「坂東先生の教育講座」坂東義教 テレビ朝日 1978年 ④ [読書記録 教育]
小沢昭一
「坂東先生のお話はまさに芸術である」
語り口はユーモアたっぷりで笑いが続くのですが、内容は深い。
-40年前「テレビ寺子屋」や「溝口モーニングショー」での人気の高さを覚えています。
小沢昭一さんをうらなせるほどですから。
今回は、3月28日に続いて、坂東義教さんの
「坂東先生の教育講座」4回目の紹介です。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「子供はお母さんの判断を自分の判断にする」
・「信頼して尊敬しているとそういうものをどんどん取り入れ成長していく」
・「感情とか価値観とかは態度で学んでいく
子は親の鏡(同一化心理、同一視 ~ アイデンティティフィケーション)」
・「楽しそうに労働するのがお手伝いする子を育てる」
母として、父としていかにして振る舞うことが大切か知ることができます。
しかし、わたしは、自分の子育てに生かせただろうかと、今、大いに反省しています。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「坂東先生の教育講座」坂東義教 テレビ朝日 1978年 ④
◇子は親の鏡
□小沢昭一
「坂東先生のお話はまさに芸術である」
□こんなお母さんは辞表を書け!
あくまでも先生の立場で
- 子供が泣いてきてもお母さんが正しい判断をしてやる
体罰
-「お母さんあんた叩くでしょう。隣のお母さんあんた叩くかい」
「あんた叩く人っていい子にしたいと思っているから叩くんだよ」
∥
対応の仕方
□だって年寄りいないもん
イントロダクション
周りの人の取り入れ方
優秀児はお行儀がいい しかし…
□お父さんは暮らしの邪魔をする人
子供はお母さんの判断を自分の判断にする
何かを感じる、その感じを子供はそのまま受け取っちゃう
テレビアンケート 幼児の好きな番組は料理番組(嘗て文部省)
= お母さんの好きなものを取り入れる
信頼して尊敬しているとそういうものをどんどん取り入れ成長していく
= お母さんの真似 いい先生の真似
□なんだお母さんヒステリー
子供のすることは親が最初にしている
感情とか価値観とかは態度で学んでいく
子は親の鏡(同一化心理、同一視 ~ アイデンティティフィケーション)
□理科だけ苦手なこの謎
家の人に聞くと
「アッ、理科、ダメダメ」
|
「教育っていうのはまず親が正しく判断するとか親が正しい考えを持つ、正しい社会観な
り人生観なりを持つのが大切」
□労働の結果を足蹴にした父
楽しそうに労働するのがお手伝いする子を育てる
「お金だってお母さんがスーパーへ行って百円のものを買うんでも、こうやってはあーっ
て考えるから子供も十円持って考えているんですよ。十円買うのに…お母さんみたいに
やって。それで五円のガム買ってあとは残すの。」
= お母さんの経済観念の反映
「坂東先生のお話はまさに芸術である」
語り口はユーモアたっぷりで笑いが続くのですが、内容は深い。
-40年前「テレビ寺子屋」や「溝口モーニングショー」での人気の高さを覚えています。
小沢昭一さんをうらなせるほどですから。
今回は、3月28日に続いて、坂東義教さんの
「坂東先生の教育講座」4回目の紹介です。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「子供はお母さんの判断を自分の判断にする」
・「信頼して尊敬しているとそういうものをどんどん取り入れ成長していく」
・「感情とか価値観とかは態度で学んでいく
子は親の鏡(同一化心理、同一視 ~ アイデンティティフィケーション)」
・「楽しそうに労働するのがお手伝いする子を育てる」
母として、父としていかにして振る舞うことが大切か知ることができます。
しかし、わたしは、自分の子育てに生かせただろうかと、今、大いに反省しています。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「坂東先生の教育講座」坂東義教 テレビ朝日 1978年 ④
◇子は親の鏡
□小沢昭一
「坂東先生のお話はまさに芸術である」
□こんなお母さんは辞表を書け!
