがもう最後のチャンスだと思って彼女にプロポーズした。

   
 彼女も考えた末に、彼の申し出を受け入れることにしたんですね。彼女はこう言っていま
した。

  
「先生、私、死ぬのやめた!」。  

   
 2年後、彼女は亡くなりました。しかし、ホスピスではなく、彼の腕の中で。たった一年
間でしたけれども、その一年間は他の人の50年に匹敵するような、すばらしい一年だった
ろうと思います。

   
 人間は、一生懸命「意味」を見つけようとしていれば、必ず見つかるんです。そのことを、
彼女は教えてくれたのだと思います。






◇「あきらめない医療」を

― 末期がんやそのほかの重篤な病気に限らず、糖尿病や高血圧などにも、フランクル博士
 の考え方は適用できるのでしょうか。


<永田>

 もちろんです。たとえば糖尿病の患者さんの場合、食事療法を避けて通れませんね。

   
 ところが、食事療法は実行するのが実に難しい。自分が慣れ親しんだ食習慣は、簡単に変
えられないものなんです。

   
 ですから、例えば高齢の糖尿病の患者さんには、私はこういうことを言います。

  
「○○さん、確かお孫さんがいたね。5歳? そう、かわいい盛りだね。でも○○さん、こ
 んなに血糖値が高いでしょう。そのうち目が見えなくなっちゃうかもしれないよ。その前
 に、心筋梗塞を起こして、あの世に行ってるかも。お孫さんの成人式、あの世から見ても
 しょうがないでしょう。その目で見届けないと」

   
 つまり、自分のためでは行動変容できなくても、お孫さんのためなら行動変容できる。そ
の方を生かしている「意味」を刺激すると、「食事療法をやってみよう」という気持ちにな
ってくださるわけです。

   
 フランクル先生は、こんなこともおっしゃっています。

  
「どんな人間にも必ず意味がある。ただし、多くの人たちがそれに気づいていないだけだ。
 医療職の役割は、それを患者と一緒に気づくことだ」


 私たち医療職がすべきは、まず、その人の病気を丁寧に診察し、検査をし、状況を判断す
ること。そして、あきらめることなく、患者さんの「生きる意味」に一緒に気づいていくこ
となんです。




― これからの医療に最も必要なこととは、何でしょうか。



<永田>

 専門性の高い医療ももちろん大切です。しかしその前に、全人的に患者さんを理解する医
療を広めていかなくてはなりません。

   
 全人的医療は患者さんに共感するところから始まるのですが、これがいちばん難しいです
ね。しかし、それができないと、患者さんを理解することはできないわけです。

   
 全人的医療とは、患者さんの体、心、社会環境、生きる意味、この四つを総合して診てい
くことです。残念ながら、まだそのための教育は十分とは言えません。


   
 フランクル先生は亡くなる前、私にこういう言葉を遺されています。

  
「永田君、僕はもう十分に生きた。ただ、一つだけ心残りがある。自分の学問が医学の分野
 でもっと浸透してほしかった」

   
 今後も医学教育にもっともっと努力していかなければなりません。

   
 それからもう一つ、今、自分の命も、他人の命も粗末にする人たちが多いですね。その人
たちは、自分の命の可能性に自信がないのだと思います。

   
 これはもう、家庭教育、学校教育だけの問題ではなくて、国民全体の問題です。

   
 私たち一人一人が自分の可能性を信じて、希望をしっかり持って、変わっていかなければ
ならないと思います。                                           
                        (2008年9月23・24日放送)


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