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『新版 静岡県伝説昔話集』(上巻) 静岡県女子師範学校郷土研究会編 1994年 ⑧ [読書記録 郷土]

今回は、2月15日に続いて、静岡県女子師範学校郷土研究会編による
『新版 静岡県伝説昔話集』(上巻)8回目の紹介です。




静岡県、郷土の出版社、羽衣出版。
すばらしい本を出しています。



今回は、「池、淵、泉・井戸などの話」です。

いかにもありそうな話もあり、おもしろく感じます。



遠州地方にはたくさんの「片葉の葦」伝説が残されています。




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☆『新版 静岡県伝説昔話集』(上巻) 静岡県女子師範学校郷土研究会編 1994年 ⑧

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2 池、淵、泉・井戸などの話 続き


(10)明神淵 (磐田郡山香付・現佐久間町)

 和泉の下の川に明神淵という所がある。


 昔は、食器などがたくさん入用な時、この明神様に願えば貸してくれたそうであるが、
ある時、誰かが、借りた茶碗を一つ割って、返さずにおいた者があったので、それから貸
してもらえないようになったという。
                                (本多みち)






(11)山婆の井戸 (磐田郡佐久間村佐久間・現佐久間町)

 私の家の飲料水にする井戸のかたわらには、周囲6尺位の椿の大木があって、この木の
下からは、泉が湧き出している。

 それでここを椿沢という。

 また、この井戸の辺りに一千年程昔、山婆が住んでいたという。

 それで山婆の井戸と名付けられたという。
                                 (尾関すず子)







(12) 片葉の葦 (引佐郡三ケ日町)

 承和年間(834~847)に板築駅にて客死した橘逸勢朝臣の墓を守って、朝夕のお
勤めをおこたりなく行っていた妙沖尼という尼があった。


 尼は逸勢の娘であった。


 浜名湖畔の入野のある若者が、用事があって三河国に行った途中、板築駅を過ぎ、妙沖
尼の住む庵に尼の唱える読経の声を聞いた。


 どんな人がおられるであろうかと垣根の間から見て、いまだうら若い尼の殊勝な姿に、
恍惚として、しばらくたたずんでいたが、やがて読経の声の止むのを待って、庵の中を訪
ね、


「尼君は何人でおわすか、申すのもはばかりながら、ただ今より御身のために薪をとり、
 水をくみ、勤行のお助けを致しましょう。また、私の住む里も遠くではない故、食べ物
 も運び、供養して差し上げましょう。願わくば、この辺りに移り住み、朝夕の法の筵に
 参ずる事を、お許し下され」


 と言った。


 若者はあまりにも真剣なので、尼もその志を愛で、願いを許した。


 男は大変喜び、明朝から、かいがいしく働いた。

 そして折りあらば心の中をと思うが、道心堅固な尼の心を動かすべきすべもなく、むな
しく3年余りを過ごした。


 そこへ折しも都より使いの者が来て、父朝臣への許しの書報を伝えた。尼は大いに喜び、
父の遺品を背負って都へと帰ってしまった。


 男は、大変別れを惜しんだけれどもどうすることもできず、せめてもの思い出にと、尼
の住んでいた庵にその面影を慕ってしばらく住んでいたが、ついに思い悩んで、浜名の湖
に身を投じてしまった。


 そして幾日かの後に入野の湖岸に、若者の骸(死体)が流れ寄って来たので、里の人々
は哀れに思って、都の方に向けて葬ってやった。


 不思議にも、この辺りに生える葦は、みな片葉であると今に伝わっている。
                                  (掘川てる子)







(13)大城家にまつわる湯の話  (磐田郡上阿多古村・現天竜市)

 上阿多古村と下阿多古村との境にそびえる観音山の中腹に湯が噴き出している。


 らい病、その他の病気にかかった者は、この湯に入れば全治するという。


 これは昔から、上阿多古村長沢の旧家、大城家の持ち山で、大城家が衰えかかった時に
は、この湯を立てて人々を治癒すれば再び大城家は栄えるという。


 近来、大城家が衰えたので、三度目の湯を立てて人々が浴している。


 現在は設備を備え、温泉のような景観である。           (鈴木とき)




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