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(1)「総合的な学習とこれからの学校・授業作り」 北俊夫 光文書院 2000年 ⑩ (2)新津の伝説① 「音羽の松」 浜松市小沢渡町【再掲載】 [読書記録 教育]


今回は2月9日に続いて北俊夫さんの
「総合的な学習とこれからの学校・授業作り」10回目の紹介です。


およそ20年前に出版された本、平成10年版の学習指導要領が最新だった頃です。


「総合的な学習」の効果、善し悪しが話題になることもなく、道徳科、外国語。
検証が大切だと思うのですが、次々と目新しいものに取り組むことに力が注がれています。



今回紹介するのは、
キーワード「カラオケ型発表会」「教材のバイキング」「『子供の学習時間』をつくる」
です。


もう一つ、再掲載となりますが、「新津(浜松市南区新津地区)の伝説①」を紹介します。小さな頃からよく聞いた話です。 



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(1)「総合的な学習とこれからの学校・授業作り」 北俊夫 光文書院 2000年 ⑩


◇授業作りのキーワード20 ③

(11)カラオケ型発表会

 - 問われる学び合う意義


 克服のために
① 学級共通の問題意識(学習問題)は何だったのか
 自分はどんなことを調べたのか確認し合う

  ② 発表内容に調べ方を含める
・どんな方法
・分かったこと考えたことは
・不明なことはどんなことか

  ③ 相互評価の場として  
     それぞれの良さを相互評価

  ④ みんなで発表しあい吟味し合うことの目的や意義を理解できるようにすること



共に高め合う学級の風土作り


 「報告や発表」+「考え方・吟味」する概念             





(12)教材のバイキング

- 選択能力を育てる


 子供に大切なものは
切実性,見通し,自分なりの選択の基準,修正・弾力化

子供による主体的な資料収集



  「教材のバイキング」の提案 今日的
(文書資料,写真,実物,ビデオ教材…)
  




(13)「子供の学習時間」をつくる

- 居場所を時間的に保障する


 指示型の授業 
  → 子供による創造的な学習に変えていく

「教師の個別指導の時間」













(2)新津の伝説① 「音羽の松」 浜松市小沢渡町【再掲載】

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<写真は2代目?>

 浜松地方は、昔は名松の良かった所である。それの故に、浜松の名が生れたとさえいわ
れている。




 野口鴨八幡宮の泉にあった颯颯の松。



 五社神社境内にあった.五社松。



 当時の浜松城内、今の税務署のあたりにあった鎧掛けの松。



 旧新津村小沢渡の音羽の松。



 可美村増楽の叟羅の松。



 若林の秀衡の松。



 曳馬町の江間殿松。



 馬込川東の諏訪神社の六本松



 旧和田村橋羽の法橋の松。




 この外、数え来ると近郷近在に限りなくあったが、今は全部枯死した後である、しかし
何れの松も、樹齢数百年、枝は地につく程にも垂れて、その枝間、実に数十メートルに及
ぶという、名松ばかりであったのである。



 中でも野口町の八幡宮の颯々の松は、永享年間というから、今から凡そ530年の昔、
時の将軍足利義教が東行してきたころ、もう立派な松だったということである。



 また小沢渡町の音羽の松は、二条天皇の保元3年(1158年)に生えた松といわれて
いるから、その通りとすると、明治10年に枯死するまで、実に720年の樹齢を保った
わけである。



 昔は、野口の八幡宮の神興が、毎年8月15日に、音羽の松の下に渡御したということ
から見ると、この二つの松は兄弟の松で、音羽の松が弟なので、弟松、即ち音羽の松とな
ったのであろうという人もある。


 この松の起りについては、白狐がどこからかくわえてきて、ここに植えたのが大きくな
ったという人もあるが、また次のような話もある。


 昔このあたりに大東院という寺があった。そのお寺の傍らで、音羽婆さんという老婆が、
小さな茶店を出していた。


 その頃ここは、東海道の通りで、道行く人は多かった。


 春の暖い日である。老婆は店の前に立って、


 「いいお天気じゃ」


と空を見上げていると、どこからか一羽の丹頂の鶴が舞ってぎた。


 「あ、珍しい、鶴がきた」


 見るとその鶴は、松の小枝をくわえていた。


 鶴は低く舞い下りてきて、幾回か老婆の前を行きつ戻りつした。


 「おかしな鶴よ」


 見ている中に、鶴はその小枝を老婆の前に落すと、そのまま、何れともなく飛び去って
しまった。


 「鶴が苗木をくれた。しかも松じゃ」


 老婆はそれを、大東院の西の荒地に植えておいた。これが音羽の松であるという。



 また一説には、このあたりに、妙齢の美女があった。彼女は歌を唄うのが好ぎだった、
しかもその美声は、近隣にその比がなかった。


 ある日、常の如く美声で唄っていると、一羽の鶴が舞ってきて、その妙音に聞き惚れて、
くわえていた松の小枝を落としていった。


「あっ、松の小枝」


 彼女はその小枝を待って、鶴の飛び去った後を見つめていたが、やがて何かの訳があろ
うと、大東院の西に植えたのが、この音羽の松であるともいう。



 この松は、幹は曲りくねって、地を這う程であったので、子供達はこれに登って遊ぶの
であったが、上るとたちまち落ちて、足を怪我するので、


「あの松に上ってはならぬぞ」


と、親達は注意するのであった。



 また、この松を写生しようとしても、毎日姿が変化して、その枝葉が一定していないの
で、写生できなかったともいうことである。




※付記

 戦前、浜松市の神明町に、音羽屋というそば屋があった。明治の頃には、田舎から浜松
に行くと、「音羽屋のそばを食べなけりや」と、名物化したことがあったが、この家が小
沢渡から出た人で、この松の名を取って音羽屋と名づけ、明治の初期には、音羽の松の版
画を出していたということである。

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