あくまでも先生の立場で
- 子供が泣いてきてもお母さんが正しい判断をしてやる
体罰
-「お母さんあんた叩くでしょう。隣のお母さんあんた叩くかい」
「あんた叩く人っていい子にしたいと思っているから叩くんだよ」
∥
対応の仕方
□だって年寄りいないもん
イントロダクション
周りの人の取り入れ方
優秀児はお行儀がいい しかし…
□お父さんは暮らしの邪魔をする人
子供はお母さんの判断を自分の判断にする
何かを感じる、その感じを子供はそのまま受け取っちゃう
テレビアンケート 幼児の好きな番組は料理番組(嘗て文部省)
= お母さんの好きなものを取り入れる
信頼して尊敬しているとそういうものをどんどん取り入れ成長していく
= お母さんの真似 いい先生の真似
□なんだお母さんヒステリー
子供のすることは親が最初にしている
感情とか価値観とかは態度で学んでいく
子は親の鏡(同一化心理、同一視 ~ アイデンティティフィケーション)
□理科だけ苦手なこの謎
家の人に聞くと
「アッ、理科、ダメダメ」
|
「教育っていうのはまず親が正しく判断するとか親が正しい考えを持つ、正しい社会観な
り人生観なりを持つのが大切」
□労働の結果を足蹴にした父
楽しそうに労働するのがお手伝いする子を育てる
「お金だってお母さんがスーパーへ行って百円のものを買うんでも、こうやってはあーっ
て考えるから子供も十円持って考えているんですよ。十円買うのに…お母さんみたいに
やって。それで五円のガム買ってあとは残すの。」
= お母さんの経済観念の反映
『新版 静岡県伝説昔話集』(上巻)静岡県女子師範学校郷土研究会編 1994年 ⑩ [読書記録 郷土]
今回は、3月15日に続いて、静岡県女子師範学校郷土研究会編による
『新版 静岡県伝説昔話集』(上巻)10回目の紹介です。
静岡県、郷土の出版社、羽衣出版による、すばらしい本です。
今回は、「塚と墓」です。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆『新版 静岡県伝説昔話集』(上巻)静岡県女子師範学校郷土研究会編 1994年 ⑩
4 塚と墓
(1)稚児塚 (引佐郡三ケ日町)
鳳来山(三遠国境の赤石支脈の一高峰、扇山とも書く。鳳来山とは、三河の鳳来山に対
してこの名があるという)に幡教寺という天台宗の巨刹(大きい寺)があった。(今の真
言宗大福寺はこの寺を移したものなり)
開基は、教待和尚といい、当時の名僧知識で、その大徳を慕い教えを乞い、弟子となる
ものが非常に多かった。
ある日、若くてまだ髪を剃らない一人の弟子が、暴風雨の間に天狗にさらわれて行方が
分からなくなった。
僧たちは捜し求めたけれど、その甲斐がなかった。だが、その後数日を過ぎて、寺から数丁の山頂に死体を発見した。
それでここに塔一基を建てて弔い、人呼んで稚児塚という。
今なお山頂にある豊筐印塔がこれであると伝えられる。
(掘川てる子)
(2)矢塚 (引佐郡三ケ日町只木)
只木は、大江山の酒呑童子を退治して有名な源頼光の家来、卜部の季武の居住地である
というが、今、畑の中の三畝歩(約一アール)ばかりに古い石垣の跡があり、これがその
屋敷跡だということである。
塚は、東西三間(約五・四㍍)、南北一間(約一・八㍍)余りである。
これは矢塚と言い、昔からこの塚に上ると、おこり(熱病)にかかるというので、里人
は近よらない。また、六郎季武の墳墓であるというので、季武塚とも言われている。 (山本ふみ)
(3)琉球塚 (浜松市)
平田の西見寺にある。
宝永7年(1710)、琉球の使節が江戸へ行く途中、浜松宿に泊まったが、病にかか
って死んだので西見寺に葬った。
それを琉球塚という。
(河原やす子)
(4)開山塚 (浜松市)
砂山の新豊院境内にある。新豊院は普済寺の末寺で、普済寺5世の華蔵が開いたが、後、
康正元年(1455)にこの寺で亡くなった。
その墓を開山塚という。
『新版 静岡県伝説昔話集』(上巻)10回目の紹介です。
静岡県、郷土の出版社、羽衣出版による、すばらしい本です。
今回は、「塚と墓」です。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆『新版 静岡県伝説昔話集』(上巻)静岡県女子師範学校郷土研究会編 1994年 ⑩
4 塚と墓
(1)稚児塚 (引佐郡三ケ日町)
鳳来山(三遠国境の赤石支脈の一高峰、扇山とも書く。鳳来山とは、三河の鳳来山に対
してこの名があるという)に幡教寺という天台宗の巨刹(大きい寺)があった。(今の真
言宗大福寺はこの寺を移したものなり)
開基は、教待和尚といい、当時の名僧知識で、その大徳を慕い教えを乞い、弟子となる
ものが非常に多かった。
ある日、若くてまだ髪を剃らない一人の弟子が、暴風雨の間に天狗にさらわれて行方が
分からなくなった。
僧たちは捜し求めたけれど、その甲斐がなかった。だが、その後数日を過ぎて、寺から数丁の山頂に死体を発見した。
それでここに塔一基を建てて弔い、人呼んで稚児塚という。
今なお山頂にある豊筐印塔がこれであると伝えられる。
(掘川てる子)
(2)矢塚 (引佐郡三ケ日町只木)
只木は、大江山の酒呑童子を退治して有名な源頼光の家来、卜部の季武の居住地である
というが、今、畑の中の三畝歩(約一アール)ばかりに古い石垣の跡があり、これがその
屋敷跡だということである。
塚は、東西三間(約五・四㍍)、南北一間(約一・八㍍)余りである。
これは矢塚と言い、昔からこの塚に上ると、おこり(熱病)にかかるというので、里人
は近よらない。また、六郎季武の墳墓であるというので、季武塚とも言われている。 (山本ふみ)
(3)琉球塚 (浜松市)
平田の西見寺にある。
宝永7年(1710)、琉球の使節が江戸へ行く途中、浜松宿に泊まったが、病にかか
って死んだので西見寺に葬った。
それを琉球塚という。
(河原やす子)
(4)開山塚 (浜松市)
砂山の新豊院境内にある。新豊院は普済寺の末寺で、普済寺5世の華蔵が開いたが、後、
康正元年(1455)にこの寺で亡くなった。
その墓を開山塚という。