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教育ノートから「教師」22-「先生の現象学」小浜逸郎 世織書房 1995年(3) [読書記録 教育]

今回は、4月20日に続いて、教育ノートからキーワード「教師」22回目、
小浜逸郎さんの「先生の現象学」の紹介3回目です。




出版社の案内には、


「公教育の先生はどんな属性を負い、それはどのような歴史的由来や社会的条件から規定
 されたのか。『センセイ』という神話的機能を解体する本。教師のアイデンティティは
 どこに求めたら良いのか。」


とあります。


今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「なぜ本来の仕事以外の校門遅刻チェックをやらなければならないか?
 『センセイがそんなことまでやる必要があるのか』」


・「師範学校令 土台下に埋め立てる小石
  - 国家のために犠牲になる決心 教育の僧侶」
-「教育の僧侶」?、確かにそのようにも… 


・「聖職者規定をいかに現実的に無化させていくか 
- 自己陶酔的な信仰にならない」





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☆教育ノートから「教師」22-「先生の現象学」小浜逸郎 世織書房 1995年(3)

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◇古代型「センセイ」 小浜逸郎
  
□現実体制に対する否定者・反逆者


□絶対的観念に敬虔な帰依の感情
  宗教的情熱


□徳の部分に価値  
  人間としてもっと大切なものがある


□金銭に対する軽蔑
  報酬を考えない


□師弟関係の雰囲気
  自ずから従う






◇古代型「センセイ」の現代への影響  小浜逸郎
  
□いいかげんなコピー「教師のサラリーマン化」

  もともとサラリーマン

  サラリーマンとしてのきちんとした責務を果たせばよい

  |

  サラリーマンを責任感と熱意の欠如しただらしない人種の代表みたいに言うのはサラ
 リーマンに失礼


 欠落点 
  ① こういうのがエリート

  ② 昔の教師にもひどいのはたくさんいた

    昔の子供 - 世界はこんなものだと思って騒ぎ立てる発想がなかった



 生活の都市化と中流化が個人主義を押し進めた

   |

 古代聖人を「センセイ」の模範としている






◇中世型「センセイ」の類型  小浜逸郎
  
□古代的規定性

 ~人格的理想像・倫理主体としての在り方


□中世・近世  

 教育は「爆発のように突然激しく勃発した」

 存在規定 
  ①民衆に対する上からの義務教育的な系列
センセイは体制側の人間

近代以前は家畜を管理する調教師の役割


学校に囲い込む
②下から自発的に求められた教師
自由人 俗世界の人間

      日本の寺子屋も同様 書き中心(実用)読み中心(宗教)

      中世 欧州では学校は施設 上下水道と同じ

         市民の自由に任せる部分を増やす

  ③職業教育 生活教育
処世的道徳教育の場 技術伝承+行儀作法・人生観



まともな大人  熱血型先生の郷愁の中に







◇中世型センセイの現代への影響 小浜逸郎
  
□古代「センセイ」  

 内面的規定  道徳性・人格性


□中・近世「センセイ」

 権威の末端代行者(管理者)

 実用教育本意「教育技術の法則化」


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