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山本夏彦さんはこんなことを⑬-「完本 文語本」文藝春秋 2000年 ① [読書記録 一般]

「各人にオリジナリティがあるという考え方と無いという考え方があって、私(山本夏彦)
 はないと思っている。もしあるとすれば,真似をしているうちに自然に表れるものだと
 おもっている。
個性なんて,ちやほやされて出てくるものではない。モデルに従って自家薬籠中のもの
 として,それから抜け出て初めて個性(個性に近いもの)になる」

- 上辺、格好、身に付けるものが個性ではなく、内からにじみ出てくるものが個性だと
 よく言われます。まねができないものでしょうか。








今回は、3月27日に続いて、わたしの要約ノートから、
キーワード「山本夏彦さんはこんなことを」13回目の紹介、
山本夏彦さんの「完本 文語本」①です。




出版社の案内には、

「名コラムニスト山本夏彦さんは、父・山本露葉の残した新聞雑誌を読みふけって、明治
 の語彙・文章をわがものとされました。『完本 文語文』は、山本語彙、文章論の神髄、
 決定版というべきものです。明治以後、西洋の文物が流入して、日本語に活性と混乱を
 もたらしました。私たち日本人は文語文を捨てることで、何を失ってしまったのでしょ
 うか。二葉亭四迷、樋口一葉、萩原朔太郎、中島敦ら名文家の文章を引きつつ、現代日
 本語の欠点を衝きます。名作『明治の語彙』も加筆再録しました。」

とあります。




今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「新しいばかりが個性か?保守派もまた個性ではないか?」


・「文語文の中には共通のモラルが流れている。それを私たちは失ったのである」


・「文語=平安時代の口語 それが凍結されたもの。千年工夫したから洗練された」


・「手紙には句読点を打たない,改行で一字下げない(それは印刷屋のため)。
候が句読点の代わり」






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☆山本夏彦さんはこんなことを⑬-「完本 文語本」文藝春秋 2000年 ①

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◇文語文

□ 文語文 
 = 国語の遺産,柱石




□佐藤春夫 

「新しいばかりが個性か?保守派もまた個性ではないか?」


 中等国語読本(全十巻)
1巻 明治文章

2巻 徳川時代文章 擬古文 常山紀談 折りたく柴の記
太平記 神皇正統記 保元平治物語 今昔物語 徒然草 方丈記 十六夜日記

 
 リズムがあったから暗誦に耐えた<暗誦の時代>




□大正9年 

 三省堂の中学国語教科書から現代文ばかりになった




□小学校国語教科書 

「国史」昭和2年まで全文文語文

    昭和10年度版より全部口語文に




□昭和11年 

 文部大臣・平生釟八郎「漢字廃止論」

↑↓


□旧幕遣米使節 

 紳士として遇されている 

 木村摂津守は貴人として尊敬されている



 今日本人が軽蔑の対象でしかないのは,西洋の古典を自家薬籠中のものにすれば西洋人に
なれると思っているから


 → 摂津守一高が尊敬されていたのは一行に共通のバックボーンがあったから 

  = 儒教のおかげ
  「修身斉家,治国平天下」

  通俗のモラル
近思録,四書五経で身を固めた者



 文語文の中には共通のモラルが流れている

 それを私たちは失ったのである




□詩が読者を失ったのはいつからだろう

 新体詩 ←→ 漢詩  

「文事ある者は武備あり」
軍人政治家は拙くても詩人であるべき
  

 文語 = 平安時代の口語 それが凍結されたもの
        
 千年工夫したから洗練された 

 口語は動いてやまないもの → 詩の言葉にならず


 萩原朔太郎 『永島』全文文語
「すべての詩編は朗吟であり,(略)読者は声を出して読むべきであり決して黙読すべ
  きではない」




 文語が滅びた後,詩は難解になった
(読者が思想を求めるから)



 凡百の詩歌は言葉の遊戯だった。風流だった。嗜みだった。枕詞やかけ言葉の約束さえ
心得れば分からぬと言うことはなかった。それを滅ぼしたのは正岡子規である。




□候文 

 鎌倉時代に確立


 旧幕 男は仮名を一字も混じえない


 候文
  ~ 文語の一種 = 昔の口語が手紙の中に凍結されて残ったもの

 手紙には句読点を打たない,改行で一字下げない
(印刷屋のため)

→ 「候」が句読点の代わり
   

 中江兆民 弟子に幸徳秋水「萬朝報」
田中正造の告訴状を代筆

漢文 ~ 簡潔にして気力有り




□真名  

 仮名に対する本字

仮名は漢字を略したもの




□戦前と戦後の大きな違い

「子供たち同士で教え教わる機会の消滅」

言葉は幼い内は親から口うつしに学ぶ




□「読み書きそろばん」

 = 商人や職人に学問はいらない

寺子屋 それでいて識字率は世界一


あとは芝居や寄席で学んだ「仁義礼智信」


 ※ 教育というものは前代の遺産を後代に伝えるもので,元来保守的なもので,洋の東
  西を問わず,昔は古典を読むことだった。


 ~ 10冊か20冊 左国史漢,四書五経



 二千年も前に人間の知恵は出尽くしている。

新刊は出てもいいが多すぎる。




□大正デモクラシー

 模倣を退けて独創を重んじた


 それまで書画臨模と言って手本の模写から始めた

↑↓

大正時代 ・図画は自由画に 
      ・作文は綴り方に
・手本に従うことが悪いことになった

 ※ 各人にオリジナリティがあるという考え方と無いという考え方があって、私(山本
  夏彦)はないと思っている。もしあるとすれば,真似をしているうちに自然に表れる
  ものだとおもっている。
個性なんて,ちやほやされて出てくるものではない。モデルに従って自家薬籠中の
  ものとして,それから抜け出て初めて個性(個性に近いもの)になる




□十読は一写に如くかない

 一葉の「たけくらべ」

 ← 平安以来の千年の伝統が尻押しして書かせた                      『文藝春秋』1997.7 93.9~94.5


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