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『オレ様化する子どもたち』諏訪 哲二 中央公論新社 2005年 ① [読書記録 教育]

「教師が子どもたちに教育力を加えられるのは,子ども(若者)が児童・生徒として学校に
 現れたときであり,自由で主体的な『個』として自己主張されたら収拾がつかない」







今回は、諏訪哲二さんの
「オレ様化する子どもたち」1回目の紹介です。


出版社の案内には、


「かつての『ワル』は、対等をめざして大人に挑戦してきた。しかし、『新しい子どもた
 ち』は、端から自分と大人は対等だと思っている。彼ら・彼女らは、他者との比較を意
 に介さない。自分の内面に絶対的な基準を持つ『オレ様』になったのだ。『プロ教師の
 会』代表の著者は、教職生活40年の過程で、子どもたちの変化と格闘してきた。この
 体験をもとに、巷に流布する教育論の正否を交通整理しつつ、「オレ様化」の原因を探
 り、子どもたちの『個性化』と『社会化』の在り方を問う。」


とあります。



今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「いい教育は『のびのびとしていて厳しい』」
-「厳しさから逃げる」姿勢が目立つようになりました。


・「オレ様化 = 「学ぼうとしない」
『自分を変えようとしない』」
- 現状からの変容を願っていないかのように感じる子どもも…


・「自覚的な教師は,通過する子どもの代を眺めているから,どのように代わったかはあ
 る程度は分かる。親が一二回しか子育てしていないのと対照的だ。」


・「子どもたちが変わってきている」(オレ様化)









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☆『オレ様化する子どもたち』諏訪 哲二 中央公論新社 2005年 ①

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◇はじめに - 新しい生徒たち
  
□「のびのび」と「厳しく」と 

 → いい教育は「のびのびとしていて厳しい」



□オレ様化 = 「学ぼうとしない」

 「自分を変えようとしない」


 自己を他の自己と比べて客観視することが難しくなり,自己(の感覚)に閉じこもりだした


 1980年代 管理教育批判 
  - 学校バッシングと教師バッシング




□プロ教師の会が見た子どもの実態


※ 自覚的な教師は,通過する子どもの代を眺めているから,どのように代わったかはあ
 る程度は分かる。親が一二回しか子育てしていないのと対照的だ。



「教師が子どもたちに教育力を加えられるのは,子ども(若者)が児童・生徒として学校に
 現れたときであり,自由で主体的な『個』として自己主張されたら収拾がつかない」




□「ゆとり教育」の本質

 教師の権威・指導力は,教師一人が独自に所有しているものではなく,子ども(生徒)の
「学ぼう」「従おう」「自己を高めよう」という姿勢や意欲に支えられ反応し合って発揮される。




□対教師・信頼関係の前提


 ① 社会をどのように信頼しているか


② 大人が教師や学校をどう認定し位置づけているか,それがどのように子どもに伝わ
  っているか


 ③ ①②がクリアされてから

→ 初めて1対1の関係




□少年Aと学級崩壊 

 「子どもたちが変わってきている」(オレ様化)




□子どもを「主体」として語ると言うこと
  



□「個」が自立しているか否か
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