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山本夏彦さんはこんなことを⑰-「完本 文語本」文藝春秋 2000年 ⑤ [読書記録 一般]

今回は、4月24日に続いて、わたしの要約ノートから、
キーワード「山本夏彦さんはこんなことを」17回目の紹介、
山本夏彦さんの「完本 文語本」⑤です。





出版社の案内には、

「祖国とは国語である。日本人は文語文を捨てて何を失ったか。明治以来流入した欧米の
 文物は、混乱と活気と迷惑をもたらした。中江兆民、二葉亭四迷、樋口一葉、萩原朔太
 郎、佐藤春夫、中島敦たち諸家の名文を引き、失った父祖の語彙を枚挙し、現代口語文
 の欠点を衝く。 」

とあります。




今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「最後まで文語が残ったのは校歌」
- 確かに、古めかしい文語調の効果が残っている学校もあります。
  30年近く前、市内の小学校の校歌の歌詞を調べて比較したことを思い出します。
 

・「新教育 『古いことは悪いこと、新しいことはいいこと』」


・「文部省は日本人は日本語の中に暮らしているから教えないでも覚えるという小学校の国語
  の時間を減らしているが心得違い」


・「(ことばを)人は笑われて覚える。その程度で傷付くならば傷付くがいい」


・「核家族が完了して親子の語彙が同一になった」
- 大人の使うことばが、子供の使うことばといっしょになってしまった?







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☆山本夏彦さんはこんなことを⑰-「完本 文語本」 文藝春秋 2000年 ⑤

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◇友垣

□東大には校歌がなかった 

 あるのは「寮歌」文語

 その他も応援歌 文語



□唱歌も文語

    ↓

 口語に変わった

  ∥

最後まで文語が残ったのは校歌

※ わたしは字句のいちいちをとらえてそれをとがめる気はない。アナウンサーのくせに
 こんな誤りをしたあんな誤りをしたというのは、自分ならしないという自慢話である。
  一人が一つずつ誤りをあげれば,日本の人口は一億だとすれば一億人がとがめ立てで
 きる勘定。
  なるほどその一つは正しいだろうが,他で違う過ちをおかしているに決まっている。
 その自覚がないとがめ立てに私は同情がない。
  根本は何か。核家族である。
  親一人子一人の間の会話は字句が限られている。それは減りこそすれ増える見込みは
 ない。
祖国というのは言語のことである。        

                               『文藝春秋』1997.1

 





◇祖国とは国語だ

□新教育 

「古いことは悪いこと、新しいことはいいこと」



□人間の知恵は四書五経・左国史漢につきる
  
 文部省は日本人は日本語の中に暮らしているから教えないでも覚えるという小学校の国語
の時間を減らしているが心得違い




□ 旧幕のころ遣米使節への敬意 「四書五経」のバックボーン

 シオラ
「私たちはある国に住むのではない。ある国語にすむのだ。
祖国とは国語だ。それ以外の何物でもない」


 





◇言い回しの法

□ 「言葉は三度耳にした上でなければ口にしてはならない」



 人は笑われて覚える
   その程度で傷付くならば傷付くがいい



□「子供の言葉が無くなったのは露地と原っぱが無くなったから」



 核家族が完了して親子の語彙が同一になった



□ことわり ~ 「ご無用」「よござんす」
今は「間に合っています」一点張り

悪口と褒め言葉の多寡は文化の尺度     『諸君』1997.1~4

 





◇私の文章作法

□清水幾太郎 

「好きな文学者の真似をせよ」
人は五歳にして既にその人で,言葉は生まれた時し場所に支配される


「耳に慣れた言葉以外は使うまいぞ」と決心



□市井のヒーローを失った

 真田十勇士 猿飛佐助 三好清海入道 霧隠才蔵 穴山小助  姐妃のお百
 
 野晒悟助 白井権八 腕の喜三郎 唐犬権兵衛 幡随院長兵衛



□懐メロを口にする者はあっても童歌を歌う者はもういない


 言葉が失われるのは当然である             
                              『文藝春秋』1992.3~4


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